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彼は迷宮の案内人  作者: あすてか
第二章《樹神の聖都》
33/43

《闇の女王》




「ユーリ! 来るわよ!」

「わかってる」


 短く答えると共に、ユーリは前進した。

 それを迎え撃つべく、ネフリティスの指先が向けられる。

 放たれしは、不可視にして無音の刃。


 それを視認することは誰にもできない。

 例えるなら空間に走る一筋の裂け目が、銃弾に匹敵するスピードで迫り来るのだ。

 並みの者ならば、何が起こったのかも理解できないままにその身を切り刻まれるだろう。


「いい、絶対に受けては駄目よ!」

「わかってるって言ってるだろうが!」


 怒号を上げながら、ユーリはそれを避けた。

 まるで、その視界に空間の断裂が映っているかのごとく、左右に身を踊らせ、的確にかわしていく。

 もちろん視覚に頼っているわけではない。

 ネフリティスの殺気を肌で感じ取り、野生の獣じみた直感に任せて回避しているのだ。

 だが、亜音速に迫るスピードで放たれる空間の断裂を避けるためには、直感力だけではまだ足りない。超人的な運動神経と身体能力が必須だ。

 そのふたつを併せ持つからこそ、ユーリはじわじわと敵との距離を縮めることができている。


 ネフリティスは、冷たい美貌を舌打ちせんばかりに歪めた。

 かつてこの能力を用いて葬れなかった敵手はいない。

 空間の断裂は、不可視、無音、そして空間そのものを断つがため、あらゆる物質特性を無視して対象を切断する。

 まさに、無敵の能力だ。


 彼女はこの異能をもって生まれたことにより、吸血鬼の支配階級の中でも別格の扱いを受けて育てられた。

 真祖の頂点、六王の席に座ることは、彼女にとって当然のステップに過ぎない。そこで満足することなく目指すは、地上をも視野に納める支配の道。

 ネフリティスこそは生まれながらの王者、この森の夜を統べる女王。

 その女王が、愚劣な人間ごときに敗北するはずがない。

 矮小なる虫けらは、彼女の足下に這いつくばって許しをこうのが、本来のあるべき姿なのだ。


「……ええい、こざかしい!」


 ついに業を煮やしたネフリティスは、空間の断裂の連射を中止すると、傍らの空間を歪め、そこに右腕を差し入れた。そして抜き取ったとき、その手には一振りの剣が握られている。

