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彼は迷宮の案内人  作者: あすてか
第二章《樹神の聖都》
32/43

《真祖の能力》




 人間の血液を養分として、永遠の寿命と強大な闇の力を長所とする魔族、吸血鬼。

 ただでさえ闇夜の魔人として恐れられる彼らだが、とりわけ、真祖と称される一族は、ただの吸血鬼とは一線を画する能力を有している。

 通常の吸血鬼にはない固有の特殊能力をもって生まれ落ち、若くして他を率いる知能とカリスマに満ちた彼らは、魔人の中においてもなお格別の畏怖と敬意を集める存在だ。


 人間社会に例えるなら、通常の吸血鬼は一般民、真祖は王族といったところか。

 生まれた時点で、立ち位置が違う。

 真祖デイ・ウォーカー――もはや燦々と降り注ぐ陽光でさえ障害としない、昼と夜の双方を支配する超越者。


「ほう、しゃべる剣とは珍しい」


 凶器と化した長い爪を弾きながら、ザバルガドが片方の眉を持ち上げてみせた。


「人間ごときにはもったいない逸品かもしれんな。どれ、貴様の首を落としてから、姉上に献上して差し上げるとしよう」

「――調子に乗るな、クズが」


 その一言が、彼の心を特別に刺激したようだ。

 敵愾の炎を燃え上がらせる、ユーリ。

 対して、クラティアの声は氷のように冷静だった。


「待ちなさい、ユーリ。ただの攻撃では奴には届かないわ」


 先刻の攻防から見てもそれは歴然としている。

 まるで幻影のように剣や床をすり抜けた、ザバルガド。

 しかし、彼自身の攻撃には殺気が宿り、風を震わせてユーリを切り裂こうとしていた。完全に幻影ではなく、実体が存在していることは確かだ。

「物質透過。対象と完全に同一化することによって、あらゆる物質をすり抜けることができる能力よ」

「は? なんだそりゃ!?」

「量子トンネル効果と言えばわかりやすいかしら?」

「分かりやすいわけあるか、バカ。つまりどういうことだ」

「――つまり! あなたの攻撃は絶対に命中しない! ということ!」


 クラティアが叫んだ。

 ザバルガドは両腕を広げ、ゆっくりと歩みを寄せてくる。


「哀れなり、魔剣の戦士よ。私と出会った瞬間、貴様は死んでいたのだよ」


 左右に口が裂け、鋭い牙をのぞかせる。

 踊るようなステップから繰り出された蹴りが、ユーリを襲った。

 身をよじり、スウェーでやり過ごす。

 風を感じた。

 それは、ザバルガドの体さばきによって起こった、微細な風の流れだ。

 違和感を覚えながらも、構えた剣を右下から左へと斜めに走らせる。

 さらに、蜂の巣に変えるがごとく、苛烈な突きを幾度も繰り返す。

 やはり手応えはなく、刀身はザバルガドをすり抜けた。


「滑稽だな」


 ザバルガドは嘲笑を浮かべた。

 ユーリの攻撃を完全に封殺していることに、愉悦を感じているのか。


「貴様ら人間は、脆弱にして愚劣。しょせん、我らの糧となる哀れな存在なのだ。抵抗は無意味と知りたまえ」

「然り。――餌となる運命の下等種族でありながら、我が血族の末端を手にかけたこと……そして、高貴なる夜の女王たるわらわに不遜な台詞を吐いたこと。どちらも万死に値する罪じゃ。おのれの愚行を懺悔しながら地獄に堕ちよ、虫けら」


 ザバルガドに続き、ネフリティスが言った。

 吸血鬼は、その優れた能力ゆえ、他の生物を弱者と見なし過小評価する傾向が強い。

 それによって生じる油断こそが、付け入る隙だ。

 しかしこのふたりが強者であることは揺るぎない事実。

 人間など、闇の王にとっては皿に盛られた林檎と同じだ。

 欲しいがまま、気が向くままに手に取られ、無造作にその実をかじられる。


 だが、ユーリはただの人間ではない。

 そして、その相棒、クラティアも。


「――万死に値する罪? それはどちらでしょうね」


 クラティアが言った。

 

「自らの仕えるべき真の王も、存在意義も忘れ果て、この辺境でかりそめの王を名乗り君臨することに満足している。……あのとき、おまえたちの先祖を排斥したことはまったく英断であったとしみじみ感じるわ」


