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彼は迷宮の案内人  作者: あすてか
第一章《乳白色の森》
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《冒険者ギルド本部》



「……みなさん。我々の人生とは、迷宮によく似ています」


 教会の礼拝堂に、司祭の声が朗々と響いた。


「人間は、その命ある限り、歩き続ける。時として立ち止まり、躓き、迷ってしまうこともあるでしょう。敵と出会い、戦い、勝つこともあれば敗北して逃げ出す……失敗も多い。しかしその経験を貴重な糧としてまた歩きだし、出口を目指す……その途上では、すばらしい宝物を見つけることもある」


 真っ白な法衣を身にまとう痩せた老年の男は、この教会をあずかる、ラビリンス教の司祭、カッシングである。

 ラビリンス教とは、このリメインでもっとも有力な宗教だ。

 その教義は、大迷宮への感謝。そして、迷宮への挑戦の精神に終始する。

 迷宮からもたらされる資源と、それを目的としてやってくる冒険者の落とす金によって運営が成り立つリメインでは、その影響力は圧倒的である。逆に、リメインから外に出るととたんに邪教として扱われる、マイナー中のマイナー、ローカル新興宗教ではあるのだが。

 

「迷宮の奥深くまで潜り、強敵を打ち倒し、宝物を得て、晴れてこの地上に帰還した冒険者……その姿には、成功した者に特有の風格が漂います。そう、まさにその風格こそが、我々が目指すべき境地なのです。迷宮とは言うまでもなく危険な地です、過酷な試練です。しかし、それこそが、人生です。危険を避け、日々を安全な場所で怠惰に過ごすだけの人生に、どんな意味があるのでしょう。どんな価値があるのでしょう!」


 神の像を背に、説教台で熱弁をふるう、カッシング。

 その語気は、徐々に荒々しくなっていく。ついには、拳を振り上げた。


「より深く! より厳しき階層へ! より激しい戦いを求めて! そして、より価値のある宝のために! それこそが迷宮! それこそが、このリメインに住む人間、いえ、この世界に生きるすべての人間が目指すべき、真にすばらしき人生なのです!」


 燃え上がるような語勢。

 おおおおお、と歓声が上がった。

 教会内にずらりと並ぶ長椅子に座った、大勢のラビリンス教の信者たちが、思わず一斉に立ち上がって感動の涙を流す。


 ユーリは、出入り口に近い位置の長椅子に座り、その光景を眺めていた。

 白ずくめの信者たちに対し、黒ずくめで、しかも図抜けた体格を誇る彼の存在は、かなり目立っている。

 黙って腕組みしているユーリの顔には、なんの熱もなかった。


「……みなさん、ご静聴ありがとうございました。本日はこれまでとします。では、みなさまに、偉大なる迷宮神のご加護がありますよう」


 カッシングは洗練されたしぐさで一礼をすると、指先で胸の前に複雑な印を切った。

 信者たちもそれに習って同様の印を切る。


 ミサが終わると、信者たちは司祭に感謝を述べたり、涙を流して握手を交わしたりしながら、少しずつ教会から出て行った。


 ほとんどの信者の姿が消えて、教会内が閑散とすると、ユーリはやっと立ち上がった。


「あいかわらず話がうまいな、司祭」

「ユーリ殿」


 司祭カッシングはユーリの姿を認めると、柔和な笑みを浮かべて頭を下げた。


「依頼の件でしょうか? ご足労いただき、ありがとうございます。ご連絡くだされば、こちらから使いの者を向かわせたのですが」

「いや、いい。ちょうどギルドに顔を出すところだった。通り道だ」


 ユーリはそう言って、皮袋を取り出し、カッシングに渡した。


「頼まれた薬草類だ」

「たしかに。……感謝します、ユーリ殿」


 カッシングは、胸元に光る、八本の黄金の棒を四本ずつ縦と横で交差させるよう組み合わせたシンボルマークのネックレスを握った。この格子状の物が、迷宮を示しているのだという。


「普段は、我々が自分で迷宮に潜り、手に入れてくるのですが。それが教義でもあります。しかし、どうしても至急、まとまった量が必要になりまして。一般の冒険者や案内人の方々にも、協力をお願いしている次第です」

「怪我人が大量に出たとか聞いたが」

「はい。どうも、第二階層のドワーフどもが、攻勢を激しくしたようですな。エレベーターはさすがに死守されているようですが」


 ドワーフは、鉄と火を操る、鍛冶の民だ。

 エルフと同じく伝説の存在と化していたが、大迷宮の地下第二階層、溶岩の流れる灼熱の山脈地帯を最後の聖地として命をつなぎ、存続していることが確認されている。


 彼らは、獰猛で、好戦的だ。

 人間の文明を見るや破壊に走る性質は、まさに生きる爆弾。


 第二階層を目指す者は、あの醜悪な筋肉の化け物と、炎の海の上で死闘を繰り広げなければならない。


「鉄球の親父さんがいる限りは、あそこの砦は堕ちないとは思うが」


 第一階層を主な活動の場とするユーリにとっては、いまのところ、大きく関係しない話である。

 司祭に背を向け、開け放たれたままの両開きの扉へ向かう。


「じゃあな、司祭。あんたの話はけっこう好きだぞ」

「光栄です、大達人アデプタス・メジャーユーリ殿。あなたに、偉大なるアイホートのご加護がありますよう」


 カッシングの背後の壁には、巨大な神の姿がデザインされていた。


 青白い、ぶくぶくと膨張した雲のような身体から、無数の紅い目玉と脚が生え出た、蟲、あるいは、魔物としか思えない姿。


 それこそが、ラビリンス教の崇拝する、迷宮を司るという神、偉大なるアイホートである。


(俺なら、迷宮であんなのと出くわしたら、迷わずぶった斬るけどな)


