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《案内人ユーリ》


 二階、三階の部屋を探索し尽くしたユーリとガーランドは、最初の玄関ホールへと戻ってきた。

 結局、めぼしいものは見つからず、吸血鬼にも出会っていない。

 この館はいまだ、不気味なまでの静寂を保っている。

 だが、ガーランドの足音は騒々しく、その全身から怒りのオーラが立ち上っている。


「これからどうするつもりだ。私を出口まで案内する件はどうなった? こちらは金を払って貴様を雇っているんだぞ」

「忘れてないから心配するな。金貨二枚ぽっちでそんなに威張る客も初めて見るよ」

「黙れ! プロならプロらしい仕事をしろ! さもないと、」


 剣の柄に手をかけようとして、ガーランドはハッとした。

 もう、この男に頼る必要はないのでは?

 出口はすぐそこ、もう数時間もかからない距離だと聞いた。方角も分かっている。

 全速力で走れば、魔物にも出くわさず、きっとたどり着けるはず。

 案内人を雇うまでもないのだ。

 ……惜しい……金が惜しい……金貨二枚が惜しい。

 あれは大切な軍資金なのだ。無駄に使っていいはずがない。


 ユーリの無防備な背中。

 この男は、誉れ高き騎士たる自分を何度も愚弄した。いやしい身分の、あさましい犯罪者の分際で。ゆるしがたい。

 そして、なにより。

 なかったことにできる……ビヨールを斬ったあの瞬間を目撃したのは、この男だけ。

 ならば、この男さえいなくなれば……罪を、なかったことにできる。


 邪悪で甘美な誘惑が、ガーランドの手を動かす。


「そこまでだ」


 ビクッ、と、ガーランドの身体が硬直した。

 それはユーリの声ではなかった。


 ユーリとガーランドは同時に振り返る。


「私の館で、ずいぶん好き勝手をしてくれたようだな」


 階段の上に、いつの間にか現れた人影が立っていた。

 


 ◆



 館全体の空気が振動する。

 不可視の強大なプレッシャーを放つ男の正体は、言うまでもなく、この館の主人である吸血鬼だ。

 漆黒のローブを身にまとった長身痩躯。奇怪なことに毛髪から眉毛も含めて体毛という体毛はいっさい存在せず、病的に青白い、塗れたような皮膚をしている。真っ赤に輝くような瞳と、紫色の唇が、怒りのあまり細かく震えていた。


「ここでなにをしている、人間ども」


 地獄の業火もかくや、という燃えさかるような殺意。

 ガーランドは言葉もなく、全身から脂汗を流して固まっている。

 ユーリは、すでに抜いている剣を肩に担ぎながら、平然と答えた。


「気にするな。ただの押し込み強盗だ」

「ほお」

 

 青白い頬をひくつかせる。

 夜の闇よりもなお暗いローブが、ぶわり、と風をまとう。

 吸血鬼の両手に、白く輝く空気が渦を巻き始めた。


「ならば、殺されても文句は言えない。……そうだな?」

「やれるもんならやってみろよ、ハゲ」


 ユーリの嘲笑。

 吸血鬼の表情が怒りに塗り潰され、熱風のような鬼気がユーリとガーランドに向かって吹き荒れる。

 次の瞬間、吸血鬼の姿は忽然と消えた。


「死ね」


 憎しみに満ちた声は、ユーリの背後から聞こえた。

 ユーリは確認することもなく、前方に向かって転がる。

 頭上を、冷たく鋭い物体が凄まじい速度で飛んでいった。

 階段に突き刺さったそれの正体は、短剣ほども大きさのある氷柱。

 吸血鬼は、冷気の魔法を得意とする。その威力と精度は人間の比ではない。直撃すれば、人間の胴体などたやすく風穴を開けられる。


 さらに、長きを生きて、多くの人間を糧とした吸血鬼は、多くのおそるべき魔技を会得する。

 そのひとつが、空間転移。空間をねじ曲げることによって現在地と目的地の距離に関係なく瞬間移動する、超高等魔法だ。人間では不可能な領域ともいわれるものを詠唱すらせずに行使するとは、闇夜の魔人という通り名も伊達ではない。


