ヒーローの証明
ヒーローの証明
日比野が眠ってから三日後。体調が戻った信は、普段通り学校に通っていた。
相変わらず日比野は目を覚まさず、そのことを両親に伝える手段もない。何一つ、状況は変わっていなかった。
ただ、こんな事があったこともあり、凛との関係は大分落ち付いている。それも全て、日比野のおかげだ。
彼女の事が頭を過るたびに、信の気持ちは淀む。その都度、周りの人が彼に声をかけた。
「星川、最近様子がおかしいな。何か辛いことがあったら、俺に相談しろよ」
「大丈夫です。特に何もありませんから」
頑固者で、生徒からの評判が悪い古文の教師。
「大丈夫? 星川くん調子悪そうだよ」
「大丈夫です先輩。何でもありませんから」
普段良くしてもらっている剣道部の部長。
「おい、どうしたんだよ星川。調子でも悪いのか?」
「だ……大丈夫だから」
一年の時同じクラスだったB組の生徒。
少し誰かと話すだけで、普段と違う事を悟られてしまう。自分の中の悩みを隠し通すことが出来なかった。
だが、なぜか勇気が湧いてくる。自分のような者を心配し、気遣い、声をかける者が、こんなにもいることが嬉しかった。
染めを落としたら、周りと違ってしまう。孤立してしまう。そう、彼は思い込んでいた。しかし、実際は何も変わらない。最初は驚かれたものの、周りはいつもと同じように接してくれる。変わったのは色だけだ。
「くそっ、どいつもこいつも……」
どこにいても誰かに声をかけられ、気遣われてしまう。嬉しい事だが、どうしても相談が出来ない。信の頭にある思考が過る。自分も運命に操られ、魔法少女の存在を隠そうとしているのではないのかと――
そう考えた瞬間、彼の頭の中はぐちゃぐちゃになる。まるで何かから逃れるように、彼は屋上前の扉まで走った。
昼放課、信はこの狭い空間で一人考える。これから何をすべきか、自分にとって魔法少女とは何なのか。そんな彼の元に、一人の少年が訪れた。
「そこ、僕の特等席なんだけど」
「……水島か」
小柄で童顔の少年、クラスメイトの水島。彼はどこか落ち着かない様子で、信の隣に立つ。どうやらこの少年は、友人を励ますためにここまで来たらしい。彼は初め、会話を躊躇している様子だった。しかし勇気を振り絞ったのか、少年は突如、話しを切り出す。
「何ていうか、星川くんって分かりやすいよね。悩んでるのが凄く伝わってくる」
「そんなつもりはないんだけどな……」
何を思ったのか、信は突拍子もなく、おかしな質問をする。
「なあ、お前ってさ、アニメとかよく見るよな」
「うん、見るけど……」
「魔法少女って知ってるか?」
「え? う……うん、知ってるよ」
その質問に、水島は呆然としていた。まさか、真面目な委員長からこの言葉が出るとは思わなかったのだろう。
だが信は、困惑する彼にさらに質問を繰り返す。
「もし、その魔法少女が危機に陥った時。どうすれば助かるんだ?」
「うーん……大抵は能力が覚醒したりするかな。魔法の力で奇跡の逆転って感じに」
「そうか……」
やはり、奇跡に頼るしかないのだろうか。こんな方法で日比野を救ったところで、何も変わらない。それこそ運命によって導かれているだけだ。
運命による奇跡。それこそが、魔法少女を導く絶対の法則。完全無敵の彼女らを構成する最大の要素と言えるだろう。
考える信と同じように、水島も何かを考える。やがて、彼は面白い答えを導き出した。
「でも星川くんなら、もっと上手くやれるよね。そんな都合の良い展開じゃなくてさ」
ギクリとする信。まるで、心の奥底にある悩みを見透かされたような的確な答え。完璧な気遣いだった。
信は作り笑いをしつつ、水島の発言を冗談のように流す。
「随分と持ち上げてくれるじゃないか。俺なんて、世界の平和を守る魔法少女様と比べたら、取るに足らない存在だよ」
「そうかな? 僕はそう思わない」
だが、水島は真剣だった。常に消極的な彼が、はっきりと自分の考えを述べていく。
「もし世界が守られて、自分の命が助かったとしても、何かパッとしないと思うんだ。たぶん、本当に助けられたのかって、疑っちゃうと思う」
彼は頬を染め、照れるように言葉を続ける。
「でも、目の前にある優しさは本物だよ。周りにいる人がほんの少し助けてくれる方が、僕は嬉しいかな」
キョトンとした表情で、信は固まった。
魔法少女の力によってもたらされる平和は、あらゆる要素を飛ばし、世界に直結するもの。そんな平和より、水島は自分を見てほしいのかもしれない。
彼女たちは世界を守っている。だが、それによって誰かを幸せにしたわけではない。マイナスを打ち消しただけで、プラスには成りえなかった。
一見、全てにおいて正しいと思える魔法少女。しかし、曖昧な部分は存在している。付け入る隙は、充分にあった。
彼が自分のすべき事を見つけようとしているとき、突如会話に一人の生徒が入る。クラスメイトの国丸だ。
