太陽と月
太陽と月
日比野に連れて行かれた場所は、学校近くの小さなアパート。恐らくは、彼女が借りている物件だろう。分かってはいたが、やはりこの少女は一人暮らしだった。
比較的新しく、西洋風でファンシーなアパート。学校から近ければ、どんな物件でも良かったのだろうか。アウトドアな日比野には似合っていない。
二人は階段を上がり、彼女の部屋へと向かう。質問や説得を受けるのは覚悟していたが、まさかここまで連れて来られるとは思わなかった。
「まさか、家まで連れ込むとはな……さては、俺に気があるな?」
「ええ、気が気じゃないわ。このままじゃ死にそうだから、釘を刺しておこうと思ってね」
前回、本当に命を落とす寸前だった信。世話焼きの日比野が放っておくはずがなかった。
彼女は玄関の鍵を空け、中に入るよう誘導する。互いに、その気はない。ならば、気を使う必要もない。信はずかずかと部屋に上がりこみ、周りを見渡す。彼の視界に映ったのは異様な空間。とてもではないが、人が暮らしていると思えないその部屋に、ただ唖然とするしかなかった。
「おい、何だこの部屋は……」
「狭いでしょう? まあ、一人暮らしだからそこまで気にならないわ」
「いやいや、そうじゃないだろ……」
そんな事ではない。もっと大変なことが彼女の部屋では起きていた。
「何だこれは、ジャングルか? 緑化運動か?」
「ああ、これね。色々育てていたら増殖しちゃって。でも普通でしょ?」
「少なくとも、俺は異常だと思うがな」
大量の鉢植えやプランターの中に、まったく手入れされていない植物が群生している。
ハーブ、野菜、果物、観葉植物、果ては屋外で育てる花壇用の花。どれが食用なのか、観賞用なのか、本人以外分かるはずがない。ただ水と肥料だけを与え、滅茶苦茶に大きく育てているのが見て取れた。
「目の保養にもなるし、何より美味しいわよ。あ、食べる?」
「いや、いらん……」
千切った葉っぱをその場で食べる日比野。そんな雑草のようなもの、食べることが出来るはずがない。人の好意は受ける信でさえ、こればかりは断らざるを得なかった。
しかし、初めは驚いたものの、慣れれば悪くない空間だ。土の臭いに、優しい緑は気分を安らげてくれる。それに、暮らしは悪くない様子。植物ばかりに目を取られていたが、確りと電子レンジや冷蔵庫、テレビにエアコンと必要なものは揃っている。
二人は洋室に敷かれた座布団に腰掛け、卓袱台越しに話す。初めてのお客なのだろうか、日比野は心なしか楽しそうだった。
「まあ、お茶でも飲んでゆっくり話し合いましょう。このお茶、かなり拘ってるの」
「毒盛ってないだろうな」
「あんた、私を何だと思ってるの……」
お茶を飲んで、一息つく二人。確かにおいしい。高級なお茶なのか、どこからか取り寄せた物なのか。詳細は分からないが、拘りだけは分かる。
少しずつ、彼女の趣味や趣向が見えてきた。日比野は超自然派少女だ。趣味は植物の育成や魚釣り、恐らく田舎の出身なのだろう。
そんな田舎者の人情なのだろうか。彼女はとにかく、信を巻き込みたくない様子だ。湯呑を机に置き、日比野は口を開く。
「結論から言うわ。早急に手を引いて」
「断る」
「あんたの為なのよ」
「断る」
「死ぬかもしれないのよ!」
「断る」
「…………」
断固として要求を飲まない信。怒りを通り越して、呆れる日比野。彼女は机を強く叩き、立ち上がった。
「何なのよ……何があんたをそこまでさせるの! 単なる兄妹喧嘩じゃない。何かあったんでしょ!」
「そういう事かよ。家まで連れ込んで、お茶まで出して、手が込んでいると思ったよ」
「青色の月、望月夢子は私たちと敵対すると言っていた。今までの敵とは違う、魔法少女同士の戦いになる」
「テンションが上がるな」
「上がるな!」
相談にでも乗りたいのだろうか。お節介も、ここまで来ると相当なものだ。
彼女のお節介は、ただの優しさや人情を超えている。断固とした正義、絶対的な魔法少女の権力。それに物を言わせる独善的なものだと見て取れた。
少し落ち着いた日比野は、再び座布団に座る。そして悪い顔をし、信に言葉を投げた。
「ふーん、でもそんな態度とって良いの? 私はあんたの弱みを握ってるのよ?」
