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彼は迷宮の案内人  作者: あすてか
第一章《乳白色の森》
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《鬼蜘蛛》




 鬼蜘蛛とは、この《乳白色の森》を生息地とする、凶悪な怪物の一種だ。

 外見は巨大化した蜘蛛に近いが、頭部だけは人間のそれに酷似しており、開きっぱなしの口から何本もの触手を垂らし、その先端を突き刺して獲物の血や臓物をすする。

 細長い八本脚で樹上を音もなく移動し、隙を見せた冒険者を襲っては補職する、俊敏で凶悪な魔物だ。熟練の冒険者でさえ不覚をとることもあるため、この森で遭遇する可能性のある魔物の中では高い危険度を誇るといえるだろう。


 音は、聞こえない。

 気配をも巧妙に隠している。

 だがユーリの五感は、わずかな殺気をも確実に捉える。


「三匹か」

「私も手伝おう」

「あんたは、嫁さんを守ってろ。すぐに終わる」


 そう言ったユーリの頭上から、影が落ちる。

 毒々しい赤茶色の巨体。毛は生えておらず、油でも塗りたくったかのように、ぬるっとした質感の皮膚に覆われている。

 眼が十個以上、顔のいたるところに散らばっており、死角は存在しないようだ。

 鬼蜘蛛はその馬ほどもある体でユーリを押し潰そうと試みたようだったが、おのれの浅はかさをすぐに後悔する羽目になる。

 

 頭頂から尻の先まで中心線にまっすぐ切れ目が走ったかと思うと、着地する前に左右へパカッと開いた。

 両断された死体の中央に、無傷のユーリが立っている。


 冷静な眼差しで残りの鬼蜘蛛の位置を確認すると、すばやく疾走。

 木の幹を蹴り、高く跳躍。

 樹上に潜んでいた鬼蜘蛛が慌てたように四本の前脚を振り上げて威嚇したが、顔面を冷たい切っ先で貫かれて沈黙した。

 ずるり、と死体が枝から転げ落ちて地面に叩きつけられる。


 最後の一匹は、ユーリが地面に降り立った瞬間を見計らって突撃を仕掛けてきた。

 八本脚を駆使して速度を上げ、口から生えた触手を蠢かせて先端の狙いを定める。

 ユーリはすぐ傍らに生えていた木を一撃で断ち切り、みずからは軽く後ろへと跳んだ。

 獲物を逃がすまいとさらに走る鬼蜘蛛。

 その上に、半ばから切断された木が倒れてきた。


 かわす暇もなく押しつぶされた鬼蜘蛛は、八本脚をジタバタと動かしてもがき苦しむ。

 触手がもぞもぞとしきりに踊る口からは、ぶしゅー、ぶしゅー、と不気味な悲鳴が漏れている。

 ユーリは特になんの感慨もない様子で近寄ると、その首をさっさと切り飛ばしてしまった。


 ラスヴェートはセラフィーナをかばいながらその様子を見守っていた。


「終わったようだな」

「ああ。先を急ごう」


 一行は歩みを再開した。

 湿気を帯びた地面を踏みしめて、ただただ進む。

 


「確認しておくが、俺の仕事は例の場所へ案内するだけでいいんだな?」「ああ。村に移住することについて交渉するのは、私がやる」


 果たして、逃亡生活を送る者ばかりで構成される集落が、いきなり現れたよそ者を、仲間の一員として歓迎するだろうか?

 答えは言うまでもなく、否、だ。

 が、それについては、ラスヴェートに考えがあるようだった。


「手みやげを持参している。おそらく、無下にはされまい」


 そう言って、腰から提げた鞘を叩く。そこに収まっているのは、あの黄金の宝刀だ。


 ユーリは、「そうか」と言った。

 依頼人がそう言っているのだから、それ以上は知ったことではない。

 たとえ、ラスヴェートが《聖域サンクチュアリ》に受け入れられず、この地下世界アンダーワールドで行き場を失って途方に暮れようとも、そこまで責任を持つことは、仕事の内には入らない。

 冷酷なようだが、それが今回の仕事の契約だ。


「ところで、あんたの嫁さんは大丈夫なのか」


 ラスヴェートの背後を、影のように付き従って歩くセラフィーナ。

 尼僧服の少女は、道中、一言も口を開いていない。

 もともと口数の多い人間ではないのだろうが、それだけではなく、やや血色が悪い。手足の運びも、ぎこちないように見えた。


「無理は禁物だ。休憩が必要なら、いつでも言ってくれ」

「どうするね、セラフ。彼はああ言ってくれているが」


 セラフィーナは、首を横に振った。


「だいじょうぶよ」

「……本当か? この先、どれぐらい歩くことになるか分からん。むやみに急いで体調を崩すのは危険だぞ」

「あなたに心配されるほど落ちぶれてないわ。私のからだのことは、私がいちばんよくわかってる」


 はっきりとした口調でそう言い、ユーリを隻眼できつく睨みつける。

 だがその直後、けほ、けほ、と軽くせき込んでしまった。

 すぐにラスヴェートが歩み寄り、その背中をさすってやる。


「言わんこっちゃない。もういい、休憩だ。今日はこのあたりで野営する」


 案内人の決定に従う義務はないが、賢い依頼人は、案内人の言葉を素直に聞くものだ。

 ラスヴェートは賢い依頼人であった。

 