「おいおい、お前は乙女か。なに可愛らしくてイラッとくる会話してるんだよ」
「国丸! いつのまに!」
「ずっといたぜ」
どうやら、階段の下に隠れ、様子をうかがっていたらしい。彼のこういう部分が恐ろしかった。国丸は突然現れたかと思えば、意気揚々に信の能力を否定していく。
「こんな奴、持ち上げる価値もねえよ。能力もたいしたことないしな。クラスの奴らが信用してるのは、こいつが生真面目だからだ。正直、エースには向いてないよ」
「ちょっと、国丸くん!」
水島の言葉を振り払い、彼は信の肩を強く叩く。
「だがな、いくら豪速球を投げれるピッチャーがいても、それを受けるキャッチャーがいなきゃ意味ないんだぜ?」
「…………」
国丸は信との付き合いが長い。だからこそ、彼の本質を見定めていたのだろう。
たとえエースになれなくとも、それを支える存在にはなりえる。人の価値を測る基準は、何も能力だけではなかった。
珍しく国丸が真面目な事を言っている。しかし、次の一言で台無しになってしまう。
「ちょ、今のかっこよくね? 今のセリフ滅茶苦茶カッコよくね?」
「あはは……自分で言わなきゃね……」
人見知りの水島が、最近知り合ったばかりの国丸と仲良く話している。ただそれだけの事が、信の勇気となった。報われた気分になった。ほんの少し、彼は何かを掴んだようだ。
「俺、早退する……調子が悪いみたいだ」
信は二人に別れを告げ、階段を下りる。そして、担任に早退を知らせるために、職員室へと歩いていった。
今は心を休める時なのかもしれない。彼は自分のすべきことを、ただ探していた。
★★★
午前中で学校を早退した信は、自宅へと戻っていた。
彼は家の扉を開け、玄関へと入る。それを出迎えたのはミミスケだった。
「あ、お帰り! シンくん!」
「お前、家にいたのか」
「うん、いるのはボクだけじゃないみたいだけどね」
「……?」
この時間、父も妹も出かけているはずだ。他に誰かがいるはずがない。
彼に促されるように、信は奥の部屋へと歩いていく。あまり入る機会のない仏壇の置かれた和室。そこには、押し入れの中を漁る見慣れた姿があった。
「と……父さん! 会社はどうしたんだよ!」
「お、信。お前こそ、学校はどうしたんだ?」
その質問に、信は答えることが出来ない。学校をサボるなど、恥ずべき事なのだから。
彼はどうにも気まずくなり、父から目を逸らす。やましい事があるのは明白だ。しかし父は、そんなことなど気にしていない様子。
「はっはっ、俺たち気が合うなぁ。二人揃ってサボりなんてな」
「よく言うよ……」
父親にだけは、気を使わせたくなかった。しかし、何日も続く外泊、度重なる深夜の外出、そして妹との喧嘩。気を使わない方が無理というものだ。恐らく、信が早退することも読んでいたのだろう。
彼はとても心配しているはずだ。しかし、信に対して何があったか言及しない。昔からそうだった。直接は何も言わず、物事を解決するヒントだけを提示する。どこか、斜め上の視点を決め込んでいるのが、信と凛の父親だった。
「いやー、最近部屋の掃除をろくにしてなかったからな。有給取ったんだよ。ほれ! こんなのが出てきたぞ」
彼は足元に置かれた人形を拾うと、信に向って投げる。それは、八年近く前の特撮ヒーローの人形だった。
「この人形は……」
懐かしい気持ちがこみ上げる。人形は所々汚れており、かなり長い間遊んでいたのが見て取れた。信のお気に入りだったのだから当然だ。
この人形は信の憧れその物。清く正しい、絶対的正義の象徴だった。
★★★
信は父親から渡された人形を持って、ある場所へと訪れる。
そこは、この町を一望できる丘の展望台。小さいころによく凛と遊んだ場所だ。
彼は汚れた人形を握り、展望台の手すりに膝を置く。そんな少年の人形を気にしつつ、ミミスケは手すりに座った。
「かなり汚れてる。ずっとそれで遊んでいたんだね……」
「ああ……」
まるで湯水のように蘇る幼いころの記憶。
兄はスーパーヒーロー、妹は魔法少女。大きくなったら、絶対になろう。そう約束したことを思い出す。
だが、彼は約束を果たすことが出来なかった。果たせるはずがなかった。
「ごめんな、凛……俺、スーパーヒーローにはなれなかった……」
惨めだ。
本当はこんな情けない男にはなりたくなかった。この人形のように、皆に認められるヒーローになりたかった。絶対に敵わない夢なら、それで良い。しかし、妹の凛はその夢を本当の物にしてしまう。それが余計に悔しかった。
彼は大きく息を吸い込み、そして一気に吐き出す。そして気持ちを切り替えたような表情で、言葉を連ねていった。
「青木翼。クラス一のお調子者で、自分勝手だな。だが、サッカーがとてもうまい。確か、二年でレギュラー確定と聞いている。まったく、大した奴だ」