「弱み?」
「リンちゃんに話しちゃうわよ。あんたが私たちの邪魔してるってこと」
妹の凛は、兄が自分をぶっ倒そうとしていることなど知らない。それは、信がずっとその事を隠し続けていたからだ。
日比野が掴んでいる弱みは、彼の隠し事。確かに、脅しの道具としては非常に有用だ。
しかし信には、その弱みを気にする必要がない理由があった。
「ああその事か、別に話しても良いぞ。話せるものならな」
「……え?」
「凛がその事を知ったら、物凄く悲しむだろうな。お前はそんなあいつの顔を見たいのか?」
「見たくないけど……でも、必要になったら話すわよ!」
「いいや話さないな。これは確信さ」
信はニヤニヤと笑う。そして人差し指を立て、彼女に説明していく。
「お前たち魔法少女は、誰も巻き込まず、自分達の力だけで世界の平和を守ろうとしている。誰かを悲しませるぐらいなら、自分がその悲しみを背負った方がまし。そう考えているんだろう? だからお前は、こうやって俺を家まで呼びつけたんだ。凛を悲しませないよう、自分自身で問題を解決させるためにな」
「…………」
おそらく、図星だろう。日比野が今こうして必死になっているのは、信の為であり、凛の為でもある。ただ、信の身を守るだけでは何も解決しない。星川兄妹の仲を取り戻すことが、彼女にとっての理想だった。
「優しいな。だが、そんなのはただの独善だ。お前たちは誰かを守ることで、自分が優位に立っていると思いたいんだ。人より優れた魔法少女様だからなあ……」
信は言葉巧みに挑発し、彼女を精神的に追い詰める。日比野を屈服させ、利用することが彼の目的だった。魔法少女をぶっ倒すと口では言っているものの、信の目的は凛一人。出来れば日比野は、彼女から切り離したいのだ。
この挑発が予想以上に聞いたのか、日比野の表情はさえなかった。彼女は弱々しい声で、信の言葉を否定しようとする。
「ちが……」
「違うよ! ミカンもリンも、そんな事思ってない!」
しかし、彼女が言葉を放つ前に、別の誰かが信の言葉を否定する。突如現れた第三者に驚き、信はその場から立ち上がり、特殊警棒を構えた。
だが、あたりを見渡しても、誰もいない。それもそのはず、その第三者はあまりにも小さかったからだ。
「み、ミミスケ! リンちゃんのところじゃなかったの!」
「そろそろ、顔を合わせなくちゃいけないと思ったんだ。いつまでも、知らないフリをするわけにもいかないし……」
日比野と会話する小動物。小さい体に天使の羽、両耳の上には光のリングが浮いていた。
以前よりイルミネーターを見ていたこともあり、信の衝撃はそれほどでもない。それより、敵なのか味方なのかが重要だ。
互いに身構えた状態からの会話。先に切り出したのは謎の小動物、ミミスケの方だった。
「ボクはミミスケ。リンにステッキを渡した張本人だよ」
「俺は星川信……って、知ってるよな」
姿は見えないものの、ここ数年は一つ屋根の下で暮らしているのだ。名前ぐらい知っていて当然だろう。
彼が自ら姿を現したことは、信にとって絶好のチャンスだった。ミミスケは魔法少女と直接関わりを持つ、数少ない存在だ。
期待していた日比野は、予想に反してろくな情報を持っていない。何としても、彼からは有意義な情報を手に入れたかった。
「お前には聞きたことが山ほどある。情報交換だ」
「分かった。話せることは話すよ」
ミミスケは一歩退いている。信に対して不信感を持っている様子はない。ただ、真剣に向き合おうとしているのが見て取れた。
彼は今まで信が行ってきたことを知っている。それにも拘らず、その一切を凛に話していない。恐らくそれは、彼女の心を気遣っての事だろう。彼も日比野と同じく、信と和解したいと思っているはずだ。
「じゃあ、ボクから質問。シンくんは何で、魔法少女の存在を忘れなかったの? 数年前、キミはリンが魔法少女だと気付いた。だけど、あの事件は記憶から消えたはずなんだ」
「あの事件……?」
魔法少女の存在を誰かに気づかれた場合、都合よく何らかの力が働き、その記憶は抹消される。それ故に、本来魔法少女の事を知っている人は存在しないはずなのだ。
