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彼は迷宮の案内人  作者: あすてか
第二章《樹神の聖都》
43/43

外伝《先駆者達のオーケストラ 後編》




 侯爵の趣味人ぶりのもっとも具体的な例は、城の中に本物さながらのオペラハウスを造り上げてしまったことだろう。

 広壮なホールには今夜集まった招待客全員を余裕を持って収容することが可能で、階段状に連なった客席が扇のように広がっている。

 そこかしこで使用人たちが酒や料理をのせたトレイを持って忙しげに立ち働き、貴族の男女が楽しげに談笑を交わしていた。

 壁から張り出したスペースは、特に身分の高い貴族のために用意された貴賓席だ。

 ユーリとクラティアはそのひとつに案内され、落ち着いた様子で椅子に腰かけていた。

 

「にしても、疲れたな」


 首の骨を鳴らしながらユーリはぼやいた。

 今夜は慣れないことを繰り返して慣れない人種を相手にし続けたので、知らず知らずのうちにすっかり疲労が溜まってしまった。

 これならば地下迷宮で竜種でも相手に立ち回った方がよっぽど気楽だと感じるほどだ。


「文句を言わないの。それに、まだ終わっていないわよ。まだまだ挨拶する相手はいますからね」


 ティーカップから湯気と共に立ちのぼる香りを楽しみつつ、クラティアが穏やかに叱った。


「顔を売っていくことは大切よ。きっとあなたの役に立つわ」

「俺というより、おまえの顔ばっかり売れてたような気がするけどな」


 ユーリは苦笑した。

 ふたりの姿が珍しいせいか近寄ってくる貴族達は数多かったが、その目的のほとんどはクラティアにあったと言っていいだろう。

 侯爵ですら拝跪せんばかりに浮き足立つクラティアの高貴さは、その他の貴族に対しても同様に効果的らしい。

「御家の名はなんと申されるのか」「どこの国の大貴族なのか」「次はぜひ我が家が主催する晩餐会に出席を」

 クラティアはそういった矢継ぎ早に繰り出される質問をやんわりとはぐらかしていった。

 それでいて巧妙にユーリの名を広めていく臈長けた話術は、外見年齢にそぐわぬミステリアスな印象を与え、貴族達の好奇心をさらに煽るのだった。


「一夜にして社交界の人気者だな」

「あら、言っていなかったかしら。世が世なら皇女と呼ばれていたのよ私は。この程度の扱いを受けるのはむしろ当然だわ。……だからあなたは遠慮なく、私の力を武器として利用すればいいのよ」

 

 クラティアはユーリの手に自分のそれを重ねた。


「私はあなたの所有物なのですから」

「……俺はそういうのが嫌だって言ってるんだよ」


 ユーリは小さく舌打ちした。 


「たとえそれが俺だろうが他の誰かだろうが、おまえを道具扱いするのは二度と許さん」


 今度はクラティアが苦笑いを浮かべる番であった。「まあ、そういうところに惚れたのですけれどね」と言ってから、演壇の様子が騒がしくなってことに気付いて「あら」と声を上げる。

 燕尾服に身を包んだ男女達が楽器や機材を準備している。

 侯爵が今夜のために王都から招いた、有名な室内管弦楽団だという。

 ひときわ目立っているのは、胸ぐりから腹部の下まで大きくスリットの開いたドレスを着た女だった。燃えるような赤髪を頭の後ろで一纏めにした妙齢の女は、艶やかな蝶を模した仮面で顔の上半分を隠していたために素顔こそ分からないが、頬の輪郭、その鼻や唇の整った造形を見るだけでも、たいへんな美女であろうことが察せられる。