信は人によって性格を変える。それは、自分が周りから良く見られようとするためだ。
彼は見捨てられるのが怖かった。周りの人間が自分よりも遥かに優れて見え、自身が取るに足らない存在だと思っていたからだ。
「相川美奈子。クラスのムードメーカーといえる女子だ。勉強はかなり苦手だが、料理がとても上手だな。料理教室に通っていて、その腕は先生のお墨付きらしい」
ずっと信は周りに嫉妬して生きてきたのかもしれない。凛と違って特別な何かを持っていない。神様に選ばれなかった自分はダメな奴だと、幼いころから思っていた。
「江藤信二。初めはパッとしない奴だと思った。だが、最近知った。お前は戦国武将に詳しかったんだな。お前に聞くまで知らなかった人物は沢山いたよ」
だから積み重ねた。魔法少女に追いつくために、全てのことに全力で取り組んだ。趣味も持たず、熱中できることもなく、ただ自分が優秀になるためだけに生きてきた。
だが、その結果は散々なものだ。何をとっても優秀と言えば優秀だが、これといった特技は無い。全て中途半端な結果となってしまった。
「飯島彩香。俺はお前が運動の苦手な奴だと思っていた。スキーが得意だって知った時は驚いたよ。確かに、お前は自分の好きなことには真剣だったな」
それでも、周りは信の努力を認め、友情を深めていく。孤立した少年や、クラスの問題児すらも、彼を評価した。
それは能力の問題ではない。繋がりの問題だ。
「大田正輝――」
信は今まで気づかなかった。自分の周りにはこんなにも心強く、誇れる者がいたことに。
二年生でクラスが変わり、まだ一カ月もたっていない。それにも拘らず、彼はクラスメイトの名前、性格、特技を把握していた。この事実は、少年が一年生の時から他クラスの生徒も理解しようとしていた結果であり、知らない人を知ろうとする積極性があったことを意味する。
「そうだ……俺の知り合った人達は、みんな凄い奴ばかりだ。この広い世界の凄い奴ら全てが、あいつらの味方なんだ……それが世界を救うって事!!」
彼は展望台から身を乗り出し、街を見渡した。
「何だよそれ! 負ける気がしないじゃないか!! 凄い!! 凄いな!!」
「うん……すごい……すごいよ!」
ミミスケは目に涙を浮かべ、そんな彼と共に街を観る。世界という大きな存在ではなく、この小さな一つの街を見つめる。信は初めから世界など見てはいなかった。ただ、自分の周りを構成する小さな社会を見ていただけにすぎない。
世界とはあまりにも大きく、視界に入らないもの。そんな強大な存在を支える魔法少女は、彼にとってヒーローだった。
「そうだ、そんな凄い奴が負けるはずがない! 考えろ! 逆転の方程式は必ずある!!」
信はただ考える。現状の打開策を、最善の策を――
「俺は心を磨いた。魔法を打ち消す唯一の力がこれだから……」
それは僅かな閃きだった。
まだ、明確な答えを導き出せてはいない。この方法で、日比野を救えるという確証はない。だが、今やるしかなかった。
「ミミスケ、聞いてくれ。俺は魔法の力で、ミャーを忘れるはずだった。でも、忘れなかった。どうして忘れなかったのか疑問に思って、魔法について調べた。そうしたら、魔法は心で打ち破れるって分かった。辿り着いたんだ。証明したんだ。人の心は、どんなに巨大な力だって凌駕するって!」
彼は視線を伏せ、汚れた人形を見る。
「ミャーのおかげだ……この世に無駄な存在なんてない! 人間も、イルミネーターも! 生まれてきたのには必ず意味がある! 俺たちには、俺たちにしか出来ないことがあるはずなんだ!」
例えヒーローになれなくても、今の自分に出来ることがあるはず。そう、信は確信した。
「ミャーが消えた時に思った。あいつも俺も、全ては凛を引き立てるためだけの存在で、世界は魔法少女を中心に回っているに過ぎないって……考えれば考えるほど、悔しくなったし、強い嫉妬を抱くようにもなった。だけど、そんな考えは間違ってる。これからそれを証明する!」
彼は視線を上げ、ミミスケの方へと振り向く。
「俺、蜜柑を救うよ。皆の力で!」
今までの信とは違う。まるで呪縛が解けたかのように、彼の眼には光が宿っていた。
凛と同じ髪の色、瞳の色。彼女と同じように輝く信を見て、ミミスケは言葉をこぼす。
「やっぱり、信くんたちは似ているよ……」
髪色だけの問題ではない。真っ直ぐな瞳、キリリとした表情。本気の凛と全く同じ顔つき。まさしく、二人は双子の兄妹だった。
信が妹と違う部分、それは魔力を持っていない事。しかし、それによって彼は別の長所を築き上げていく。
周りを支え団結する力、分からない事を調べ考える力。それは、まさに考える葦。魔法少女が持っていない人間としての能力だ。
彼は知らず知らずのうちに、この能力を成長させていた。
まるで、妹の足りない部分を補うかのように――