 とは思っていても、さすがに司祭の前では言えないユーリであった。

 間違っても、信心深いほうではないのである。


 神に助けられたことなど、一度もない。



 ◆



 冒険者ギルドの本部は、リメインのほぼ中央に位置している。

 そびえ立つ、巨大な白亜の塔。

 一階は、地下の大迷宮へ続くトンネルの入り口。

 二階から上は、冒険者ギルド、そしてリメイン評議会が使用している。 ここは、まさに迷宮都市リメインの中枢なのだ。


 およそ五百年以上も昔、ザグー平原のこの場所に、ぽっかりと穴が開いているのを、誰かが発見した。

 その誰かとは、冒険者だった。

 彼は、無謀にも、その穴の中へと降りていった。

 そして、山のような財宝を見つけて、大喜びで帰還した。

 

 その噂を聞きつけて、他の冒険者たちもやってきた。

 不思議な穴の中には財宝がたくさんあるという、降りてみないわけがない。

 そして、見たこともない邪悪な魔物どもに殺された。


 その噂を聞きつけて、また他の冒険者たちがやってきた。

 財宝を守るかのごとく穴の底を徘徊する魔物の存在。

 それは冒険者にとって回れ右して家に帰る理由にはならない、むしろその魂をますます熱く燃えたぎらせるのだ。


 大勢の冒険者が、不思議な穴へと足を運ぶようになった。

 その噂を聞きつけて、冒険者を相手に商売する行商人たちがやってきた。

 武具、食料、雑貨などの露店が建ち並び、むさくるしい男どもを慰める娼婦までもが集まると、穴の周囲はいよいよ騒がしくなってきた。

 それまで付近の国や集落から足を運んでいた冒険者たちは、やがて、便利をよくするために家を建てるようになった。


 これが、現在の都市国家、リメインの起こりである。


 まさにこの都市は、迷宮のために生まれ、迷宮を利用して肥え太る、迷宮都市なのである。


 リメイン冒険者ギルドは、そんな迷宮で一攫千金を狙おうとやってきた食いつめ者たちを管理する、冒険者同士の相互扶助をうたう組織だ。


 評議会の下部組織であるギルドの一員として登録しなければ、冒険者は迷宮に足を踏み入れることが許されない。

 年会費などを支払う必要はまったくないが、その代わり、探索税を支払う義務は存在する。

 それだけでもリメインにとっては充分にすぎるのである。


 リメイン冒険者ギルド本部は、木製の重厚な造りをした広大な部屋だ。

 内部には、大勢の人間。

 慌ただしく駆け回る職員、山積みとなった書類、自慢の装備に身を包んだ冒険者と、事務的に彼らの相手をこなしていく受付の人間。


 今日もまた、外部からリメインに初めてやってきた大勢の冒険者たちが、胸に野心を秘め、ギルドの受付へ向かう。迷宮にもぐるための、登録をするためだ。数種類の受付の中でも、そこがいちばん、人の列が長く続いている。


 ユーリは、そちらには一瞥もくれず、その横を通り過ぎるようにしてギルドの奥へと歩いていった。

 途中、腰に提げた剣から、クラティアの声が響いた。


「せっかくだから営業していけばいいじゃない」

「うるせぇ。あんな食い詰め者連中なんぞ、飯の種にもならん」


 事実であろう。

 案内人を雇うためには少なくない報酬を支払う必要があるが、リメインをおとずれる冒険者のほとんどには、そんな財力はない。ルーキーとあってはなおさらだ。

 金がないから金を求めるのであって、当然だが。


 ユーリは小声で言った。


「外でしゃべるなよ。誰かに聞かれたらどうする」

「あら、ごめんなさい」


 悪びれる様子のない声であった。

 ユーリは苦虫を噛み潰したような顔をしながら、さらに歩く。


 そのうち、他とはちがって、あまり人気のない受付にたどり着いた。

 長机には、五十歳過ぎの、太った髭面の男が頬杖をついている。

 髭面のギルド職員は、ユーリの姿を見つけると、おっくうそうにちょっとだけ居住まいを正した。


「おう、ユーリ。仕事探しか」

「それ以外でここにくるかよ」


 ユーリは厚かましく机に肘を置き、よりかかる。

 この髭面の親父の名はオスフールといい、まだ駆け出しの頃からの馴染みの顔だ。自然と気安い態度になるのだが、そもそもユーリは誰にでもこういう態度だ。


 オスフールは太い眉を片方だけ器用に上げてみせた。


「おめぇさん、昨日も潜ったばかりだろうが。いやに熱心だな」


 冒険者だからといって、休みなく毎日のように迷宮へと潜るわけではない。

 ただでさえ、凶暴な魔物に襲われるかもしれないという緊張感、激しい死闘の連続、過酷な環境などによって、体力を極端に奪われるのだ。連日、探索ばかり続けていれば、必ずどこかで身体にガタがきて、故障する。

