《誉れの騎士ガーランド》
騎士と出会ったのは、まったくの偶然である。
騎士の名を、ガーランドという。
《誉れの騎士》ガーランドといえば、北の大陸では、それなりに知られた名前だ。
由緒ある伯爵家に生まれ育ち、幼き頃より頭脳明晰、容姿端麗、弱きを助け悪を挫く正義感の持ち主として、神童ともてはやされた。
その評価は成人をむかえてからも変わることなく、将来の伯爵家当主として政財界での地位を築き、領民から親しまれ、とりわけ、たぐいまれな武の才能を発揮して、戦場を縦横無尽に駆け巡った。
彼の指揮する部隊は、どんな状況においても負け知らず。
まるで機械のように一糸乱れぬ緻密な連携で突撃するガーランド部隊は、倍の数の敵だろうと簡単に粉砕した。味方にとっては常勝の将として頼りにされ、敵からは死神として恐れられた。
しかし、ガーランドの才能は、指揮官よりもむしろ、個人の武勇でこそ輝いた。
その戦いぶりは、まさに鬼神。
百回におよぶ決闘のうち、ただ一度の敗戦もなし。
剣、槍、弓。どれを持たせても天下に比肩する者はいない。
魔物でさえ、相手にならぬ。
最強の騎士は、その活躍の場を、ついに海外へと移すことを決意する。
ギアラ大陸のほぼ中央、周囲をエルィストアラート王国、ノモス帝国、アーダー共和国などに囲まれ、国境線を交えるザグー平原に、リメインという都市国家が存在する。
五百年前に発見された地下迷宮の上に建てられたという、この都市。
地下に広がる世界最大規模の迷宮は、いまだ攻略し尽くされておらず、数多くの謎を残し、そして、莫大な量の資源、財宝を有しており、内部に闊歩する魔物は、地上のそれとは比べものにならぬほど邪悪で強大だという。
迷宮の謎。
財宝。
まだ見ぬ強敵。
男心をくすぐる材料として、あまりにも魅力的すぎた。
目指すは、迷宮都市リメイン。
鬼神は、かの地にて、さらなる高みを極めんと欲す。
おのれの才能を見極めるための修行として、リメインへとわたることを決意したガーランド。
海を越えてギアラ大陸の地を踏んだ彼の後ろには、その手で鍛え上げた精兵中の精兵が五十人、忠実に付き従っていた。
「あんた、案内人を雇わないのかい」
迷宮に潜るためには冒険者として登録する必要があるとのことで、冒険者ギルドにて手続きをとっていると、眠たげな顔の年増な受付女がそう尋ねてきた。
なんでも、この都市には迷宮の案内人という職業が存在していて、右も左もわからない初心者が大迷宮に挑戦する場合、まず彼らを雇うことが、賢い選択なのだという。
だが、ガーランドは相手にしなかった。
「私には彼らがいるのでね」
配下の、《聖銀騎士団》である。
この五十人はまるでガーランド自身の手足のごとく、言葉にせずとも彼の意志をくみ取り、俊敏に動いてくれる。まさに自身の分身とでも呼ぶべき仲間たち。彼ら以上に信頼できる同行者は存在しない。
たとえ山のような巨体の悪魔が眼前に立ちふさがろうと、恐れるに足らず。
磨き抜かれて輝く甲冑に身を包んだガーランドは、野心をみなぎらせ、リメインの地下に広がる大迷宮へと、颯爽と降り立った。
結論から言うと、栄光ある《聖銀騎士団》は探索開始から二日ほどで壊滅した。
最大の原因は、やはりこの階層全体を包み込む果てなき濃霧だ。
晴天の下の平原ならば無敵を誇っていた騎士団の連携も、真っ暗闇の第一階層で、視界が真っ白に染まるほどの霧と生い茂る木々に邪魔をされては、まったくその真価を発揮できない。
悪魔どころか、単なる狼やゴブリンの死角からの奇襲に対応できず、あっという間にその数を半分以下にまで減らした。
野営を試みても、そのことがトラウマになっており、全員が眠れずに焚き火を燃やして周囲を警戒し続けた結果、凶暴なトロールや鬼蜘蛛を呼び寄せてしまい、大混乱に陥った。
獣は火を恐れて近づかないというのが地上での定説だが、血に飢えた大迷宮の魔物は、火を見ると人間の存在を感じ取り、かえって寄ってきてしまうことが多い。
ゆえに焚き火をするなら魔物除けの結界を張るのが常識なのだが、ガーランドたちはその知識がなかった。
結局、騎士団はその数をさらに半分ほど減らした。
残り十二人になった騎士団は、一様に憂鬱な表情を浮かべて歩き続けた。
地上へ帰還しなかったのは、単純にプライドの問題だろう。
本当は誰もが、すでにこの迷宮の残酷さに嫌気がさし、故郷が恋しくなっていた。
