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彼は迷宮の案内人  作者: あすてか
第二章《樹神の聖都》
34/43

《神の復活》



 リメイン地下大迷宮第一階層、《乳白色の森》。

 そこに暮らすエルフたちが語り継ぐ、古い伝説がある。

 ――それは、地上の人間たちがこの大迷宮を発見し、リメインという都市を造り上げるよりもはるか太古の時代まで遡る、大いなる神話。

 

 今でこそ《乳白色の森》と名付けられるほど木々が生い茂っている第一階層だが、最初は、何もないただの平坦な大地が延々と広がるだけの空間であったという。

 草木も、生物も、エルフたちでさえ存在しない、濃霧に埋め尽くされた空虚な地下世界。

 そこに、ある日、二柱の神が光臨した。

 神の名は、《超神》ハエレティクス。

 そして、《樹神》バースデイ。


 前触れもなく現れた神々は、この地に楽園を築くと決めた。

 《超神》の腕力によって大地が隆起し、土が耕され川が流れた。

 《樹神》の息吹によってみるみるうちに無数の樹木が育ち、瑞々しい果実が実る。

 七日七晩が経った頃、巨大な森林と化した地下世界には山や谷、川や湖といった光景が生まれ、魔物と呼ばれる種族も現れ、すっかり賑やかになっていた。

 人間によって地上を追われたエルフたちがこの地下へたどり着いたのは、ちょうど八日目の朝を迎えようかというときだった。

 霧と暗闇の支配する世界に恐れおののいていたエルフたちは、まばゆい輝きに包まれた二柱の神を前にすると、すぐさまひれ伏して懇願した。


「神よ。どうか矮小なる我らをお導きください」


 神は、この申し出をこころよく了承した。

 強き者は、弱き者を守り、導くのだと。

 以来、二柱の神々はハイエルフと称され、エルフたちの王として君臨し、民を導く光となったのだった。


「だが、それでめでたしめでたしとはいかなかった、ってわけか」


 シェラザードの解説にいったん区切りがついたところで、ユーリが口を挟んだ。

 いま、ユーリは、崩壊した《霧の城》の跡地でエストレアとレンヴィクセンを見つけたあと、シェラザードとその仲間三名のエルフと共に、森の中を歩いている。

 

 シェラザードは、眉をひそめ、表情を曇らせながらも、小さくうなずいた。


「神は、光だけをもたらすものではなかった。同時に、我らの祖先を暗黒で覆い尽くす存在でもあったのだ」


 強い光の裏には、より強い闇が広がる。

 神々は、民の守護を約束する代価として、その生殺与奪権を欲しいがままにした。

 生かしたい者だけを生かし、殺したい者は殺す。

 従う者には服従を、逆らう者には死を。

 

 残虐。

 非道。

 若く強い男の血で身体を洗い、苦痛に泣き叫ぶ女子供の悲鳴を子守歌として眠りにつく。


 たしかに、エルフたちは神々によって守られ、この過酷な地下世界で生き延びることができた。

 だが、数千年にもわたる支配の歴史において、どれだけの命が残酷に奪われ、無造作に殺戮されたのか。

 エルフたちは、気づかぬうちに、おぞましい怪物を神として崇めていたのだ。


「最終的には、すべてのエルフが一斉に立ち上がり、神に戦いを挑んだそうだ。だがそれでもかなわず、もはや滅びは目前かと思われたとき……」

 白き勇者が、現れた。

 その者の正体についてはよく分かっていない。

 男とも女とも、エルフであるとも人間であるとも言われる。

 確かなのは、エルフの総力を結集しても軽くあしらわれるほど強大な神々を、その者がたったひとりで倒したという事実。


 倒された神々は、エルフ族の秘中の秘たる神殿の奥地に封印された。

 そして厳重に監視されながら、数千年という年月が経過したのだ。


「封印は完璧だった。……だが……」

「それを解いた奴がいる、と」

「そうだ。つい先日、神殿が何者かによって襲撃された。警備にあたっていた精鋭は全滅。《超神》と《樹神》は、再びこの地に解き放たれた」


 自由を得た二柱の神々がまず目標としたのは、かつて自分たちを封印し屈辱を味わわせたエルフへの復讐。

 エルフたちの重要拠点、西の街ブーローブランは、その日のうちに地獄と化した。

 

