《ギルド幹部グスタフ》
リメイン冒険者ギルドがその本拠地とする、白き塔。
一階から三階までは、地下迷宮の入り口、受付、食堂や待合室などとして一般の冒険者にも広く開放されているが、その上の階となると、ギルドの職員以外は立ち入りを禁じられている。
その日、七階の一室に、ユーリの姿があった。
高価な調度品が並ぶ、あまりに清潔に整えられた部屋。
ソファに腰掛けているユーリはいつものように黒髪を後ろに撫でつけ、褐色のたくましい肉体をラフな服装で包んでいる。彫りの深い、どこか肉食獣特有の野生的な気品すら感じられる顔立ちが、今は、不機嫌そうに歪んでいた。
理由は、この部屋の主だ。
冒険者ギルド幹部、グスタフ。
ここは彼の執務室だ。
机の片隅には、つい先ほどまで処理に没頭していた書類の山が積まれている。
本人は、ユーリに背を向けるかたちで窓の外を眺めていた。
「第一階層ではずいぶんと活躍しているそうだな、ユーリ」
尊大に構えた声。
皮肉に満ちた言葉はいかにもこの男らしかった。
口髭を生やし、長い黒髪をオールバックにして背中に垂らした、壮年の男。
整った容姿、鋭い目つきが印象深い、敏腕な実業家といった風貌の持ち主だ。着衣は仕立てのいいダークスーツ。ギルド幹部の証である記章が襟に光っている。
いつでもなにかを企んでいるかのような不穏な雰囲気を身にまとっていて、計算高く冷酷な光を宿す瞳は、他者を寄せ付けない。
四十代という若さにしてすでに幹部の中でも有数の実力者だが、いろいろとよくない噂のつきまとう男として知られている。
そんな男に、ユーリはいきなり呼び出された。
知らない仲ではない。
むしろお互い、相手をよく知っている。
だがそれは、関係が良好だということにはつながらない。
「けっこうなことだ。このリメインに所属する案内人の中でも選び抜かれた精鋭、五階層案内人の最上位、十傑の第四席である貴様が、《乳白色の森》で名も無きルーキーのために奔走している。涙ぐましい奉仕活動じゃないか」
「ありがとよ。で、本題はなんだ?」
ユーリは組んだ足を乱暴にテーブルの上へ叩きつけた。
つまらない世間話や皮肉を聞くためにここへやってきたのではないと態度で示すように。
グスタフはゆっくりと振り返った。
「組織に所属する人間はそれぞれ、各自の能力を最大限に発揮することが最低限の義務だ。一階層ならば《乳白色の森》で稼ぐがいい。だが五階層が同じことをするのは、貴重な人材を無意味に遊ばせておくのと変わらん」
「知ったことじゃないな。俺が《乳白色の森》で活動したからって困るようなことでもあるのか?」
鼻で笑うユーリ。
グスタフの目に侮蔑の色が灯った。
この男とは、ユーリがまだ案内人となる前、一介の冒険者として活躍していた時代から、数え切れないほど衝突してきた。
昔から致命的に相性が悪く、お互いに殺意を隠さない。
このような光景は日常茶飯事となっている。
「貴様以外の十傑がどのような状況か知っているか? ほぼ全員が第四階層以下に潜り、それぞれの能力を活かして活動している。依頼人は食い詰め者のごろつきなどではない、諸国の王族や名のある商人、それにSS級の冒険者パーティーだ。奴らがどれだけの金をリメインに落とすと思う? その恩恵でどれだけの人間が潤うのか知っているか?」
「興味がないな。俺の金じゃない」
「……クズめ。貴様はギルドの恥さらしだ。そうやって五階層案内人としての義務から逃れ続けるつもりなら、こちらにも考えがある」
立場で言うなら、グスタフのほうが上だ。
評議会がギルドの運営方針を考案し、それを直接的に指揮するのが幹部。
迷宮都市で英雄のごとく扱われる案内人といえども、しょせん、ギルドに所属する雇われ労働者でしかない。幹部の命令には逆らえないというのが現実だ。
だというのに幹部に対して不遜な態度をとり続けるユーリ。
業を煮やしたのか、グスタフがユーリを指さす。