 鍔元から刀身にいたるまで優美な装飾の施されたレイピアを構えると、闇色のドレスをはためかせてユーリに躍り掛かった。


 心臓を刺し貫かんとする、鋭い一撃。洗練された剣技に無駄はなく、そこに吸血鬼自慢のパワーとスピードが加わる。

 だが、ユーリはそれを軽々と見切って刀身に腕を絡めると、脇のあたりで力をこめてへし折った。

 硝子細工のように散らばるレイピア。

 その破片を吹き飛ばし、剣閃がネフリティスの顔面を襲う。


 ぎゃっ、という短い悲鳴が上がった。

 ネフリティスはレイピアを取り落とすと、両手で顔を覆いながらよろよろと後退する。

 指の隙間から、真っ赤な血潮があふれ出した。腕やドレスを伝って滴り落ち、絨毯に染み込んでいく。


「お、おのれ……」


 指と指の間から覗いたのは血液だけではない。沸騰する憎悪をたたえた眼球がふたつ、ユーリを凝視していた。


「虫けらぁぁぁぁあ……! よくも、よくもわらわの顔に傷を!」

「アクセントを加えてやったんだろうが。感謝しろ、ブス」


 哄笑する、ユーリ。

 ネフリティスの怒声が重なった。

 見えざる空間の断裂が、縦と横に走る。

 転がるようにして、それを避ける。


「そうじゃ! 虫けら! 地を這いつくばって逃げ回れ!」


 ネフリティスは両腕を高く掲げた。

 その顔には、斜めに深く抉られた傷痕が痛々しく刻まれている。

 とはいえ、吸血鬼の再生力をもってすれば、あと数度ほど呼吸する時間で完治するダメージだろう。

 しかし、単純な傷の深さではなく、プライドを傷つけられたことが、女王の激怒を引き起こしていた。


 両腕の先の空間が、大きく歪む。

 その歪みを押し出すようにして、ユーリに向かって腕を伸ばした。

 全身から脂汗が浮く。

 ユーリは反射的に両腕を交差させていた。

 衝撃が襲う。


 念動力。

 精神力を物理的なパワーへと変換し、相手にぶつけることができる攻撃。

 不可視にして絶大な威力は、かつて戦った吸血鬼のそれとは比較にもならない。

 大砲に匹敵する衝撃を受け、その場に踏みとどまることも許されず、ユーリの身体はあっけなく吹き飛ぶ。


 背中からオルガンの鍵盤に叩きつけられ悶絶するユーリをあざ笑うかのように、巨大な楽器は出鱈目な旋律を奏でた。


「わらわの剣は無敵! 何者であろうと防げはせぬ。そのなまくら片手に、せいぜい足掻いてみせよ!」


 駄目押しとばかり繰り出された空間の断裂は、縦横無尽。

 逃げ場など与えぬ――それは、この空間に張り巡らされた蜘蛛の巣にも似る、無数の亀裂。


 だが、ユーリの瞳に、怯懦はなかった。

 むしろますます燃え上がる闘争心。


「あんなことを言ってやがるが、どうなんだ、実際」

「決まっているでしょう。どちらがなまくらか教えてやりなさい!」

「だよな」


 直後、不可視の魔剣が、一斉に放たれた。

 床といわず天井と言わず切り裂かれ、おそろしく美しい断面を晒す。

 タイミングは、あるかなしかの一瞬だった。

 ユーリは腰のあたりで構えた剣を、袈裟斬りのごとく大きく振るった。 醜悪な蜘蛛の巣を蹴散らす、銀の閃光。

 空間の断裂が粉砕されて、破裂音と共に消し飛ばされていく。


 頭上で、斜めに切断されたパイプが次々と落下した。

 そのまま頭へと命中するかと思われたが、見ることもなく察知したユーリは軽く飛び上がって空中で一回転。かかとで破片を蹴り飛ばした。

 シュートは見事、ネフリティスの鼻っ柱にぶち当たる。

 予想外の事態に混乱した吸血鬼は、自慢の動体視力を発揮することもできず、再びしたたかに顔面を傷つけられた。

 ドレスを纏った肢体は、よろよろと後ずさる。


 この好機を見逃すユーリではない。

 半壊したオルガンを踏み台に跳躍。

 吸血鬼の頭頂から股間まで、両断する勢いで剣を振り下ろした。


 ――だが、しとめたと感じる前に、手応えがないことに気付く。

 訝しがるユーリの眼前で空間が歪み、ネフリティスの姿は焦点を失い、蜃気楼のようにぼやけていく。

 

「おのれ、虫けら。許さぬ、許さぬぞ……」


 呪詛を紡ぐネフリティスは、自分自身の周囲の空間を操り、瞬間移動を行おうとしていた。

 ユーリを召喚した現象を自らに引き起こし、この場から逃走しようというのだ。


「たまげたな。さんざん大口を叩いておいて逃げるのか」

「黙りゃ! ――ユーリと言うたの。この屈辱、忘れはせんぞ。いまは逃げるが、いずれ万倍、億倍にもして返してやるゆえ、覚悟しておれ!」


 左右に裂けた口で吠える、ネフリティス。

 その姿は、会話している間にも空間の歪みの向こうへと消えゆく。


「震えて眠り、むごたらしい死を待つがよいわ! つぎにわらわと会うた夜、それが汝の最期じゃ!」

「捨て台詞だけは一丁前ね、小娘が」


 唐突に響くソプラノボイス。

 無限大の侮蔑をこめて、クラティアが言った。

 ネフリティスの表情が驚愕に染まる。

 自ら操り、歪曲させていた空間が、前触れもなくコントロールできなくなったのだ。自らの手を離れた歪みはただちに修正されてしまい、その姿は、はっきりと浮かび上がってしまう。


