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彼は迷宮の案内人  作者: あすてか
第一章《乳白色の森》
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《行商人のジャン②》



  

 一夜が明けた。

 招き入れられたユーリの自宅ですっかりくつろいだジャンは、幼妻クラティアの手料理を振る舞ってもらい、風呂湯まで頂戴したおかげで、すっかり長旅の疲れを癒したようだ。

 ジャンは話がうまく、特に「こんなに若くて綺麗で料理上手な奥さんをもらったユーリは本当に幸せ者だね!」とかほめそやすので、有頂天になったクラティアはジャンのことをすっかり気に入り、普段は使っていない部屋のひとつを与え、あれやこれやと世話を焼いてやるほどだった。

 

 汚れを落とすと、ジャンはかなり見られる外見になった。

 垢だらけで黒ずんでいた顔は、血色のよい、艶やかな輝きを取り戻した。砂埃まみれでくすんでいた金髪も、さらさらピカピカの王冠のように頭を飾っている。これでツギハギだらけの衣服でなければもっといいのだが、本人はあまり頓着しないたちのようだった。


 日が昇った頃になり、ユーリとジャンはクラティアに見送られて出発した。

 大通りを歩いている最中、ジャンはあくびをしながら言った。


「ユーリの家ってさ、ペットとか飼ってる? 夜中に遠吠えするような」

「いや、飼ってないな」

「そっかぁ。……クラティアさんってさ、ちょっと声がでかいよ」


 よく見ると、ジャンの目元には疲れの色が残っていた。

 さほど間を置かずにあくびが連続する。


「あんな馬鹿でかい雄叫びを上げる女の人って、おいらの村のマーサおばさんが赤ちゃん産んだときぐらいしか知らないな。幼妻なのに、人間やめてますって感じの野太い声で殺せとか殺してやるとかアンアン喘ぐんだもん、引いちゃったよ。よくあれでご近所から苦情が来ないよね」

「おまえ……もう、うちには来ないほうがいいぞ」

「え。なんで」

「死にたくなかったら、そうしろ」


 ややひきつった真面目な表情でユーリは言った。

 ユーリの剣が、鞘ごとカタカタと小刻みに震えていた。

 まるで怒りが爆発するのをかろうじて堪えているように。


 クラティアの正体は、ユーリの持つ剣に宿りし魔神である。

 普段は意識を剣に移しているのだが、その身に秘めた魔力を使ってかりそめの肉体を作り出し、生きた人間のように振る舞うこともできる。

 そしていまは、その剣の内部から外界を見聞きしている状態だ。

 つまり、ジャンの言葉はすべて彼女に筒抜けとなっている。

 いずれ少年は、おのれの軽はずみな言動を後悔することになるだろう。


 大迷宮の入り口のある白亜の塔を目指してしばらく歩いていると、ユーリが横道のひとつを示した。


「ちょっと寄り道していくぞ」

「なんで?」

「おまえ、《乾き》と《暗視》の加護は持ってるか?」


 ジャンは首を横に振った。


「だろうな。《乳白色の森》に挑むなら、あったほうがいい。《乾き》は、霧や雨で身体が濡れるのを防いでくれるし、《暗視》は、松明やランタンがなくても視界を確保してくれる」

「ふぅん。でも、そもそも加護ってなんなの?」

「まじないだ。現在ではほとんど失われた技法だから、めったに使い手と出会うことはないがな。これから本物に会わせてやる。大迷宮の手前にうろちょろしてる連中がいるが、あいつらは詐欺師か半人前だ」


 ユーリはジャンを連れて、狭い横道に入り、建物と建物の隙間にある曲がりくねった道を進んだ。

 そのうち、大きな空間に出た。

 意図的なのか、偶然なのか、路地裏にぽっかりと開いたスペースに、その屋敷は建っていた。

 三階建ての、見るからにぼろっちい、今にも倒壊しそうな木造建築。

 ゴミ屋敷である。

 いろんな家具、日用品、玩具、薬品、割れたフラスコと壊れかけの実験機材、剣や盾、ぬいぐるみ、お菓子など、なんでもかんでも詰め込んだせいであふれ出し、建物の周りをゴミが囲っている。


 ゴミ屋敷の二階の正面には、横長の金看板が掲げられていたが、右側の留め具が壊れているのか、やや斜めに傾いている。

 看板には、こう掘られていた。

 《セルフィッシュ》。

 雑貨屋セルフィッシュというのが、この店の名前である。


「すんごい違法建築だね、ここ」

「まぁな」

 

 常人なら近づくことすらためらう違法建築物件に、ユーリは平気な顔をして歩いていった。ジャンはいつでも逃げられるよう警戒しながら後ろについていく。風が吹くだけで倒壊しそうな雰囲気があるのだ。


 店先に置いた椅子に腰かけている人間の姿があった。

 十六歳ぐらいの、シャープでしなやかな体つきをした、身長百七十センチほどの少女だ。蒼に近い不思議な色合いの癖毛気味な銀髪をポニーテールにしており、肌の色は透き通るように白く、鼻梁の整った顔立ちだが、人形のように感情の変化が乏しく、紫水晶のような双眸からは生気というものを感じられない。おまけにひどい三白眼であった。