それにも拘らず、信は魔法少女の存在を認識している。それはミミスケにとって、理解出来ないことだろう。少年はこの質問に対する明確な答えを持っていない。しかし、自分なりの考案ならば、話すことが出来た。
「魔法と精神は表裏一体だ。強く願えば願うほどに、魔力は強大に膨れ上がる」
「はぁ? いきなり何? そんなこと知ってるわよ」
「まあ、聞け」
信は先ほど出した特殊警棒を伸ばし、軽く素振りをする。
「しかし、それは逆の場合にも言える。お前らが迷い、動揺すればするほど……」
そう言いかけると突然、彼は勢いよく警棒を振り、日比野の顔ギリギリに突きつける。驚いた彼女は座ったまま倒れ、床に頭をぶつけた。
「魔力は衰退する」
瞬間、ミミスケが何かを感じ取ったようだ。
「これは……」
「そうだ、これが俺の極め続けたもの。魔法少女に対抗できる唯一の武器だ。相手を威圧し、健全な精神を保ち、その心を情熱で燃やす。そうすれば、魔法少女の心は衰退し、魔力を削り取ることができる」
ミミスケは日比野の魔力が衰えたことを感じたのだろう。もっとも、信にはよく分からないことだが。
日比野は打ち付けた頭を押さえつつ、信に疑問を投げる。
「じゃあこの前、私の魔法を弾き返したのもそれ? そんなに都合よくいくものなの?」
「別に不思議な事じゃない。古来より、呪いや占いなどオカルト的な要素を打ち破るのは、精神の問題だと語られている。魔法と心は表裏一体、それほど強いつながりを持っている。記憶が抹消されるのも、所詮は魔法によるもの。強い意志や思いは、魔法なんかじゃ消えないんだ……」
彼は魔法についての記述をとにかく調べた。故に、その知識量は魔法少女本人を上回っているだろう。
妹に対する嫉妬心だけで、これほどの努力を積み重ねるはずがない。やはり、日比野の言う通り、彼には他に戦う目的がある。
「なら、信。あんたの意志や思いって……」
「さて! 今度は俺からの質問だ。ミミスケ、お前の目的はなんだ。魔法少女に協力し、人々を救う事で何を狙っている?」
日比野の疑問を振り払うように、信は自分の疑問を放った。
彼の質問は非常にシンプルかつ、的確だ。これさえ分かれば、魔法少女の存在理由から、ステッキの詳細まで、核心部分が明らかになる。だが、そう都合よく行くはずがなかった。
「……ボクには記憶がない。これが使命なのかな。記憶がなくても、自分がすべきことは分かるんだ。それに、リンたちと一緒にいれば、いつかボク自身が誰なのか分かると信じてる。曖昧だよね。ごめん……」
ミミスケは自分が何者か分からず、何故こんな事をしているのかも曖昧。ステッキを渡した本人ですら、詳細を分かっていないのだ。
「自分が分からない……お前がステッキを広めたんじゃないのか?」
「ううん、ボクがステッキを渡したのはリンだけで、他の魔法少女はどうなのかは分からない。そもそも、ステッキが何なのかも分からないんだ……」
あまりにも胡散臭い。信が最初に思った感想はこれだ。
おそらく、ミミスケは嘘を言っていないだろう。だが不明な点が多すぎて、この魔法少女というシステム自体が信用できない。何の疑いもなく戦っている彼女たちを信には理解出来なかった。
ミミスケも魔法少女も、ステッキや魔法について知らないのならば、また振り出しだ。それでも、信は決して落胆することはなかった。
「さて、いい加減もう帰るよ。夕飯の準備をしなくちゃならない」
部活帰りに話し込んでこともあり、既に七時を回っている。今日の当番ではないが、凛が夕飯の準備をし始めているころだろう。
有意義な時間を過ごしたからなのか、日比野の口から文句が出ることはない。もう二度と、彼女からの呼び出しは受けたくなかった。
信は二人に別れを告げ、日比野の部屋から出る。
しかし、彼が階段を下り、帰路を辿ろうとした時だ。そこで一人の少女と鉢合わせしてしまう。自分と同じぐらいの年齢で、日比野に用がある者など限られている。信はすぐに彼女が青い魔法少女、望月だと気付いた。
だが、その少女の状況が明らかに可笑しい。彼女の服装は、赤いベストに、緑のスカート。そして、大きな帽子で髪と顔を隠している。恐ろしい私服のセンスだった。
信は望月を無視し、そのまま通り過ぎようとする。しかし彼女は、そんな彼の服を掴み、僅かに見えるジト目でじっと見つめた。