「十傑、いや、五階層案内人としての地位と権利の剥奪だ。そんなに《乳白色の森》がお気に入りなら、お望み通りに一階層になるがいい。おつむのいかれた第二席ともどもに、な」
その瞬間、室内の空気が凍った。
ユーリが投射した殺気はグスタフを貫き、その肺を凍てつかせた。
「やってみろよ。俺がおまえなら、次の言葉は慎重に選ぶだろうな」
塔の上層階は評議会の議事堂やギルド幹部の執務室が置かれているため、暗殺などを防ぐために、武器の持ち込みは原則として禁止されている。
ユーリもまた、下の階の受付に愛用の魔剣を預けていた。
だが、素手だろうと、凶器と化すまで鍛え上げた肉体はたやすく人間を殺害できる。
盛り上がった鋼鉄のごとき筋肉の束が、その殺気がこけおどしではないことを物語っていた。
実際、たとえ相手がギルドの幹部、つまり上司に値する男であろうと、理由があれば、ユーリは殺すだろう。
グスタフはその理由を、先の言葉で作ってしまっていたのだ。
しかし。
常人ならば泡を吹いて倒れるところを、グスタフは不敵な笑みを浮かべてみせた。
「まあ、落ち着け。問題は、貴様がその能力にふさわしい仕事をこなしていないことにある。そこで、だ。私が、ひとつ、いい仕事を紹介しようじゃないか」
「はあ?」
「先日、さる大国の侯爵から連絡があった。娘のバカンスを実り豊かなものにしてほしいとな」
グスタフは机の上の書類の束をつかむと、ユーリに投げてよこす。
受け取って、視線を落としたユーリの顔が曇る。
「貴族の小娘だと」
「侯爵は当然、ご令嬢の迷宮探索に完璧な安全をご所望だ。条件は案内人を同行させること、最低でも五階層。可能ならば十傑。娘の身を案じる親心というやつだな。ご立派だ」
「で? このガキのお守りを俺が? 冗談じゃないな。貴族相手の商売など肩が凝るだけだ」
「仕方がないのだ。さっきも言ったが、一般の五階層はもとより、貴様以外の十傑は多忙でね。第一席、第六席、第七席は迷宮第五階層で案内中。その他の面子も他の階層に潜っている。第五席は先約が入っていて、第二席は知っての通りの有様だ。空いているのは貴様の手だけなのだよ」
「ご令嬢とやらの希望は第二階層探索となっているがな。俺の仕事は《乳白色の森》の案内だけだ。悪いが降りさせてもらう」
「安心しろ。第九席が第二階層のB6地点で待機している。貴様はそこまでご令嬢を案内して、彼女に仕事を引き継がせるだけだ」
B6、というのは迷宮内のエレベーターの名称だ。
迷宮内に設置されたすべてのエレベーター、すなわちダウンホールが存在して上下階を行き来することのできるポイントにはそれぞれ数字とアルファベットが割り振られている。
ギルド本部から第一階層に降りるエレベーターはA1。
第一階層で発見されたエレベーターには、Bのアルファベットと、建設された時期が早いものから順番に若い数字が付けられている。
B6は、比較的、A1エレベーターから近い位置にある。
ユーリの仕事は、そこまで令嬢を案内して、エレベーターで下に降りるだけ。あとは、別の案内人が引き継いでくれるという。
「気になる報酬額についてだが、侯爵は、金貨二千枚を提示している。まあ、第九席と比較した仕事量からすると、貴様の取り分は五百枚というところだろう。それでも、充分に破格のはずだ。なにせ、《乳白色の森》をちょっと歩くだけだ。貴様にとってはピクニックと変わらないのではないか? それに、この依頼をこなせば、しばらくは貴様のやり方に口を出すのを控えようじゃないか」
グスタフは笑みを浮かべたが、その瞳には冷酷な侮蔑がひそんでいる。
ユーリは眉間にしわを寄せ、書類を片手に舌打ちせんばかりの形相で立ち上がると、一礼することもなく部屋を出ようとした。
だが、ドアノブに手をかける直前で立ち止まる。
「おい。聞き忘れていたことがあった」
「なんだ?」
