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彼は迷宮の案内人  作者: あすてか
第一章《乳白色の森》
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《邂逅》




 クラティアの、この森の陰鬱な霧と闇を吹き飛ばすような美しさは、神々しくすらあった。

 ラスヴェートはそうすることが当たり前のように、うやうやしく膝を突き、頭を下げた。


「ご無沙汰しております、クラティア様」


 畏敬のこもった声色だ。

 クラティアは超然とそれを見下ろし、


「顔を上げて立ちなさい。お互い、帝国の法に縛られる立場ではなくなったのですから」

「は……」


 このふたりは、どうやら旧知の間柄のようだ。

 ラスヴェートはゆっくりと立ち上がった。

 そして、フードに手をかける。


「お見せしてもよろしいでしょうか」

「なぜそんなことを尋ねるの?」

「覆い隠したままでは不作法、しかしお見苦しいかと思いまして」


 クラティアは、苦笑いを浮かべた。


「あいかわらず生真面目ね。いいわ、取りなさい」

「は」


 ラスヴェートはフードを脱ぎ、狼頭をあらわとした。

 片目の潰れた、黒狼。

 クラティアは眼を細める。


「千年ぶりかしら。あなたが帝国を去って以来だわ」

「はい。ご挨拶もなく消えたこと、恐縮の至り」

「そうね、あなたの出奔はちょっとした騒ぎを起こしたわ。でも、なぜ? ルガルに敗北したのがそんなにショックだったというの?」


 なによりも比類なき強さに固執し、もっとも戦いに優れたる者が長として群れを率いる人狼族。

 同族間で実力の拮抗する猛者が二名以上同時に存在していた場合、情け容赦のない殺し合いという過程を経て、一族のリーダーを決定する。

 かつて黒狼ラスヴェートは、人狼族の長の地位を賭けて、ルガルという名の金狼と争った。

 視界に映るすべての生命を奪う魔眼の持ち主、《死神》ラスヴェート。

 その圧倒的な凶暴性と尋常ならざる爪牙の冴えで知られる、《餓狼》ルガル。

 とある湖のほとりで人知れず始まった両者の死闘は、人狼の歴史上かつてないほど激しく、熾烈を極めるものであったという。


 結果として、勝負は金狼ルガルに軍配が上がった。

 敗北したラスヴェートは、なぜゆえか命までは奪われなかったものの、片目をえぐりとられ、全身に深い傷を負った状態で捨て置かれ、その日のうちに彼を知るすべての者の前から消え失せた。


「狼に頭はふたつもいらぬ。それだけのことです。彼に遺恨を残しているというわけでもありません」


 ラスヴェートは淡々と言った。

 クラティアは、「そう」とだけ答え、それ以上は訊かなかった。

 もとより彼女は、そのことについて問いただそうとしていたわけではない。


「いいわ。それはそれとして。私がこうして現れた理由は分かるかしら?」

「彼について、でしょうな」


 ラスヴェートは、ちらり、と背後を振り返った。

 そちらは、野営地点のある方向だ。

 クラティアは、腕を組み、険しい目つきでラスヴェートを睨む。


「ユーリに手出しすることは許さない」

「……失礼ながら驚いています。あれほど人間を憎悪し、殺すことに喜びを見いだしていたあなたから、そのような言葉が聞けるとは」


 ラスヴェートの瞳には、感嘆の色さえあった。

 クラティアの双眸はますます厳しさを増す。


「茶化すつもりなら、覚悟なさい。八つ裂きにしてあげるわ」

「そのようなつもりでは」


 ラスヴェートの耳が、まるで叱りつけられた犬のそれのように垂れた。 クラティアは鼻を鳴らす。


「過去を知っている者同士、相手の言葉を素直に信じられないということよ。私とて驚いているわ。《死神》とさえ呼ばれたおまえが、あんな小娘と仲睦まじく夫婦ごっこをしているなんてね」


