もふもふ日記番外編 〜 ニンゲン観察録
ハッキリ言って、ヒトなるモノに全く興味の持てない私。
しかしヒトも生き物。たまに鑑賞に値する面白いヒトがいるのも確かだ。
我が父は数年前に前立腺癌の治療を受けた。放射線治療の一種で、ビーズを前立腺に埋め込むだけの簡単な治療だ。私だったら手術にするけどね、まぁ痛がり怖がりの彼にはピッタリの治療法だったのだろう。
そんな父が郊外の病院へ通院していた時のこと。何故かすぐに知らない人と仲良しになってしまう父が、病院へ向かうバスの中で隣に座るおばさんとお喋りを始めた。おばさんもやはり通院中らしく、同病相憐れむ二人、話も盛り上がる。
「いやー、僕は放射線治療のようなモノを受けてまして」
まぁ、と大袈裟に息を飲むおばさん。
「ではそれも放射線の副作用で…?」 おばさんがたっぷりと憐憫の情を込めて輝く我が父の頭頂を見つめた。
「へ? あ、いや、これは天然モノです」 父が笑いながらつるりと頭を撫でた。
「まあああ、それはそれは……」 失礼しました、とでも言うのかと思いきや、
「なんて御立派なオツムリなのでしょう!」
「…………」
流石の僕も返す言葉に詰まった、と父は後に語った。
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幼少期よりお花やお茶を嗜み、着物の着付けの免許を持ち、しゃなりしゃなりと着物でお茶会などに出掛ける母。「背も高くてほっそりしていらして、お上品で素敵ねぇ」などと人に言われ、よく独りで悦に入っている。ちなみに運動神経が良く、スキー・テニス・ジャズダンスなどを若い頃にやっていたのも自慢のひとつだ。
私が中学生の頃。アメリカの無駄に広い家のリビングルームに掃除機をかけていた祖母と私が、足跡ひとつ無い絨毯の上で立ち幅跳び競争をしていた。どこまで跳んだか、絨毯についた足跡で分かるのだ。祖母と孫がきゃっきゃしているところに母登場。
「もうバタバタうるさいなぁ、何してるの?」
「幅跳び」
私が指差した足跡を見て、母がふふんと鼻を鳴らした。
「あら、たったそれだけしか跳べないの? ダメね、二人とも。私なんか幅跳び凄い跳べるのに! ちょっと見てて!」
ふんふんと勢い良く両手を振り回し、止める間も無く思いっきりジャンプする母。
ズッテーーーーン!
絨毯で思いっきり滑って仰向けに転がり、尻を打って呻く彼女の姿に涙を流して笑った。お母さん、祖母と孫は滑らないようにちゃんとセーブして跳んでたんだよ!
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私の友人に私と同名の方がおりまして、まぁ仮にイズミさんとお呼びしましょう。
このイズミさん、ヒッキー気味の私と違ってシャカシャカと何でもこなし、非常に明るく行動的。しかし見た目はほっそりとして儚げな美人さん。そして纏足でもしたのかと驚くほど足が小さい。身長160+で靴のサイズが20センチくらいしかないのだ。ジェイちゃんは彼女の足を見る度に、「あの接地面積でイズミがどうやって歩いているのか分からん」と首を捻る。
そんな彼女が我が家に遊びに来た。目的は吹雪とボール投げ。テニスボールを長距離飛ばすためのスティックを用意して、いざ公園にレッツゴー。
「はい、どうぞ」 とボールを装着したスティックをイズミさんに渡す。
「コレ使うと簡単によく飛ぶから」
「え〜、本気で投げて大丈夫?」
「うん、もちろん」 のんびりしているように見えるが吹雪は若く巨大なジャーマンシェパードなのだ。そしてエンジュに鍛えられて運動神経も良い。
「え〜、じゃあ遠慮なく、イックヨ〜」
可愛らしくウフフ、と笑いながらイズミさんがスティックを振りかざした。
びゅん、と高く放られたボールは放物線を描かなかった。
それは真っ直ぐに弾丸のように飛び、なんと公園の草原を越えて遥か彼方の道路まで届き、あっという間に見えなくなった。呆気に取られる私と吹雪。
我に返った吹雪が慌ててボールを探しにいくが、普段ジェイちゃんが投げる辺りまでしか探しに行かない。それ以上遠くまでボールが飛んでいくことなんて吹雪の犬生にはあり得ず、理解も想像も及ばないに違いない。
「あ〜、ごめんごめん、私って肩が強いのよ〜、えへへ」
思わず彼女の肩を触ってしまった。確かに筋肉はついているが、しかし楽々と片手で馬の鞍上げをする私とは比べようもなく細い。
「吹雪くん、ごめんね〜、次はもっと軽く投げるから〜」
軽いと言ってもジェイちゃんより遥かに遠くまで飛ぶ。
「このヒトはひと味違う!」 と悟った吹雪は初めから遠くで待機している。しかしそれでもボールは吹雪の頭上を飛び越え、公園の端まで届く。直線距離で100メートル以上あるのに。
肩の強いイズミさんは肝臓も強く、物凄い酒豪だった。
私より酒に強い女って初めて見たよ。
「イズミって名前のヒトは変わり者ばかりなんだね。名前が良くないのかな?」
顔色一つ変えずにかっぱかっぱとワイングラスを空けるイズミさんを見てジェイちゃんがしみじみと一言。オイこら、そりゃどーゆー意味だ?