 真っ黒い、フリルだらけのゴシックロリータに身を包んだ少女は、ユーリの姿が目に入ってもろくな反応を示さず、ただ茫洋とした様子で、腰の上に乗せた黒猫の背をゆっくりと撫でている。


「よう、レナーテ。調子はどうだ?」


 やはり返事はない。

 それどころか視線を上げることすらせず、レナーテと呼ばれた少女はただ猫の背を撫でているのである。

 だが、ユーリにとってそれは落胆するようなことではなく、これがいつも通りであるようだ。


「姐御に用事があるんだ。邪魔するぞ」


 と、断って、少女の横を通り過ぎる。

 ジャンも、少女のことが気になるのか、しきりに目をやりながら、ユーリの後ろについていった。


 店内は、それほど広くはない。

 だというのにゴミをこれでもかというほど詰め込んでいるものだから、かろうじて足の踏み場が残っている程度で、とても雑貨屋として営業できている様子はない。


 商品、という名のゴミが、左右の棚はもちろん天井からもフックで吊り下げられ、ありとあらゆる方向から押し寄せてくるような感覚。

 奥のほうにはおそらく家人の居住スペースへ続く廊下などがあるのであろうが、そちらは、巨大な熊のぬいぐるみとトロールの剥製によって完全に塞がれてしまっていた。


 ユーリは足下に転がる商品を踏まないよう注意しながら歩いていき、奥へ向かって声をかけた。


「姐御。どこだ?」

「人間が住んでるようには見えないんだけど」

「住んでるんだよ。たぶん、どこかに埋もれてるんだろ」


 ユーリは周囲をきょろきょろと見回した。

 そして、魚の干物と分厚い書物、黄金の蜂蜜酒のボトルが山積した場所に目を付けると、やおら腕を突っ込んだ。


「よし、つかまえた」


 そして、慎重に引っ張り出す。

 ユーリが掴んだのは、おそろしく白く滑らかな女の細腕であった。

 書物とボトルの山を崩して現れたのは、ジャンが思わず「すっごい美人」と口に出したきり言葉を失ってしまうほどの美女。

 

 年齢はユーリより年上、三十歳ぐらいだろう。かなりの高身長で、おそらく百八十センチ以上。巨大と形容できるほど隆起した乳房はそれでも垂れることなく奇跡のような均整美を保っている。細くくびれた腰。象牙細工のごとく華奢で端正な両足、堂々と張った尻のかたちの良さは、男のみならず女をも魅了する、魔性の肉の引力が宿っていた。


 切れ長の大きな瞳が、眠たげに、ぱちくりとまばたきをした。真っ黒い瞳である。まるで死魚のように、生命の息吹が感じられない。かなりの近眼なのか、度のきつい黒縁眼鏡をかけている。

 異常なほどボリュームと癖のある、荒れ狂う海のような黒髪が、女が眠気を払おうと首を振るのに合わせてばさばさと揺れた。

 年齢をまったく考慮していない花柄のワンピースは、どんな猛毒の染料で色づけたのかと問い詰めたい、眼に痛いほどの原色である。

 

 まばゆいほどに神々しい、端麗な容姿、容貌であるのに、あまりにも女を捨て去ったそれらの要素が、この地上に降臨した女神とでもいうべき美女を、泥沼地獄に噴出した生粋の墜女神へと変えてしまっていた。

 

 墜女神は、眠そうにぼしょぼしょと聞き取りにくい声で言った。


「あれ。ユーリだ。おはよぉ」

「もうすぐ昼だぞ、姐御」

「うぅん。そなの? 朝ご飯たべたら朝になるからだいじょぶだよぉ」


 にへらにへらと、しまりのない笑顔を浮かべる墜女神。ゴミの山に腰かけて、体をゆっくりと右へ左へと揺らしている。

 率直に、白痴といわれても仕方のないありさまだ。


「……ねえ、ユーリ。この女の人、だれ? っていうか、くさっ」


 ジャンは鼻を手で覆って、顔をしかめていた。

 すさまじい酒臭さが、部屋中に漂い始めたのだ。

 その元凶は、ゴミ山に鎮座する女の吐く息にあるようだった。


「げぇっふ。うぇへへへへ。黄金の蜂蜜酒はやっぱり最高だわぁ」


 頬を紅潮させ、にへらにへら笑いながらゲップを繰り返し、満足そうに腹をさすっている。

 ユーリは、ため息をついた。深い、深い、疲れ果てたため息。


「この人は俺の姐御、フェアラートだ。まあ、師匠だな。で、姐御、こいつはジャン。いまの俺の雇い主だ」

「はじめましてぇ、ジャンくん。フェアラートです。好きなものはお酒とユーリかなぁ。気軽にフェアちゃんって呼んでね。んふふふふ!」


 と、「げぇっぷ」と酒の臭いをまき散らす。

 口元からは蜂蜜酒混じりの唾液がだらだらとこぼれ落ちていた。


 ジャンは、ああ、この人は物狂いなんだ、と思った。

 これは泥酔とかそういう状態ではない、それよりひどい。

 他人を哀れに思うことなど滅多にあるものではなかったが、それでも、この女性に対しては深い哀れみを禁じ得なかった。


 なぜというと、フェアラートはすでに、終わっていた。

 ここにあるのは、死に絶えた女が最後に残した抜け殻なのだと、説明されずとも納得できる、それはもう凄惨な終焉であった。


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