 ラスヴェートの口元に浮かんだのは、皮肉げな笑みだった。


「まったくもってお互い様のようで」

「……おまえが彼を手にかける可能性がほんの少しでもある以上、ここで血に飢えた獣の命を終わらせることに躊躇はないのよ」


 クラティアの言葉は、本物の殺意が滲んでいた。

 ラスヴェートは思案するがごとく、毛に覆われた顎を撫でる。


「どう説明すれば私を信じていただけるものか、困りましたな。私にとっても、彼はやっとのことで見つけた楽園へいたるための重要な案内人なのです。どうして殺すことなどできましょうか」


 そこまで言ったとき、先の尖った耳が、ぴくぴくと動いた。

 はるかかなたの音を、敏感にとらえたのだ。

 瞬時に、殺気を帯びながら振り返る。


「釈明している時間はないようです」

「そのようね」


 ほぼ同時に何らかの事態を察知したのか、クラティアの姿が忽然と消える。

 ラスヴェートは地を蹴って、来た道を猛然と戻った。

 


 ◆



 すこしだけ時間を遡る。

 いくら呼びかけてもクラティアの返事がないので、ユーリは仕方なく黙って火の番を続けることにした。

 どれくらい経っただろうか、さすがにラスヴェートの帰りが遅いのではないかと心配し始めた頃、テントの中からもぞもぞとセラフィーナが這い出てきた。


「旦那様はどこ?」


 周囲をきょろきょろと見渡して、心細そうに言う。

 さきほど周囲を探索すると言って森に入ったと答えてやると、セラフィーナはとたんに機嫌を害して、声を荒げた。


「こんな危険な場所に、旦那様をひとりで出歩かせたの? 彼にもしものことがあったらどうするというの?」

「自分で行くと言ったんだから仕方がないだろう。それに、あんたの旦那はかなりの凄腕のようだし、このあたりの魔物なら殺される心配はない」「そんなことを言っているのではないわよ、この役立たず!」


 セラフィーナは激しく憤慨した様子でユーリに詰め寄り、罵った。


「彼をわたしから遠ざけるなんて! どういうつもり!? わたしと旦那様はひとつなのに……離れていては生きていけないのに。それなのに」


 ユーリは、訝しく思ってセラフィーナのほうへ視線を向けた。

 なにか、ただならぬ気配をまといつつあるのだ。

 激しい呼吸を繰り返し、震える両手で顔を覆う。

 その指の隙間から、隻眼がユーリを暗く睨みつけていた。


「おまえも、わたしと旦那様を引き裂こうとするの?」


 ユーリは、剣の柄に手を伸ばしながら立ち上がった。

 

「馬鹿なことを言うなよ。それより、俺のそばに寄れ。お客さんが来たみたいだ」


 セラフィーナが返事をするよりはやく、その襟首をつかんで引き寄せる。

 悲鳴を上げて抗議する少女のことは無視して、森の奥に目を向けた。

 獣そのものであるラスヴェートとまではいかなくとも、ユーリの五感は充分に異常といえるほど発達している。

 大勢の人間が柔らかい土を踏みしめる音と微細な振動。

 甲冑の関節部分がこすれあって奏でる金属音。

 そして、殺気。


 現れたのは、完全武装した百人もの集団だった。

 先頭に立っているのは、頭にターバン、身体にはマントをまとい、無精髭を生やした薄汚い風体の男だ。ひどく疲労のたまっている様子だが憔悴しているわけではなく、むしろ瞳ははっきりとした光を帯びており、覇気がある。


 一見しただけでも、ただの冒険者や野盗などではないと分かる。

 が、数を集めて、殺気をギラギラとさせながら近寄ってくるのは、物取り目的だと相場が決まっている。

 死人に口なしという無法が実質的な法としてまかり通っている地下迷宮では、他人の獲物を殺して奪うという不条理でさえ日常茶飯事だ。

 むしろ、横取りすることを最初から目的として、徒党を組む者たちが後を絶たない。魔物を相手にしたり危険な岩場から宝石を採掘するよりかは、それらを他人にやらせて、成果のみを奪うのが楽で賢い方法というわけだ。