 ユーリは、二転三転しながら立ち上がると、そのまま絨毯を蹴った。

 吸血鬼はすでに次の氷柱を手の平に生み出し、こちらに向けて発射しようとしている。

 だが、ユーリのスピードは人間離れしていた。

 コマ落としのごとく、互いの距離を一瞬で詰める。


 吸血鬼の表情が、度肝を抜かれたように歪んだ。

 彼は、ここまで素早く動ける人間というものを見たことがなかったのだろう。満足に戦えもしない女ばかりを獲物にしてきていたのだ。人間など、コルク栓を開ければ中身をぶちまけるボトルぐらいにしか考えていなかった。

 その慢心が、仇となった。


 ユーリはまずこちらに向かって突き出されていた右手を手首から斬り飛ばし、身体ごと回転しながらローブを逆袈裟斬りにした。切っ先は脇下から肩へと抜け、確かな手応えを感じた。


 吸血鬼の絶叫が上がり、呪われた赤い血が噴出した。

 同時に、ユーリの身体が大きく後ろへと弾き飛ばされる。

 まるで巨人の体当たりでも食らったように凄まじい衝撃は、念動力によるものだ。精神力を物理的に変換し、不可視の衝撃波で、対象に大きなダメージを与えることができる。

 使い手によっては、大砲並みの威力を生むこともできるという。

 この吸血鬼の念動力はそこまでのレベルには達していないようだが、ユーリは背中から階段に叩きつけられ、肺の中の空気をすべて吐き出した。


「もしかして苦戦? 手を貸してあげましょうか」

「すっこんでろ、クソババア!」


 またしても、謎のソプラノボイス。

 そしてユーリは自分へ叱咤するようにそれを罵倒し、バネ仕掛けのごとく立ち上がった。

 なぜか、金切り声が聞こえた。

 右手を失った吸血鬼は、謎の声など耳に入っていないのか、乱杭歯をむき出しにして威嚇のうなり声をあげている。


「ゆるさん。よくも人間ごときが、この私に傷を」

「油断してるからそうなるんだよ、間抜け。チャンスをくれてやるから、次は全力で来い。覚悟はいいか?」


 ぺっ、と血の混じった唾を吐き捨て、鼻面に皺を寄せて嘲笑するユーリは、まさに獣であった。

 しなやかで、力強く、素早い。そして凶暴だ。

 対峙する吸血鬼は、手首の切断面の肉が盛り上がり、新たな右手を形作ろうとしている。切り裂かれた胴体にしても、ローブの切れ目から覗く傷口はすでに塞がっていた。

 凄まじい再生能力。

 吸血鬼は、物語にあるように、ニンニクや十字架、聖水など恐れはしない。太陽の光を苦手とするが、あまり強い影響力はない。

 弱点とするのは、頭部か、心臓への攻撃のみ。

 それ以外の部分が欠損したとしても、このように、瞬く間にして再生してしまう。

 彼らをこの世から消し去ろうと思うなら、その二ヶ所のどちらかを破壊する必要がある。

 つまり、ユーリは、それを狙っている。

 そして、わざわざ右手が再生するのを待ってやる義理はない。


 次の瞬間の爆発のために、両脚の筋肉が盛り上がった。

 

 が、そのとき、ガラスの砕け散る音が響き渡る。


 ホールの左右にある採光窓のひとつが、外から加わった力により、館内に破片をまき散らした。

 耳を聾する音、無数の破片と共に飛び出してきたのは、黄金の流線。


 腰まで届く金髪をたなびかせ、人影が、俊敏な動作で床に降り立った。


「今度はなんだ!」


 吸血鬼の怒号が上がる。

 

 人影の耳は長く、先端が尖っていた。

 女のエルフである。

 年齢はユーリよりすこし年下といったところだが、エルフ族は長命で、老化するということがほとんどないので、外見は当てにはならない。

 厚手の衣服を身にまとっているが、生地がはちきれんばかりに大きな乳房の持ち主で、それが下品にならないぐらい均整のとれた体つきをしており、ミニスカートから伸びる脚線美は白磁のごとく滑らかだった。