「どうやら始まるようね。せっかくだから楽しませてもらいましょう」


 オーケストラ鑑賞を趣味としているクラティアは、幾分か期待のこもった眼差しを向けていた。

 結果として、彼らの演奏は素晴らしいものだったと言えた。

 非の打ち所のない演奏は万雷の拍手を沸き起こし、来賓の中には感動のあまりむせび泣いている者までいるようだ。

 侯爵もこの演奏の出来映えには文句なく満足したようで、両手を広げて賛嘆の言葉を送っている。

 アンコールを求める声も少なくなかった。

 ただユーリは、奇妙な違和感によって生じた胸のざわつきにより、それどころではなかった。


「変な歌だな」


 その視線は仮面をつけた女に向けられている。

 仮面の女はオペラ歌手であり、その圧倒的な美しい歌声は聞く者の心を震わせた。

 ――いや、果たして震えたのは人の心だけであっただろうか?

 ユーリの目の前にぱらぱらと降ってきたのは、天井の塗装が剥がれた小さな欠片であった。

 クラティアの顔は曇り、「ユーリ」と呼びかける眼差しと声色は硬度が増していた。「あれは、敵よ」


「見事な演奏! 見事な歌声であった! じつに素晴らしい!」


 侯爵は太鼓腹を盛大に揺すりながら惜しみない賛辞を送っている。

 その後ろに控える初老の女性と小さな男子は、侯爵の妻子であろう。


「さすが王都でも指折りの楽団なだけはある。本当に素晴らしい演奏であった。呼び招いた私としても鼻が高いというものだ」

「恐縮ですわ、侯爵閣下。私どもの演奏などでご期待に添うことができたのでしたら幸いです」


 仮面の女は優雅な物腰で会釈をした。


「なにを言うのかね、大満足だよ! これは特別に賞与を与えねばなるまい。なんなりと希望を言いたまえ!」

「ありがとうございます。ではさっそくですが……皆様、どうかその場で動かずに。すぐに終わりますので」


 女がそう言うと同時、楽団員たちは楽器を仕舞っていたケースの底からクロスボウを取り出し、慣れた手つきで矢を装填すると、壇上から来賓に向けて構えた。


「我らは《髑髏の先駆者》。私は教皇猊下より司祭の任を賜っております、アレクシアと申す者です。これより皆様を、死後の清浄なる世界へとお連れいたします。どうぞよしなに」


 突如として凶器を向けられて、来賓たちは悪夢でも見たかのように呆然と立ちすくんでいる。

 仮面の女司祭アレクシアは、歌うようにこう告げた。


「我らの目的はただひとつ、神のご意志を代行しての世俗の救済。肉欲、金銭欲、権力欲、自己顕示欲。迷える皆様の魂は罪深く穢れています。その血と肉と皮に染みついた汚濁を禊ぎ清め、死後の世界にて安らかで清らかなる魂へと昇華していただくことこそ、我らの神はお望みです」

「――《髑髏の先駆者》だと!? お、おぞましい死霊術師どもの暗黒教団ではないか!」

 

 貴族達が悲鳴を上げるのも無理はない。

 生命の法則に唾を吐き、いたずらに死を弄ぶ死霊術師は、すべての人間にとって嫌悪と畏怖の対象だ。

 そして《髑髏の先駆者》なる邪教団は、死霊術師達がその毒牙を磨く秘密結社として、半ば伝説のように語られる禁忌そのものであった。

 年老いた貴族が懐から銀の十字架を取り出して喚いた。


「た、立ち去るがいい、邪悪なる悪魔よ! さもなくば神の聖なる光が汝らを焼き尽くすであろう!」

「愚かな……。無力なる偽りの神にすがるとは。まずはあなたから救済しましょう」


 アレクシアはその老人を指差す。

 ユーリはその瞬間、床を蹴って貴賓席から飛び降りていた。

 その直前に、数十キロはあろうかというテーブルを片手の腕力で持ち上げ、アレクシアめがけて投擲している。

 ほぼホール内の端から端までを横断するように殺人的な速度で回転しながら飛翔したテーブルは、狙い違わずアレクシアに激突するものかと思われた。

 ――たおやかな腕が翻ったかと思うと、蠅でも払うようにしてテーブルを打ち払う。その場から一歩たりとも動くことなくそれを成したのは、超人的な反射神経と腕力である。無惨に粉砕された家具の木片が宙に舞う。