用件はもう伝え終わった。
なにかあるなら手短にすませろ。
すでに窓のほうに向き直っているグスタフの背中はそう語っていた。
「第三席は何をしてる? 俺が見たところ、両手が空いているようだがな」
ところで、冒険者ギルドの幹部は、冒険者あがりの者が数多い。
その理由は、彼らの業務が冒険者への仕事の斡旋と、現場で発生した問題の処理にあるからだ。
どうしようもない荒くれ者を相手にするとき、ただの事務屋では対応しきれない場面も多々あるだろう。
そんなとき、元冒険者であった実力が発揮される。
グスタフの両手は節くれ立ち、無数の古傷が刻まれていた。
現役時代、この男は、素手で魔物を引きちぎり、白刃を受け止めたという。
冒険者から転身して案内人となり、なおかつ組織の幹部として地位を極めた異色の経歴の持ち主は、今もなおその実力をそのまま有している。
五階層案内人が第三席、グスタフは、ユーリの問いかけにこう答えた。
「貴様は、黙って手足を動かせばいい。この私の手は、もっと高尚な使い方がある」
ユーリは今度こそ大きく舌打ちして、部屋を出た。
◆
三階に降りると、守衛に預けてあった剣を受け取った。
苛立った気分のまま、長い廊下を歩く。
すると、窓辺に立つ男の姿が自然と目に入った。
周囲に人影はない。
柔らかな銀髪が美しい、女と見まがうほど端正な容貌の持ち主だ。
年齢や身長はユーリとほぼ同じだが、対照的に肌は白磁のごとし、体つきはほっそりとしている。ただその全身の筋肉は限界まで鍛え上げられた結果として引き締まったのであって、けっして華奢ではない。
灰色のスーツを完璧に着こなした男は、ユーリの足音に気付くと、ゆっくりと向き直った。
表情が乏しい顔には、なんの変化もない。
声は大きくないが、透き通るような響きだった。
「久しぶりだな、ユーリ」
「ジェラルドか。ああ、三ヶ月ぶりだな」
硬くこわばっていたユーリの顔に、柔らかな笑みが浮かぶ。
さきほどの旧知と違って、こちらは旧友だ。
感情もゆるむ。
「上から降りてきたようだが、どうした」
「ああ。グスタフの野郎に呼び出されてな」
ジェラルドは眉をひそめた。
「奴は、なんと言っていた?」
「俺が《乳白色の森》ばかりで仕事をしているのが気に食わんらしい。もっとリメインのためになることをしろ、だとさ」
「……奴には気を付けろ。なにを企んでいるのかわからん男だ」
ジェラルドは昔からユーリと付き合いがあるため、彼とグスタフの関係が険悪ということについても知っている。
グスタフが隙あらばユーリの寝首をかこうとすら考えているであろうことについても、察していた。
「知ってるよ。まあ、あいつがなにかを企んでないときがあるなら、教えて欲しいぐらいだけどな」
「ちがいない」
「ところで、おまえこそこんなところでどうした?」
ジェラルドは、ああ、と思い出したような顔をした。
「これから、評議会に顔を出す。案内の件でな」
ジェラルドもユーリと同様、案内人である。
五階層十傑案内人、第五席のジェラルド。
停滞の異名をとる、凄腕の剣士だ。
美しい女のような外見に反して、その剣技は、ユーリと同等かそれ以上の冴えを誇る。
案内人としての信頼度はリメイン屈指であり、世界各地の名のあるSS級冒険者が、地下大迷宮を攻略するならジェラルドの案内が必須だと太鼓判を押すほどだ。
「俺の、第五階層への案内を受ける権利について、五つのクランと十数組のSS級冒険者パーティーが争っている。評議会の立ち会いのもとで、オークション形式によって決定するそうだ」
クランとは、ギルドの冒険者たちが結成した寄り合い所帯。小さなギルドと考えればいい。
リメインのSS級冒険者といえば、よその国なら英雄として名を上げていてもおかしくない実力者揃い。
そんな彼らでさえ第五階層のヨルムガルドへ到達するのは命がけであり、だからこそ、是が非でもジェラルドの案内を欲するのだ。