 街路という街路を死体が埋め尽くし、壁という壁は打ち崩され、真っ赤に染まり、命の残骸が街中のいたるところに溢れ出していた。

 男は拷問の限りを尽くされ、肉体を破壊し尽くされてから殺された。


 女は犯されてから生気や乳房を切り取られ、壮絶な悲鳴を上げながら殺された。わずかに生き残った者もあまりに過酷な陵辱を受けたため精神が崩壊し、うずくまってすすり泣くだけの廃人となった。


 赤子や老人、抵抗する力を持たないか弱き者は、玩具のように遊ばれてから命を奪われ、ゴミのように放置された。

 

 犠牲となったエルフは数百人以上。

 鼻をつくのは猛烈な血と糞尿の悪臭。

 《乳白色の森》特有の濃霧が血に染まり、真っ赤な血煙となってブーローブランを覆っていた。


 話を聞いただけで、エストレアは青ざめ、握った拳を震わせている。

 貴族の令嬢として生まれ育ち、民を守ることは貴族として当然の義務だとして教育されてきた彼女にとって、けっして許容できない極悪だ。

 

「なんてひどい……」

「それが、《超神》ハエレティクスの所業だ。だが……《樹神》の向かった東の街では、もっとむごたらしい惨状が広がっていた」


 実際にその目にした光景を思い出したのか、シェラザードは唇を噛み、怒りに肩を震わせる。

 仲間のエルフたちも同様に、沈痛な表情を見せていた。

 

 西の街の惨劇だけでも耳を覆いたくなるような惨劇だというのに、それ以上の地獄とはいかなるものなのか。

 

「俺に頼みたいことっていうのは、そいつら二人を殺せって仕事か?」


 ユーリが尋ねる。

 事も無げに言ってのける声は、伝説に語られるほどの神を恐れるでもなく、気負うような風もなかった。


「ハエレティクスはどこかへ消えたのか、もう姿を見せていない。奴を捜索するよりもまず、奪われた聖都を奪還するのが先決だ」


 聖都セイジュサージュ。

 エルフがもっとも多く暮らす、彼らにとって最大の都市。

 そこは今、邪悪なる神に玉座を奪われ、欲しいがままに支配される、悲劇の舞台と化していた。


「《樹神》バースデイ。この森を生み出したとされる神樹の化身を、おまえに倒してもらいたいのだ」


 先行していたシェラザードは振り返ると、まっすぐな瞳でユーリを見つめた。

 ユーリはその瞳から目をそらさずに問う。


「あんたもかなりの使い手だということは知ってる。そのあんたでも、バースデイにはかなわないのか?」

「シェラザード様は、エルフの一族でももっとも尊い血筋のお方だ。危険な戦いに挑んで、万が一のことがあってはならない」


 シェラザードの仲間のひとりが横から口を挟む。


「なるほどな。お姫様ってことか」

「そんな大層なものではない。……我らとまったく関わり合いのないおまえに一族の存亡を託すなど、恥ずべきことだというのは理解している。だがそれでも、あの強大な悪神を倒すことができるのは、おまえしかいないと確信したのだ。どうか、引き受けてはもらえないだろうか」


 真摯な懇願に、ユーリはしばし思案してから言った。


「俺は案内人で、今は仕事中だ。それが終わってからなら問題ないが、今すぐ手を貸せという話なら、お嬢様の意志によるな」

「もちろんわたくしは大賛成ですわよ!」


 エストレアは鼻息荒く声を張り上げた。


「罪なき民を苦しめる神など言語道断ですわ。案内人さん、わたくしのスケジュールなら十分に空きを作っておりますから、多少の寄り道は問題ありませんわ。遠慮なさらずにエルフのみなさんを助けてあげてくださいな」