 だがユーリは動揺することもなく猛然と突進した。


「全員、伏せろ!」


 跳躍。

 人間離れした脚力で、姿勢を低くした貴族達の頭上を飛び越える。

 訓練された動きでクロスボウの照準を合わせた楽団員たちが、一斉に引き金を引き絞った。

 ユーリは鼠の群れよろしく殺到してきたクロスボウの矢を、身をよじってかわし、叩き折り、それでも回避できぬものは甘んじて受けた。肩に突き刺さる矢の痛みをまるで感じていないように、アレクシアの顔面に蹴りを放つ。

 空中という不安定な場所から繰り出した蹴りは、果たして、それを手のひらで受けたアレクシアを数メートルも吹き飛ばすほどの威力を秘めていた。

 女司祭の仮面の奥で、青い瞳がすうっと細められる。

 

「あなたが案内人のユーリですか。なるほど、司教ティベリウスが気にかけるだけはあるようですね。しかし」

「なっ、なにをしている、お前たち! 痴れ者ぞ! 撃て、撃ち殺せ!」


 侯爵の怒号が上がる。

 ようやく反応したのは、ホール内に配置されていた私設軍の隊員達だ。

 拳銃を引き抜き、素早くアレクシアに照準を合わせる。

 直後、彼らは躊躇なく発砲した。耳を聾する炸裂音が連続する。

 威嚇射撃などというものはない。すべて、胴体を狙っている。

 普通の人間ならば間違いなく蜂の巣となって即死だ。

 だが、真紅の唇が弦月のごとく裂けた。

 苦悶に満ちた絶叫を上げ、血まみれの手を抱えるようにうずくまったのは、衛兵達であった。

 馬鹿げたことだが、彼らの持つ拳銃が同時にすべて暴発を起こしたのだ。


「あなたの甥御殿は非常に協力的でしたよ、侯爵閣下」


 アレクシアは何かを操作するように指を蠢かせた。


「よほど侯爵の椅子が欲しかったのでしょうね。いろいろと働いていただきました。城内のすべての武器に細工がしてあります。なにも役に立ちませんよ」

「あ、あの愚か者が……!」


 アレクシアの言葉ですべてを察したのだろう。ランベルツ侯爵は目を剥いた。

 ユーリだけが不敵に笑っている。


「で、褒美の代わりに救済とやらをくれてやったってわけか。まあ自業自得だな」

「案内人ユーリ。我が聖務の邪魔をして欲しくはありません。おとなしく救済を受け入れるつもりはありませんか?」


 アレクシアの声色に敵意はなかった。

 むしろそれは、母とはぐれて泣きわめく子供に、優しく声をかけて導こうとするかのようですらあった。

 それが、ユーリにとっては不気味で、不快だったのだろう。露骨に顔をしかめる。


「馬鹿か? なにが救済だよ。自分から死にたいと思う奴なんているわけないだろ」

「それは、死に対しての誤った印象ゆえですね。ご安心を。死は終わりではありません。苦しく恐ろしいものでもない。むしろ喜ばしい始まりに過ぎません。肉体を捨て、あらゆる欲望から脱却した死の先にこそ、正しい人間の真なる世界が広がっているのです」


 ユーリは呆れたようにため息をついた。「ああ、そうかい」と。


「だったらお前がまず手本を見せてくれよ――喜ばしく死ね」


 次の瞬間、ユーリとアレクシアは激突していた。間合いを一瞬で消し去るほどのスピードで動いたユーリが化け物じみているならば、それに反応して拳を受け止めたアレクシアもまた常軌を逸した身体能力だ。


