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彼は迷宮の案内人  作者: あすてか
第一章《乳白色の森》
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《竜虎》

 



「ユーリ。どこへ向かうの?」


 近くに人の気配がない通りに入ると、クラティアの声が聞こえた。


「姐御のところだ」

「あの男の依頼。断ったほうがいいわ」


 ユーリは怪訝な表情を浮かべる。


「なんだよ、藪から棒に」

「そう思っただけ。あの男は危険すぎるわ。関わり合いになってもあなたの利得にはならない」

「だとしても、引き受けたからには、もう遅い」


 はあ、と、ため息をつく。


「そう言うだろうと思ったわ。まあ、これから会う牝狐にでも相談してみなさいな。きっと私と同じことを言うでしょうから」


 しばらく路地裏を歩くと、あの崩れかけの雑貨店が見えてきた。

 入り口の横で椅子に座っているレナーテの姿。

 軽く挨拶してから、店内に入る。


「姐御。俺だ」


 声をかけると、やや間を置いて、店の奥から返事があった。

 静かに待つ。

 ぎし、ぎし、と老朽化した廊下を軋ませながら、フェアラートが現れた。


 湿気を帯びて滑らかな輝きを放つ黒髪。

 一九〇センチの長身、全裸の上からシャツ一枚を羽織っただけという出で立ち。

 眼鏡の奥の瞳は、きちんとユーリに焦点を合わせている。

 先日、ジャンと共に訪れたときの姿とは、打って変わってまともだった。

 ただ、その隠すべきところをまったく隠していない身なりを無視すればの話だが。


「酔いは醒めたのか、姐御」

「んー。おふろ入ったからね」


 ずれた眼鏡を指で押し上げながら、フェアラートは微笑んだ。

 やや眠たげだ。


「んでもあたま痛いかも」

「服を着ろよ。いろいろとモロ見えだぞ」

「いまさら隠したって意味ないでしょ、ぼーや」


 ゴミ山の残骸に腰掛け、あぐらをかく。

 頬杖をついて、「で?」と尋ねた。


「なんの用事? お姉さんの助けが必要なことでも起きた?」

聖域サンクチュアリの場所を知りたい」


 フェアラートの瞳が細くなった。


「なんのために?」

「案内の仕事に決まってるだろ。依頼人があそこに行きたいんだとよ。姐御なら正確に知ってるんだろ」


 この雑貨店が扱うのは、形のある品物ばかりではない。

 フェアラートは、この都市の全体に独自のネットワークを持ち、その網にかかった情報をたぐりよせ、収集している。そして、それを欲しがる者へと売りつける。

 いわゆる、情報屋だ。

 あられもなく泥酔している状態からは想像もできないほど、この都市の暗部に精通し、長けているのだ。


 迷宮内の最新情報、表には出ない裏話、他人の素性、弱みなど、大金を支払ってでも知りたいと願う者はいくらでもいる。そのため、莫大な利益を得ることのできる商売である。

 


「依頼人は、どちらさま?」

「顧客情報は漏らせないな」

「ぶー。おねーさんに隠し事するような悪い子には情報を売ってあげません」


 ユーリは、苦虫を噛み潰したような顔をした。

 情報の交換を持ちかけられたかたちとなった。

 昔から、駆け引きじみたことでフェアラートに勝てたためしはない。

 仕事をやりやすくするための交渉術のノウハウなどの多くは彼女から学んだものなのだ。

 ぼやっとした振る舞いとは裏腹に、本性は、蛇蝎である。

 師匠としては頼もしいが、テーブルを挟んで向かい合うとやりにくいことこのうえない。


「当ててあげようか」


 フェアラートはいたずらっぽく笑った。


「人狼のラスヴェート。そうでしょ?」

「さすがに耳が早いな」


 それほど驚くには値しない。

 リメインに出入りした人間のリストは、その日のうちにフェアラートの知るところになる。

 ごく最近にリメインへ足を踏み入れた人間の中から、《聖域》行きをユーリに依頼しそうな経歴の持ち主を見つけだすことは、そう難しいことではないだろう。

 

「超危険人物だねー。関わるとロクなことないよ」

「危険って、どんなだよ」

「ちょっとした因縁から人を殺したとか、町を壊滅させたとか。いろんな国で問題を起こして、流れに流れてここにたどり着いたっぽいね。まあ、木を隠すなら森の中ってことで、《聖域》を選んだんだろうけど。ユーリ、どうしても仕事を引き受けるの?」

 