 人間なのだから、それは当たり前だ。

 だから、いったん地上へ帰ったら、三日から五日ほど間を置いて、ゆっくり休息をとってから、再び迷宮へ潜るのだ。それが常識といえる。

 案内人が、そのことについて知らないわけはないのだが。


 ユーリは、小さく舌打ちすると、ことさら声を小さくした。


「……姐御から借りてる金を返さなきゃいけねぇんだよ」

「おめぇ、またフェアラートから借りたのか!」


 オスフールは、思わず、といった様子で声を荒げた。

 ユーリは、「ばか、声がでけぇ」と、人差し指を口元で立てる。


「ちょっとだよ、ちょっとだけ。もういっぺんぐらい案内をこなせば返せる程度だ」

「おめぇは本気で馬鹿だな。おめぇは本気で馬鹿だなぁ。あの地獄のフェアラートから取り立てられた日にゃあ、ケツの毛までむしり取られたあげくに魚の餌だぞ。昔なじみだからって容赦するような女じゃねぇぞ!」

「知ってるよ。二度も言うな、ばか。……借りたくて借りたんじゃねーよ。あの場合は仕方なかった。うん。もうちょっと……もうちょっとで勝てそうだったんだよなぁ、あそこでスペードの六番が回ってくれば」

「ほんっっっと、ばか」


 最後の声は、ソプラノであった。


「ん? いま、なんか聞こえたか?」

「もーろくしたな、オスフール。耳がおかしくなってきてるぞ」

「んなわけあるか! いま、たしかに」

「あー、空耳だ、空耳。それより、仕事だ。あるのかないのか」


 急かすユーリに、「まてまて」とのんびり言いながら、オスフールは机の上に置いてあった分厚いファイルをぱらぱらとめくる。


 ギルドに案内人の斡旋を願い出た冒険者の情報がまとめられているのだ。


「で、どんな依頼をお探しだ?」

「なるべく《乳白色の森》ですませられる、高額報酬の依頼がいい」

「なんでおめぇは第一階層ばっかり狙うのかねぇ。一階層アルマッレークの仕事なんぞ、やってて楽しいか?」


 ユーリを見上げるオスフールの声は嘆かわしげで、ため息さえついていた。

 

五階層ゾハルのおめぇさんなら、もっといくらでも稼ぎようがあるだろうに」


 案内人にも、ランクがある。

 たとえば、迷宮を知り尽くしていると入っても、それが第一階層までのことでしかなかったり、逆に、現在発見されている最下層まで熟知している者もいる。

 冒険者ギルドは、厳正なる審査を重ね、案内人の個々の能力に応じて、そのランク付けを行っているのである。

 

 ランクの下位から順番に、


 一階層アルマッレーク


 二階層オターレド


 三階層アルモシュタラ


 四階層アルゾフラ


 五階層ゾハル、となる。


 ユーリは、リメイン大迷宮の五階層すべてを制覇した、全案内人の目標ともいうべき五階層ゾハルの称号を与えられている。


 わずか百人しか存在しない五階層ゾハルともなれば、リメインにおける冒険者の成功を極め尽くしたようなものだ。

 言うまでもなくリメインにとって迷宮と冒険者は資源の心臓部。

 迷宮を我が庭のように歩き、冒険者に恩を売って求心力を高めた彼らはもはや、都市とギルドの運営にすら口出しできるほどの影響力を誇る。


 さらに、ユーリは、五階層ゾハルの中でもまた別格だった。


「駆け出しの連中が怒り狂って泣き出すぞ。十傑のおめぇさんが、いまだに《乳白色の森》でシコシコみみっちぃ案内をしてるなんて。まったく、大達人アデプタス・メジャーの名が泣くぜ。もっとリメインに貢献しようとは思わんのか?」

「うるせーっての。ちくちく説教するのがあんたの仕事か? いいからさっさと依頼を出せ」


 ぐるるる、と歯をむいてうなるユーリの剣幕に、オスフールはさらに深くため息をついてから、ファイルのページめくりを再開した。


「ああ、この依頼なんかちょうどいいんじゃねぇか?」


 太くて毛むくじゃらの指がめくるのを止めたページを、どれどれ、と、のぞきこむユーリ。


 そのときだった。


「はい、この依頼!」


 ばんっ! と、開いていたページに、紙を叩きつける、手垢まみれの小さな手。


 ユーリとオスフールは面食らって、同時に同じ場所を凝視した。


 ぼっさぼさのくすんだ金髪をした、小柄な少年の、まるで少女のようにあどけない笑顔が広がっていた。


「おいら、行商人のジャンっていうんだ。あんた、案内人さんでしょ? 受けてよ、おいらの依頼!」



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