だが、実家の家族、友人、そして国に、大見得を切って飛び出してきたのだ。
誰一人として、いまさら仲間だけ失って手ぶらで帰ろうなどと言い出せる状況ではなかった。ましてやそれを自分から切り出すなど。
エルフの里を発見できたのは、幸運のおかげだった。
彼らは大喜びで小さな里を襲い、男どもを大根のように斬り殺し、女を犯した。
食料を見つけると手づかみでむさぼり食い、満腹になるまで遠慮しなかった。
地上ではすでに滅びたとされ、伝説の種族と化しているエルフは、この地下迷宮でひっそりと生きていた。
が、北の大国で生まれたガーランドたちにとって、エルフは単なる蛮族である。きわめて文明が乏しく、裸同然の格好で野山を駆けずり回る原始的な生活を送るエルフを、いくら姿が似ているとはいえ、人間とは見なせない。人間ではない人間以下の生物は殺しても罪ではない。そして、攻撃して勝利したなら、戦利品を奪い、女を犯すのが当然である。それが彼らの常識だ。
犯した女をも後始末してエルフを皆殺しにした騎士団は、集落の中央に生えている木を見つけた。
なにやら淡い青色に輝いている、神聖な雰囲気のする大樹である。
「これは、たいそう価値のある代物に違いあるまい」
ほくそ笑んだガーランドは、やおら手を伸ばすと、その木から枝を一本、力ずくでへし折り、奪った。
折れてもまだ青く発光する枝を見て、ガーランドは確信した。
「なんと摩訶不思議な! これこそが迷宮の宝物だ!」
枝を握る手を頭上に掲げ、大きく叫ぶ。
周りの騎士団員たちも雄叫びを上げ、勝利を祝った。
そのときである。
四方八方から矢が飛来し、騎士団を襲った。
勝利と戦利品の味に酔いしれ、油断しきって無防備な彼らが奇襲を防げるはずもなく、頭や胸を正確に貫かれ、バタバタと倒れ、死んでいく。
彼らは勝者の座から転げ落ち、今度こそ、集団としての体裁も保てず、全員が好き勝手にバラバラの方向へ、散り散りになって逃げたのだった。
それからどこをどうやって逃げたのか、ガーランドは覚えていない。
とにかく、仲間と共に霧の中を右へ左へ、木々の隙間をすり抜けたりぶつかったりしながら、斜面を転がり落ち、腰から下まで水没しながら川を渡り、汗まみれ泥まみれ、無我夢中で走り回って、逃げ続けた。
騎士としてのプライド、どんな敵が相手だろうと正面から正々堂々と挑む《誉れの騎士》の名など、忘れていた。
あの場に留まっていては死ぬ、という直感。
見えない敵から弓矢で狙い撃たれる恐怖は想像を絶しており、応戦するという選択肢を最初から除外させるにじゅうぶんすぎた。
しかし、逃げても逃げても、謎の狙撃手の追撃は執拗に続き、気づいたときには、五十人いた騎士団は、二人だけになっていた。
ガーランド本人と、腹心の部下、副団長ビヨール。
他の者は獣に食われたか崖から転落死でもしただろう。
副団長ビヨールは幼少よりガーランドの世話をしている使用人で、歳が近いこともあり、まるで兄弟のように接してきた。
もっとも頼れる男が最後に残ったことは不幸中の幸いであった。
だがそのビヨールも、背中に矢を受けてしまっており、傷は浅くない。 ガーランドが肩を貸すことで、やっと歩くことができているのだ。
「も、もうしわけありません、ガーランド様。私としたことが」
「よい。なにも言うな。いまは、生き延びることだけを考えるのだ」
「くっ、私をここに捨て置いてください。せめてガーランド様だけでも脱出するのです」
「馬鹿を言うな! 私とそなたは実の兄弟も同然ぞ。兄を見捨てることのできる弟などおらん!」
ビヨールは感動の熱い涙を流した。
さすがは、《誉れの騎士》である。
ふたりして、えっちらおっちら、狙撃手の追撃に怯えながらよたよたと歩いていると、マジックカンテラの明かりに浮かび上がる人影があった。
岩壁にナイフの刃を当てて、ごりごりと削っている。
「に、人間か?」
誰何の声に応えて、こちらに背を向けていた人影が振り返る。
黒髪、褐色の肌が特徴的な、ごつい体つきの若い男だ。衣服は黒シャツとジーンズという軽装で、剣を一振りだけ腰に提げている。
男はこちらを見るなり、迷惑そうに眉をひそめた。
「……誰だ? おい、そのカンテラの火を消せ。魔物が寄ってくる」
◆
《霧苔》と呼ばれる、薬の材料となる、この森の霧を吸って育った苔を採取しようとしていたときのことだ。
