バカとハサミ
バカとハサミ
この町で一番の自慢と言えば、誰もが図書館と答えるだろう。
大きさも然る事ながら、内装が非常に美しい。図書館全体が木目調の配色で統一されており、西洋風の装飾品が所々に施されている。
また、一階から三階までが螺旋階段によって繋がっていることから、周りからは螺旋図書館と呼ばれていた。
「この町、こういう無駄なところに拘っているわね」
「無駄とは失礼な奴だ。冷やかしだったら帰ってくれ」
図書館に入った信は、借りた本を返却し、新たな本を読み進める。
彼の横にはお節介の日比野。当然、好意を持たれたわけでもなく、ただ監視されている状況だ。
信は少女を無視し、ただひたすらに本を読み続ける。彼女に行動を制限される筋合いはない。動くときは動くのが彼だ。
そんな彼の行動が気になるのか、日比野はやけに食いついてくる。
「何読んでるのよ」
「魔法の教典、お前らのことを知る手掛かりになると思ってな」
「ふーん、なにが書いてあるの?」
「魔法によって金を作り出す実験や、魔女による呪いの発症事例、ある王様を支える大魔道師の物語、などなどだ」
今読んでいる本は、信が最も参考にしている教典だ。
現代語訳されたもので、元になったものは相当に古い。おそらく、数千年は前の書物だろう。内容は魔法というより錬金術に近い。魔法というものを科学的に解明し、身に付けようとする努力が見られる。
「お前らも少しは自分の力や、自分の戦う敵について調べろ。でないと、いつか痛い目を見ることになる」
「余計なお世話よ。私はあんたより魔法に詳しいし」
「忠告はしたからな……」
心底呆れる信。彼は日比野を無視し、本を読み進める。それでも、彼女のお喋りは止まらなかった。
「あんた、こうやって私たちについて調べてるの?」
「ああ、目ぼしい本は大体読んだな」
彼は電子式の英和辞典を使い、分厚い本を読み進めていく。おそらく、一冊を読み終えるのに相当の時間を費やしているだろう。それをするほど、彼は真剣だった。
適当に日比野の疑問に受け答えする信だが、何だかんだで相手はしている。彼女に対し、何の抵抗も、疑心もない様子だ。
「……ねえ、私は魔法少女なのよ。人間じゃないの。なのに、なんで普通に会話できるの?」
「中身は同じ人間だろ? 俺の妹がそうだから分かる。なら、気にする必要なんてない」
「魔法少女の兄だからこそ、ってわけね」
何か悪いことを思いついたのか、日比野は小悪魔的に笑う。そして、白々しくこんな言葉をこぼした。
「その兄が、何で妹をぶっ倒そうとしてるのかしら。私には理解できないわねー」
「……兄妹だからこその不満や憎しみもある。特にそれが、異端の存在なら尚更な」
先ほどまで適当に合わせていた信が、少女の方を向く。そして、彼女の問いに丁寧に答えていった。少しずつだが、会話に意識が向かうようになっている。
「俺はあいつと共に生まれてきた。だからこそ分かる。あいつは特別に特別だ。だらしないし、頭も悪い出来損ないだが、輝いてるんだよ。いつもキラキラ眩しくて……うっとうしいほどに目障りだよ」
彼は妹に対し、卑屈になっている様子だ。勉強も、スポーツも、信は凛よりも優れている。クラスからも信頼されており、他から見れば明らかに兄の方が優秀だ。
だが、凛は魔法少女。幼いころから、どこか人とは違う雰囲気を持ち、何より魔法の才能があった。それが、信にとって気に食わないのだろう。
愚痴るように話す彼に、日比野はさらに意地悪な質問をする。
「もしかして、リンちゃんに嫉妬してる?」
その言葉を聞いた瞬間、鳩が豆鉄砲を食らったかのように、信の表情が変わった。だが、すぐに冷静になり、彼は偽りなく言葉を返す。
「……少しな」
この少女は、少しずつ信を理解し始めていた。かっこつけて、挑発を繰り返す彼には、内なる感情がある。その事に日比野は気づいてしまったのだ。
会話の流れが彼女に向いている事に、信は気づく。このまま続けば、自分の情報だけが一方的に奪われてしまうだろう。それを避けるため、彼は別の話しを切り出した。
「でも、同情もしているよ。ある日突然、謎の小動物に魔法のステッキを渡され、世界の平和を守るために戦う。まったく、気が狂いそうな話だ」
「それはリンちゃんの場合よ。私は空から降ってきたのを…………って! 何であんたが、それを知ってるの!」