腕のいい案内人は仕事の予約待ちでいっぱいになることが珍しくない。 今回のように競売形式をとることは、無用な争いを避けるための知恵だ。
が、リメインの最高権力である評議会がわざわざ立ち会い、複数のクランとSS級冒険者がにらみ合いながら案内をこうという状況は、そうそうあるものではない。
絶対的に信頼の置ける案内人だからこそ、彼らは必死になるのだ。
「結果はまだわからんが……おそらく、成功報酬は金貨二万枚を超えるだろう、な」
莫大な金額である。
だがユーリには驚くに値しなかった。
小国の国家予算ほどの金貨が動くこともありえるのが、リメイン案内人の仕事なのだ。
当の本人であるジェラルドも、自慢するでもなく、どこか他人事のように語る。
「……哀れな連中だ……。そう思わないか」
ジェラルドは、口の端に笑みを浮かべていた。
薄い、嘲笑。どす黒い色さえはらんでいる。
「……俺の案内がなければ、ヨルムガルドのクズどもとまともに目も合わせられない雑魚どもが……SS級冒険者だの、英雄だのと持ち上げられている……滑稽だ」
「不満なのか?」
「雑魚のお守りは馬鹿らしくなる。……金貨二万枚……ユーリ、覚えているか。俺たちが、駆け出しの冒険者だったころ。地竜を追いかけ回して、死にかけながら牙や鱗を持ち帰ったな」
それはもう十年以上も昔の話だ。
ユーリの脳裏に浮かんだのは、あまりにも懐かしい冒険の日々。
「覚えているさ。探索税で七割も持って行かれるし、あの頃はろくなツテもなかったから、くそほど安く買いたたかれたっけな」
「半日も粘って銀貨十枚に変えたんだ。……フェアラートが真っ赤になって怒っていた。俺も不満だったよ。……だが、その日に飲んだ酒は最高にうまかった。周りの連中も、地竜を倒した俺たちをほめたたえてくれて、な。飲み過ぎて気絶するまで、酒場が壊れそうなほど盛り上がった」
窓の外に目をやる、ジェラルド。
ギルド本部へ続く道には、まだ若い冒険者たちが、薄汚れた装備を身にまといながらも足取り軽く、垢まみれの顔に覇気をみなぎらせている。
「……彼らが今日、どれだけ稼ぐと思う?」
「さあな。必死こいて森をかけずり回っても、ろくな獲物にでくわさないかもしれん。運よく宝石か魔物の死体を持ち帰っても、探索税で半分から七割を持って行かれる。手元に残るのは、よくて、銀貨数枚だな」
「だろうな。だが、満ち足りている」
ジェラルドの視線にこめた感情は、郷愁、あるいは憧憬かもしれない。
「……なにが、金貨二万だ。……金は糞だ……人の心を腐らせる。ユーリ。俺は、冒険者としてはすでに窮め尽くしたと思った。だから、おまえの後を追うように、案内人となった。だが……のぼりつめたと思った場所にあったのは、使い道のない大量の金貨と冷えた飯、まずい酒、群れる雑魚のお守りをさせられる退屈な日々だ。……つまらん敵につまらん味方……俺は、こんなものを望んでいたわけじゃない」
わずかな歯ぎしりと共に、拳を握る。
美女のような顔の眉間に、深々としわが寄る。
やがて、ためていたものをすべて吐き出すように、大きなため息をついた。
「すまない。つい、愚痴をこぼしてしまった」
「気にするなよ。誰だって、そういうときがある」
ユーリは、ごつい手の平で、ジェラルドの肩を叩いた。
「そのうち、いっしょに飲もう。俺でよければ朝まで付き合うぜ」
「あの頃のように、か。……ふふ、悪くないな。……フェアラートの調子は、どうだ?」
「最近は悪くない。一時期よりはずいぶんマシになった」
「そうか……彼女も誘えたらいいのだが……」
「ああ、もちろん。姐御も喜ぶさ」
ジェラルドは柔らかな微笑みを返すと、廊下を歩き始めた。
「では、近いうちにまた会おう、ユーリ」
「おう。いい店があるから紹介する」
「楽しみにしている」
手を振って、廊下の向こうへと消えていく。
その姿が見えなくなってから、クラティアの声が聞こえた。