「な、なんじゃ、貴様は!?」


 ユーリのパートナーたる魔神は、その姿を主人の傍らに顕現させていた。

 純白のドレスを身に纏う、栗色の髪をした天使。

 冷たく泰然として腰に手を当て、ネフリティスを見下している。


「この空間を固定させてもらったわ。もう逃げられない。こういうサポートならばよいのでしょう、御主人様マスター?」


 台詞の後半はユーリに向けて、愛しの主人へ可憐なウィンクを投げかけてみせる。


「ああ、上出来だな」


 ユーリは一瞬、余計な手出しを、と口に出しそうになったが、気を取り直して、剣を突き出すように構えた。

 ネフリティスは、もはや戦う意志も見せられないほど呆然として、その切っ先を眺めていた。まるでおのれの死を凝視するかのように。


「わ、わらわは女王――」

「あの世で弟が待ってるぞ」


 獰猛な野獣の爪を想わせる鋭い一撃が、か細い首をはね飛ばす。

 たっぷりボリュームのある銀髪ごと頭部が転がり、胴体が膝をつくと、闇色のドレスを残して、すべてが灰となって崩れ去った。

 吸血鬼の完全な消滅を確認してから、ユーリはきびすを返した。


「無駄な時間だったな。さっさとお嬢様と爺さんを迎えに行くぞ。おまえの魔法で場所を探れるか?」

「たやすいことよ。――ちょっと待って。誰かが来るわ」


 ユーリの耳も、何者かの足音を拾っていた。

 手振りで、消えろ、とクラティアに伝える。

 こくり、とうなずくと、クラティアは姿を消した。


 謁見の間から廊下に出るための扉は最初から開け放たれており、足音は、その向こうから聞こえてくる。

 新手の吸血鬼か……身構えるユーリ。

 廊下の暗闇から抜け出るにつれ、徐々にその人影の正体があらわとなる。

 果たして、現れたのは、見覚えのある美女であった。


 長く尖った耳は、種族の証明。

 蜂蜜を溶かしたような金髪を腰に届くほど伸ばした、女のエルフである。外見年齢はユーリと同じか、すこし年下といったところであろう。身長は一七〇センチ以上。厚手の衣装を身にまとい、腰に剣、背中に弓を装備している。

 衣服の生地がはちきれんばかりに大きな乳房の持ち主だが、それが下品にならないほど抜群に均整のとれた体つきをしており、ミニスカートから伸びる脚線美は白磁のごとく滑らかだ。

 氷細工の人形めいて整った顔立ちをしており、目尻のつり上がった瞳は、油断のない冷徹な眼差しを周囲に向けている。

 

 ユーリは、いささか驚いたように片方の眉を持ち上げた。


「あんたはたしか……シェラザード、だったか?」

「そういう貴様は、案内人のユーリといったな」


 かつてユーリと死闘を演じたこともある女エルフ、シェラザードは、そこで足を止めた。

 ゆっくりと周りを見渡す。


「貴様は、吸血鬼と縁でもあるのか?」

「好んじゃいないが、向こうから誘いをかけてくるもんでね」

「これは、貴様が?」


 ふたりの吸血鬼の成れの果てたる灰の山を指さす。


「まあ、な」

「ネフリティスとザバルガド。この姉弟の牙にかかり、どれだけの同胞が殺められたことか。この森に住まう者として、一族を代表し礼を言わせてもらう」


 シェラザードはそういうと、素直に頭を下げた。

 ユーリは居心地が悪そうに、こめかみを指でかく。


「気にするな。なりゆきで倒しただけだ。あんたのためってわけじゃない」

「それでも、だ。吸血鬼は森の民にとって不倶戴天の敵。見つけ次第、必ず根絶せねばならない存在だ。私たちも、この城を発見したので乗り込んだのだが、貴様に先を越された。これまでの民の魂と、これからの民の命を救ってくれたこと、感謝する」


 かつて剣を交えたときとは別人のように柔らかく微笑み、シェラザードはまっすぐこちらを見つめた。

 ますます、ばつが悪くなったように頭をかく、ユーリ。


「……ま、気持ちはありがたくもらっておく。悪いが急いでいるんでな、もう行かせてもらうぞ」

「急いでいる、とは?」

「連れのふたりが、城のどこかで気色悪い肉達磨に追いかけ回されてる。さっさと助けにいかないと困ったことになりそうだ」


 急ぎ足で歩きだそうとする、ユーリ。


「待て。そのふたりとは、娘と老人か?」

「ああ、そうだが」


 思わず足を止めた。

 続きを促すように視線を送る。


「ここに来る途中で見つけた。捨て置くのもどうかと思い、助けておいたぞ。いまは、私の仲間と共にこちらへ向かっているはずだ」

「本当か。ありがたいな。こっちこそ、礼を言わなくちゃならん」

「気にするな。貴様はあの六王をふたりも倒してくれたのだから」


 シェラザードが薄く微笑んだとき、足下が大きく揺れた。

 地鳴りのような音と振動が同時に響きわたり、天井から細かな建築材の破片が落ちてくる。

 主人たる吸血鬼を失い、魔力による支えを断たれた霧の城が崩壊を始めたようだ。


「巻き込まれると、ろくなことにならんな。俺の連れを拾って、急いで出よう」

「ああ」


 ふたりは駆け出した。

 崩落する廊下を飛び越え、大穴の空いた天井から浸食する闇の中へと身を踊らせる。

 一歩でも狂えば奈落の底へ真っ逆様となる脱出劇の最中、併走するシェラザードがふと口を開いた。


「ユーリ。貴様の実力を見込んで、頼みたいことがある」

「客を助けてもらった礼だ、なんでも聞いてやる。ここから無事に生きて出られた後でな」


 ふたりの頭上から、数トンもの重さがありそうな天井の一部が落下する。

 避けている時間はない――

 ユーリは剣を抜き、シェラザードも同様に闇を照らす銀光を抜き放った。


「――我らの神を、殺して欲しい」


 激突と粉砕の衝撃音が、シェラザードの呟きをかき消した。



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