本来知るはずのない魔法少女の情報により、日比野の優位は崩れる。部外者の信が、ステッキの入手経路を知っているはずがないのだ。
彼は人差し指を立てると、順に説明していく。
「凛に自己判断なんて出来るはずがないからな。あの小動物から指示や説明を受けている。そう考えるのが自然だ。当然、ステッキもそいつに貰ったんだろ」
「だからだから……何でミミスケのことまで知ってるのよ……」
さらには、日比野の口から明かされる新たな情報。こうなれば信の独壇場だ。
「へぇ、凛にステッキを渡した奴はミミスケって言うんだな。俺はそいつのことを知らないし、見えもしない」
「……へ?」
「ただ時々、凛の視線が右肩に逸れることは知っている。そして、その方向に話しかけたり、笑いかけたりすることも知っている。まるで、そこに何かがいるようで疑問だった」
全ては彼の憶測。それを確信に変えたのは、他ならぬ日比野の余計な一言だった。
信が本気で探りを入れれば、一方的に情報を奪うことは容易。口車で彼女を上回っていると確信した彼は、意気揚々に挑発する。
「隠せると思ってるのか? 魔法少女」
「う……うるさい人間」
日比野は非常に分かりやすい魔法少女だ。良く言えば純粋で一途、悪く言えば頭を使わない。そんな彼女に出会えたのは、彼にとって幸運だった。
うまくいけば、価値のある情報を手に入れることが出来る。それらは、魔法少女を倒すために役立つだろう。少年は自然な流れで、日比野から情報を引き出す。
「さて、今度は俺から質問だ」
「なによ」
「お前はなぜ転校してきた。凛に会うためか?」
信が一番知りたい情報は、彼女の目的だ。この町に訪れたからには、やはり同じ魔法少女である凛が目当てとしか思えない。
しかし、日比野の答えは、その予想とはかけ離れたものだった。
「別に、そんなわけじゃないわよ。ただ家庭の事情で上京したら、偶然魔法少女がいただけ。凛ちゃんの事なんて、まったく知らなかったし」
「そんな偶然があり得るのか? あまりにも都合が良すぎる」
「そんなの私は知らないわよ! 運命よ! 運命!」
運命、それは信が導き出した答えに近い。
確かに、運命と言えば非現実的かつオカルト的な要素に思える。だが、必然と言えばどうだろうか。何らかの作用によって必然的に物事が運んでいるとしたら、それは一種の運命と言っていいだろう。
実際に偶然では片付けられないような現象が起こっている。彼女たち魔法少女は、何度も奇跡によって導かれているのだから。
「運命ね……だったら、この運命には続きがあるはずだ。現状じゃ、魔法少女が二人揃う必要性が見えない」
「……はい?」
信は再び人差し指を立て、日比野にも分かりやすく説明していく。
「よく聞け。もしこれが運命なら、今後もその運命が続くことになる。なら今回、お前たち二人が接触したのも、後々に続く意味があるはずだ」
「えっと……つまり今後。二人揃わないと乗り越えられないような問題が起きると?」
「よく理解したな。正解だ」
運命とは必然の事。意味や原因の無い必然などない。魔法少女が二人揃ったという事は、その二人が力を合わせるべき時が迫っているとも考えられる。
だが、日比野は今より辛い戦いなど望んでいない。
「え、私嫌だ!」
「知るか。そもそも運命なん……て……」
彼はそう言いかけた瞬間、突然机へと突っ伏す。
その異常な行動に、日比野は驚き席を立ちあがった。
「ど……どうしたのよ!」
「……分からん。急に睡魔が」
あたりを見渡すと、そこには図書館を覆う黒い霧。信以外の人々も睡魔に襲われているのか、人々は次々と倒れ、床に伏せる。
この図書館は、何らかの攻撃を受けていた。
「まさか、イルミネーターか……」
「これは催眠魔法ね。陰湿な攻撃を……」
人間を眠りに誘う催眠魔法。だが、魔法少女である日比野にこのような小細工など通用しない。むしろ、人目を気にせずに戦えて好都合だ。
一方、魔法の使えない信には、この霧を回避する術がなかった。ただ、他の人々と同じように眠りを待つしかない。
彼は眼を見開き、その場を立ち上がる。魔法に屈することは、彼のプライドに反した。
「無理しなくても大丈夫よ。まあ、あとは私に任せてゆっくり眠って――」
日比野がそう言いかけた瞬間。信は内ポケットからナイフを取出し、自らの腕を深く切りつける。同時に、大量の血液が流れだし、図書館の床を赤く染めていった。