岩場に群生する苔をナイフで丁寧に削ぎ落としていると、不意に、足音が聞こえた。
ずる、ずる、と引きずるような足音。
大人の人間、それも手負い。
一応、ユーリは剣の柄に手をかけた。
黙ったままそちらに目を向ける。
ほどなくして、血塗れの二人組があらわれた。
片方は、白銀の甲冑を身にまとった巨漢。ずいぶん上等なものを装備している、どこぞの騎士か。ただしその甲冑はかなりあちこちが陥没しており、ヘルムの角は折れ、しかも《乾き》の加護を準備していないのか、霧にやられてずぶ濡れだ。
もう片方の男は、鉛色の甲冑を着用していた。四十歳くらいで、逞しい肉体をしている。ひどい怪我だ。背中に矢が突き刺さっている。血が滴り落ちており、もう長くは生きられないだろう。
白銀の騎士が手に持ったカンテラの明かりが、霧深い暗闇にかろうじて三人の姿を炙り出す。
「カンテラの明かりを消せと言ったんだ。聞こえなかったのか」
「な、長居するつもりはない。出口はどちらの方向にある? 私たちはこの迷宮から出たいのだ」
白銀の甲冑を着た男、ガーランドが言った。
ユーリは柄にかけていた手をゆるめず、こう返した。
「ここからなら、南東に丸一日も歩けばすぐエレベーターだ。ただし、まともに道が続いていればの話だがな」
「なに? どういうことだ?」
「知ってるだろ、この迷宮は生きている。俺はここまで普通に森を歩いてやってきたが、あの道はもう、崖や湖になっていてもおかしくない」
ヘルムのために表情は読めないが、ガーランドの愕然とする気配が伝わってきた。
ユーリは言った。
「迷ったのか? よければ、俺が地上まで案内してやるが」
「どうやって、だ。道はもう続いていないかもしれないのだろう」
「俺は案内人だ。ここからエレベーターまで戻るくらい造作もない」
案内人。
ユーリは、迷宮の内部を案内することを生業とする人間である。
今日はたまたま、依頼人を連れず、個人的な目的でやってきていたのだ。
「どうする? 金を払って俺を雇うか? 忠告するが、あんたらだけで向かったら間違いなく死ぬぞ」
「いくらだ?」
「一人頭、金貨五枚。ふたり合わせて十枚ってところかな」
「ば、ばかな。高すぎるのではないか!」
ガーランドが抗議する。
ユーリは露骨に迷惑そうな顔をした。
「俺だって、慈善事業をやってるわけじゃない。今やってる作業を放り出してあんたらを助けるなら、せめて食い扶持くらいは稼がせてもらわないとやってられん」
もちろん、ガーランドが身分の高そうな格好をしていることで、足元を見た請求をしている。
おおかた、どこかの国で名を上げた貴族あたりが、さらなる名声でも求めて、このリメインにやってきたのだろう。
名誉ある家柄に生まれ、戦場で武勲を立て、確固たる地位を築き、それでも飽きたらず、前人未踏と名高き迷宮の覇者たらんとする。
そういう連中は、ごまんといる。
だが、そういった者に限って、まったくの駆け出しの冒険者よりも、真っ先に命を落とす。
なまじ経験と実績をすでに持っているため、油断しがちなのだ。
それが死に直結する。
剣技や、戦術、地上世界でどれだけ強かろうが、関係ない。
それとは別種の、したたかさという武器が、ここでは必要なのだ。
まあ、それについては、ユーリには関係ない。
重要なのは、身分の高そうな、つまり、地上の貸金庫に金貨を預けていそうな点だ。
窮地に立たされているガーランドの弱みにつけこみ、足下を見る商売をするというのは卑劣といえば卑劣だが、自分が善人であるとはユーリは思っていない。金の亡者であるつもりはないが、迷宮で生計を立てる者とは、例外なくやくざである。安定していないため、稼げるときには稼いでおく必要があるのだ。
「どうする?」
「くっ、足下を見おって」
ガーランドは、一応、地上の冒険者ギルドに金を預けてある。
金貨十枚くらいなら容易に支払うことができる。
だが、あの金は、これから騎士団を立て直すため、そしてそれが不可能ならば本国へ帰還するために必要な軍資金だ。
いくらあっても足りない、命を繋ぐための金貨を、ここで無思慮に浪費していいはずはない。
「あんたら二人の命を救おうっていうんだぞ。命あっての物種だろ、よく考えろ。しかもそっちの手負いの騎士さんを連れて帰るのはかなり骨が折れるだろうしな」
「貴様! 恥を知れ! 怪我人をダシにして金を得ようとは!」
ガーランドは激怒したが、的外れである。
