《彼女は旅する死霊術師》
北の大陸には、太古から人々に忌み嫌われ恐れられる魔境と呼ぶべき土地が存在する。
いかなるときでも暗雲がたちこめ、不気味な静けさを保つ海に浮かぶ、大きな孤島。
面積の大部分は森に覆われているが、鳥や獣といった野生動物の気配はまったくない。
木々がざわめく音だけが聞こえる。
ぽっかりと開けた空間に、立派な城が建っていた。
石造りの城壁に囲まれた、よく手入れの行き届いた庭。
よほど腕のいい使用人でも雇っているのか。
知らぬ者が見たら、どこかの貴族の別邸か、と思うだろう。
少なくともこの城の住人は、付近の漁師とは一線を画す暮らしを送っている。
そう、あらゆる意味で。
城の秘められし奥底。
滑らかで湿り気を帯びている石材で作られた、薄暗い地下室。光源となるのは壁の燭台に灯る蝋燭のみ。
ルーティは美しい少女だった。年齢は十六歳。鼻梁のすっきりと通った顔立ち、フレームレスの伊達眼鏡をかけた双眸は切れ長で怜悧な輝きを宿している。濡れ羽色の黒髪を顎の高さで切りそろえていて、体つきは余分な贅肉などまったくついていない、しなやかでスレンダーだ。真っ黒いローブと、トリカブトを燻した香を身にまとっている。
徹夜明けだが、彼女は眠気などまったく感じていなかった。
頭の中では脳が麻薬物質を分泌しまくり、眼はギラギラと血走っている。興奮の絶頂にあるのだ。睡魔など彼女の周囲、半径百キロメートル以内に近づけやしないだろう。
理由は、作業台の上に四肢を縛り付けた男にある。
無精髭を生やした、筋骨隆々と逞しい大男だ。右目を眼帯が覆い、なにやら全身から汗と垢の臭いが強く漂う。身につけていた皮鎧は苦労して脱がせて、部屋の隅に放置してある。
この孤島に迷い込んだ山賊だ。
古くからこの島の噂を知る漁師たちなどは絶対にここへ近づこうとしないが、なにを勘違いしたのか、宝でも隠されていると思ったのか、無人島に隠れ家を作れるとでも思ったのか知らないが、よそ者がやってくることがある。
そういった愚かなよそ者の末路は決まっていて、けっして生きて帰ることはできない。
苦労したが、手持ちのゴーストとスケルトンを猟犬のように総動員させて、罠の仕掛けてある一帯へと山賊一味を追い込んだ。
ルーティが狩り場としているあの場所は背の高い草が多く、それらに紛れさせるようにして、鋭い鉄の杭を無数に突き立ててある。
杭には特性の痺れ薬がたっぷりと塗ってあり、先端に擦れただけでも体の自由をなくしてしまう。ちょうど目の前の男のように。
山賊一味は追跡途中でほとんど殺してしまったが、まんまと罠にひっかかった二人の男を、スケルトンどもに運ばせ、こうして館へ連れ帰ることができた。
「お、俺を、どうするつもりだ」
男はおびえた様子で言った。
恐怖しているのは死霊どもに一晩も追いかけ回されたからではない、得体の知れない少女に捕まって身動きのとれないことでもない。
十年以上も一緒にやってきた相棒が、緑色の不気味な液体を頭からかけられたとたん、おぞましい絶叫をあげながらのたうちまわり、たちまち骨も残さず溶けてしまったのだ。
そのとき、ルーティは、溶けてしまった相棒に手をかざしていた。そして浮かび上がった真っ黒い雲の固まりのようなものを、鳥籠に入れて満足そうに舌なめずりしたのだ。
「俺も、あいつのように溶かすつもりなのか」
「魂を入れてみる実験は終わったわ。死肉の保存ができるかどうかも実験してみなくちゃ」
ルーティは壁の出っ張りにひっかけてあった手斧の柄を掴んだ。
少女が使いやすいようにと、サイズは小さめだ。よく手入れが行き届いている。ピカピカに輝く刃が、蝋燭の火に照らされて妖しく輝く。柄にたっぷり染み込んだ血潮が変色して海老茶色と化していた。
「あなたの罪を教えなさい」
「は!?」
男が問い返す。
ルーティは、躊躇なく手斧を振り下ろした。
ずだんっ!
