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《十年前と現在》



 深夜、地下牢の空気はひどく冷え切っていた。

 床が石造りということもあり、極端に体温を奪われる。

 暖房や毛布などという気のきいたものを差し入れられるわけもない。


 鍛え上げた褐色の肉体は寒さに震え、食いしばった歯がかちかちと鳴る。

 ここから逃げ出して暖かい場所へ行きたいと願っても、それはかなわない。

 両手は背中側で木枠にはめられ、足首は鉄球のついた鎖につながれている。

 屈強な看守どもが睨みをきかせ、不動の守りを固めている。


 ユーリは、囚人だ。

 強大な権力によってなすすべもなく捕らえられ、檻の中にぶちこまれた敗北者。

 さらに、彼を弁護する者はいない。

 裁判が行われることもない。

 罪状は、至尊の君主への反逆罪。

 有罪は確定。

 極刑である。

 もうしばらくすれば、処刑人が彼の前に現れ、鋭い刃で、その罪深き首をはねるのだ。


 こつ、こつ、と、足音が聞こえた。

 看守どもの驚いた様子が伝わる。


「下がれ」


 命じたのは、可憐な声であった。

 二度目はないという、有無をいわさぬ声色に、看守どもは退室する。

 これで、二人きりだ。

 あまりの重罪ゆえ、ユーリが閉じこめられたのは、他の囚人のような雑居房ではなく、完全孤立した独房であった。

 それが幸いして、二人きりになった。

 ユーリと、そして、彼の目の前の少女と。


 その少女は天使と見まがう美貌の持ち主であった。

 栗色の、ふわりと波打つ髪。意志の強そうな大きな瞳。赤い唇。体つきは、ほっそりとしていて指先や爪先にいたるまで繊細な芸術品のよう、そして光り輝くような気品に満ちた立ち居振る舞い。

 身にまとう純白のドレスは、いかなる名匠の作品だろう。だがその傑作でさえ、少女の美しさに勝るどころか、引き立て役にしかなっていない。

 少女は、ユーリを見下して艶然と微笑んだ。


「いい格好ね、人間」

「代わってやろうか、クソババア」


 唾を吐き捨て、ユーリは言った。その瞳は剃刀じみた光を放ち、少女を睨んでいる。

 少女は、その無礼をあえて無視した。


「出してあげましょうか」

「あ?」


 問い返す、ユーリ。

 少女は、手を差し伸べた。


「地上へ帰りたくないの? 生きたいなら、出してあげる。その代わり――」



 ◆



 雨音が強くなっている。

 ユーリは浅い眠りから覚醒した。

 職業柄、短時間で良質な睡眠をとる方法は叩き込まれている。

 迷宮内では、いつ、どんな場合でも、外敵の襲撃を警戒しなければならない。だが、人間から睡眠を取り除くことは不可能だ。よって、できるだけ短い眠りで十分な休息を得られるよう、訓練した。


 ユーリは今年で二十八歳になる。

 色濃い褐色の肌の持ち主で、顔の彫りは深く、野性的な魅力を宿し、双眸の光は力強い。身長百九十センチの長身にして、全身を強靱に鍛え上げており、胸板は分厚く手足は丸太のようでありながら、獣のごときしなやかな動きをする。黒豹のような男である。長い黒髪を後ろへ撫でつけ、首の後ろで縛っている。衣服は、黒シャツとジーンズというラフな格好。

 所持品は、必要最低限の物と、腰のベルトから提げた剣のみ。


 岩壁を背にして座り込んだ姿勢から立ち上がり、すばやく周囲を確認。

 たまたま見つけた洞窟に先客がいなかったことは幸運だった。

 ゴブリンや鬼蜘蛛の群れとでも遭遇していたら、とても休憩どころではない。

 自分だけならまだ休む必要はなかったが、同行者の体力はそろそろ限界に近いのだ。いいかげん、足を止めなくてはならなかったのだ。 

 とはいえ、そろそろ出発しなければいけないだろう。

 時間は、限られているのだ。

 

「おい。起きろ。行くぞ」

「……う……」

「悪いな。だが、もう時間がない」


 肩をゆすって、やや強引に目を覚まさせる。


 同行者は、白銀の甲冑に身を包んだ壮年の男だった。かなり大柄な体格で、戦闘の経験も豊富と見える、腕利きの騎士だ。

 が、彼と共に幾多の戦いを勝ち抜いてきた甲冑はあちこちが錆び付き、無様にへこみ、擦り傷だらけになっており、岩場や斜面を転げ回ったことをうかがわせる。ヘルムの左右から生えている角の右側は折れてしまっていた。


「も、もう出発なのか。まだ三十分も休んでいないのではないか」

「贅沢を言うな。死にたいのか?」

 

 ユーリは呆れたように言うと、荷物を背負って歩き出した。

 慌てて、騎士が後を追う。

 洞窟の外には深い霧がたちこめており、小雨がしとしと、と降り続いている。

 世界は広いが、針葉樹が鬱蒼と生い茂る森林が広がり、天井に暗雲が溜まり、雨が降る迷宮というのは、ここしかあるまい。

 

 迷宮都市リメインが誇る世界最大の大迷宮の地下第一層、《乳白色の森》。

 ここは常に暗闇と濃霧に覆い尽くされ、光を生まない。

 ほんの五メートル先でさえ真っ白に染め尽くす霧が、国ひとつに匹敵するといわれる面積にわたって広がっている。

 

 発見されてから五百年が経とうとも大迷宮の全容はいまだに把握されていないが、全部で五層のフロアが存在することは確かだ。

 しかしたった五層とはいえ、それぞれが他の迷宮とは比較にならないほど巨大で、しかもまったく別世界といえるほど多様な面を見せている。


 溶岩が流れる灼熱の大地があるかと思えば、吹雪の吹き荒れる極寒の雪原もある。

 

 そうすると、ただ暗くて霧が濃いだけの第一階層はまだ優しいのかといえば、それはまったくそうではない。

 溶岩よりも、雪原よりも、この森は、どの階層よりも多くの人間の命を吸ってきた。


 リメインの大迷宮といえば、成り上がりを目指す冒険者たちにとって、もっとも熱く血がたぎるホットスポットとして有名だ。

 毎年、一攫千金を目指す夢追い人たちが、五万人から十万人以上、全世界の各地から、この大迷宮を目指してやってくる。


 そして、その半数以上が、この第一階層で脱落する。


 命を落とす者、あるいは、現実をまざまざと見せつけられ、希望をへし折られて絶望する者も多い。


 冒険者たちのあいだでは、大迷宮のミルクは甘くない、ということわざがある。

 乳白色の濃霧を、ミルクとかけているのだそうだ。


 ここは《乳白色ミルキーフォレスト》。

 甘くはない。飲み干せなければ、逆に飲まれる。

 ユーリはそんな森で生活の糧を得る人生を、もう二十年近くも送ってきた。




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