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彼は迷宮の案内人  作者: あすてか
第一章《乳白色の森》
6/43

《行商人のジャン①》



「言っておくが、俺は、タダで依頼は受けないぞ」


 場所を移して、ギルド本部内の職員用食堂。

 主に職員の食事、またはこうして案内人と依頼人の交渉の場としても使われることもある。

 隅のほうのテーブルに陣取って、ユーリと少年は向かい合って座った。

 

 ユーリが渋い顔つきで釘をさした理由は、少年の身なりにある。

 行商人ジャン、と名乗った少年の年齢は、十五歳ほどだろう。

 くすんだ金髪はぼさぼさで、顔には垢や土の汚れが目立ち、着ているチュニックとズボンは色褪せているうえにつぎはぎだらけでぼろぼろだ。


 どう見ても、案内人を雇うことができるほど金銭的な余裕があるようには見えない。

 行商人どころか、道ばたに座り込んでいる浮浪者の子供だと説明されたほうがまだ納得できる出で立ちだ。

 とにかく、とんでもなく薄汚いのである。

 報酬を支払えない冷やかしはお断りだ。


 疑われていることが不満なのか、ジャンは頬を膨らませた。


「お金なら持ってるよって言ったじゃない」

「だったら見せてみろ」

「ほい」


 と、ジャンはおもむろにズボンのベルトから提げていた皮袋を取り出すと、中身をテーブルの上にぶちまけた。

 じゃららら、がしゃん、と幾重にも折り重なる金属音を立てて、黄金に輝くコインが何十枚と広がる。


 ユーリは唸った。

 まさか本当に持っているとは、しかもこれほどまでに。

 ジャンは、口を開いて逆さまにした皮袋を何度か振った。


「いくらで雇えるの?」

「……日当、金貨三枚でいい。こんなにはいらん」

「遠慮しないで受け取ってよ、ほれほれ」


 ジャンは、小汚い手でピカピカの金貨をユーリのほうへ押してくる。

 ユーリはかなり誘惑に負けそうな表情をしたが、驚異的な自制心を発揮して、「いや、いい」と震える声で言った。

 こんな少年が、これだけの大金を所持している理由を尋ねたかったが、やめておいた。関与すべきこと、そうでないこと、がある。


「わかった、案内しよう。決まった額だけもらっておく。……で、契約内容についてだが、まず、おまえがどんな目的で迷宮に潜るのか聞かせてくれ。そいつを知っておかないと、案内しようがないからな」


 そう言うと、ジャンは、「うん」と、うなずいた。


「たいした理由はないよ。おいら、行商人だから。有名なリメイン大迷宮で、めずらしい商品を仕入れて、他の街で高く売りたい。それだけ」

「これだけ手持ちがあるのに行商人を続けるのか? 小さい店ぐらいなら今すぐ開けるぞ」

「そういうのには興味ないなぁ。旅しながら商売するのが好きなんだ、おいら。いろんな土地でいろんな人間と交渉するのは楽しいよ。そのために、ここでたくさん珍しい物を手に入れたいんだ」


 ジャンの瞳はキラキラと輝いていた。全体的に土まみれで薄汚いのに、眼の色だけはやけに美しいのだ。


「条件がある」

「条件?」

「いくら金を積まれても、俺が案内するのは第一階層《乳白色の森》までだ。第二階層以降に潜りたいなら、ほかを当たってくれ」

「どうして?」


 ユーリは腕組みをした。袖を捲った黒シャツから伸びる腕は、鋼鉄線の束を寄り合わせたようにたくましい。

 

「単純に、割に合わん。珍品が欲しいなら《乳白色の森》で充分だ。第二階層以降は、金稼ぎで潜るような場所じゃない。もっと全力で命をかけることになる。期間にしても半年から一年ぐらい潜りっぱなしになるとか普通だしな。金貨数十枚ではとてもやれんよ」

「へぇ。じゃあ、どうしてみんなそこに潜るの?」


 ジャンは首を傾げた。

 ユーリは、シニカルな笑みを浮かべた。


「金にかえられない物が欲しいから、だ。だが俺は、そういうのはもう、あらかた手に入れてある。だから、いまさら第二階層まで潜る必要はない」

「ふーん。まあ、いいや。おいらも、格別に珍しい品物が手に入るなら、どの階層だろうとかまわないし。あんた、あの有名な案内人のユーリなんでしょ? あんたに依頼すれば、もう絶対に大丈夫だよね!」