たとえ怪我をしようが、死んでしまおうが、すべては自己責任。だれのせいだと責めることはゆるされない。その覚悟がある者のみが冒険者として迷宮に潜る資格を得る。それが、冒険者にとって共通の認識だ。
ただでさえ、迷宮の内部は危険で満ちている。
だれもが、自分の身を守るだけで精一杯なのだ。
手負いの、まともに動くことすらままならない足手まといをかばいながら出口までたどり着くことは、至難だ。自分までも危険にさらす。
無料で命を賭けてやる義理がないから、請求はそれ相応につり上がって当然だ。
さらに、ビヨールが背中に受けた傷は、かなり深い。
ユーリは、ちょっとした応急処置ができる道具と薬は所持しているが、それだけではどうやっても助かりそうにない。今すぐここに病院と医師を持ってこなければいけないところだが、さすがにそれは無理なので、急いで地上へ戻らなければならない。だがそれでも危ういだろう。
はるかいにしえの時代には、神の力を借りて傷を癒す、神聖魔法とかいう奇跡の使い手が存在したらしいが、そんなものは酒場の与太話となって久しい。
現在の魔法といえば、たとえば、火の玉や氷柱を飛ばす、風を起こすなどの小規模な攻撃魔法、生活を便利にするための魔道具、そして、施設の動力源となる魔導機械などが、主流だ。
ユーリのような冒険者にとっては、この闇と霧に包まれた地下世界でも鮮明な視界を確保する《暗視》、霧で身体が濡れるのを防ぐ《乾き》の加護という、個人が身につけるまじないのほうが実用的で人気が高い。
つまり個人レベルでの人間にとって、魔法はかなり逸失、衰退した技術であり、今ここに神聖魔法の使い手が現れて傷を癒してやるという奇跡は起こらない。もちろんユーリ自身もその使い手ではないし、むしろ魔法はかなり苦手だ。
「で、結局、俺を雇うのか、雇わないのか」
いいかげん、うんざりしてきたユーリは、ぞんざいに尋ねた。
ユーリにとっても迷宮内は危険だらけだ。ひとつのところに長居したくはない。だらだらとおしゃべりを続けていいはずもない。
決断は一瞬で。
行動は速攻で。
それが、迷宮で生きる者にとっての鉄則だ。
それに反してぐずぐずと思案した挙げ句、ガーランドの出した結論は、
「……ビヨール」
「ガ、ガーランド様。どうしたのです?」
低い声を絞り出す、ガーランド。
今までとは異質な気配を感じ取ったビヨールが、不安げに主人を見つめる。
ガーランドはおもむろにビヨールを突き飛ばすと、剣を抜いた。
「すまん! 介錯いたす!」
鋭い一閃が、ビヨールの首筋を切り裂いた。
血の混じった泡を吐きながら、絶望の表情を浮かべて崩れ落ちる、ビヨール。
共に育ち、兄のように慕っていた男の返り血を浴び、白銀の鎧を真っ赤に染めたガーランドは、ヘルムの奥の瞳を血走らせながら肩で息を繰り返していた。
「……これで、足手まといはいなくなった。頭数が減ったし、私は怪我を負っていない。金貨二枚で雇わせてもらおうか」
断れば、貴様も斬るとでもいわんばかりの威圧感。
ユーリは冷たく言った。
「まあ、いいさ。俺はユーリ。あんた、名前は?」
「ガーランドだ。北のレンド王国では、《誉れの騎士》と呼ばれている」
ユーリは、皮肉げに笑った。
「《誉れの騎士》、ね」
「なにか言いたいことでも」
あるのか、と続けようとしたガーランドの視界から、ユーリの姿が消えた。
同時に、衝撃が左手を襲う。
マジックカンテラが蹴り飛ばされたのだと気づいたとき、ユーリは、すでにガーランドの背後にいた。
二頭の狼が、無防備なガーランドの背中を狙って飛びかかるところだった。
狼。
それは獰猛、そして隠密。
ただの獣と侮るか?
人の肉を切り裂く爪、首を食いちぎるための牙、強靱な筋力。冷酷な殺意。物陰で気配を殺す慎重さ。殺人のための武器はすべてそろっている。
死角から忍び寄る彼らにとっては、油断した騎士など、ただの餌。
ユーリの疾走が加速する。
先頭の狼とすれ違いざま、剣を抜き放って切りつける。
俊敏な太刀筋は獣の横っ腹に鮮血の線を引き、さらに返す刀で後ろの狼の首をはねた。
ガーランドは、反応すらできなかった。
ただ呆然と、遠くへ転がってしまったマジックカンテラが辛うじて照らし出した光景を見つめるのみ。
「さっさと消せって言ったろ」
ユーリは平然と言った。
剣を振って血を飛ばし、鞘におさめる。
「じゃあ行こうか、お客さん。案内してやるよ、出口まで」