「だ、そうだ。――爺さんはどうだ?」

「問題はない。噂に聞いていたエルフの生態と、神とやらの正体。どちらも興味深い。この目で見てみたいものだ」


 レンヴィクセンは言った。魔法使い特有の、強い知的好奇心がくすぐられているようだ。


「というわけだ。無事に依頼人の了解も得たことだし、あとはその神とやらにご対面するだけだな」


 不安を感じている様子はなく、ちょっと買い物にでも出かけてくるとでも言わんばかりの態度で、ユーリは言う。

 シェラザードは安堵したように微笑むと、丁寧に頭を下げた。

 周囲の仲間たちが慌てたように言う。


「姫様。人間ごときに頭を下げるなど」

「口を慎め。ユーリは私たちのために戦ってくれるのだぞ」


 シェラザードが厳しく叱責しつつ睨みつけると、男たちはうつむいて沈黙した。


「本当にすまない。もしもバースデイを倒してくれたなら、どんな謝礼でもさせてもらう」

「ずいぶんと安く請け負ったものね」


 クラティアが言った。

 いきなり響いたその声に、事情を知らないエルフたちは驚いた様子を見せる。

 ユーリは迷惑そうに眉根を寄せた。


「話がややこしくなるから、おまえは黙ってろ」

「ええ、よくってよ。でも」


 クラティアは声の調子を落とし、呟くように続けた。


「禍々しい魔力を感じる……油断しないことね。その神とやら、相当なものよ」



 ◆



 ユーリたちの歩いているところから遠く離れた地点。

 霧深き森を、凄まじい速度で疾走する影があった。

 湿気を含みぬかるんだ地面や、蜘蛛の巣のように張り巡らされた木の根などの障害をものともせずに、その人影はただひたすらに走り続けている。

 そのスピードは人間の限界とされる領域をはるかに超えていた。

 なぜならば、男の正体は吸血鬼。多種多様な特殊能力を持つだけではなく身体能力においても人間ごときの及ぶところではない、この程度は出来て当たり前ともいえる。


 だがこの森の闇を支配する種族であるはずの彼は、その美しい銀髪を無様に振り乱し、端正な顔を硬く強ばらせながら、泡を吹いて死にそうなほど不規則な呼吸を繰り返していた。

 吸血鬼ともあろうものが、多少の全力疾走などで息を乱すはずがない。

 その表情に浮かぶ感情は恐怖。

 彼が通り過ぎると、偶然その場に居合わせたゴブリンどもが震えながら身を隠したが、彼自身の味わっている恐怖はそれ以上だった。


 ようやく逃避行が止まったのは、三十分以上も走り続けてからのことだ。

 猫に追われる鼠さながらの臆病さで神経質に周りを見渡し、誰の姿もないことを確認すると、ホッとしたように胸をなで下ろす。


「こ、ここまで来れば、もう安心だろう」

「――なにが、安心なのだ?」


 ひとりごちるように発した声への応えは唐突に、頭上から響いた。

 ぎょっ、として樹上を仰ぎ見る。

 同時に、真っ黒いローブを身にまとった人影が、静かに落ちてきた。


 目玉がこぼれ落ちんばかりに目を見開いた吸血鬼が、誰何の言葉を投げかけるよりも素早く、その喉を野太い手の平が掴んだ。

 つま先が地面から離れ、身体が軽々と宙に浮かぶ。


「余計なことは喋らなくていい。私の問いにだけ正直に答えてくれ。さもなくば、このまま握り潰す」


 不死身に近い吸血鬼といえど、首を粉砕されては復活することは困難だ。

 少しでも抵抗する素振りを見せれば、次の瞬間に殺される。

 男の威圧感と膂力は、それを容易に想像させるほどのものだった。

 脂汗を流しながら、吸血鬼は頷く。

 それを確認してからローブの男は言った。


「おまえは、吸血鬼だな? それも真祖。この森の吸血鬼の中でも頂点に君臨する、六人の真祖のうちのひとりだ」

「そ、そうだ。我が名は――」

「いや、それについては興味がない。私が知りたいのは、その地位と実力を持つおまえが、なぜそんなに怯えて逃げまどっているのかということだ」


 吸血鬼は、息をのみ、返答に窮したように表情を歪めた。

 男の手に力がこもる。


「まっ、待てっ。分かった、言う。……怪物だ。とてつもない怪物が現れたのだ。私の城は落ち、配下も全滅した。私は戦ったが、手も足も出なかった。あんな怪物は見たことがない……こっ、殺される。死にたくないんだ、私はまだ死にたくない! たっ、助けてくれ!」


 自分たち以外の種族を弱者と断じて見下し、餌としか見ていないといわれるほど誇り高い吸血鬼が、そのプライドをかなぐり捨ててまで助命を懇願する。

 この光景の異様さこそ、吸血鬼が出会ったという怪物の恐ろしさを物語っている。


「その怪物とはいったい何者だ?」

「……エルフだ。いや、エルフなどよりも、もっと恐ろしい……奴は、」

 吸血鬼がその先を最後まで言い終わる前に、ローブの男は首をがっしり掴んでいた手を離した。

 そして、後ろへ大きく跳躍し距離をとる。

 いきなり解放された吸血鬼は、その理由も分からず、ただ再び足の裏に地面の固さを感じ、呼吸が楽になったことに安堵した。

 