犬の想像の斜め上をゆくイズミさん。犬共々、これからも是非仲良くして頂きたいものだ。
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アメリカの我が家に日本から遊びに来た父。乗馬に行くけどどうする?と尋ねると、一緒に行きたいと言う。農場一の暴れ馬、我が愛馬マイダス君をシャンプーしていると、「僕、馬をこんな近くで見るのは初めてだ。デカイけど大人しいなぁ」 と感心している。
「マイダスが大人しいのは私の前だけだから。この子、ヒトの肩を咥えてフェンス越しに放り投げたりするから、不用意に近付かないでね」
「えぇっ?! そんな風には見えないけどなぁ。怖いなぁ。イズも気をつけなよ」 などと言いつつ、マイダスに人参をやりたがる。人参の端っこを持って恐る恐るマイダスに差し出し、マイダスが父の手の中でふるふると震える人参を咥えると「コワッ」 と叫んで後ろに飛び退く。その癖、「もう一本やっていい?」 と次々と人参を食べさせ、10本近くあった人参があっという間に無くなった。怖くて触れることも出来ない動物に何故餌をやりたがるのか。彼を見ていると、動物園や自然公園では「動物に餌をやらないで下さい」 という看板が不可欠というのが良く分かる。
シャンプー・リンスを終え、ツルツルピカピカのマイダスの尻尾をブラッシングしてやる。ふと見ると、父が地面に這いつくばって何やら拾っている。
「ちょっと見てコレ!」
嬉しげな父の手には二本の黒い馬の尻尾の毛。
「引っ張ってみたけど、凄く丈夫なんだ! イギリスでは昔、フライフィッシングの糸に馬の尻尾を使ったんだって! 僕もやってみようと思ってさ、ちょっと拾って来た!」
百年前のイギリス人が羨ましかったらしい父の趣味はフライフィッシング。馬の尻尾より、現代人の使うナイロン糸の方が絶対に丈夫だろうと思ったが、勝手に喜んでいることだし特に害は無い。
「ふ〜ん、ヨカッタネ」 と適当に相槌を打っておく。
「それでさ、その白いのも欲しいんだけど……」
物欲しげに我がマイダス君の白銀の尻尾を見つめる父。ブラシについていた短い抜け毛を進呈すると、「もっと長いのが欲しい」 と言う。私に良く手入れされたマイダスの尻尾は地面につくほど長い。仕方無い。一本抜いて父に渡す。
「釣り友達にもあげたいからもう一本頂戴」
ええ〜、と思ったが、干し草に夢中のマイダスに尻尾を気にする様子は無い。オマケ付きで更に二本抜いて進呈した。ホクホク顏の父。馬を間近で見ることよりも、馬の尻尾を手に入れたことにより大きな喜びを感じているらしい。別にイイんだけどね。それにしても、友達へのアメリカ土産が馬の尻尾の毛一本ってどうよ?
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私とジェイちゃんの共通の友人、ヘレンちゃんが仕事の都合で一ヶ月ほど我が家に下宿することになった。彼女は数ヶ月前に出産したばかりなのだが、子供は旦那さんが面倒を見ているらしい。
夜中、ヘレンの部屋からウィンウィンと変な機械音がするので、「何してるの?」 と驚いて訊ねると、「乳搾り」 なる答えが返ってきた。
「母乳飲ませてるんだけど、定期的に搾らないと、出なくなっちゃうからね」
「へぇ、牛と一緒だね。大変だねぇ」
感心してプラスチックの容器の中のミルクを見ると、何やらうっすらと緑色だ。
「ヘレン、もしかして何かビタミン剤とか飲んでる?」
「うん、飲んでるよ。でも乳幼児には影響のないビタミン剤だから大丈夫」
ヘレンは人間の医者なので、彼女が大丈夫と言うなら、まぁ大丈夫なのだろう。
絞ったミルクを特殊なビニール袋に密封すると、彼女はそれを冷凍庫に入れた。
「せっかく私の身体が作ったのに無駄にしたら勿体無いからね。このまま一ヶ月後に家へ持って帰って、赤ちゃんの非常食として使うんだ」 と涼しい顔でニッコリと微笑むヘレンちゃん。十日もしないうちに、我が家の冷凍庫はヘレンのミルクで一杯になった。
そんなある日のこと。冷凍庫を開けたジェイちゃんが凍ったミルクの袋詰めをひとつ手に取って首を傾げた。
「あのさぁ、この間から不思議に思ってたんだけど、この冷凍庫に一杯入ってるモノ、なに?」
「ヘレンのミルク」
え、と言って僅かに眉をひそめたジェイちゃんがまじまじと凍ったそれを見つめ、次の瞬間、驚いたように目を見開いた。
「ヘレン!!! 大変だっ! 君のミルク、腐ってるよ! 腐って緑色になってるっ」
やっぱそう思うわな。