 しかしそれだけでは言い表しきれない必死さ、信念のような目的が、彼らにはあるように感じられた。

 ユーリは尋ねた。


「よう。大所帯だな。どうした、俺たちになんか用か?」

 

 緊張感のない、軽い口調。

 ターバンの男が、底冷えするような声で答える。


「私はバルナウル。察しの通り、貴殿らに急ぎの用がある」

「ほお」

「単刀直入に言おう。ラスヴェートという男を探している。奴を捕まえるのに協力してほしい」


 セラフィーナは目を見開いて激しい反応を示し、バルナウルを凝視した。

 対照的に、ユーリは動揺した気配もなく、


「断る」


 と、言った。


 バルナウルの眉間にしわが寄る。


「報酬を支払う用意がある、と言ってもか? もちろん金貨の十枚や二十枚ですませるつもりはない」

「ああ。俺は案内人で、あの旦那の目的地まで送り届ける契約を交わしてる。いまさら裏切ることはできない。どんな大金を積まれようとも、な」


 いったん引き受けた依頼を反故にすることはない。

 それが、ユーリがおのれに課したルールであり、それは絶対だ。


「事情を説明する必要があるようだな。彼は、我が国の至宝を盗み出したのだ。あの宝刀がなくては、新たな君主を立てることもできない。分かっていただけるか、これはひとつの国家の存亡の危機なのだ」

「あんたがどこの誰で、どんな事情があろうと、関係ないね」


 ラスヴェートがどんな大罪人だろうと、バルナウルにどんな正義があろうと、ユーリにとって重要ではない。

 受けた依頼は必ず完遂する。

 それがリメイン案内人のことことわり


「俺の依頼主に手を出すつもりなら、後悔することになるだけだ」


 剣を抜く。

 ユーリに後退する意志はない。ここで、百人を相手に切り結ぶつもりなのか。

 バルナウルは口元を引き結び、下顎が盛り上がった。


「ならば仕方があるまい。こちらとしては、穏便に解決したかったのだがな」


 覚悟を秘めた堅い声で言って、片手を掲げる。


「こういった状況も想定して、傭兵を雇っておいた。盗人を捕らえる前に、邪魔な護衛を片づけるとしよう」

 

 ずしん、ずしん、と大地を揺らす、足の運び。

 バルナウルたちの後方から歩み出たのは、二メートルを超える図抜けた巨漢だった。


 でっぷりと太り、突き出た白い腹。

 頭をすっぽりと覆うラバーマスク。

 マスクに空いた穴からのぞく、ふたつの狂った瞳。


「では、頼んだぞ、ツァール殿」

「りょ~~~~かい、だってばYO!」


 語尾を強調する独特の声と共に、ツァールの両脇に立っていたふたりの騎士が空中に浮かび上がった。


「えっ」

「はっ?」


 ふたりが間の抜けた声を発してしまったのも無理はない。

 いきなり頭部を圧迫された感触と共に、視線の位置が急上昇したのだ。

 なぜならば、ツァールがその左右の手でそれぞれ騎士の頭をつかみ、持ち上げたのである。

 体格が優れ、甲冑を着込んだ大の男の重量は、百キログラムをゆうに超えるだろう。

 それをまるで造作もなく片手で、野菜でも持つかのように。

 尋常な腕力ではない。

 その怪力は、ふたりをただ持ち上げただけでは終わらなかった。


「YAAAAAAAAAAHAAAAAAAAA!!」


 風が唸りを上げる。

 凄まじい勢いで左右の腕を振り切り、つかんでいた物をぶん投げる。

 ユーリとセラフィーナめがけて投擲されたのは、ふたりの騎士。

 

