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彼は迷宮の案内人  作者: あすてか
第一章《乳白色の森》
22/43

《回顧》





 ユーリはまず、ラスヴェートとセラフィーナの安否を確認することにした。

 倒れているラスヴェートに寄り添うセラフィーナの姿。

 セラフィーナに外傷は見あたらないが、ラスヴェートは、ツァールの攻撃でかなりのダメージを受けているようだ。起き上がる様子がない。

 

「大丈夫か」


 声をかけると、セラフィーナが凄絶な眼差しで睨んだ。


「役立たずが。旦那様をこんな目にあわせるなんて、いったいなんのための案内人なの」

「返す言葉もないな」


 ユーリは首を横に振った。

 本来、命をかけて守るべき依頼人に怪我を負わせてしまったのは、ユーリの落ち度だ。

 迷宮に潜る者は、可能な限り安全に探索を行いたいからこそ、高い契約料を支払ってまで案内人を雇う。

 負傷してしまったのでは、なんのために雇ったのか分からない。


「言い訳はしない。俺の責任だ」

「当然です! それで、どう責任をとるつもり!?」

「案内は必ず完遂する。報酬は受け取らない。これでどうだ」


 破格の条件であった。

 最上位に位置する五階層ゾハル案内人、それも十傑に数えられるユーリを無報酬で雇える機会など、王侯貴族にすらありえない。

 だが、それでも足りぬ、と、セラフィーナの目に嗜虐の色が宿る。


「両手と膝を突いて謝罪しなさい。地べたに額を擦り付けるのよ」

「まあ、仕方がないな」


 ユーリは、おどろくほど素直に応じた。

 その場に膝を突こうと、身を屈める。

 それを制止したのは、華奢な腕だった。

 唐突に現れたクラティアが、ユーリの胸板に手の平を当てていた。

 クラティアは、じろり、とユーリを睨み、呆れたように言った。


「なにをやっているのよ、あなたは」

「出てくるな。話がややこしくなるだろうが」


 ユーリの苦情を無視して、今度はセラフィーナに目を向ける。

 瞬時にして双眸に宿る、絶対零度の憤怒。

 おのれの惚れた男に恥をかかせようとした相手に対して、激情を抑え込むつもりはないらしい。

 天上の美姫もかくや、という美貌に浮かぶ怒りは、悪夢的というほかない。

 その感情の圧倒的な津波は、セラフィーナに一筋の冷や汗を流させた。

「うちの主人をよくも虚仮にしてくれたわね、小娘が」

「……何者なの」


 いきなり現れた少女に対して、当然の疑問。

 その声は掠れ、ようやく絞り出したといった様子だった。

 怒りを纏ったクラティアの存在感は、それほどまでに強大だったのだ。 並みの人間なら泡を吹いて昏倒してもおかしくない。

 耐えているだけ、セラフィーナの精神力はたいしたものだ。


「おまえが土下座させようとした男の妻よ」

「そう」


 いや、耐えるどころではなく、反撃の意志を見せている。

 彼女は今、クラティアの正体、突如として現れた方法など、自分の理解の及ばないあらゆる事項を横に置き、目の前に映る事実だけを冷静に捉えている。頭の回転の速い女性だ。


「ならば亭主と並んで膝を突きなさい。それが道理でしょう」

「丁重にお断りするわ。おまえたちこそ、そこでひざまづいたまま滅びを迎えればいい」


 クラティアは鼻を鳴らすと、あくまでも冷ややかに言った。


「おい。やめろ」

「ユーリは黙っていて。……立場を理解していないようね。どうせ後ろ暗い連中よ。報酬を支払うつもりがないなら、ここで捨て置いてもかまわないわ。夫婦仲良く、樹海の肥やしとなるがいい」

「……っ! なんという言い草!」

「事実よね? ほかに頼れる者がいないからユーリに頭を下げた。おまえたちなど放っておいてもよかったのよ。いかがわしい依頼を受けたのは、我が主人マスターの馬鹿正直な慈悲によるものでしかないわ。それを、なに? たかが怪我のひとつやふたつでつけあがって。だいたい、人狼族の自然治癒力なら、その程度など大騒ぎするような深手ではないでしょうが」