 ジャンは、ことさら満面の笑みを浮かべた。


「なんたって、《魔剣使い》とか、《タコ殴りの》ユーリとか呼ばれてる、凄腕の案内人だもんね!」

「おい待て」

「えっ?」

「なんだその《タコ殴りの》とかいうのは」

「ユーリの通り名でしょ。有名だよ、サイクロプスも素手でボコするって!」

 

 眼をキラキラ輝かせながら言う、ジャン。

 ユーリは盛大にため息をついた。


「どうせ姐御が適当な噂でも流したんだろ。あの人にも困ったもんだ。ジャン、とにかく話は分かった。依頼を受けよう。そっちの準備ができてるなら、俺は今から行ってもかまわない」


 と、言ったときだった。


「かまわない、じゃねぇよ」


 ドスのきいた野太い声と共に、大きな影が落ちる。

 ジャンは、思わずといった様子で「わぁ」と口を開けた。


 ユーリのすぐ左側に、身長二メートルを超える桁外れの巨漢が立っていた。

 年齢は四十歳以上。

 ざんばら髪と無精髭、頬を斜めに走る古傷。筋骨隆々としていて、それを見せつけるかのように上半身は裸だ。


「この、こそ泥野郎が!」


 野太い罵声が飛ぶ、と同時に、ユーリはいきなり頭を酒のボトルで殴打された。

 まだ中身の入っていたボトルは粉々に砕け散り、強烈なアルコール臭を放つ液体を盛大にぶちまける。

 突然の凶行に、食堂内の人間の視線が集まった。


「《怒濤の剛拳》ジグルドだ」

「オーガ十匹をたったひとりで殴り殺したっていう、あの……」


 巨漢の名はジグルドというらしい。

 職員たちの視線には明確な非難の色がこもっていた。


 なにせ、ジグルドのやったことは、明らかにやりすぎだった。

 中身の入ったボトルでおもいきり殴りつけると、普通、人間は倒れる。悪くすれば死ぬし、そうでなくとも頭から出血して意識を失い、危険な状態になる。


 迷宮を飯の種にして食っていく冒険者とはやくざだが、それなりのルールを守りながら生きている。紙一重の差でしかないが、けっして無法者などではない。

 理由もなく、いや、どんな理由があろうと、突然に他者を傷つけるような行為は、絶対に御法度だ。

 死者の出る争いに発展すると直感した数名が、悲鳴を上げて、ギルドの上役を呼びに走ろうとする。

 それを制止したのは、ユーリであった。


「大騒ぎするな。怪我はない」


 頭から浴びた酒を、ぽた、ぽた、と床に滴らせながら、腕や肩についた破片を払い落とす。

 そこに血が混ざっている様子はない。

 本当に怪我はないらしい。

 いったいどういう造りをしているのか、異様に頑丈な肉体だ。

 そして、視線は前に向けたまま、何事もなかったかのように言う。


「どうした?」


 その落ち着き払った様子が、ジグルドを苛立たせた。こめかみに血管を浮かび上がらせる。

 彼は食堂を揺るがす怒声を上げた。


「さっきから聞いてりゃ、てめぇは五階層ゾハルだろうが! 俺たち一階層アルマッレークの仕事を横取りするんじゃねぇ!」


 《怒濤の剛拳》ジグルドは案内人であった。

 ただし、もっともランクが低く数が多い一階層アルマッレークである。

 ユーリは怪訝な顔をした。


「横取り? どういう意味だ?」

「ふん、てめぇの噂は聞いてる。五階層ゾハルのくせに《乳白色の森》でばかり仕事をする、はた迷惑な糞野郎だとな。上位ランクが案内をすると分かれば、客はそっちに流れるに決まってる。てめぇのやってることは、俺たち一階層アルマッレークから仕事を横取りする、薄汚いこそ泥だってことだ!」


 ジグルドの言葉には、もっともな筋が通っているようであった。

 だが、ユーリは悪びれる様子もなく言った。


「だからどうした? 五階層ゾハルが《乳白色の森》で仕事をしてはいけません、なんてルールはないぞ」

「あ、ああ!?」

「なんで俺が下位ランクの生活を心配して、わざわざ危険な階層で仕事をする必要がある? 俺だって遊びじゃない、食い扶持を稼ぐために仕事をやってるんだ、楽に稼げるならそうするさ。依頼が欲しいならぐだぐだ文句を言う前に足を使って営業してくればいい」