「我々は、より多くの世俗を救済し、より多くを死へと導く先駆者であらねばなりません――残念ながら、手本を見せていただく役目はあなたにお譲りしましょう」

「なんでそこまで自分勝手に話を進められるんだ? ちょっとは他人の都合ってもんを考えろ」


 ユーリは至近距離からつま先を跳ね上げた。

 顎をそらして避けたアレクシアに対し、深く沈み込むようにして懐に潜り込む。

 体重のすべてを乗せた肘鉄が、胸部の中央にめり込んだ。

 胸骨が砕ける感触が伝わる――しかし、次の瞬間、大きく後ろに弾き飛ばされたのは、ユーリのほうであった。

 アレクシアが大きく口を開けて叫ぶ。

 きん、と鼓膜をつんざくような鋭い痛み。

 真正面から猛牛の突進でも食らったかのような衝撃に、数十メートルも宙を飛んだかと思うと、背中から客席の列に落下する。派手な音を立てて叩き付けられ、肺の空気をすべて吐き出す。


「失礼。やはりまともに正面から殴り合っても勝ち目は薄そうですので、教皇猊下より賜りし私の能力を使わせていただきました」


 口の端から血を滴らせながら、それでもアレクシアは余裕の表情を見せた。

 ついに恐怖に耐えきれなくなった貴賓達が、出口の扉に向かおうとする。

 だが、その行く手に回り込んで道をふさいだのは、同じ貴族達だった。

 

「待て! 貴公らを出すわけにはいかん!」

「なっ!? どういうつもりだ!」


 立ちふさがった貴族達は、礼服の前をボタンごと乱暴に引き千切る。

 その腹には、雑多なコード類と円筒状の部品がテープで括り付けられていた。

 彼らは涙ながらに懇願する。


「爆弾だ。さ、先ほど捕まって無理やり……奴らにスイッチを入れられたら、爆発してしまう!」

「ちなみにスイッチはここにあります。皆様、どうかお静かに」


 壇上のアレクシアが手の中の小さな機械を見せびらかす。


「ああ、それと――皆様がこの島に渡るために利用した船ですが、先ほど、爆破して沈めさせていただきました。ここは防音設備ですから気付かなかったでしょうが。それと、城内の兵士の詰め所もすでに別働隊が制圧しています。外部からの救助などはいっさい期待できませんので、どうかそのつもりで」

「な、なんなんだ、貴様らは……」


 侯爵は絶望の表情を浮かべ、よろめいて尻餅をついた。


「いったいなんなんだ、貴様らは!」

「どうか心安らかに、閣下。我らはあなたの敵ではありません。あなたをこの世の苦しみのすべてから救済したいと願う者です……ああ、案内人ユーリ、もうそこを動かないで」


 ユーリが木片を落としながら立ち上がると、アレクシアは煩わしそうに言った。


「あなたが動けばスイッチを押します。さほど大きい威力ではありませんが、二十人ほどは木っ端微塵になるでしょうね」


 ユーリは、ためらうことなく歩みを進めた。「で?」と問いかける。

 アレクシアは冷ややかに言った。


「――どうやら、聞こえていなかったようですね」

「人質がいるから全員おとなしく死ねってことか? とことん馬鹿だな、お前」


 ユーリは口の端を吊り上げた。


「どっちにしろ全員殺すつもりなんだろ? だったら同じことだろうが。押したければ押せよ、それ。その代わり、お前らは皆殺しにしてやる。爆破される奴らには申し訳ないが、死ぬほど痛めつけてから殺してやるから納得するだろ」