 じっと見つめてくる。

 その視線から逃げずに応えた。


「いったん引き受けた仕事はやり遂げろ。そう言ったのは姐御だ」

「……わたしの教えたことなんて忘れてくれていいよ。どうせ役に立たないから」

「そうは思わないから実践してる」


 フェアラートは「レナーテ」と呼び、軽く手招きした。

 静かに歩み寄ってきたレナーテの手には紙とペンがあり、それを受け取ったフェアラートはなにやら紙にサラサラと書き記していく。


「はい。だいたいの方角とか、最近の情報。地形が変動しまくってたら意味ないかもだけど、ないよりマシでしょ」


 レナーテを通じて手渡されたメモには、たしかに、《聖域》のおおまかな位置、周辺の地形などが記されていた。

 もっとも、フェアラートの言葉通り、生きている大迷宮では、地図など気休めでしかない。

 この情報が生きた効力を保っているうちに、すばやく行動する必要があるだろう。

 ユーリは紙片を折り畳んでズボンのポケットに突っ込んだ。


「悪いな、姐御。それで、代金は?」

「ベッドの上でわたしを満足させる、っていうのはどう?」


 胸にかかっていたシャツをめくってみせる、フェアラート。


「却下よ!」


 と、鋭い声が飛んだ。

 ユーリの傍らに、ふわっ、と浮かび上がる、クラティアの姿。

 とたん、フェアラートは不機嫌そうに顔をしかめる。


「ああ、いたんだ、ちんちくりんババア」

「ええ、いるわよ。露出狂のでぶちん牝狐」


 明確な敵意をあらわにして睨み合う。

 ぶつかり合う視線は火花を散らすがごとく苛烈で、店内を一瞬で殺伐とした空気へと変えた。


「いま、わたしがユーリとお話してるんだけどなぁ。加齢臭の染み着いたまな板はどっか行っててくれる? むしろそのまま永遠に戻ってこないでくれるとうれしいなぁ」

「は? お話? 発情した牝狐がうちの主人を誘惑していただけでしょう? なぁに、その格好は? 三十路のだるっだるの三段腹をよくもまぁ恥ずかしげもなく晒せるものだと感心してしまって、開いた口がふさがらなかったわ」


 空気が凍った。

 絶対零度にまで凍てついた空気が、さらに竜巻のごとく荒れ狂う。


「質問なんだけど、あんた、よく前と後ろを間違わずに歩けるよね」

「は? どういう意味?」

「いや、だって。自分でも分からないんじゃない? どっちが胸だか背中だか。ま、わたしは逆に、分かりすぎて肩が凝っちゃうのが悩みなんだけど」

 毒々しい嘲笑を浮かべながら、豊かに膨らんだ乳房を自らの手で持ち上げてみせる。

 クラティアのこめかみに、ビキビキと音を立てて青筋が浮かんだ。


「へぇぇぇ。そういうこと言うの。ふぅん。あら、そう」

「干しぶどうくっつけたまな板って軽そうでいいね! なりたくはないけど! あはははは!」

「……いい度胸だわ。牝狐ではなくて雌豚と呼んであげようかしら。そのラード着せたみたいに無駄な贅肉、ちぎりとってあげるから感謝なさい」

「あ? やってみろよ。その寸胴みたいな身体の線、ボコして起伏を作ってやるからありがたく思えや」


 ファイッ!

 

 ついに竜虎が激突した。


「レナーテ。とりあえず止めるから手伝ってくれ」


 隣り合って立つ少女に呼びかけたユーリだったが、レナーテは言葉では応えずにペンを紙の上に走らせた。

 そこには、「無理」、と。はっきり書いてあった。



 ◆



 ユーリとラスヴェートたちは、第一階層のエレベーターからすこし離れた地点で落ち合った。


「ユーリ。依頼を引き受けてくれたこと、感謝する」


 歩きながら、ラスヴェートが言った。


「気にするな。ただの仕事だ。報酬をもらえるなら文句はない」

「ああ。もちろん、約束通り支払おう」


 一行は、最初のエレベーターから第二階層へ降りるためのエレベーターへ向かうルートとはまるで逆方向に進んでいる。

 フェアラートの情報が正しければ、およそこちらの方向に、《聖域》と呼ばれる集落はあるらしい。


 大迷宮を訪れる冒険者のほとんどは、より下層へと降りていくことを目的としている。

 下の階層では、この《乳白色の森》よりもさらに希少価値の高い貴金属、有用な素材となる魔物、マジックアイテムなどが採れるのだ。

 そのため、一攫千金を目指す者はいち早く第一階層を突破しようと、しゃにむになって第二階層へ降りるエレベーターを目指す。

 もちろん下の階層へ降りれば降りるほど凶悪な魔物がうようよと生息しており、死の危険性は増していくが、より大きな財宝の山を求める冒険者は後を絶たない。


 結果として、人通りの多くなるのは、第二階層へのエレベーターがある方向だと決まっている。

 ならば、世間から爪弾きにされた者たちが隠れ住むのは、その反対方向である可能性が高い。


 この第一階層は、もっとも最初に発見され、もっとも広範囲にわたって探索が進められた土地であるので、ダウンホールが発見された数も多い。 したがって第二階層へ降りるエレベーターも一カ所だけというわけではなく、各地に数カ所ほどバラバラに点在している。

 人気があるのは当然、いちばん近い場所にあるエレベーターだが、地形の変化や目的などに応じて目指すところを選ぶのが一般的だ。


 ユーリたちは、ダウンホールのまだ見つかっていない、すなわちもっとも人気のない方向を選び、歩を進めている。

 《聖域》があるとすれば、このルートだろう、という確信があった。


 ただし、たとえルートが正しいとしても、その道のりは平坦ではない。 

 獣じみた五感によって何かを察知したユーリが足を止める。

 静かに剣を鞘から抜いて、周りを見渡した。


「……鬼蜘蛛だな」


 周囲の木々が、風もないのにわずかにそよぐ。

 霧に包まれた暗闇の中で、獰猛な魔物が牙を剥いた。



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