 いまだに自分の身に起こった事態が飲み込めていない、呆気にとられた表情で、ふたりは飛ぶ。


 ユーリはセラフィーナを抱え上げ、すばやく横に跳んだ。

 直前までユーリが立っていた地点をむなしく通過して、ふたりの騎士は大木の幹に激突した。


 甲冑がバラバラに砕け、その中身たる人間も同様に四散。

 血と臓物がミックスジュースとなって盛大に爆発すると共に、半ばからへし折れた大木が崩れ落ちた。


 ツァールは、胸の前で指を鳴らし、わざとらしく地団駄を踏む。


「おっし~~~ぃ! もうちょっとでストライクだったのにNA!」


 が、その直後には気を取り直したかのように肩をすくめ、


「まっ、はずれちゃったものはショーガNAI。つぎ、逝ってみYO!」

 と、底抜けに明るい声で言うと、狂った瞳をぎょろりと動かし、手近に立っていた騎士たちを新たな標的として定めた。


「なにを、やっている」

「んあ?」


 震える声で言ったのは、バルナウルだった。

 手をわなわなとさせ、ラバーマスクを見上げる。


「なにをやっている、貴様ァァァ!! いま、なぜ、あのふたりを殺した!? 我々は味方だぞ! 貴様っ、正気か!?」


 まったくもって非の打ち所のない正論であった。

 敵は、ラスヴェートと、彼を守るユーリ。

 バルナウルたちは、味方。

 命を奪うなら敵にするべきで、味方は守らなくてはならない。

 説明するのもバカバカしくなるようなことだ。

 だが、ツァールは、悪びれる様子もない。


「なぁに言ってんだYO? 俺様、ぜぇんぜぇんわかりませぇん」

「なっ!?」

「あのね、皇子様。俺様がプロなのは、ぶっ殺すことなの。大好きなのは、ぶっ殺すことなの。味方? だからナニ? それっておいしいの? 食えるの? なんで殺しちゃダメなの?」


 両手を高く掲げ、おおげさな身振りで叫ぶ。


「敵だから殺す! 味方だから守る! そんな先入観にとらわれてチャ、毎日が楽しくナイ! 人生をエンジョイもエキサイティングもできやしない! 俺様ちゃんはさぁ、そーゆーのが大嫌いなワケぇ! わかるかな、この意味!?」


 バルナウルに顔を近づけるツァールの双眸はギラギラとした狂気に血走っており、吐息は、生の血肉の臭いが染み着いていた。


「つーか、あんた、つまんねぇよ」


 気圧され、後ろに下がる、バルナウル。

 豪腕が、新たな弾丸の首を鷲掴みにした。ごき、と骨の折れる音。


「生きてる奴は皆殺し。それがいいジャン♪ それでいいジャン♪ YAAAAAAAHAAAAAAA!!!」


 人間砲弾が、ユーリに迫る。

 それが着弾するよりもはやく、疾風のごとく飛び出た影が、砲弾を蹴り飛ばした。

 あさっての方角へ跳んでいく死体には目もくれず着地したのは、人狼ラスヴェート。フードで顔を覆っている。


「妻は無事かね」

「ああ。元気がよすぎるくらいだ」

「それは重畳。さて……」


 ラスヴェートはツァールを睨みつける。


「いやなにおいが、するな」

「お互いにNE♪ ぶひっ♪」


 いきなり現れたラスヴェートに対しても、ツァールはたいして驚いていない。

 獲物が増えた、ぐらいにしか認識していないようだ。


「ユーリ。やっかいな相手が現れたわね」


 クラティアの声。


「おまえ、どこに行ってた?」

「そんなことはどうでもいいでしょう。集中しなさい、奴は――」

「わかってる」


 ユーリは水平に剣を構えながら、バルナウルに言った。


「あんた、とんでもない奴を雇ったもんだな」

「ど、どういう意味だ?」

「そいつをただの傭兵だと思ったなら大間違いだ。そいつらにはまともな雇用関係なんてありゃしないし、ご覧の通り、敵も味方も関係ない。目に映る命をなにもかも殺し尽くすまで止まらない」


 わずかに、緊張の滲んだ声。


「ヨルムガルドの傭兵。正真正銘の怪物モンスターだ」


 ツァールは、喜びを含んだ声で、「ぶひっ♪」と鳴いた。



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