勢いのいい音が響き、男の右足から小指と薬指が根本から切断されて吹っ飛ぶ。
「いっづうううううっ」
歯を食いしばり、のけぞる、男。
噴き出した血が、ピピッとルーティの頬に飛ぶ。
忌避するでもなく、赤い舌で優美に舐めとってから繰り返した。
「あなたの罪を教えなさい」
「なんのっ、なんの話だよっ、なんなんだよ、てめえはよおお」
「罪を! いっぱいあるでしょう!」
再び、ずどんっ! と、斧を振り下ろす。
今度は中指、人差し指、親指をまとめて切断。
男は狂った獣のように吼える。
ルーティは許さなかった。
「生まれて初めて罪を犯したのは、いつ? 今まででいちばん重い罪は? さあ、答えなさい! さもないと、もっとひどいわよ!」
「わっ、わかった、言う、言うからっ」
男は観念して語り始めた。
最初は、十歳のとき、近所のボケた老婆をナイフで刺し、棍棒で死ぬまで殴って金を奪った。そのことに味を占め、仲間と組んで弱い者を狙うようになった。
やりすぎたので生まれた町から追い出されることになり、腹いせに父親を撲殺し、母親を犯してから切り刻んで殺した。町中に火をつけてめちゃくちゃにしてから逃げた。
それから山賊となり、仲間を増やすと、山道を行く旅人や商人の馬車などを襲い、金品を奪い、女を犯して奴隷商人に売り飛ばす生活を送ってきた。男は例外なく皆殺しにした。両手両足の骨を砕いてから谷底に蹴落としたり、全身を雁字搦めにしてから油をまいて火をつけるのが楽しかった。
さっき死んだ相棒が大事にしていた女を寝取ったこともある。泣き叫ぶその女をたっぷり犯すとロープで絞め殺して底なし沼に沈め、相棒には「あいつは別の男と出て行ったみたいだ」と言った。
吐き気をもよおすような邪悪の権化である。
だが男の語るのを聞くにつれて、ルーティは笑みを深く濃くしていった。
「す、すごい。まったく救いようのない邪悪。ぜんぜん同情する余地がない。これは期待できる」
そう言って、右手に斧を振り落とす。親指を除いてすべての指が宙に躍った。
「あぎゃあああっ、な、なんでえええっ! しゃべった、しゃべったのにいいいいっ」
「懺悔部屋の神父じゃないのよ、しゃべったからって許すわけがないでしょう。質問したのは、あなたの罪を確認したかっただけ。どんなにすごい業を背負っているのか知るためにね!」
ルーティは興奮のあまり手斧を投げ捨てると、今度は刃がギザギザに曲がった短剣を手に取った。
やはり、躊躇なく男の腹に突き立てる。
赤黒い肉の中身が花開いた。
曲がった刃は傷口をぐちゃぐちゃに広げ、地獄の激痛を味わわせると同時に、自然に治るのを難しくさせる効果を持つ。
「業とは行為! 善であれ悪であれ、より極端な行為にこそ濃厚な業が宿る! すなわち邪悪であればあるほど魂は業深き色に染まり、質が高まる!」
ぐっしゃ、ぐっちゃ、じゅぐじゅぐっ!