 ベレー帽のようなものを斜めに被った女エルフの顔は非常によく整っており、目尻のつり上がった瞳は、油断のない冷徹な眼差しをしていた。

 武器は、左手に持ったクロスボウと、腰のショートソードか。弓を背負っているが室内では使いにくいだろう。


 この女が、ガーランド、そしてユーリを執拗に追っていた追跡者ということで間違いないだろう。

 身にまとうオーラは、女が希代の実力者であることを物語っている。


 エルフは無言で、ユーリと吸血鬼に向かって疾走していた。ユーリに負けず劣らず、凄まじいスピードの持ち主だ。

 走りながらも、片手でクロスボウを構え、迷わず吸血鬼に対して引き金を引く。

 さらに跳躍、ユーリの頭上へと身体を踊らせ、空中で側転しながら抜きはなったショートソードでユーリの頭部を狙った。

 吸血鬼は、ユーリに向けていた氷柱をぶつけることにより、高速で発射された矢を防いだ。

 ユーリは咄嗟に剣を掲げた。金属と金属がぶつかり合い、火花を散らす。

 女エルフはその衝撃を利用してさらに跳び、優雅でさえある身のこなしで着地すると、振り向きつつ剣を構えた。

 

 剣を水平に構える、ユーリ。


 再生を終えた右手と左手にそれぞれ氷柱を生み出す、吸血鬼。


 クロスボウを投げ捨て、ショートソードの柄を腰に引き寄せ、切っ先を上げるかたちで構える、女エルフ。


 三者が、三様。

 おのれの武器と構えで、おのれ以外を牽制する。

 味方はいない。

 自分以外の二人は敵なのだ。


「なんなんだ、貴様らは」


 吸血鬼が、忌々しげに吐き捨てた。両手の氷柱はユーリと女エルフそれぞれに狙いを定めている。


「なんなのだ、貴様らは! どいつもこいつも! この私をなんだと思っている! 侮辱しおって! ゆるさんぞ、皆殺しだ!」

「じゃあ、おまえから死ね」


 冷酷な宣言。

 ユーリは、まず吸血鬼に躍りかかった。

 横殴りの一撃が、氷柱ごと右手を切り裂く。

 この世のものとも思えぬ怨嗟の雄叫びを上げ、吸血鬼は再び精神のエネルギーを爆発させる。

 念動力は、しかし、全力でその場に踏ん張ったユーリを吹き飛ばすことはできなかった。

 そして、間合いを詰めた女エルフの剣が、ローブの奥の心臓を刺し貫く。

 今度こそ、吸血鬼にとっても致命傷だった。

 永遠の命があっけなく終わることに対する絶望を浮かべ、その肉体は崩壊する。


 吸血鬼の特性として、頭部か心臓を破壊されることにより完全な死をむかえると、肉体が灰となって霧散する。

 ぼふ、とローブの中身が同質量の灰と化したとき、生き残ったユーリと女エルフ、両者の決戦のゴングが鳴った。


 大きく空中に広がる濃密な灰燼が、ふたりの間合いにベールを降ろす。


 衝撃をまともに受けたユーリは眼窩と鼻から血を流していたが、それをものともせずに剣を突き出す。

 互いの表情すら読めぬ分厚い灰の幕を貫き、切っ先が女エルフに迫る。

 女エルフは軽く身をひねってそれを避けると、長い脚を伸ばし、吸血鬼の身にまとっていたローブをブーツのつま先にひっかけた。

 ぶわり、と舞い上がったローブは、蝙蝠の翼のごとく広がり、ユーリの視界を黒で閉ざす。


 勝機と捉えた女エルフは、いったん剣を引くと、最速で刺突を繰り出した。

 神速で、狙うは、心臓。


 刹那、あろうことか、ユーリは剣を投げ捨てた。

 同時に、ぱしん、という拍手のような乾いた音。

 女エルフ、そしてガーランドが、あっけにとられた顔をする。

 それは当然だろう、なにせ、ユーリは自分の胸を狙った一撃を、両手を合わせることで捕まえていたのだ。

 視界を封じられた状況で、勘だけを頼りに剣の軌道を読み、タイミングを合わせて白刃取りしてみせたというのか。まさに神業というしかない。

 そしてそのまま、ひねる。

 丸太のように太い腕が発揮する膂力は、音を立てて、ショートソードを刀身の根本からへし折った。


 女エルフは動揺から素早く立ち直ると、役立たずの柄を捨てて蹴りを繰り出す。

 ユーリは砕けた刀身を手放し、身を低くして女エルフの前蹴りを避けると、猛然とタックルをぶちかました。


 女エルフも並みの男以上に身体を鍛えているようだが、蹴りを繰り出して片足のみを支点に立っている以上、その脚に対して体当たりを食らえば、耐えることは不可能だ。

