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彼は迷宮の案内人  作者: あすてか
第一章《乳白色の森》
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《行商人のジャン③》



 リメインの発展にとって最大の貢献を果たした発明品、エレベーターは、籠の中に人間たちを詰め込み、高速で真下へと落下する。

 ジャンはぴょんぴょん飛び跳ねながら、紅潮した顔で「すごいすごい」と繰り返していた。

 経験したことのない浮遊感、籠とガイドレールの摩擦が引き起こす甲高い音が続く。

 しばらくして、鈍い衝撃と共に、籠の落下が減速した。

 地面が近づいたことにより、乗務員がブレーキを作動させたのだ。


「まもなく到着いたします。すこし揺れますので、ご用意を」


 仏頂面の乗務員はそう言った。

 眼下には、はるか頭上のギルド本部からここまで伸びたガイドレールが並ぶ敷地と、それを囲う石造りのバリケードが見える。

 到着する地点は一段ほど掘り下げられており、大きなスプリングが設置してあった。

 そのおかげで、着地の衝撃は、子供のジャンでも耐えられる程度だった。

 停止したエレベーターの、扉が開く。


「またのご利用をお待ちしております」


 丁寧に頭を下げる、乗務員。

 同乗した他の冒険者と混ざり合いながら、ユーリとジャンも外に出た。

「ぶは」


 大きく呼吸する、ジャン。


「あっつ。くっさ。もー、すんごいね、エレベーターって」


 苦笑いしながら手で顔を扇ぐ。

 紅潮していたのは、物珍しさからくる興奮によるばかりではなかったらしい。

 冒険者など、まともに風呂に入る習慣のない連中ばかりだ。リメインにやってきたばかりのジャンがそうだったように汗まみれ垢まみれが普通で、しかも使い古した装備を着て運動するからなおさら蒸れてものすごい悪臭が漂う。

 そんな臭い者どもが十人以上も居並ぶ箱の中にいっしょになって詰め込まれたのだから、鼻と眼が痛くなってくるほどだ。


「そういやユーリはぜんぜん臭わないよねー」

「ババアが風呂に入れってしつこいからな」

「あんな幼妻に向かってババアはないんじゃない?」

「いいんだよ、本当のことなんだから。それよりさっさと行くぞ」


 このエレベーターは、第一階層《乳白色の森》と地上のリメインをつなぐ、最初にして最後、唯一の命綱である。地上から大迷宮へ続くダウンホールは、この場所以外に見つかっていないのだ。

 仮に、獰猛な魔物によって、このエレベーターが破壊される事態に陥ったとしたら、再建されるまで、冒険者たちは誰一人として地上へ帰還することがかなわなくなる。

 そうなったら、自力で生き延びることができるわずかな実力者をのぞいて、ほぼすべての者が死ぬことになるだろう。

 さらに、迷宮内から資源を持ち帰る者も途絶えるので、リメインにとっても大問題だ。

 ゆえに、このエレベーターはリメインが大迷宮内部に築いた施設の中でも、とりわけ重要な価値を持つといえる。


 周囲に張り巡らされた石造りのバリケードは堅牢で、年季が入っていた。深い堀や、木製のスパイク、魔物除けの結界などもこしらえてある。 だが、このエレベーターを何百年も守り抜いてきたのは、それらの設備ではない。

 常駐している百人以上もの手練れ、《守り人》と呼ばれる者たちこそが、迷宮内の災害や、魔物から、リメイン最重要施設を死守しているのだ。


 ユーリとジャンは、バリケードの出口で、古参の守り人と出くわした。 彼は言った。


「坊主。元気でやっとるか」

「坊主はやめろって。まあ、ぼちぼちだよ」

「そうか。そいつはなによりだ。今日は霧が濃い。気をつけて行け」


 だいたい、お決まりの会話である。

 ただ、今回は、続きがあった。


「エルフどもが、なにやら騒がしい。奴らの里に近づかぬようにな」

「そうか。わかった」


 ユーリは忠告に感謝して、先に進んだ。


 

 ◆



「ほんとにミルクみたいな霧だ」


 周囲の光景を見渡してから、ジャンは感心したように言った。


「すごいね。霧の向こうは見えないけど、ランタンがなくても明かりには困らないし、服がずぶ濡れになることもないし」

「姐御は本物なんだよ」

「ふぅん。ねぇ、ユーリ。どこへ案内してくれるの?」


 ジャンが尋ねると、ユーリは言った。


「さて。実際のところ運次第だからな。決まった場所に定まっているのはエレベーターぐらいで、あとの物は変化し続けている。おまえが満足するような品物といえば、《魔晶石》か、地竜の鱗あたりか」