今までにない勢いで血が噴水のようにまき散らされ、ルーティの顔面を真っ赤に染めた。
「死ね! 苦しんで死ね! もっともっと苦しめ! 高等なるアンデッドを製造する霊魂に必要なのは、憎悪、苦悶、憤怒、悔恨、そしてより深き業! あなたはパーフェクトよ! 愛してあげるわ、死ねええええっ!」
きゃっほう! と奇声を上げ、飛び上がると、両手で持った短剣を逆しまに振り下ろす。
涙で目を潤ませる男の口元へと、渾身の力をこめて。
前歯を砕き、舌を裂き、うなじから切っ先が飛び出した。
「ごげがががああああああああ!」
この世のものとも思えぬ断末魔の悲鳴を上げると、男は目玉がこぼれ落ちそうなほどカッと見開き、そのままがっくりと力を失った。
「はぁ、はぁ、はぁ、た、魂を抽出っ」
ルーティは肩で息をしながら短剣をこれも投げ捨てて、左手を男の上にかざした。
手の平に刻んである死の神の紋章が不気味な赤い光を発する。
男の死体から黒い煙のような気体がにじみ出るようにして現れた。
それはルーティの手の平に引き寄せられ、ぐるぐると渦を巻きながら空中に留まる。
ルーティは手の平を上に向けると、目の前で渦巻く黒い煙を満足そうに眺めた。
だが観察するにつれ、その表情が曇る。
「え、なにこれ。たいしたことない……」
落胆が広がる。
どっと疲労が押し寄せてきたのか、肩を落としてため息をついた。
「これじゃあ、低級のゴーストに加工するのが精一杯だわ。あれだけ苦労したのに」
はぁぁぁぁ、と、地の底まで響くようにもう一度ため息をついた。
首を振り、壁にひっかけてあるノコギリを掴む。
「いいわ、もう。この籠のすばらしさだけでも、確かめなくちゃ」
そう言って、まず男の右足のすねにノコギリの歯をあてがった。
ぎこぎこぎこぎこぎこぎこぎこ。
右足の次は左足。
その次は腕。
腹。
首。
三時間もかけて、男をバラバラに解体し終えた。
「ぜーはー、ひー、はー、ふーふー、ぜひー」
もう、どっちが死体か分からないほど、ルーティは憔悴しきっていた。 床に大の字になって寝ころび、やつれた顔で荒い呼吸を繰り返す。
心臓がドッカンドッカンと爆発しているかのようだった。
こんなことになるならスケルトンにでもやらせればよかった。
「で、でも、たまには、運動、しないと、ね」
よろよろと身を起こし、作業台に手をかけ、ふんっ、と力をこめて立ち上がる。
地下室全体が飛び散った血で地獄の惨状と化していた。
悪鬼すら眼を背けるほどのひどいありさまだったが、ルーティは疲れ果てていることを除けば平然として、そばに置いてあった籠に手をかける。
それは、見た目には異常なところのない鳥籠のようであった。
一抱えするほどの大きさがある、黒い鉄格子で組み上げた六角形。芸術性が高く、いたるところで凝った意匠が施され、まるでアンティークの美術品のようでもある。
扉は、ちょうど人間の頭部を丸ごと飲み込むサイズだった。
なのでルーティは、首から切断した男の頭部を、その扉から籠の中へ放り込んだ。
そのとたん、男の頭部は消えた。
籠の中に転がることもなく、忽然と消えたのだ。
「やったわ! やっぱり伝説は本当だった!」
鳥籠の中を鉄格子ごしに凝視して、それから焦ったように、男の体の部品を次々と押し込んでいく。
左手、右足、右腕、そのどれもが、鳥籠に入ったとたん、手品のように消失していく。
新しく与えられた玩具で遊ぶ子供のように、ルーティは喜々としていた。
「すごい! これが《オルクスの籠》! なんてすばらしいの!」
形のある部品をあらかた投げ込み終えると、鳥籠の取っ手を掴む。
手の平の紋章が光り輝くと、部屋中にぶちまけた血の海が生命あるかのごとくうねった。
渦巻きながら、扉を開いたままの鳥籠へと吸い込まれていく。
わずか一瞬で、血の海はなくなった。
人間ひとつを残さず平らげた鳥籠は、それでもまったく様子が変化しなかった。
ルーティは感激のあまり頬を紅潮させ、「ああっ」と熱っぽい声を漏らす。
恋人であるかのように鳥籠を抱きしめ、ひそかに股を濡らした。
「《オルクスの籠》の扱い方は、よく理解したようですね」
いきなり声をかけられたことに驚いたルーティはそちらを振り返り、すぐさまその場にひざまずいた。
男が一階から続く階段を下りてくるところだった。