 その胸から、槍の穂先のようなものが生えた。

 色は白く、表面は磨き上げたように滑らかで、直径は数センチほど。先端は鋭い円錐状となっており、血に塗れてグロテスクな色合いを帯びている。

 奇怪なことに、槍を操る者の姿は視認できない。十数メートルも直線と曲線を描いて伸びる槍の根本は闇と霧によって覆い隠されており、果たしてどうなっているのか窺い知ることは出来ない。

 当人でさえ困惑の表情を浮かべて見下ろすほど唐突に、槍は吸血鬼の背後から胸を突き破っていた。

 次に、右肩を。

 その次に、左の大腿部。

 そして、左腕、左肩、腹部。

 何本もの鋭い槍によって串刺しにされ、吸血鬼はようやく激痛を知覚したのか、絶叫を上げた。

 その断末魔ごと引き裂くかのように、最初に胸の中央を貫いていた槍が、生き物じみた滑らかな動きで上下に開いた。

 易々と縦に裂かれた吸血鬼は、絶命して倒れ伏す。

 そして、灰となって森の闇に立ちのぼった。


 ローブの男は、灰の向こうを凝視しながら身構える。

 新たに出現した気配との距離はおよそ十メートル以上。かつてこれほどまでに接近した他者に気付けぬことなど、発達した超感覚を持つ彼には経験のなかったことだ。

 恐ろしいものが、現れようとしている。

 それを察して全身の毛並みが逆立っていた。

 ローブを脱ぎ捨てる。

 あらわとなった姿は、両目を失った漆黒の獣。

 逞しい体つきに獣の頭部を乗せた異形の怪人、人狼族のラスヴェートだ。

 かつてユーリの依頼人となり、死闘を繰り広げた過去を持つ男は、獰猛なうなり声を響かせながら問うた。


「貴様は、何者だ」


 吸血鬼を葬った何本もの槍は、踊り狂うように柔らかく奇怪な動きを見せながら、灰の彼方へ引っ込んだ。

 代わりに進み出た人影の行く手を示すように、分厚い灰燼の幕が左右に割れる。

 まるで大海を割って道を切り開いたという伝説の聖人。

 

「僕のことかい? いいよぉ、教えてあげる」


 その男の耳は長く、尖っていた。

 膝まで届くほど伸ばした滑らかな金髪。年齢は二十代前半であろう。眉目秀麗、女と見まがうような美しい顔立ち。

 引き締まった筋肉質な上半身には何も身につけておらず、下半身を覆うシルクの腰布は裾が地面に広がっている。

 男は、柔和な顔に軽薄な笑みを常に張り付けていた。薄い唇が完璧な円弧を描いている。


「僕はねぇ。神様なんだよぉ」


 男の背後から差した後光が闇を照らしたように見えたのは、ラスヴェートの錯覚だろうか?

 それほどまでに男の存在感、謎の神秘性は、常軌を逸していた。

 さらに奇怪なことに、男の額の中央には第三の瞳があった。縦に走る亀裂は通常の眼球とは違い暗黒空間に満ちており、その中で煌めく星々のごとき極小の光が渦を巻き、さながらマイクロ銀河を形成していた。左右のこめかみからそれぞれ伸びているのは、木の枝だろうか。単なる装飾ではなく、生身の一部として角のように育っているようだ。


 単なるエルフではない。

 長い耳や金髪、整った容姿などは確かにエルフのそれだが、根本的なところで、この男はエルフなどとは一線を画する存在だ。

 

 ラスヴェートほどの実力者ならば、一見しただけでも相手の実力を推し量ることが可能。


(強い……この男……私よりもルガルよりも……今まで戦った誰よりも)


 対峙しただけで息をのむ相手など、いつ以来のことだろう。

 少なくとも地上では出会ったことがない。

 これほどの男が、なぜ第一階層などに? なぜ今まで支配に身を乗り出さず、その存在を隠していたのか?

 