「呆れかえるほど開き直ったわね。自分たちの無能を棚に上げて!」


 たぐいまれなる美貌の持ち主であるふたりの少女が、殺気に満ちた視線をぶつけ合って火花を散らす。

 

「クラティア様のおっしゃる通りだよ、セラフ」


 ぎこちない動きながらも、ラスヴェートが立ち上がった。


「旦那様」

「騒ぐほどのことではない。それより、ユーリ、きみのほうこそ大丈夫なのかね。手ひどくやられていたように見えたが」

「ああ。俺のほうも心配ない」


 ユーリは、人間だ。

 吸血鬼や人狼のように、優れた自然治癒力を持つわけではない。

 裂傷や骨折などが治るには、普通なら長い療養が必要だ。

 だが、それらは、この短い時間ですでに完治している。

 ユーリは、クラティアに視線を下ろした。

 

「もういいから、黙ってろ」

「ユーリ。私は」

「わかってる」


 分厚い手の平が、栗色の髪を撫でる。

 クラティアは頬を膨らませて、むすっとしたが、今度はユーリに従って、その姿を消した。


「依頼人を守りきれなかったのは俺のミスだ。あんたの奥さんにも言ったが、もう報酬は払わなくていい」

「そんなことを気にする必要はない。もう治ったのだから。それより、私たちを送り届けることに全力を注いでくれ」


 泥の上を、何かが這う音が聞こえた。

 三人の視線が、一点に集中する。

 折れた両足を引きずり、地面をかきむしるようにしてこちらへ這い寄るバルナウルの姿があった。

 

「かえせ……宝刀を返せ……盗人が……」


 その鬼気迫る表情。

 まるで地獄の底から這い出てきた悪魔だ。

 ため息をつく、ラスヴェート。


「ザラームの皇子か。わざわざ私を追ってきたのか。ご苦労なことだな」

「こいつの狙いは、あんたの持ってる宝刀だそうだ」

「それもあるだろう。しかし、おそらく、いちばんの目的は、口封じだな」

「口封じ?」


 どういうことだ、と尋ねる、ユーリ。


「炎に巻かれて落ちる寸前の城で、私が見たのは、首を落とされた皇帝と、剣を抜いた皇子だった」

 

 親殺し。

 おそらくは混乱に乗じて帝位を簒奪するつもりだったのだろう。

 だが、ラスヴェートが皇帝の死体から宝刀を奪い去ったせいで、目論見が崩れ去った。これがなくては新帝と名乗りを上げられない。

 それに、先帝暗殺の件が明るみになれば、民衆はともかく貴族からの激しい追求は避けられない。


 バルナウルは、なんとしてもラスヴェートを殺し、宝刀を奪還する必要に迫られていたのだ。


「きさまさえいなければっ、きさまさえっ」


 呪詛のごときものを延々と繰り返すバルナウルだったが、その脚は折れていて立ち上がることすらままならず、頼りになる百人の部下は全滅してしまっている。

 宝刀を取り返すどころか、この森から生きて帰ることさえ困難だろう。


「後悔することになる、と言ったはずだがな」


 ユーリが、濡れたような輝きを放つ白刃を手にして歩み寄る。

 バルナウルは愕然とそれを見上げた。


「なにをするっ? わ、私は皇子だぞ。そんなことをして、ただですむと思っているのか。外交問題になるっ、戦争になるぞ!」

「知らなかったのか? 迷宮では、死人に口なし、だ」


 ユーリの表情。

 暖かみのない冷酷で機械的な殺意。

 靴裏がバルナウルの背中を踏みつけて固定する。


「やめろっ、やめてくれっ! わ、私は民のためにっ。無辜の民に豊かな暮らしを与えるために立ち上がり、父をも手にかけたのだっ。そ、それが、こんな仕打ちが許されるはずがないっ。た、たのむ、やめてくれっ!」