「師匠。はい、伝説にある通りのすばらしい神器です」
死霊術師が至宝と謳う、三つの神器が存在する。
ひとつ、《プルートーの杖》。これの所有者は、本来の力量に関わらず、ありとあらゆる死霊を配下として操ることを可能とする。
ふたつ、《フェブルウスの鍵》。所有者は時と場所を選ばず冥界の門を出現させ、これを開いて無尽蔵の死霊を呼び出すことができる。
みっつ、《オルクスの籠》。死者の肉体と魂を無制限に保存し、質量を無視して持ち歩くことができる超異次元空間を内包した鳥籠。
これらは、太古より伝わる、死を司る魔神の絶大なる魔力を秘めた、使用法によっては世界を破滅へ導くほどのアーティファクトである。
そのうちのひとつが、昨日、師の手からルーティへと譲渡された。
「上手に使いなさい。あなたの助けとなるでしょう」
「感謝します、師よ」
声には畏敬の念がみなぎっていた。
幼い頃より師弟の関係を続けてきたが、一瞬たりとて師への尊敬を忘れたことはない。
師の名はジャハンナム。
ルーティが所属する教団の教皇である。
世界各地の死霊術師が無数に集い、孤島に建つ城を拠点とする恐るべき暗黒教団は、自らを《髑髏の先駆者》、ハービンジャー・オブ・スカルズと称していた。
その教義は語るもおぞましき外法の極北。
教皇ジャハンナムの指示に従い、彼らは途方もない年月をかけて邪悪な計画を遂行している。
ところでルーティには気になることがあった。
「あの、師匠。質問が」
「なんですか」
「捕らえた男の魂を抽出したのですが、まったく平凡でたいしたことのない業でした。なぜでしょう。あの者は極悪きわまりなく、業深き良質な魂の持ち主であるように思えました」
ジャハンナムは、ふっ、と笑った。
「業。その品質は、所業の重さによるのです」
「重さ、ですか」
「そう。その者の所業は、結局のところ、薄っぺらい邪悪にすぎなかった。私利私欲、刹那の快楽。短絡的な所業は、薄く軽い。本物の業の前では、木の葉のように舞い散るのみ」
「本物の業、とは」
「冒険者という人種が存在します。たとえば彼らは、けっして私利私欲のためだけでなく、仲間のため、守るべき人々のためにも命をかけて戦うことがあります。また善の心の持ち主がわずかな報酬のため悪行に手を染めて苦悶し、日銭のために生涯をかけて償う罪を背負う。彼らは善悪に揺れ、迷い、それでも命ある限り立ち止まらずに駆けるのです。山賊ふぜいでは絶対にたどり着けぬ重き業の境地がそこにはあります」
「すてき」と、うっとりした表情でルーティは言った。
「あなたにはこれから迷宮都市リメインに向かってもらいます。そこでは数多くの冒険者が入り乱れ、それと同数の業が咲き誇っているでしょう」
「迷宮都市、リメイン」
「かの地の大迷宮の最深部にたどり着きなさい。そこで、なすべきことをなしとげるのです。それをもってあなたを一人前の術者と認めます」
「なすべきこと、とは?」
「それは自分自身で見つけるのです、弟子よ。あなたの二人の兄弟子に、それぞれ《杖》と《鍵》を渡しました。のちほど、あなたと同じように送り出す予定です」
ジャハンナムは、手をかざした。
「競い合いなさい。そして勝利しなさい。《杖》、《鍵》、《籠》。その三つを手にした者にこそ、私の後継者たる栄誉を授けましょう」
ルーティは立ち上がると、ローブの裾の両端を指で摘み、膝を曲げて優雅に一礼した。
「お言葉を承りました、偉大なるお師匠さま。いえ、教皇猊下。至尊の座にふさわしきは、必ずやこの私です」
その顔から全身にいたるまで、野心がみなぎり輝いていた。
◆
三日後、身支度を整えたルーティは長年を過ごした館から旅立った。
ちょっとしたお使い以外での本格的な一人旅は初体験だったので不安もあった。しかも、目的地である迷宮都市リメインは北の大陸を縦断して海を渡った先のギアラ大陸にあるという。十六歳のルーティにとっては大冒険である。
最初はひたすら徒歩で進んだ。
そのうち疲れてきたので道端に座って休憩していると、目の前を馬に乗った商人が通りがかった。
やけに足の遅い馬だ。商人は馬を口汚く罵り、繰り返し尻を鞭で打っている。かわいそうに、荷物を山ほど体にくくりつけられ、肥満体の主人を背に乗せているのだ。年老いているようだしそろそろ限界なのだろう。