 疑問は多くある。

 だがそのすべてを、とりあえずは棚に上げた。


「貴様の目的は、なんだ?」


 真祖を一瞬で滅ぼしたことからも分かるように、この男の力は危険すぎる。その正体と目的を知り、それが自分や妻に危害を及ぼすようであれば――今この場で、始末する。

 そんなラスヴェートの判断など知らぬのか、それとも気付いていながらのことなのか――エルフのような男は、小首を傾げた。


「目的? おかしなことを訊くんだね。神様のすることなんて、決まってるでしょ。みんなを救ってハッピーにしてあげるんだよ」

「救う……だと? 矛盾しているな。吸血鬼とはいえ、虫けらのように葬ったばかりだ」

「だって鬼ごっこだからね。僕は鬼、逃げるのはさっきの彼。捕まったら罰ゲームだよ。その結果として死んじゃったとしても……僕は知ーらない。まあ、次は救うよ、きっと」


 男は、ケタケタと無邪気に笑った。

 それで分かった。

 この男は敵だ――極めて危険な脅威だ。

 ここで始末するしか、ない。


 戦闘態勢をとったラスヴェートに対し、男はあまりにのんびりした様子で言った。


「あれあれぇ。戦うつもりなの? やめておいたほうがいいよ、ラスヴェート」

「私を、知っているのか」

「うん。だって僕は神様だからね。この森のことならなんでも知っているよ。きみのことも、かわいらしい奥さんがいることもね」


 ぴくり、と指先が震えた。隠しきれない動揺があらわとなった。

 自らを神と称する男は、まるですばらしい案でも思い浮かんだかのように顔を輝かせた。


「そうだ! きみがそのつもりなら、僕とゲームをしようよ。僕が勝ったら、セラフィーナを捕まえて殺すよ。エルフや獣にさんざん犯させてからバラバラに切り刻んで、そのへんの地面にばらまくよ」

「――それを聞いた私が、負けるとでも思うのか」


 地獄の底から鳴り響くような、憤怒に満ちた低い声。

 獣の全身が膨張し、筋肉に爆発的な力が宿る。

 周囲の景色が色あせるほど濃密な殺気。

 それでも男は、当然といわんばかりに頷いた。


「きみが勝った場合の景品は、考えなくてもいいねぇ。だってそんなことありえないもの」


 ゆっくりと腕を持ち上げ、指先をラスヴェートに向ける。


「僕の名はバースデイ。この森のすべてを生み出し、従える、唯一にして絶対なる神様だよ」


 空気が悲鳴を上げた。

 バースデイの指先から迸ったのは、白い輝きだった。先刻、吸血鬼を串刺しにしたあの鞭のような槍だ。それは驚くべき速度で地を這うように走った。

 ――いや。指先から、というよりは、それはまさしくバースデイの指そのものが伸びているのだった。

 槍は、股下から頭頂まで一気に刺し貫くルートを進む。

 並みの者なら、その槍の軌跡を目で追うことすらできず瞬殺されているだろう。

 だがラスヴェートは盲目でありながらそのハンデを感じさせない俊敏な動きで地を蹴ると、槍をかわし、爪で引き裂いて、伸び上がった槍を切断した。


 バースデイにとっては身体の一部を断ち切られたということになるのであろうが、不思議と断面から血が噴き出すこともなく、彼自身が痛みを感じた様子もない。

 切断された槍の先端部には生命が宿っているのか、地面に落ちるとびちびちと醜悪にのたうちまわった。


 ラスヴェートは、魔性の素早さでバースデイとの距離を詰める。

 もっとも得意とする近接戦闘に持ち込めば、誰が相手だろうと勝つ自信が彼にはあった。

 だがそれを許さぬとばかり、十数本の白い輝きが行く手を阻む。


 先ほど吸血鬼を殺した槍は一本だけではなかった。

 指一本を断ち切ったとしても、残りの四本の指が槍と化す。

 それだけではない。

 手の甲や腕、肩から、あの白い槍が突出していた。身体のどこからだろうと、槍を生み出せるらしい。まるでバースデイを大樹の幹として、そこから枝が無数に分かれ出たかのように。

 そしてその枝がすべて、ラスヴェートめがけて殺到した。


 ラスヴェートは、あのユーリをも超える身体能力を持つ、優れた戦士だ。一本や二本ならば、対処は容易だっただろう。

 しかし、槍の数はすでに二十を数えており、さらに増え続けている。

 それぞれが意志を宿した生物のごとき槍は、滑らかで不規則的な動き、弾丸めいた速度で、計算しつくされているかのような角度とタイミングから獲物の肉体に食らいついた。


 ラスヴェートはがむしゃらに腕を振るってほとんどの槍を切り払うことに成功したものの、対処し損ねた何本かが太股や足首を貫いた。

 動きを止めた獣に、容赦のない追撃。

 切り払われた槍から更に枝分かれを繰り返し、三倍四倍にも数を増やした槍が縦横無尽の軌道を描く。


「ばいばーい」


 嘲笑と共に別れを告げる、バースデイ。

 しかしラスヴェートの戦意はまだ死んでいない。


 獣が吠えた。

 槍に刺し貫かれた右足を、自らの爪で切り落とす。

 拘束から解き放たれたと同時、残った足に全身全霊の力をこめて地を蹴った。

 舞い上がる粉塵。

 人狼族の身体能力と執念が、爆発的な加速力を生み出す。

 錐揉み回転しつつ、周囲に展開している槍を纏めて斬り飛ばす。


(負けるわけにはいかない……妻を守るために!)