「まっ、待ってくれ! あの女に逆らうな! わ、私は死にたくないぞ! たのむ、言うことを聞いてくれ!」


 泣きわめいて命乞いする貴族のほうをちらりとも見ずに、ユーリは断固たる口調で言った。


「心配するな。――絶対、殺してやるからよ」


 説得の無意味さを悟った貴族がその場にへたり込み、失禁して床を汚した。

 ユーリほど極端に即決できるわけではないだろうが、冒険者ならばほとんど同じ結論に達するはずだ。

 人質を取られたからといって無抵抗で殺されるぐらいならば、人質の屍を踏み越えてでも敵を抹殺する。

 そのぐらいの覚悟は当たり前に決めておくべきだ。

 それが、冒険者と貴族達の意識の差となって明らかとなっていた。

 先ほど吹き飛ばされた衝撃波じみた攻撃の正体――、ユーリはおそらくそれをアレクシアの《歌声》だと推測している。

 声とは音。すなわち空気中を伝わる振動である。あの《歌声》はそれを破壊行為として通用するレベルにまで強化した生体兵器だ。

 先刻、天井から塗装が剥がれ落ちたのは、このホール全体があの《歌声》の振動に晒されたためだと仮定すれば納得もいく。 

 どこまで出力が上げられるかは不明だが、もしもこのホール全体、いや城全体にまで影響を及ぼすほどの衝撃波を発生させられるなら、アレクシアの目的にとっては非常に好都合だろう。

 この城そのものを倒壊させれば、生き残る者は誰一人として存在しない。漏れなく救済できるというわけだ。

 問題なのは、そのような攻撃手段を持つ相手に、どうやって接近するかという点だ。

 こちらの攻撃を叩き込もうにも、あの強烈な音波が不可視の壁のように立ち塞がるとなれば、非常に厄介だろう。

 とはいえ、対抗手段として思い浮かぶものがなくはない――が、それは残念ながら城外にあるはずだった。


「ご心配には及びませんわ、皆様」


 貴賓席から声を上げたのは、クラティアだった。


「いかに小細工を労しようとも、しょせんは卑しい死霊術師の猿知恵。恐れるに足りません」


 天使のごとき優美なるかんばせでありながら、この状況にあって僅かも取り乱すことのない毅然とした振る舞い。

 まさしく貴人のあるべき姿を目の当たりにして、貴族達は今まで心を支配していた恐怖すら忘れた。


「あら、かわいらしいお嬢さん。ではどうしますか? 是非とも伺いたいところですが」

「知れたこと。我が夫ユーリは音に聞こえし剣の使い手。お前が作動させる前に爆弾を解体するなどたやすいことだわ」


 これにはさすがのアレクシアも失笑した。――馬鹿なガキがとち狂ってなにを言い出すのか、と。


「剣を持っていないようですが?」

「あら、そう見える? ――行きなさい、ユーリ!」


 刹那、三つの出来事が同時に起きた。

 前方へ加速するユーリ。

 アレクシアは爆弾の起爆スイッチを押した。

 そして人質となった貴族の腹に巻かれていた爆弾は、その信管部分に繋がるコードを断ち切られて機能を停止した。

 局所的に起こった次元の断裂がコードを切断したなど、この場の誰にも気付けるわけがない。それを発生させたクラティア以外には。

 そして、はるか遠くから空間を渡ってユーリの手に握られた得物の存在も。


 司祭を守ろうと、楽団員に扮した男女達がユーリの行く手を阻もうとする。

 先頭に立つ男は、颶風と化したユーリに向けてクロスボウを構えようとした。

 だが、男がトリガーを引くよりも、その脳天へ逆落としに白刃が閃く方がはるかに速かった。

 いつの間にその手に握ったのか、ユーリの剣は男の身体を難なく真っ二つに両断した。

 血と臓物があふれ出すよりも先に、次の敵へと躍りかかる。

 剣風が巻き起こり、血の雨を降らしながら楽団員達を屠っていく。

 アレクシアはその様子を見て、すう、と深く息を吸い込んだ。

 次の瞬間、《歌声》が楽団員もろともユーリを襲う。

 ――だが、アレクシアの判断はわずかに遅かった。

 すでに雑魚を片付け終えたユーリの姿は、彼女の目前にまで迫っていた。

 衝撃波の壁と、神速で旋回した剣がかち合う。

 指向性を持たされてコントロールされているはずのエネルギーに、予想外の方向からの強いダメージを与えるとどうなるのか。結果として引き起こされたのは、耳をつんざく破裂音と、暴走した衝撃波による破壊の嵐だ。