 《魔晶石》は、硬い岩盤から採掘することのできる、莫大な魔力を秘めた水晶だ。この迷宮の特殊な魔力を含んだ霧や小雨が土壌に染み込み、それを途方もない年月をかけて吸収し続けたことで完成する。

 エネルギーをためこんだタンクといったところか。

 魔導機械の革新的な進歩をもたらす鍵として注目を集めている。

 ただしその魔力に魅せられたように厄介な魔物たちが集まっていることが多く、そう簡単に手に入れることはできない。


 地竜の鱗とは、その名の通り、地竜の身体を覆う鱗のことだ。

 竜というのはその強大な戦闘力から恐れられる、魔物の代表格だが、このリメイン大迷宮においても、それは変わらない。

 ひとくちに竜といっても様々な種族に分けられていて、炎を吐く火竜やら海を泳ぐ海竜やら存在するのだが、この《乳白色の森》に出現するのは、地竜と呼ばれる亜種である。

 彼らは炎のブレスを吐き出したり翼で空を飛ぶといったことができない代わり、山のような巨躯、きわめて強靱な四本の脚と、鋼鉄よりも頑強な鱗、岩をも噛み砕く顎を持っており、並みの冒険者が太刀打ちできる相手ではない。

 だが鱗や牙は加工すれば優秀な武具となるし、希少価値も高い。


「なるようになるだろ」

「テキトーだなぁ。くたびれもうけなんて嫌だよ、おいら」

「そりゃそうだ。こっちも金をもらってる以上は、せいぜい気張るさ」


 二人の周囲は、すでに霧と針葉樹に囲まれていた。

 ときおり、ぼうっとしながら下を向いて歩いている冒険者を見かけることがある。


「あいつらは、なんなの? 捜し物でもしてるのかな」

「穴族だ。モグラとも呼ばれてる。ダウンホールを探しているんだ」


 ダウンホールとは、この大迷宮ならではの現象のひとつだ。

 それそのものが生きている迷宮では、ときおり、まったくランダムなタイミングで、地面に穴が開くことがある。

 ぽっかりと開いたこの穴は、はるか下の層まで直結している。

 これが、ダウンホールと呼ばれるものだ。

 人間は、時間、場所、規模、どれひとつとして予測できないダウンホールがなくては、大迷宮の各階層を移動することができない。


 より深い階層の開拓を常に目指しているリメイン評議会にとって、新しいダウンホールの発見は、新たな星の発見より、新たな美味の発見より、価値がある。

 現在、最下層とされている第五階層の発見より、すでに百年が経った。際限を知らぬ欲を抱えた評議会は、未知の第六階層へ下るためのダウンホールの出現を待ち望み、発見者に対して莫大な報奨金を約束している。

 それと同時に、どの階層で見つけたとしても、ダウンホールの発見者には、一生遊んで暮らせるほどの報奨金が支払われる。

 より多くの冒険者を送り込み、より多くの資源を持ち帰らせるためには、道は、多ければ多いほど、都合がいい。

 

 穴族とは、ダウンホール発見者への報奨金を目当てに第一階層のみ、しかも最初のエレベーター付近だけを重点的に探し回っている連中のことだ。

 この森のおそろしさに心が折れたか、もはやまともに下層を目指したり魔物を倒したりすることをあきらめた彼らは、今日も変わらず、たまたま奇跡が起きて足下にダウンホールが開く瞬間を夢見て、とぼとぼと徘徊し続けるのだ。


 血気盛んな冒険者が集まる酒場において、穴族というのは、最大の侮辱のひとつである。


「やだなぁ。後ろ向きっていうか、夢も希望もない人たちだね」

「だから見つけようとしてるんだろ。そこらへんに転がってるはずはないんだがな」


 向こうから、真っ赤に燃えるたいまつの明かりが近づいてきた。

 まるで幽鬼のように蒼白な顔をした男は、「穴がない……金がない……」と繰り返し呟きながら、すれ違っていった。

 下を向いたままの彼には、ユーリたちの顔すら見えなかっただろう。


 炎は、この迷宮の魔物を呼び寄せる。

 やがて、血に飢えたトロールか鬼蜘蛛が彼を襲うだろう。

 だが、そのことについて親切に指摘してやるつもりは、ユーリにはない。


 下を向くのも上を向くのも自由なら、すべては自分が招いた結果だ。

 戦う力を持っていながらそれを放棄した者に、手をさしのべてやる義理はない。

 ましてや彼は、客ですらない。


 背後で、壮絶な断末魔が聞こえた。

 ジャンは驚いて振り返ったが、ユーリは、眉ひとつ動かさなかった。



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