「……俺の話を聞けよ、お前らは……」
現在のあらすじ
冒険者ギルド幹部グスタフから、帝国侯爵家令嬢エストレアの案内を依頼されたユーリ
第一階層《乳白色の森》で襲ってきた吸血鬼の姉弟を撃破
さらにエルフの姫シェラザードから《樹神》バースデイを倒してほしいと依頼される。
エルフの町バブローで休んでいたところをバースデイに急襲されるがクラティアの魔法によって撃退。
しかしバースデイの手下にされた人狼ラスヴェートがエストレアを攫ってしまう。
ユーリはエストレア救出のためにエルフの聖都セイジュサージュへ向かう事を決めた。
その背後から帝国宰相レンヴィクセンの熱視線が向けられていたのだった。
視界のすべてを奪う暗黒と乳白色の帳が、生き物のように肌に粘り着く。
地上ではけっして味わうことのない、臓腑を濡らすような重苦しい湿度。
腐葉土と菌類が混ざり合った独特の芳香が鼻をつき、時折、闇の向こうから響く異形の咆哮が、ここが人間の住む場所ではないと本能に訴える。
「シェラザード。あと、どのくらいだ?」
ユーリは、霧を切り裂くように進む先頭の背中へ、低く声をかけた。
エルフの姫、シェラザード。金色の髪は、この陰鬱な森において自ら発光しているかのように眩しい。露出度の高い狩猟服から惜しげもなく晒されたしなやかな肢体、汗ひとつかいていない彫刻のような横顔。
「水辺の気配が近くなっている。セイジュサージュは、湖の中心にあるからな」
シェラザードは足を止めず、堅い口調で答えた。その視線は、霧の向こうにあるはずの故郷を見据えている。
その後ろには、ルエンが影のように付き従っていた。エルフの剣士は油断なく周囲を警戒している。
ユーリは空気の匂いを嗅ぎ、納得したように頷いた。
「確かに、風が変わった。地底湖か。水の匂いだな」
「小僧。それよりも、先ほどの話だが……その剣を私に譲る気はないのか?」
レンヴィクセンは、ローブの裾を泥で汚しながら歩くことを気にした様子もない。それよりもその瞳は、ユーリの腰――そこに提げられた剣へと、異常な執着を持って釘付けになっていた。
「おい、爺さん。その話ならもう何度も断っただろうが」
「いや、待て。よく考えろ。破格の条件を出すと言っているのだぞ?」
レンヴィクセンの視線には、隠しきれない渇望が滲んでいる。
それは単なる物欲ではなく、世界の理を解き明かしたいという、魔法使い特有の、そして老醜を帯びた狂気的な知識欲だった。
「どうだ? 望みのものならなんでもくれてやるぞ? 金か? 名誉か? あるいは領土か? 私の権力を使えば、手に入らんものなどない。一生遊んで暮らせるだけの財産と、貴族の位を用意してやれるぞ」
「しつこいって言ってるんだ。これは売り物じゃない」
「待て! ……ならば、そう、皇帝! 皇帝の椅子など欲しくはないか?」
この老人は血走った目で、とんでもない言葉を吐き出した。
ユーリはさすがに呆れて一瞬、返答に窮したほどだ。
「……置いていくぞ」
「馬鹿者! その人智を超えた魔力の極みを、一介の冒険者ごときが腐らせるつもりか」
なおも食い下がるレンヴィクセン。
そのときだった。
剣が震え、鞘の隙間から純白の燐光があふれ出す。
レンヴィクセンは息をのんだ。
あふれ出た光は瞬く間に収束し、ユーリの隣に少女の姿を形作る。
「――皇帝? それは聞き捨てならないわね」
ふわりと宙に浮いているクラティアは黄金の瞳を細め、値踏みするようにレンヴィクセンを見下ろした。その視線は、天上の玉座から下界の蟲を眺める支配者のそれだ。
「おお! これだ、この常軌を逸した魔力の波動……! 素晴らしい!」
レンヴィクセンは皺の深く刻まれた顔を紅潮させて震えていた。
畏怖と歓喜。五百年の人生を経てもなお理解を超えた超常の存在を前にして、魔法使いの知的好奇心は絶頂に達したのだ。
足元の泥濘にもかまわず膝をつく動作は自然そのものだった。
「魔神よ! どうか私の願いを聞き届けたまえ。私は魔法の深淵が知りたいのだ。そのためにはどんな代償も払う覚悟がある!」
西のレンヴィクセンと呼ばれ、世界で最も権威のある伝説の魔法使いの一人が乞食のごとく物を乞うのだから、見る者が見れば我が目を疑う光景だろう。今の彼は、卑しく蜜に群がる一匹の飢えた亡者だった。
ただ、その必死の懇願そのものは、クラティアにとってはさして興味をひく事柄ではなかったようだ。
彼女の関心は別のところにある。
「あら、そう。……それで? さっきの皇帝というのは……本気? 具体的には?」
試すような問いかけに、レンヴィクセンは我が意を得たりと早口でまくしたてた。
「う、うむ。私は五〇〇年間、代々の皇帝に仕えてきた。というより、私にとって都合のいい皇帝を選んできたのだ。そうでない者は歴史の闇に葬った。そして、今の皇帝も私の傀儡にすぎん。しょせんは飾り物の凡愚だ。いくらか根回しを行えば、首をすげ替えるなど簡単だろう。そう、そこの小僧であろうともな」
国家反逆罪すら生ぬるい、自国を完全に私物化した発言。
もしこの場に帝国の臣民や他の重鎮がいたなら卒倒していただろう。
しかしそのなりふり構わぬ最低最悪のプレゼンは、見事にクラティアの琴線に触れた。
「ふーん……。いいわね。そそられるわ」
「おい、ババア。本気か? なにを勝手に話を進めてる」