 ユーリはこの結果を予期していたために踏みとどまることに成功したが、まったく予想外の展開に見舞われたアレクシアはそうはいかない。

 小さく悲鳴を上げ、その身体は吹き飛ばされて後退している。

 蝶を模した仮面が、砕けて床に落ちた。

 その素顔を目の当たりにした貴族達が息を飲む。

 アレクシアの顔の上半分は、惨たらしい火傷の痕に覆われていた。彼女がいつの時期に火傷を負ったのかは知る由もないが、あれだけの美女がなんらかの事情によってその顔を破壊されたのだとしたら、その胸中や察するにあまりある。

 だがユーリの表情に動揺はない。それどころか、心の底から退屈そうに呟いた。


「まさかとは思うが、その火傷に悲観して、宗教かぶれのテロリストに身を落としたんじゃないだろうな」

「火傷ではありません……これは、聖痕です」


 アレクシアはいまさら火傷を隠そうとはしなかった。

 そこだけは美しさを保っている瞳を爛々と輝かせ、震える声を紡ぐ。


「教皇猊下はおっしゃりました。これは神より賜りし聖痕であると。私には、神の地上代理人たる資格があると! 私には、この世のすべてを死の世界へと導く使命があるのだと!」

「だからただの火傷だろ、それ。騙されてるぞお前。――要するにお前は、自分が酷い目に遭ったから、関係ない周りの人間も自分と同じ目に遭わせたくて仕方ないんだろ? 救済が聞いて呆れるな。なにが欲を捨てた清らかな魂だ。いちばん醜い嫉妬の欲を燃やしてるのは自分自身だろうが」


 嘲弄の表情を浮かべ、剣を手元で回転させる、ユーリ。


「なんなら俺が救済してやろうか? 醜いお前にはお似合いのところに連れて行ってやるよ」


 その言葉は、剣よりもよほど苛烈に、アレクシアの心を切り裂いたらしい。

 全身の肌が一瞬で血の気を失ったかと思うと、次の瞬間、その喉が咆哮を迸らせている。


「き――、貴様ぁアア゛ァア゛アアア!!!」


 淑女の仮面をかなぐり捨てるほど激昂した女司祭の動きは、驚嘆に値するほど素早かった。地を蹴ると同時、獣のごとく両腕を振りかざしてユーリに襲いかかっている。

 しかし、その愚直な軌道はユーリにとっては格好の餌食であった。

 白昼夢のごとく両者の間合いが消失し、そしてすれ違ったとき、アレクシアの胴体は半ばから両断されている。噴水のごとく鮮血をまき散らしながら、泣き別れとなった上半身と下半身がそれぞれ転がった。

 それが、決着だった。

 呆然としていた貴族達が喝采を上げる。


「すっ、すごい! 勝ったぞ! 悪魔を倒した!」

「おお、ユーリ殿の勝利だ! 助かったぞ!」


 この窮地を救った英雄であるユーリに賛辞を述べようと壇上に殺到する彼らは、アレクシアにまだ呼吸があることには気付かない。

 天を仰ぐ女司祭は、自分が敗北したという事実さえどうでもよくなり、かすれていく視界を眺めていた。


 どこか遠くで喝采が聞こえる――アンコールを求める声が――


「私を狙っていたというわけではなさそうね」

 

 冷厳なる声が落ちてきた。

 もうほとんど視界が薄暗くなってきた瞳で、ぼんやりと見上げる。

 

「天使……?」

「むしろその逆よ……哀れな娘。ペテン師のジャハンナムにまんまと踊らされたわね。まあ、同情はしないけれど」


 知る人ぞ知る暗黒教団を統べる教皇の名を、なぜこの少女は知っているのか?