 それは、相手を完全に唾棄すべきものとして見た、軽蔑しきった口調であった。

 ネフリティスとザバルガドは、怪訝そうに表情を歪める。

 突飛な話が、戸惑いを生んでいるようだった。


「なにを言っているのじゃ? いや、待て。まさか貴様の正体は――」

「黙れ、この愚か者が! ユーリ、遠慮なく我が力を使いなさい。いかに物質透過能力といえども、例外は存在するわ。私の力で斬れないものなど存在しない!」


 ユーリの相棒は、ただの折れない剣などではない。

 その刀身に宿る魔神クラティアがひとたび力を解放すれば、圧倒的な破壊の魔力が、触れるものすべてを木っ端微塵に粉砕する。

 そのパワーをまともに食らえば、ザバルガドといえど無事ではすまないだろう。


「出しゃばるな。黙って見てろ、クソババア」

「なっ?」


 だが、ユーリはクラティアの申し出をばっさりと断った。


「なにを言っているのよ!」


 確実に勝ちの目が出る選択を、なぜ選ばないのか。

 たしかにユーリは、クラティアの力を易々と借りようとはしない。

 安易に他人を頼るような男ではないのだ。

 だが、いよいよ状況がせっぱ詰まれば話は別。最後には冷静な判断を下すことができる。

 しかし、ならばなぜ、敵の能力が絶対的なものであり、しかも守るべき依頼人が窮地に立たされている状況で、クラティアの提案を断るのか。

 事態は一刻を争っている。案内人として、すぐにでも目の前の吸血鬼ふたりを倒し、依頼人を助けに向かいたいはずだ。


 愚弄された怒りで、我を見失い、正常な判断が下せなくなったのか?

 それにしてはユーリの表情は、顎を引いてまっすぐに敵を見定めていた。


「だんだん見えてきた。すべてすり抜けるなら、あいつはどうやって俺に攻撃を当てるつもりだ?」

「……おそらく、能力の作動は任意なのよ。受けるときはスイッチをオンにして、攻めるときはオフに切り替える。でなければ永遠にすり抜け続けることになるから、戦うどころではないわ」

「なるほどな。わかった」


 剣を水平に構える。

 得体の知れぬ能力に対する戸惑いはすでに消えて、光明をはっきりと掴んだ自信に満ちていた。


「なにが見えたのか知らないが……それは幻覚だと知るがいい」


 ザバルガドは一直線に攻め込んできた。

 ここで勝負を決めるつもりのようだ。

 あらゆる攻撃を透過させる無敵の状態で、ステップを刻むように間合いへと踏み込んでくる。


 ユーリは自分から動かず、剣を構えたまま五感を研ぎ澄ませた。

 そこへ、軽やかな身のこなしから繰り出される、鋭利な爪の一撃。


 ユーリの鋭敏な感覚が、風の動きをとらえる。

 ザバルガドが攻撃へ転じるために透過能力のスイッチをオフにした瞬間、その肉体の動きが空気を動かして風を生んだのだ。


 双眸をカッと見開く。

 首筋を狙う一撃に対し、それを上回るスピードで電光石火の斬撃を見舞う。

 剣閃は最速で無駄のない軌道を描き、ザバルガドの右腕を肘のあたりで斬り飛ばした。

 そこからの動きは、流れるよう。

 深く身を沈ませ、間合いをゼロに縮めてから、無防備な鳩尾に肘鉄を叩き込む。

 ぐほっ、と肺の空気を吐き出したザバルガドの顎を、アッパーでかち上げ、ふわりと浮いたところを、独楽のごとく旋回しつつ放った回し蹴りで吹き飛ばした。


 観戦していたネフリティス、そして相棒たるクラティアまでもが唖然とした。

 ザバルガドに対してユーリが選んだ戦法は、カウンターアタック。


 一見すると絶対不可侵にも思える物質透過能力だが、いくつかの明確な弱点がある。

 そのひとつが、これだ。

 相手の攻撃を受け流すだけなら能力を作動させ続けていればいいが、倒そうと思ったなら、スイッチをオフにして同一化を解除する必要が出てくる。

 オフにした状態ならば、攻撃は通用するという理屈だ。


 だがそのためには能力者の挙動を完璧に見切り、一瞬の好機を突くしかない。

 しかも、人間をはるかに上回る身体能力、スピードとパワーを持つ吸血鬼に対して、だ。

 ユーリはその無茶を、おのれ自身の感覚で見つけだし、練習することもなく、いきなり実践して見せた。この短時間で、すでにザバルガドの動きを見切ったというのか。

 人間離れした動体視力と技術だ。

 