 ここで初めて、ユーリはジグルドを一瞥した。

 その瞳には明確な侮蔑が宿っていた。


「やることをやらずに口ばっかり達者だから、その歳になっても一階層アルマッレークなんだよ、ルーキー」


 ジグルドの顔が、さっと真っ赤に染まる。


「おもしれぇ」


 声を震わせたジグルドは、ユーリのそれよりもさらに一回りも太い腕を振り上げ、岩石と見まがう、巨大な拳を繰り出した。


「教えてやるよ。俺は《怒濤の剛拳》ジグルドだ! 腕っぷしなら誰にも負けねぇんだ!」


 その拳は、たしかに、相手が鬼だろうと頭部を一撃で粉砕する威力だ。

 にも関わらず、ユーリは、左から迫る拳を、椅子に座った姿勢のまま、片手で難なく受け止めた。


 ジグルドの顔にありありと驚愕が浮かぶ。

 全力のパンチを、造作もなく捉えられたのだ。

 かつておのれを腕力で上回る男など見たこともなかった。

 肉体が触れ合うだけで嫌というほど思い知らされる、圧倒的な格の違い。褐色の、鋼鉄じみた天性の筋骨。

 分厚い手の平でがっしりと掴まれた拳は、押しても引いても、びくともしなかった。


「はっ、はなしやがれ!」

「おいおい。殴ってきたのはそっちだろ」


 ユーリはそう言うと、手首を少しだけ動かした。

 そのとたん、ジグルドは床に片膝を突いた。

 彼自身、なぜそうなったのか理解できていない。ユーリがただ少し手首を動かした瞬間、巨大な見えない腕で頭を押さえつけられたかのように、圧力に屈してしまったのだ。


「なっ、な、なんなんだあああっ、あがあああああっ」


 必死の形相で力を振り絞っても、状態は微動だにしない。

 すでに、ジグルドの身体には滝のような脂汗が浮かび、その瞳には涙が滲んでいた。

 ユーリは、優しく言った。


「このままあんたの右手をオシャカにできるが、どうする?」

「なっ、……こ、降参だ……俺の負けだ……!」

「あ?」

「ま、まいりました! 俺が悪かったですっ、自分の足で仕事を探しますっ。だ、だからもう勘弁してくれえええええっ」


 ジグルドが涙をぼろぼろこぼしながら懇願すると、ユーリは、「あっそ」と言って、あっさり手を離した。

 解放されたジグルドは床に尻餅をつき、痣の浮いた右手をかばうようにさする。


 ユーリは、おもむろに椅子から立ち上がった。

 ジグルドは「ひっ」と小さく悲鳴を上げ、おびえた視線でユーリを見上げた。


 ユーリは自分の財布から金貨を一枚、取り出すと、ジグルドに差し出した。


「まあ、俺も言い過ぎた。悪かったな。今回はこれで勘弁してくれ」

「えっ? い、いいのか?」

「ああ。いきなり殴られたから頭に血が昇ったが、あんたの言い分も理解できるし、すまないと思ってる。オスフールには、条件のいい依頼をあんたに紹介するよう伝えておくよ」


 先ほどまでの嘲笑ではなく、人好きのするほがらかな笑みを浮かべて、ジグルドの肩を軽く叩く。

 ジグルドはあっけにとられた顔をしていたが、やがて事態を呑み込んだのか、金貨を大事そうに受け取った。

 彼は恥じ入ったように目を伏せた。


「す、すまねぇ。俺もどうかしてた。あんなことするつもりはなかったんだ」

「いいさ」


 ジグルドは頭を下げて、食堂からとぼとぼと出て行った。

 その背中を見送っていると、ジャンが言った。


「ユーリって大人だね。あんなことされても、許しちゃうんだ」

「十年前なら、切り刻んで犬の餌にしてたがな」


 ユーリは平然と言った。作り笑いは消えていた。


「だが、むやみに敵を作るような生き方は損なだけだ」

「じゃあ、どうして、わざわざ一階層アルマッレークの案内人の仕事を奪うようなことをするの? それこそ、敵を作るんじゃない?」

「おいおい、あいつの言うことを真に受けるなよ。案内人の実状を知らないのか? 山のようにやってくる冒険者に対して、案内人の数はほんの一握りだ。需要に対して供給がまったく追いついていないんだから、探せば依頼人なんて腐るほどいる。あいつがちょっかいを出してきたのは、おまえが金貨をじゃらじゃら見せびらかすからだ。誰だって楽にたくさん儲けたいんだから、な」