 旅慣れている人間ばかりだったので、野営の準備はことのほか捗った。 魔物の気配がないことを確かめてテントを張り、魔物除けの結界と、食事を調理するための焚き火を準備する。

 

 近くの川から水を汲んできて鍋に湯を沸かし、塩漬け肉をぶちこんだスープや、乾燥した米を戻した粥を用意する。

 岩塩や干した香草で風味を加えただけの簡素な食事だったが、この地下世界でまともな食事を口にできるだけでも幸福だ。

 

 三人は暖かい食事で腹を満たした。

 数時間後の再出発に向けて、身体を休めておく時間だ。

 セラフィーナは、やはりずいぶんと疲労が蓄積していたのか、テントの中で横になると、すぐにすやすやと寝息を立て始めてしまった。


 ユーリは、焚き火の前に座り、じっと炎を見つめている。

 テントから出てきたラスヴェートが、その背後に立った。

 

「きみも、休んだほうがいい」

「心配ない。それより、嫁さんの調子はどうだ」

「ぐっすり眠っているよ。すこし、無理をさせてしまっていたようだ」


 申し訳なさそうに、ラスヴェートは言った。


「余計なお世話だと思うが、彼女はかなり体調がよくないんじゃないのか。おまけに、義手と義足でこの地下世界アンダーワールドを歩くのは、至難の業だ」

「気付いていたのかね」

「精巧な造りだな。一見しただけじゃ分からん。だがどうしても挙動に不自然さが現れる」


 木や鉄で作られた、ただの義手と義足では、あのように意のままに動かすことはできない。まるで人体のごとく錯覚させるほど自在に操ることができるのは、魔力を帯びたマジックアイテムゆえだ。

 しかし、それほどの上質なマジックアイテムは太古の昔に地上から失われており、入手することは極めて困難だ。


 例外があるとすれば、今まさにユーリたちが足を踏み入れている、このリメイン地下世界。

 《地下世界アンダーワールドの遺産》、と呼ばれる、強力なマジックアイテムの数々ならば、セラフィーナの義手義足のように、素晴らしい逸品もありえるだろう。


「あんた、ここは初めてじゃないんだろ」


 ユーリの言葉に、ラスヴェートは答えを返すのが遅れた。


「依頼人の過去を詮索するのは、きみの仕事の内なのか?」

「……いや、違うな。悪い、興味本位でつい訊いただけだ」

「そうだな。お互い、悟っていても口に出さぬほうがいいこともある」


 ラスヴェートは、森のほうへと歩き出した。


「私が、きみの剣について訊かぬように」


 ユーリは目を見開き、炎から視線を外すと、ラスヴェートの後ろ姿を凝視した。


「すこし、周りの様子を見てくる。戻るまで、妻のことを頼んだ」


 黒いローブ姿が森の奥に消えていく。

 ユーリはじっとそちらを見つめていたが、舌打ちして視線を腰の鞘へ落とした。


「おい。どういうことだ?」


 だが、返事は、なかった。


 

 ◆



 ラスヴェートは、すこし歩いた先に流れている小川で口をゆすぎ、喉を潤していた。

 狼頭人身、怪物の身といえど、喉は渇くし腹も減る。

 川の流れに目をやれば、うまそうな川魚が泳いでいるのが見えた。

 まるまると太っているのは、冒険者か魔物の死体でも喰っているのか。なんにせよ食いでのありそうな、たっぷり脂肪の乗った魚だ。


 しかし、食料を確保するために、ここまでやってきたわけではない。

 ユーリも、妻さえもいない場所で、ひとりきりになる必要があったのだ。

 彼はここで、ある人物を待っている。

 誰の目も届かない場所ならば、きっと現れて接触してくるはず。


 その目論見が当たり、たいして待ちわびる必要もなく、その人物は現れた。


 何もない空間から、ふわり、と浮かび上がったかと思うと、重力を感じさせないゆっくりとした速度で落ちて、地に足を着ける。

 ドレスをまとった小柄な少女。

 クラティアだ。

 腰に手を当てて、彼女はラスヴェートと向かい合った。


「久しぶりね、《死神》ラスヴェート」



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