「追ってくるだろ」


 血飛沫が首と共に舞った。



 ◆



「ユーリ。ひとつ、尋ねてもいいかね」


 歩みを再開した一行。

 道中、ラスヴェートが言った。

 先頭を行くユーリは振り返らずに応える。


「なんだ?」

「きみが、そこまで案内人という仕事に執着するのは、なぜだ?」


 人狼の目から見て、ユーリのこだわりは、普通ではないように思えた。

 仕事とはいえ命をかけて他人を守り、失敗を犯せば報酬はいらないとまで言い張り、依頼人のためにはその手を同族の血で汚すこともためらわない。


 迷宮でやくざな商売を生業とするなら、もっとずる賢く、臨機応変に立ち回って利益のみを追求するのが正解といえる。

 ユーリの生き方は、すこし愚直すぎるのだ。


「なぜ、そんなことを訊く?」

「深い意味はない。単純に、興味がわいただけだ。答えたくないなら、答えなくてもいい」


 ユーリは頭をぼりぼり掻くと、困ったような顔をしながら言った。


「まあ、怪我をさせちまった詫び代わりってわけでもないが。……そうだな、言ってみれば、それが師匠の教えだから、かな」

「きみの師、か」

「ああ。……俺が産まれたのは、この大陸から遠く離れたところでな。まわりを岩と砂ばかりに囲まれた不毛な土地だった。俺は、砂漠の砂埃と悪党どもが最後に行き着く吹き溜まりのような町で育ったんだ」


 ユーリの回顧は、淡々としていた。


「両親の顔を見た覚えはない。まともな教育を受けたこともな。物心ついたとき、俺はすでに、盗みから殺しまで、犯罪と呼ぶような行為にはあらかた手を染めていた。あの町ではそれも珍しいことじゃなかった。貧民街の最下層で産まれた人間にとっては毎日が生き残りを賭けた殺し合いだったんだ。俺は、病気で弱った奴らや年寄りを見ると刺し殺して金目の物を奪うことしか考えなかった。もしかすると両親でさえ俺が殺したのかもな」


 当時からすでにユーリの身体能力は飛び抜けていた。

 同年代の子供たちが次々と飢餓や病気で倒れ、死んでいく状況で、ユーリだけはしぶとく生き残り、大人さえ出し抜いて、劣悪な環境下での熾烈な生存競争に勝利し続けた。

 悪魔のごとく凶悪で残忍な少年は、しかも常に腹を空かしていた。

 飢えを覚えては人を狩り、物を奪って食うか、金に換える。


 そんなある日のことだった。

 貧民街の元締めが、ユーリに声をかけてきた。

 彼はユーリに腹一杯の食事と安全な寝床を毎日提供することを条件に、手下として働かないかと持ちかけてきたのだ。

 子供でありながら並みの大人では手が出せない戦闘力と容赦ない手口で知られる小さな悪魔を、始末しようというのではなく、懐柔しようと試みたのだった。

 

 ユーリはこれを了承し、元締めの配下として働くことになった。


「汚いことばかりやらされたが不満はなかった。商人の荷馬車を襲ったり、年寄りや、自分と同じくらいの歳のガキを殺すのも、やってることは以前と変わりなかったんだからな。むしろ褒美がもらえるとあって熱が入ったくらいだった」

「殺人に忌避を覚えたことはないのかね」

「ない、な。野菜を刻むようなもんだ。この世に悪魔がいるなら、たぶん俺のような奴のことなんだろう」


 ユーリは自嘲するように唇の片端を持ち上げた。

 

「で、だ。しばらく飢えとは無縁の日々を送ってたんだが、いいことは長く続かないもんでな、ある日いきなり終わった」


 元締めに裏切られたのだ。

 逃げ場のない袋小路に追いつめられ、数十人という手勢に囲まれては、さすがの小さな悪魔とて手も足も出なかった。

 視界いっぱいを埋め尽くす、靴裏と握り拳。ナイフと棍棒。

 袋叩きにされる最中、人垣の隙間からわずかに見えた元締めの顔は、ひきつった薄ら笑いを浮かべていた。勝利者の余裕などではない。恐怖の根を断ち切ったことによる安堵だった。


「たぶん俺はやりすぎたのさ。手元に置いておくのも恐ろしいと思われるぐらいにな。で、命だけはなんとか助かったが、奴隷商人に売られて船に乗せられ、この大陸までやってきた」