「ねえ、ユーリ」
「ん?」
「その……もしかして、私のせいで、厄介なことになっているの?」
いつもとは雰囲気の違う、遠慮がちな声。
グスタフに呼び出された件について尋ねているのだった。
守衛に預けられていたクラティアは、ユーリとグスタフのあいだでどのような会話がなされたのか、知るよしもない。
ユーリは頭をかいた。
「そんなんじゃねぇから、気にするな」
「ごめんなさい……」
「だから、ちがうって」
ユーリは、剣の鞘を軽く叩いた。
「おまえが思っているようなことじゃないから、なんにも心配するな」
「……うん……ありがとう」
泣き出しそうな声。
ユーリは、嘘をつくのがへたくそな自分を、心から呪った。
「あー、そうだ。今度、海にでも行くか」
「海?」
「久しぶりに遠出するのも悪くないだろ」
どんな物でもそろうリメインだが、さすがに大海原は置いていない。
だがすこし遠出して南方の国へ行けば、バカンスに最適のビーチがある。
「去年買ってやったおまえの水着、まだあるよな」
「あ、あるけれど……いやよ、私、あれをまた着るのは」
「なんだ、気に入らなかったのか。嬉しそうに着てただろ」
「なっ、ばっ、ばかっ! そんなはずないでしょう! あ、あんなの、水着でもなんでもなくて、ただの紐、紐じゃない!」
剣の鞘がカタカタ震える。
これが実体だったなら、目に涙を浮かべ、顔を真っ赤にして暴れているといったところだ。
「だいたいあんなものを着せて、私が見ず知らずの男たちにいやらしい目で見られても平気なの、あなたは」
「べつに。どうせ俺のものだしな」
クラティアは、言葉を失った。
にやにや笑うユーリに対して、「ばか」、と、小さく震える声で言った。
二階へ降りると、さすがに人の姿が見え始めたので、クラティアは黙る。
するとそのとき、フロア全体を震わせる大きな声が上がった。
「――ですからっ! さっさとその案内人とやらをここに呼んできてくださいなっ!」
ほかの冒険者たちの喧噪を吹き飛ばすような怒声に、思わずぎょっとして視線を向ける。
受付のオスフールに食ってかかっているのは、一見して普通ではない身なりの女性であった。
年齢は二十歳ほどだろう。
上質な生地を何枚も折り重ねたドレスを身にまとい、腰まで届くほど伸ばした豪奢な金髪を、縦ロールにして何房も垂らしている。
百八十センチを越える長身、他を圧倒する豊かすぎる乳房とすらりと長い美脚。
すこしきつい顔立ちだが、確固たる意志の宿る瞳、整った鼻梁は、女帝の貫禄さえ感じさせる。
文句の付けようもない極上の美女だが、あまりにも場違いなほど上流階級の気品を見せつけている。
くわえて、あの烈火のごとく激しい大声だ。
フロアにいる者すべての視線が集まるのも無理はなかった。
「わたくし、もう我慢できませんの! 本国を出発してからというもの、ここに到着するまで何日も何日も……船や馬車に揺られてお尻が痛くなっても考え続けていましたのよ! 名高きリメイン大迷宮にて繰り広げられるであろう、わたくしの冒険物語! 山を越え谷を越え、獰猛なドラゴンとの激しい死闘、邪悪な魔法使いとの手に汗握る正義の戦い! めくるめく感動の日々を夢見てやってきたのです! だというのに! お父様ったら、せめて案内人をつけることが条件だなんて! ああ、敬愛するお父様に逆らうつもりはございませんの、ですけど、ですけどね、だったら一刻も早く案内人とやらに同行していただきたいのですわ! そして伝説へ! このエストレアの華麗なる伝説の幕開けを、さあ、いますぐに! いま! いま! いまですのよっ!」
どこの貴族の令嬢だろうか。
その剣幕に、あのオスフールがたじたじとなって泡を吹きそうだ。
ユーリは、すさまじくいやな予感がして、手元の書類の束に恐る恐ると目を通した。
某国侯爵家令嬢、エストレア。
ユーリの、新たなる依頼人である。