黙って聞いていればとんでもない方向へ話が転がり始めたので、たまらずにユーリが言った。
クラティアはどこ吹く風だ。
彼女は優雅な仕草で振り返ると、ユーリのたくましい胸板に白く華奢な手を這わせ、うっとりとした表情で見上げた。
「ねえ、ユーリ」
甘く蕩けるような猫なで声。
「人間にはそれぞれにふさわしいステージというものがあるわ。この私のマスターともあろうものが、いつまでも泥や草にまみれて地べたを駆けずり回っているなんて許されなくてよ」
「俺はこの商売が気楽でいいんだよ。それに、玉座なんて堅苦しい椅子に座ってられるか」
「お黙りなさい。あなたは王を統べる王! シャーハンシャーになるのよ!」
クラティアの黄金の瞳が、めずらしく熱を帯びて輝く。
ユーリは多少、たじろいだ。
「俺は砂漠の掃き溜めで産まれたチンピラだぞ。そういうのは血筋が大事だろうが」
「あら。あなたは高貴な生まれのはずよ。自分では気づいていないだけ」
「はあ?」
知りもしないくせに、なにをトチ狂ったことを言い出すのか――ユーリは眉をひそめた。
そう、狂った発言だった。そこにはレンヴィクセンの知識欲以上の、生々しい妄執が秘められていたのだから。
「そのはずよ。……私が認めた殿方なんですもの。きっと尊い血が流れているわ」
そしてクラティアは再びレンヴィクセンに向き直ると、その細い指先をビシッと突きつけた。
「いいわ。人間ごときが私の智をものにできるとは思わないけれど……教師ぐらいにはなってあげてもよくってよ」
その言葉は、レンヴィクセンにとって天から降り注ぐ福音のように響いたらしい。
「お、おほおおおっ! ま、まことか! では、私を弟子にしていただけると! 人類の及びもつかぬ、真なる魔法の叡智を授けていただけると!?」
老人は口元から歓喜のあまり涎を垂らし、泥の中に両手をついてひれ伏した。
数百年前に魔法協会を創設した偉大なる魔法使いの一人だが、その姿はいまや見る影もない。
クラティアはそれを見下ろして、嗜虐的に笑みを浮かべた。
「そうね、弟子にしてあげる。おまえにその素質があればの話だけれど。壊れちゃっても責任はとらないわ」
「是非もない! 感謝しますぞ、魔神よ! ――いや、偉大なる我が師よ!」
ユーリは額を押さえて重いため息をついた。
「……俺の話を聞けよ、お前らは……」
◆◆◆
濃霧の壁を抜けた瞬間、視界が晴れ、世界が一変した。
そこは、巨大な闇の器だった。
地下に存在するとは信じがたい、水平線の見えない巨大な地底湖。
その静寂に満ちた黒い水面の中央に、常識をあざ笑うかのような巨大樹が屹立している。
全容は不明だが、樹高はおそらく三〇〇〇メートル以上。とてつもない巨大さ。天を突くように伸びるとはまさにこのことだ。
特筆すべきは、その輝きだ。
巨大樹全体が脈打つように魔力の燐光を帯びており、枝葉からは光の粒子がしんしんと降り注いでいる。暗黒の地底空間に、淡いエメラルドグリーンの雪が降っているかのような、幻想的な美しさだった。
「とんでもないな。こんなデカブツが今まで誰にも見つからなかったのか」
ユーリは圧倒的な質量を見上げて呆然と呟いた。
自分を含めて、数え切れないほどのリメインの冒険者たちがこれまでに数百年もこの第一階層を歩き回ったはずだ。しかしこのような場所の噂すら聞いたことがない。これほどのものを隠し通せるわけがないはずだ。
「結界によって隠されているからな。エルフ以外には絶対に見つからないし、認識もできない」
シェラザードが内心の複雑そうな表情で言ったのは、そのエルフの秘境にわざわざ人間を招き入れることへの苦悩ゆえか。
「なんと濃密な魔力だ。この光の雪、すべてが魔力の結晶だというのか」
レンヴィクセンは興味深そうに周囲の光景に目を見張っている。
ユーリは水際へと歩みを進めた。
水面は鏡のように静まりかえっているが、底知れぬ深さを感じさせる。
「で、どうやって向こう岸に渡るんだ? まさか泳ぎか? 俺は遠慮するぞ」
「ふん、そんなはずがなかろう」
答えたのはルエンだった。
彼は無愛想に顎をしゃくり、岸辺の一角を指し示す。
「ボートを用意させている。すぐそこのはずだ」
ルエンが示した先には古びた桟橋があり、そこには確かに一艘の小船が係留されていた。
そして、その傍らに、ひとつの影が立っていた。
ぼろ切れのようなローブを纏った巨躯。
「船頭まで用意してあるとはな」
ユーリの口元に皮肉げな笑みが浮かび、その腰の剣に自然と手が伸びた。
「意外と早い再会だったな、ラスヴェート」
その人狼には両眼が存在しなかった。醜い傷跡を突き破るようにして植物の蔦が伸び、まるで血管のように広がって顔を半分ほど覆い尽くしている。
「……バースデイが呼んでいる。乗るがいい」
「おまえ、あのインチキ野郎の手下に成り下がったのか?」
ラスヴェートは答えず、ただボートを指さしていた。
戦意はない。
ユーリは舌打ちして、剣から手を離した。
「いいだろう。乗せてもらおうか」
ユーリたちは、盲目の人狼が操る小船へと足を乗せた。
頑張って続きを書きます。
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イラストレーターの大熊猫介先生に描いていただいたキャラのイラストとかありますのでよかったらご覧ください。