 ユーリの言葉は真実である。

 このリメインに、多いときには一年間に十万人、一ヶ月で一万人以上もの冒険者が押し寄せるのに対して、ギルド公認の案内人は全体で約数千人程度しか存在していない。

 もっとも数が多い下位ランクの一階層アルマッレークが総出で案内を買って出たとしても、とてもさばき切れる状況ではないのだ。

 他人の依頼を横取りせずとも、目の前に並んだ依頼を好きなだけかき集められる。

 とはいえジャンが提示した金貨数十枚という条件はさすがに破格すぎるので、嫉妬したジグルドが手を出してきた。真相はこうだ。


「さて。さっき、すぐにでも行けると言ったばかりだが、悪いな。とりあえず家に帰って着替えなきゃならん。このありさまじゃあな」


 ユーリは頭から酒をかぶった、ずぶ濡れのままだ。

 ジャンはうなずいた。


「うん、いいよ。おいらも準備があるし。明日からにしよう。で、ものは相談なんだけどさ」



 ◆



「泊めてやるのはいいが、たいしたもてなしはできないぞ」

「そんなのいいよ。おいら、この街にきたばかりで、どこの宿屋が当たりなのかもわからないし、今日はもうクタクタで探す気にならないし」


 ユーリとジャンは冒険者ギルド本部を出て、リメインの市街地を歩いていた。

 活気にあふれる、この街でいちばん人通りのある大きな道だ。

 左右には、武器屋、食料品店、衣料品店、それら多種多様な店がずらりと建ち並んでいる。

 帯剣した冒険者や、もともとリメインに定住している人間、馬車に乗った富豪、ジャグリングを披露する大道芸人など、職業や立場のまったく異なる人間がすれ違い、交差しては離れていく。

 ジャンはそんなリメインの日常風景を、眼を輝かせながら見物している。


「すっごいなぁ。お隣の国の王都だって、こんなに賑やかじゃなかったよ」

「無限に資源を生み出す迷宮のおかげで、財力と発展がすさまじいからな、ここは」

「へぇぇ。……あ、あれ、ソフトクリームだ! うおおおおお、すげぇぇぇぇ」


 ジャンは屋根付き露店の一つに目を付けると、ものすごい勢いで駆け寄って、「いっこください!」と買い求めた。

 

「すっげぇぇぇ。こんなの噂でしか聞いたことないよ。都会すぎる。ぺろぺろ、うめぇぇぇ。ねえ、ユーリも食べる? もういっこ買ってあげようか」


 渦巻きソフトクリームを幸せそうに舌で舐めながら、ジャンは言った。

 ユーリは首を横に振った。


「いや、いい。うちで、嫁がメシ作って待ってるからな。外食すると悪いだろ」

「えっ」


 ジャンは驚愕のあまりソフトクリームを落としてしまいそうになり、あわてて持ち直した。


「結婚してるの?」

「……んー、まあ、そんなところだ」

「うわ。意外だ。ぜったいそういうの嫌いなタイプに見えた」

「好き勝手に言いやがって」


 ユーリは舌打ちした。心なしか、腰の剣が熱を持っているように思えた。


「ほら、あそこだ」

「へぇ、けっこういいところに住んでるんだね」


 ユーリの家は、市街地の一画に建っている。

 冒険者という名のならず者たちであふれかえるこの都市にしては、数少ないそこそこ治安の保たれている区域であり、住人の気質や、景観についてもおおむね良好だ。

 家は、二階建ての、これといって特色のない普通の一軒家だが、窓ガラスは磨き抜かれ、庭はよく手入れされており、清潔感がある。


 門を抜けて玄関の扉を叩き、腰の剣をちらりと見てから「帰ったぞ」と、ちょっとわざとらしく声をかけると、「はぁい」と、大きな返事が聞こえた。


「ユーリの奥さん、すごい若い声だね」

「先に言っとくが、余計なことをほざいたら、ぶん殴る」


 と、会話を交わした二人の前で、鍵を開ける音と共に扉が開いた。


 登場したのは、エプロンドレスを身にまとった十二歳ぐらいの少女、クラティアだ。

 花咲くような笑みを広げたクラティアは、「おかえりなさい、あなた。あら、今日はお客様もごいっしょなのね。どうぞ、たいしたおもてなしもできませんが、お入りになってくださいな」と、優雅な物腰で言った。

 十五歳のジャンより、背が低い。


 一瞬、その場の空気が凍った。

 ジャンが言った。


「ユーリってさ」

「ぶん殴るぞ」

「ロリコンなんだね」


 ユーリは、無言で、ジャンの頭に拳骨を振り下ろした。



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