「……あんた! 何やってるの!!」
常人には理解できない彼の行動。日比野が驚くのも無理はない。
信は瞬時にハンカチを取り出すと、切りつけた腕に強く結びつける。これで血液は止まり、下手に動かなければ命を落とすことは無いだろう。
「痛みで眠気は冷めた。さあ、奴を迎え撃つぞ……」
「死ぬ気!? バカじゃないの!!」
痛みによって眠気を抑えられる保障はどこにもない。もし、魔法の力に負けて眠ってしまえば、間違いなく命を落とすだろう。これは危険な賭けだった。
信はこの賭けに勝ち、意識を保つことに成功する。つくづく、人間離れした行動だ。
「この数年、俺はお前たち魔法少女を倒すためだけに生きてきた。目的を達成するためなら、命を犠牲にしても構わない。この身も人生も、全て捧げる……」
狂気に満ちた表情、彼は魔法少女よりも常軌を逸していた。
そんな少年の姿を日比野は憐れむように見る。
「その顔……リンちゃんの前でしてないでしょうね」
「安心しろ。妹の前では優しいお兄ちゃんだ」
「まったく、狂気的ね……それにしても、爪剥がすとか、間接外すとか、他にやりようあったでしょ……」
「ん、それもそうだな……まあ、寝たら死ぬという意識も芽生えて、一石二鳥だろ?」
「バカ!」
二人が話していると、図書館中の黒い霧がある一カ所に集まっていく。霧は少しずつ形になっていき、やがて一匹のイルミネーターとなる。二本の角に、大量の毛。その姿は真黒い羊だった。
日比野はステッキを天に向け、そこから眩い光を放つ。光は彼女の体を包み、一瞬でその服装を黄色い和服へと変える。髪を束ねるゴムも和風のリボンとなり、靴も下駄に形を変えた。そして、短いステッキは柄を伸ばし、戦闘型となる。これが魔法少女の変身だ。
彼女は信を守るように、イルミネーターの前に立ちはだかった。
「でも、邪魔はしないでよね。あんたが生きるためにも」
「出来る状況じゃないな。今回は見ているだけにするよ……」
信はそう言うと、部屋の隅へと移動する。そして、重い腰を下ろし、壁にもたれ掛った。
顔色は悪く、立っているだけでもやっとな状態。すぐに医者に診てもらう必要があるが、今はそれどころではない。お節介の日比野は、先ほどからずっと彼を心配している様子だ。
「早く終わらせて、病院に連れて行かないと……」
「余計なお節介はいらない。目の前の敵に集中しろ」
そうは言っても、日比野は魔法少女だ。目の前の人を助けなければ、正義の味方である意味がない。守ることが、彼女たち魔法少女の行動理由だった。
日比野はステッキを本棚に立つイルミネーターに向ける。そして、大量の光を集め、そこから黄色い閃光弾を放った。
信に撃った弾丸とは違い、威力もスピードも本気。だが、イルミネーターは自慢の体毛を使い、その攻撃を打ち消してしまう。流石は羊、攻撃が肉体に届かないのだ。
「こんな時に防御タイプか……」
遠距離攻撃を諦めたのか、日比野は一気にイルミネーターの元へと走りこむ。そして、ステッキの持ち方を別の型へと変えた。
信はあの握り方をよく知っている。あれは剣道の竹刀と似た握り、太刀の構えだった。
魔法少女は飛び、本棚の上に立つ。瞬間、ステッキは光たなびく日本刀へと形を変え、異形の敵を一閃する。あまりの速さに、信は何が起こったか分からなかった。
「速いな……」
本気の彼女は強い。それを今の攻撃で悟る。
だが、それ故に惜しい。彼女の戦いには戦略性が足りない。
ただ光の弾丸を放つ、ただ光の刃で切り裂く。それだけでは戦いの幅が狭まってしまうだろう。事実、ダメージは与えているものの、イルミネーターは顕在だった。
「よし、このまま一気に攻めれば……」
「おい、待て」
「何よ!」
信は手首の傷を抑えつつ、とぼけた表情で言う。
「ここの本は貴重なものもある。出来るだけ傷つけないように戦ってくれ」
「はあああ!?」
無茶苦茶な要望だった。この大量の本を守りながら、イルミネーターと戦うのには無理がある。おまけに、今は信のためにも急がなくてはならないのだ。当然、日比野は反発する。
「無理に決まってるでしょ! やっぱり、バカなの!」
「良いのか? 散らかれば散らかるほど、後のごまかしが難しくなるぞ。存在を気づかれたくないんだろ?」
確かに、彼の言うとおりだ。よくある屋外での戦いならば、そうそう物が傷つくことは無い。例え損傷が出ても、自然災害という事で片が付く。