「無視は酷い……」
「なんだ、その服は……クリスマスか?」
「なっ……わ……分かっていないわね。これが最先端なのよ……」
ショックを受けた様子だったので、信はそれ以上何も言わなかった。望月がこれで満足しているのならば、此方がとやかく言う必要はない。それよりも、今は彼女の動向の方が気がかりだ。
「お前は日比野に用があるんだろ、俺の相手をしていていいのか?」
「貴方も危険分子の一つ……」
信を警戒した様子の望月。彼女は相も変わらず訳の分からないことを言っている。
「人間が魔法少女と対峙し、その理を乱す。それは世界その物の意思に反し、延々と続く戦いの螺旋に亀裂を与える。即ち、貴方の存在は極めてイレギュラーかつ、運命の核となりえる」
「何を言っているのか、さっぱり分からん」
「でもダメ……運命は変わらない。例え貴方がイレギュラーな存在であったとしても」
訳の分からない事ばかりを言う彼女だが、今の言葉は信にも理解できた。それと同時に、彼女の行動理由も明白になっていく。
『運命』それは信が、魔法少女に対抗するために導き出した答えに近い。魔法少女の存在理由に直結する重要なキーワードだ。
「で、その運命とやらを変えるために、仲間の魔法少女をぶっ倒すって寸法か? 確かに、これなら展開がぶっ壊れるわな」
もし、魔法少女の戦いが運命によって定められているのなら、それに沿わず暴動を起こすのも頷ける。全ての出来事が、既に決まっているのは虚無的な事だ。ならばその運命を否定し、新たな流れを作り出す。これもまた、他の魔法少女とは違う正義の在り方だろう。
しかし、そもそも彼女の言う運命論が正しいとは限らない。
「だが、その作戦は不確定すぎるぞ。共に戦う仲間と対立してまで、あるかも分からないオカルトに従うってのはどうなんだ?」
「何か勘違いしていない? 私は運命を変える気なんてない……」
「なに……?」
望月は一歩信に近づき、会話を続ける。
「私は運命に従う。これが定められた物語なら、その先に破滅は無い。従えば、絶対的な平和が手に入る……」
「矛盾してるな。運命とやらに従うのなら、黙ってイルミネーターを倒せばいいんだ。仲間と対立する理由がどこにある」
「物語は進展を望んでいるの。私はそれに従い、彼女たちが超えるべき存在となる。私という過程を経過したとき、そこに残るのは終着への糧……」
やはり、彼女の言い回しは面倒だ。真面目に質問に答えているのだろうが、何を言っているのか全く分からない。
さらに一歩、望月は信に近づき、視線を遠くの山へと向ける。
「高山にある人気のない神社。場所は分かる?」
「ああ、そこなら小さい時によく遊んだが。それがどうしたんだ」
「今夜零時、あそこで桃色の星と戦う約束をしてきたの。ここに来たのは、その約束を黄色の太陽にもするため。貴方に会ったのは偶然……」
つまり望月は、他の魔法少女に挑戦状を出したことになる。だが、それを信に話す必要性が見えない。
「なぜそれを俺に話す。お前に何のメリットがあるんだ」
「貴方は魔法少女と敵対している。私にとって、そんな貴方は都合のいい存在。泳がせた方がメリットになる……」
「俺を利用できると思っているのか」
「して見せるわ。どうせ、貴方は魔法少女の呪縛から逃れられない。嫉妬の闇は貴方の心を深くまで蝕んでいる……」
望月は信に顔を近づけ、その瞳を見つめる。
彼女の吐息を感じるほどに、その口元は近かった。
「貴方、私好みよ……」
「顔が近い。離れろ」
彼は望月を押し払うと、瞬時に特殊警棒を突きつける。鋭く、まっすぐな眼光は決して望月を受け入れなかった。信が彼女の圧力程度でぶれるはずがない。相手を威圧するのは彼の専売特許だ。
「嫉妬の闇だとか、俺が戦う理由はそんなオカルトじゃない。もっと釈然としている」
「そう、何でもいいけど……」
会話を終えると、望月は階段を上がり、日比野の部屋へと入っていった。
彼女は泳がせた方が良いと言ったが、実際はどう考えても罠だろう。そうでなければ、戦う場所を伝えるメリットが無い。
それでも、信はこの罠にあえて乗ることを選ぶ。進まなければ、目的を達成することは出来ないからだ。