 リメインの奴隷市場に商品として並べられたユーリ。

 買い手となるのは、盾を必要とする冒険者か、適当な玩具を欲する変態貴族か。

 どちらにしても楽しい未来など待ち受けていなかっただろう。

 だが、そうはならなかった。


「そのとき俺を買い上げたのが、師匠だった。彼女は俺を、奴隷でも悪魔でもなく、ひとりの人間として対等に接してくれた。いろいろなことを教わった。基礎的な教養から、冒険者として生きていくための技術、心構え。……俺は、産まれて初めて、人間になれた」

「人間になれた、か」

「ああ。人間らしく生きるための方法は、なんだっていいんだと彼女は言っていた。ちゃんとした作法で飯を食うとか。困ってる奴を見たら助けるとか。弱ってる人間を見たら殺して食うような、獣じみた生き方は、むなしいだけだ、ってな」


 俺も、そう思った。と、ユーリは続けた。


「仕事をきちんとまっとうしろ。それも、彼女の教えだ。悪くないだろ。だから今も、そうしてる」

「その女性の言葉に従って生きるのが、きみの人生だと。そのためには命を投げ出すこともいとわないということか?」

「いや、どうかな。従うとかじゃない。これはもう、彼女の言葉を消化した、俺の生き方だ。そして、そうさせたかったんだろうな」


 ユーリは振り返った。


「つまらん昔話だったな。質問の答えはこんなところだが、満足したか?」

「ああ。よく分かった……ありがとう」


 ラスヴェートはそう言って、フードを取り払った。

 あらわとなる狼頭。

 隻眼は、どこか優しい光を宿している。


「私にとっての妻が、きみにとってのその女性だったのだな」

「……。この話はもういいだろう?」

「そうだな、すまない。そして、そろそろ、目的地のようだ」


 ラスヴェートの左手が、森の彼方を指さした。


「人間のきみにはまだ感知できていないかもしれないが、あの方角に、多くの人間と火の香りが集まっている。十中八九、聖域サンクチュアリだろう」


 ユーリもそちらに目を向ける。

 五感を集中させると、たしかに、人里の気配が感じられた。

 感心したように言う。


「すごいな。案内人になってもやっていけるぞ」

「いいや。ここまでこられたのは、きみがいてくれたからこそだ。やはり、きみを雇ったのは正解だった。だから、約束通り、報酬を渡そうと思う」


 そう言うと、ラスヴェートは、その場の誰もが止める暇もなく、自分の左目を指先でえぐった。

 伸びる視神経をひきちぎりながら取り出した眼球。

 生温かい湯気を立ちのぼらせ、血を滴らせるそれを、大きな爪の先で大事そうにつまんでいる。


 ユーリは息を呑み、セラフィーナは呆然としてその光景を見守っている。

 対照的に、両目を失い、永遠に視界を閉ざしたというのに、ラスヴェートは平然としていた。


「あやまらなければいけないことがある」

「……なんだ?」

「この眼は《死の魔眼》と言ったが、あれは、嘘だ」


 やはり、平然と言ったのだった。


「《死神》と渾名されるほど生き物を殺し、視界に映るすべてを殺戮していた私に恐怖を覚えた者たちが、勝手にそのような噂を流した。それがいつしか本当のことだと誤解されるようになった。これは、ただの使い古した眼球にすぎない」


 たしかに、見ただけで相手を殺せるほど強力な魔眼を持っているなら、ツァールに苦戦する必要もなかった。

 使わなかったのではなく、持っていないのだから使えなかったのだとすれば、話の辻褄が合う。

 だが、その事実を隠してユーリに依頼し、そして今ここで暴露した真意とは。


「ユーリ。きみは誠実に私たちの依頼をまっとうしてくれたね。だからこれは、せめてものお詫び、最大の敬意と思ってもらいたい」


 鋭い爪の生えた指先が、眼球を弾いた。

 放物線を描き、ゆっくりとユーリの前へ落ちる。

 ユーリは思わず、といった様子で手を伸ばし、まだ体温の残っている眼球を受け取った。

 

 瞬間、鋭い痛みが、腹部を貫通した。


「ありがとう、案内人。そしてすまない。きみにはここで、消えてもらう」


 一瞬で間合いを詰めたラスヴェートの五指が、ユーリの腹に突き刺さったのだった。





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