しかし、今回は屋内、周りに気を使わなければ散らかるどころではすまない。最悪、人々に魔法少女の存在を悟られてしまうかもしれないのだ。
「これだけの本を、守りながら戦う……」
「出来るだろう? 魔法少女」
左右どこを見ても本、本、本。この場の全てが死角となっている。あまりにも大きいハンデだ。
それでも、信は彼女に本を守ることを強要する。守備を固め、知恵を振り絞り、的確に敵を撃つ。はたして、日比野にそれが出来るのか。
「良いわよ……やってやろうじゃないの!」
覚悟を決めた日比野。守らなければならないのだから、当然、防御寄りの戦法になる。彼女は自ら攻めることなく、受けの態勢に出た。
イルミネーターは狂暴。しかし、それは利用できる特性だ。こちらが動かなければ、敵は確実に攻めに出てくる。
影は自らの体毛を丸め、それを弾丸のように連射する。日比野はこの瞬間を待っていた。
「反射魔法なんて、久々に使うわよ……」
彼女はステッキを振るい、前方に光の鏡を作り出す。敵の弾丸はそれに吸い込まれ、内部で反射し、逆方向へと打ち返された。まるで光のプリズムだ。
返された弾丸は、イルミネーターを的確に射抜く。相手が攻撃をするたびに、日比野は魔法で受け止め、本を守っていった。
ただ攻撃を待ち、跳ね返す。他にも防御魔法があればいいのだが、この様子では一つしかないのだろう。彼女は半ば自棄になっていた。
あまりにも間抜けな状況だが、戦局は悪くない様子。器用に相手の黒弾を跳ね返し、適格に命中させていく。これには信も素直に驚いた。
「これは驚いた。以外にもうまく戦えている」
あの突っ走るだけの日比野が、器用にも本を守りながら戦えている。むしろ、前に戦った時よりも動きがよい。
彼女はサポートに向いている。闇雲に攻めるあの戦いが、本来のものとは思えなかった。
おそらく、敵を倒さなければならないという気負いが、戦いのスタイルを変えているのだろう。非常に惜しいものだ。
「隙を見計らって……」
敵が怯み、攻撃が止まった瞬間。日比野は勾玉型の光弾をイルミネーターの頭部に打ち込む。体毛を避け、正確に弱点を狙う完璧な攻撃だ。
だが、敵も易々とやられるはずがなかった。遠距離からの攻撃を放棄し、影は自ら突っ込んでくる。とっさに、日比野はステッキを構え、光弾を放つエネルギーをためた。
これだけの速さで突っ込んでくる敵に、魔法弾が効くとは思えない。魔法の選択ミスなのか、このままでは突破されてしまう。
「蜜柑!」
「だからぁ! 下の名前で呼ぶなって!」
日比野のステッキから放たれた魔法は、イルミネーターを貫通し、その動きを止める。
発動された魔法は、光弾ではなかった。それとはまったく別の魔法、防御を貫通する光のレーザー。彼女は初めから、こちらの魔法での攻撃を狙っていたのだ。
「この魔法、威力低いし、連発できないし、狙いを定めるのが難しいし。あまり使いたくなかったのよね……」
「フェイントか……お前、こういう戦いの方が向いてるぞ」
「私は魔法少女よ。こんな小細工、そうそう使うものじゃないわ」
「自分に向いた戦いをした方が、本来の力を出せると思うんだがなぁ」
「大きなお世話だって!」
そうやって会話する二人だが、今はそれをしている場合ではない。まだ戦闘は終わっていないのだから。
イルミネーターは再び動き出し、その場から飛び上がる。だが、これは戦いを続けるためではない。影は魔法少女を無視し、図書館の奥へと消えていく。逃走だった。
「あーあ、逃げられた」
「あんたが余計な事言うから!」
狂暴なイルミネーターを放っておけば、次の被害が出かねない。最悪、図書館の人々も眠ったままになる可能性もある。何としても、倒さなければならなかった。
「私はあいつを追うから、絶対に余計なことをしない! 分かった?」
「はいはい、分かりましたよ」
しっかりと釘を刺す日比野を適当に流す信。彼がその指示に従うはずがない。
「……と、言うとでも思ったかバカが」
イルミネーターを追って走っていく日比野に、信はそう言葉を付け足した。当然、彼女には聞こえていない。
信は重い体を引きずり、標的へと先回りする。この図書館は信にとって庭のようなもの。初めて訪れた日比野より、構造に詳しいのは当然だ。
彼の目的は、イルミネーターとの会話。初めから、少年はそれを狙っていた。