 アレクシアは疑問に思ったが、強烈な眠気が思考を妨げる。

 クラティアが踵を返した時、すでにその息はなかった。



 ◆



「迎えの船は、あした到着するそうよ」


 ユーリが城の中庭で椅子に座って新聞紙を読んでいると、飲み物を片手に歩み寄ってきたクラティアが言った。

 テーブルの上によく冷えたレモネードの入ったグラスを二つ置く。

 さすがにもうとっくに礼服を脱ぎ捨てたユーリは普段通りのラフな格好だし、クラティアも堅苦しくない程度に白のワンピースと帽子で着飾っている。

 天候は素晴らしく晴れ渡っていた。パラソルの下でなければ日差しがきつくてとても外にはいられないほどだ。

 《髑髏の先駆者》による襲撃事件からすでに丸二日が経とうとしている。

 ユーリとクラティア、そしてあの夜会の参加者たちは、本来ならとっくに帰路に就いているはずだったが、まだこの島に足止めされていた。

 アレクシアの言葉通り、侯爵自慢のガレオン船は見事に爆破され沈没していた。さらに、城内のあちこちで虐殺が起きているという惨憺たる有様だったが、死霊術師の残党はすべてユーリが片付けた。

 まさに英雄的活躍をこなしたユーリだったが、その表情はさして明るくない。

 

「ようやく帰れるな」

「あら、チヤホヤされるのにはもう飽きたの?」

「いい加減うんざりだ」


 あれからというもの、城内の数百人の貴族達から引っ張りだこにされて素性や経歴を根掘り葉掘り聞き出され、「ぜひとも我が国の騎士団の隊長に」「我が家の子供達の剣術指南役に」「専属の用心棒に」などなど、もみくちゃにされる日々だ。

 さんざん苦労して彼らの包囲網から抜け出し、ようやく心安まる時間を得ることができたので、三日前の日付の新聞紙を広げて暇潰しに精を出しているのである。


「最初はお前にしか興味がなかっただろうに、調子のいい連中だ」

「いい傾向よ。あなたの名がずいぶんと高く売れたじゃない」

「勘弁してくれ。まったく、迷宮で切った張った立ち回ってたほうがよっぽど気楽だ」


 辟易したようにため息をつく。

 その様子に、クラティアは腰に手を当てて「仕方がないわね」と微笑んだ。


「では、頑張って働いたご主人様に、私から特別の賞与を差し上げましょう」

「……次の夜会の招待状じゃないだろうな」


 露骨に嫌そうな顔をするユーリを無視して、クラティアがテーブルの上に置いたのは、琥珀色の液体が入った小瓶だった。


「なんだよこれ」

「侯爵の奥方から伺ったのですけれど、この島の裏側に、侯爵家専用のプライベートビーチがあるのですって」


 香油の入った小瓶を、か細く優美な指先で弾き、澄んだ音を響かせる。

 それからユーリの仏頂面をのぞき込んで、悪戯っぽく微笑んだ。


「私の身体に日焼け止めを塗る権利を進呈するわ。こんな事もあろうかと水着も用意しているの。どう? お気に召して?」


 燦々と降り注ぐ陽光。

 白い砂浜と青い海。心地いい潮風。

 そして、その砂浜で踊る天使――典型的な楽園の情景。


 ユーリは「降参だ」と宣言する代わり、新聞紙を畳んだ。


「……謹んでお受けする」











ここまでお読みくださりありがとうございました。感想や評価などお気軽によろしくお願いします。


長年ボケーっとしてたリハビリとしてはこんなものだと思うんですがどうでしょうね・・・ひとまずこのまま本編の続きを書きます。とりあえずペースは掴めたと思う。


次はある程度まで書き溜めてから投稿したいので申し訳ありませんがまたしばらくお待たせすることになると思います。

さすがに何年とかはかからないはずですが・・・まあ来年あたりには・・・来年の頭あたりには。なんとかしたい。

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[一言] ずっと更新を待っていた作品でしたので、続きが読めて大変嬉しいです。 次回も楽しみにお待ちしてます。
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