「……よし。もう分かった」


 いまの感覚を手に馴染ませるように、剣の柄を握り直す。

 吹っ飛んでいったザバルガドは、ようやく立ち上がったところだ。

 だがその動きはよろよろとしていて頼りなく、精彩を欠いていた。

 右腕は肘から先を切断され、顎は砕かれて前歯が半分へし折られている。泡混じりの血を口からだらだらと垂れ流しているその表情には、先ほどまで微塵もなかった恐れの色が浮かんでいた。

 肉体へのダメージ以上に、不可侵と自負していた能力を、虫けらと蔑んでいた人間にあっさり打ち破られた事実が、彼の精神を打ちのめしたようだ。


「……なにをやっておるのか、ザバルガドよ」


 舌打ちをして、ネフリティスが言った。

 弟を見る目には、怒りと侮蔑の色が濃い。


「虫けら相手に失態を見せおって。それでも汝はわらわの弟かや?」

「し、しかしっ。姉上。こやつ、ただの人間ではありませぬ」

「黙りゃ! よいか、もう一度だけ機会を与える。今すぐにその下等種族の首をねじ切り、わらわに捧げよ! それができねば、わらわの手で汝の身を引き裂いてもよいのじゃぞ!」


 耳元まで裂けた口から蛇のように長細く真っ赤な舌を覗かせ、ネフリティスは言った。

 ザバルガドの顔が青くなり、焦燥が色濃く浮かぶ。

 そのとき、ユーリの足が、だんっ! と床を強く踏んだ。

 一歩、前へと間合いを縮めたのだ。

 身をすくめ、後退してしまう、ザバルガド。してしまってから、ハッと気づいたようにおのれの足を見下ろす。

 ――なぜ、後退した?


「アホが。いまさらビビるな。……誰に喧嘩を売ったと思ってる?」


 呆れたようにため息をつき、ユーリはさらに間合いを縮める。ゆっくりとした無造作な歩み、そしてゴミを見るような眼差しは、もはや目の前の吸血鬼をまったく脅威として認識していなかった。


「うっ、うわああああああっ」


 追いつめられた吸血鬼の、最後のあがき。

 その身は床を透過して、ユーリの視界から姿を消す。

 そして背後から飛び上がり、大きく振りかぶった爪で首筋を狙った。


「間抜け。――ほれ、ここだ」


 ユーリは身を半回転させてそれをかわすと、同時にザバルガドの心臓のある位置を切り裂いた。

 そしてその勢いそのままに、返す刀で頭部を斜めに切り裂く。

 タイミングを完璧に見極めた上でのカウンター。


 ザバルガドは、心臓を破壊され、頭部の上半分を失っても、まだよたよたと千鳥足で歩を進めた。が、五歩ほど歩いたところで、唐突に灰となって霧散した。残ったのは、彼が身につけていたラバースーツのみ。


 荒々しく、精密で、鋭利な暴力。

 それは、吸血鬼ですら問題としない、人間を超越した戦闘力。

 歴戦の強者ばかりを集めた案内人の中でも、こと白兵戦においてユーリは頂点に近い場所に立っていると言えるだろう。


「虫けらごときに破れるとは、我が血族の面汚しよ……」


 ネフリティスの表情は、実弟を失ったというのに曇らなかった。

 長い寿命を誇る彼らの場合、血縁関係を疎かに見ることが多々ある。

 冷血なる夜の女王は、しなやかな腕を優美に持ち上げると、その指先をユーリに向けて、ぱちん、と鳴らした。

 襲い来る悪寒の突き動かすまま、咄嗟に身をひねる、ユーリ。

 もしその回避運動が一瞬でも遅れていたなら、命はなかったろう。


 ネフリティスの立っている地点から、ユーリのいる地点を通り過ぎてはるか背後まで、床に一直線の切れ目が走る。

 いや、床だけではない。目には見えないだけで、空間そのものが、直線上に断ち切られていた。まるで、不可視の巨大な刃がそこを通過したかのように。


 《断ち切る者》ネフリティス。

 その能力は、空間の断裂である。


「――五分じゃ。晩餐に遅れてしまうのでな」

「この程度の大道芸で、それだけ間を持たせるつもりか? 悪いがもう飽きた。さっさと客のところに行かせてもらう」


 ユーリは、猛々しく凄みのある笑みを浮かべた。


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