と、ついに馬はその場に倒れ、重苦しい声で鳴き、痙攣しながら口から泡を吹いて動かなくなった。
馬が倒れた拍子に荷物ごと投げ出された商人は丸い体でごろごろと転がった。
すぐに立ち上がると駆け戻ってきて、罵倒しながら馬を蹴りつけ、起き上がらせようと鼻息荒く頑張ってみたり、天を仰いで「ちくしょう!」と嘆いてみたりしていた。
ルーティはビスケットをサクサク食べながらそんな様子をのんびり眺めていたが、思うところがあって、やおら商人に声をかけた。
「ねえ、おじさま」
「あ? なんだい、お嬢ちゃん」
「その馬、売ってくれません?」
もはやぴくりとも動かない馬を指さす。
商人は呆れたように言った。
「見ての通りだ。死んでるぜ、この役立たず」
「はい。だからいいんです」
商人は、わけがわからないというふうに首をひねっていたが、ルーティが財布から金貨を十枚ほど取り出してやると、目を輝かせて飛び上がった。
荷物を置き去りに、「それも全部くれてやるよ」と嬉しそうに駆けていく。
ルーティは「さてと」と、馬に近寄った。
「悪いけど、もう一働きしてね」
手をかざして呪文を唱える。
「酸霧」
周囲に毒々しい紫色の霧がたちこめたかと思うと、横たわる馬の死体へと覆い被さるように集まった。
じゅくじゅく、と、たちまち死体の肉が腐り、溶けていく。
あっという間に、骨だけ残して肉が消えた。
さらにルーティは、両手をオーケストラの指揮者のように振る。
「いーこ、いーこ」
手の平にある死の神の紋章が輝く。
すると、白骨死体をどす黒いもやのようなものが覆い、眼窩に赤い光が灯った。
がっしゃん、がっしゃん、と音を立てて、白骨死体が起き上がる。
白骨馬は、赤い空虚な双眸でルーティを見つめた。
「ずいぶん無念が濃いわね、あなた」
ルーティは言った。
「じゃあ、交換条件といきましょう。蘇らせて、無念を晴らさせてあげるから、わたしの足になってちょうだい」
白骨馬は、どのようにしてかは不明だが、首をわななかせて「ひひぃん」と雄々しく鳴いた。
了承した、と言っているようだった。
すると白骨馬はまるで疾風のように駆け出し、商人の走り去った方向へと消えた。
遠くで、「ごぎぇっ」と、胸の悪くなるような悲鳴と、骨が砕ける音がした。
すぐに白骨馬は戻ってきて、もう一度「ひひぃん」と鳴き、頭を下げた。
「じゃあ、乗らせてもらうわね。ありがとう、もう足が棒のようだったのよ」
ルーティは満面の笑みを浮かべた。
そのままではいくらなんでも目立ちすぎるので、商人の荷物から大きめの真っ黒い布を見つけ出すと、はさみで適当に形を整え、白骨馬にかぶせた。
「あなたの名前はタコよ。はいよー、タコ!」
騎乗して嬉しそうに叫ぶ、ルーティ。
白骨馬あらためタコは、ちょっとだけ不服そうに鳴いたが、新たな主人の命令に従うことには素直だった。
タコは俊足の持ち主で、しかも疲れ知らずだ。
もともと拷問のように強要されなければ、走るのは好きなのだろう。疲労のない、食事も睡眠すらも必要としないからだを得たことによって、昼もなく夜もなく駆けるタコは、ルーティにとって大きな助けとなった。
ルーティの食事と睡眠、休息に必要とする時間以外はすべてタコに走らせた結果、普通ならば数ヶ月かけるところを、たった数週間で港町にたどりついた。
タコをいったん《オルクスの籠》に入れて、海の向こうへ渡る船に乗る。
教団の城を囲んでいたような、凍てつく呪われた海ではない、晴れ晴れとした健全な大海原。
吹き付ける潮風、カモメの声、波打つ海面と揺れる船。
なにもかもが新鮮で、少女の胸をわくわくさせた。
船旅の途中、セイレーンの群れに出くわした。
セイレーンとは上半身が美しい人間の女、下半身は魚類のそれという、半人半魚の怪物である。
彼女らはこの世のものとも思えぬ美しい歌声で歌い、それを耳にした船員たちの心を操ると、彼らに船を岩礁にでも激突させ、沈没したところでよってたかって哀れな犠牲者の肉をむさぼる。
普段は怪物など見かけもしない安全な航路だったので、油断していたのだろう。
運が悪かったとしか言いようがない。
海面から顔を出した大勢のセイレーンの美声はたちまち船員たちの心を奪った。