 初めて焦ったような悲鳴を上げ、その身体が宙に浮く。

 ユーリは両腕で脚を抱き、咆哮を上げながら床を蹴った。一瞬でトップスピードに乗り、ホールを駆け抜けると、女エルフの背中を壁に叩きつける。

 強烈な衝撃に襲われ、女エルフは「がはっ」と苦鳴を漏らした。

 その細い首を、野太い手が掴む。


「俺の勝ちだな」


 片手でローブをはぎ取りながら、ユーリが言った。別段、勝ち誇っている様子はなく、淡々としている。


「もうすこし力を入れるだけで、あんたの首の骨を折れる」

「……好きにするがいい」


 憎々しげな表情を浮かべ、女エルフが初めて言葉を口にした。

 耳に心地いいハスキーな声だ。


 ユーリは、ふ、と笑うと、あっさり手を離す。


「やめておこう。あんたを殺しても、なんの得にもならん」

「どういうつもりだ」


 ユーリは答えず、自分の所持品を入れていた袋から、青白く光る枝を取り出した。

 ガーランドがエルフの里から奪ったという、あの枝だ。


「あっ! き、きさま、いつの間に! それは私の物だ!」


 ガーランドの叫びを無視して、女エルフに投げてやる。

 女エルフは驚いた様子でそれを受け取った。


「エルフは、仲間が死ぬと、神木の下に埋める。人間で言うなら墓石だ。……そいつを返すから、命だけは見逃してやってくれないか。あんなのでも客だからな、死なれると困る」


 女エルフは、ガーランドを睨みつけ、


「その男のやったことは、けっしてゆるさん」


 そして、きびすをかえす。


「……二度と、この地に足を踏み入れるな。次は必ず殺す」

 

 そう言って跳躍した。

 入ってきた採光窓の縁に脚をかけ、最後に一度だけ振り返る。


「私はシェラザード。貴様は」

「案内人のユーリだ」

「覚えておく」


 一瞥をくれたのち、ぷい、と顔を背けて、窓の外へ跳んだ。


 それを見届けると、ユーリはやれやれとため息をついた。

 ガーランドが言った。


「盗人め。いつの間に、私の荷物を漁ったのだ」

「あんたが寝てる間にだよ。あいつの目的が、あんたの命と、あの枝を取り返すことだというのは、最初に話を聞いた時点で分かってたからな」

「勝手にくれてやるなど」

「あんたのためだ。あいつらは本当に地獄まで追ってくる、地上に帰ったからって安心できないぞ。そもそもあの枝は普通の商人は取り扱わないから持って帰って金に換えることもできないし、独自のルートがあったとしてもたいした儲けにはならん。この街に来たばかりのあんたにそんなものはないだろうしな」


 ガーランドは悔しさのあまり獣のようなうなり声を上げた。

 自分より明らかに身分の低い者が、知った風な口をきく。今までの人生ではなかったことであり、ゆるしがたい屈辱感に襲われた。

 そんなガーランドを後目に、ユーリは床に落ちていた吸血鬼の灰を集め、袋に入れていく。


「なにをしている?」

「見て分かるだろ、灰を集めてるんだよ。魔力が宿ってるからけっこうな額で売れる。知り合いの雑貨屋も欲しがってた」


 それを聞いたガーランドは、大きな声で笑い出した。

 ユーリは怪訝な顔をする。


「どうした?」

「自分の行動が矛盾していると気付かないのか? エルフを襲って枝を奪った私と、吸血鬼を殺して灰を奪う貴様、どう違う? 貴様は私のことを蔑むかもしれないが、貴様とて同じことをやっているではないか。お笑いだよ。貴様は、自分に都合のいい理屈だけを並べて、おのれを正当化しているにすぎん!」


 ユーリは、怒るでもなく、灰を集めていた。


「こんな稼業で生きているんだ。その手の矛盾は付き物さ。だから、どこかで折り合いをつけるしかない」

「折り合い?」

「俺は、女子供や善人、弱い者は殺さない。食い物にしない。だが、吸血鬼は人間の血を喜んで吸う腐れ外道だ。だからぶっ殺して物を奪って、糧にする」

「貴様が善悪の基準を決めて裁くのか? なんの権限があって、そんなことができる? 裁判官か? 神にでもなったつもりか!」

「そんな大層なものじゃないさ。もちろん、これは滅茶苦茶な理屈だ。吹けば飛ぶだろうさ、俺は頭が悪いしな。だが、人間は獣と変わらんのだとしても、しがみついておきたい場所がある。俺にとっては、そのためのルールが必要だ。それだけの話だ」