 たとえ誰が相手だろうと、神その人が相手だろうと、守ると誓った。

 獣の決意は、愛する女のために燃え上がる。

 バースデイとの距離が、一瞬でゼロに縮まった。

 

 ラスヴェートが勝利を確信する間合いであった。

 この距離なら、爪と牙が届く。

 必ず勝てる。

 しかし暗雲の隙間から差し込んだ希望をあざ笑うかのごとく、彼の正面を絶望が埋め尽くす。

 

 地面を突き破って急成長した大樹の群が、バースデイを守護するように立ちふさがったのだ。

 神を称する不敵な男の姿は、爪が届く寸前で横並びの木々の壁に覆い隠されてしまう。


「ふざっ……けるなあぁあああああっっ!」


 ラスヴェートは怒号を上げた。

 ふざけるな、こんなもので身を守ろうなどと!

 鋼鉄ですらバターのように切り裂く、渾身の一閃。


 木々の壁が、斜めに切断されてゆっくりと傾く。

 その威力は、間違いなく、もろともに壁の向こうの男をも両断したであろう。


 だが。

 猛り狂う人狼の肩を、背後から何者かが叩いた。


「はい、残念でした。タッチだ、ラスヴェート」


 耳元で囁く、軽薄な声。

 バースデイが、そこに立っていた。

 ラスヴェートが必死の思いで断ち切った壁の向こうには、誰もいない。

 振り返り、攻撃を繰り出そうとした。

 しかし、突如として動きが止まる。

 全身の神経に溶けた鉛を流し込まれたかのような激痛と共に、振り返るどころか、指先を動かすことすらできなくなっていた。


「……怖いかい? 身体を自由に動かす権利を奪われるのは。でもそんなこと、すぐにどうでもよくなるよ。きみはもうすぐ恐怖すら感じることがなくなる。感情を失うんだ。喜んでいいよ。樹の気持ちになれば、なにも感じず、考えることもない、植物のように平穏で幸せな人生が訪れるんだからね」

 

 変化は、すぐに起こった。

 心臓が踊り狂うように早鐘を打つ。

 全身を襲う激痛がよりいっそう強くなり、激しく嘔吐した。

 ただし吐き出したのは、胃の内容物ではない。

 植物の、枝だ。

 無数に枝分かれした植物の一部を、口から吐き出したのだ。


 なんというおぞましき恐怖だろう。

 今や、はっきりと感じることが出来る。身体の内部で、奇怪な植物が根を張り、枝を広げ、内蔵や血肉を栄養分として貪りながら成長しているのが。

 自分が、自分でない物へと作り替えられ、乗っ取られていく絶望。

 悲鳴を上げたくてもそれはできない――彼の口はすでに物を食べるためや発声器官ではなく、彼の肉体の新たな支配者が枝を伸ばすための出入り口なのだから。

 

「樹の気持ちになぁれっ♪ 樹の気持ちになぁれっ♪」


 バースデイは嬉しそうに手を叩き、陽気な声ではやし立てる。

 祝福しているのだ。

 新たな生命の誕生を。

 そう、今日という日は、新たな神の従僕の誕生日。


「ハッピィィィ……バァ~~~スデェ~~~~イ!!」


 両手を頭上に掲げて高らかに歌う、《樹神》。

 その傍らで、全身に蜘蛛の巣のように根を張られ、口と眼窩から枝が飛び出し、完全に大地と一体化してこの森の新たな樹と化した、不気味なオブジェのようなラスヴェートの姿があった。

 知らぬ者が見れば、狼が樹の幹に巻き込まれた異様な光景とでも思うだろう。

 声すら上げられぬ彼が最後に浮かべた表情は凄絶な苦悶。

 もはや彼に意識があるのかどうかすら分からない――だが少なくとも、そこに希望はないことだけは確かだ。

 

 《樹神》の造り上げた醜悪な創造物のひとつとして、この森で永遠に生とも死ともつかぬ存在としてあり続けるのだ。


 たとえ他者をどれだけ犠牲にしようとも、妻を守る。平穏を守る。

 そう誓った《死神》の末路は、死すら許されぬ永劫の地獄であった。





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