「まずいわ。このままでは船が沈没させられてしまう」
呪い除けの心得があるルーティだけは正気をたもっていたが、船員や他の客たちは全員が操られてしまったようだ。
虚ろな目つきで、口を開けて涎を垂らしながら、「あそこへ行こう、あそこへ行こう」と繰り返している。
完全にセイレーンの歌声によって操られている。
狂気にとりつかれた船員はけたたましく笑いながら舵を取り、船はまっすぐに岩礁へと突き進む。
「なんとかしないと。……そうだ!」
ルーティは《オルクスの籠》から多数の白骨を呼び出すと、死霊術を用いてスケルトンを組み上げた。
スケルトンはおもに人間の白骨死体を用いて作り上げる、代表的なアンデッドモンスターだ。
あまり強くはないし、自分で思考する能力もないが、命令には絶対に忠実で、数をそろえて剣や盾を持たせればそれなりに戦える。
彼らを操ってセイレーンを倒そうというのか。
いや、違う。
「この船の人間を皆殺しにしなさい!」
カタカタと骨を鳴らしながら、命令に従う、スケルトン。
彼らは船の各所に散らばり、手にした剣で人間を殺した。
生きている人間は船内にルーティだけとなった。
次に、死霊術によって船員をアンデッドとして蘇らせ、正しく操舵させる。ルーティ自身に操船術の心得はないが、死体には、生前の記憶と経験が残っているのだ。
ルーティのゴーストシップが完成した。
これにはセイレーンたちも絶句して手も足も出ない。
なにせ、彼女らの呪歌が通用するのは、生きている者に対してのみ。
死者は歌を聞かないのだ。
船長と思われる人物から、羽根のついたつばの広い帽子を借りて、ちょこんとかぶる。
「マストを張れ! いかりを上げろ! 面舵いっぱい、よーそろー!」
もちろん新船長ルーティの指示はまったくのデタラメである。
ともかくアンデッド船員たちはそれぞれの記憶に従って航路を元に戻し、セイレーンの呪縛から解放された。
「悪いわね、先を急ぐの」
殺気をみなぎらせてこちらを睨む海面のセイレーンたちにウィンクを飛ばし、格好つけて、羽根つき帽子のつばをくいっと持ち上げてみせる。
セイレーンたちは金切り声をあげて悔しがりながら海に潜り、海底の岩に猛スピードで頭からぶつかって次々に脳味噌ぶちまけて死んでいった。
セイレーンは、歌を聞いて生き残った者がいる場合、自分が死ななければならない。呪詛返しとかいうもので、人を殺すほどの呪いにはそれ相応のリスクが付きまとうのだ。
ゴーストシップは、なんの問題もなく目的地の港に到着した。
もちろん、港町にアンデッドモンスターを放出して大混乱を引き起こすわけにはいかないので、バラバラに分解してから《オルクスの籠》におさまってもらった。
無人の船が漂着したというニュースは町にそれなりの混乱をもたらしたが、それがかえって、ひそかに下船して町を通り過ぎるルーティの姿を隠してくれた。
「《闇巫女》様」
町の出入り口のあたりでルーティに声をかけたのは、フード付きの黒いローブで容姿を隠した不気味な集団だった。
《髑髏の先駆者》の教団員。すなわち死霊術師だ。
ルーティは、あら、と首をかしげた。
「これは信徒のみなさん。どうしました?」
「はっ。恐れ多くも、至尊の座にもっとも近き天子のご到着が近いと聞き及び、いてもたってもいられず、このようにまかりこした次第」
「枢機卿。どうか微力ながらも助勢となることをお許しください」
彼らは、一様に、うやうやしくひざまづいた。
それと同時に、金貨や食料などをそれぞれ捧げ持ち、畏敬をこめてルーティを見上げてくる。
まるで、神そのものを目の前にしたかのように。
さもありなん。
邪教《髑髏の先駆者》にとって、神や教皇はもちろん、それに近き存在も信仰の対象とされる。
教皇の直接の弟子にして、教団の中枢を支配する十二人の枢機卿。
そのひとり、《闇巫女》ルーティ。もっとも無邪気で、もっとも残酷、もっとも死の神に愛されているといわれる最年少の枢機卿。
「お気遣い感謝します、みなさん」
そう言って頭を下げてから、ルーティは白骨馬タコに飛び乗った。
「でも、ひとり旅の不便も、これはこれで楽しいの。それではごきげんよう。みなさんに神のご加護がありますよう!」
目指すは迷宮都市リメイン。
ルーティの顔は晴れ晴れとしていた。