 灰を入れた袋の口を、紐で縛る。

 淡々とした作業だった。


「すくなくとも俺は、仲間を殺して自分だけ助かろうとは思わんよ」


 ガーランドの中で、なにかがブチッと音を立てて切れた。

 その血走った瞳に映るのは、ユーリが先ほど投げ捨てた、彼の剣。

 床に突き刺さった抜き身の刃が妖しく光っている。

 その美しさに引き寄せられるように手を伸ばし、柄を掴んだ。


「私は、《誉れの騎士》ガーランドだぞ……」


 洗練された動きで、剣を構える。


「偉そうな口を叩くな! 獣も同然の盗っ人が! ぶち殺すぞ!」


 狂った悲鳴じみた声で、恫喝する。

 ユーリは、背中を見せたままだ。


「なんのつもりだ?」

「覚悟しろ。殺してやる。さんざん私を侮辱したのだ、当然の報いだ。もう私を案内する必要はない……貴様はクビだ!」


 ガーランドとて無策ではない。

 勝算はきっちりとある。

 これまでの戦いぶりから見て、ユーリは自分より強い。それは確かだが、しかし、丸腰ではどうしようもあるまい。彼の武器はガーランドが手にしているのだから。


 直剣の刃が、暗闇で塗れたような光を放つ。

 ガーランドは思わずうっとりと眼を細めた。

 

「それにしても美しい剣だ……私にふさわしい」

「悪いが、俺の女だ。返してくれ」


 振り向きながら、ユーリが言った。

 ガーランドは鼻で笑った。


「馬鹿が。これはもう私の物だ! 二度と離すものか!」

「あっ、そ」


 ユーリは肩をすくめた。


「言っておくが、見かけによらず、かなり重いぞ、そのババアは」


 瞬間、手の中で剣が重量を増した。

 まるで、持っているのが剣の形をした岩山なのかと錯覚するほどに。

 その重みは、ガーランドが一瞬とて支えられるようなものではなく、たまらず膝を屈し、剣を握っていた右手を床に叩きつけてしまう。

 

 ガーランドの頭が、驚愕でいっぱいになった。

 もはや信じがたい重量と化した剣は、絨毯の下の床に亀裂を走らせ、ガーランドの右手の骨を粉々に砕いた。


「あっがあああああっ!?」


 発狂しそうなほどの激痛に襲われ、情けない悲鳴を上げる。

 剣は、もはやどうやっても持ち上がらず、微動だにしない。

 

 だが、ガーランドは、痛みすら忘れた。

 彼の視界に映った、幼い天使の神々しい姿が、骨の砕けた激痛すら麻痺させてくれた。


 なにもない空間から、純白のドレスを身にまとった天使は、ユーリの右肩に腰かけるようにして降臨した。

 癖のある栗色の柔らかな髪を優雅なしぐさでかき上げ、その透き通るように白く繊細な指先で、彼の頬を愛しげに撫でる。


 ――撫でたかと思うと、そのまま抓った。


「いっでででで」

「だ・れ・が・重いのですって?」

「あー、悪かった、悪かった」


 ひきつった笑みを浮かべる天使と、困ったように耐えている、ユーリ。


「何者なんだ……貴様らはいったいなんなんだ!」


 ガーランドはヘルムの奥で涙をぼろぼろこぼしながら声を上げた。


「ただの案内人だ。こいつはクラティア、相棒だ」

「相棒を投げ捨てるかしらね、ふつう」

「悪かったって」


 ユーリは不敵な笑みを浮かべ、手をさしのべた。


「さあ。クビにされたばかりだが、俺をもういっぺん雇うつもりはあるか? その怪我じゃあ出口まで行くのは難儀するだろうし、そもそも立ち上がれないだろ」


「なっ、あっ、き、きさまっ」


「安くしておくぜ。今なら特別料金で、金貨二十枚だ」


「きさまああああああああっ!!!」


 《霧の館》を、ガーランドの声が震わせる。


 彼は今こそ後悔していた。

 こんな都市にやってくるべきではなかった。

 こんな迷宮になど、足を踏み入れるべきではなかった。


 こんな悪魔どもに、関わるべきではなかった!


 ――後悔しても、もう遅い。


「じゃあ行こうか、お客さん。案内してやるよ、出口まで」




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