人の常識
人の常識
時間にして数十分。体を休めた信は重い体を引きずり、庭の自転車までたどり着く。このまま何もしないわけにもいかない。彼はその自転車に乗り、自然公園まで戻る。
戦いが始まってから、既に一時間がたとうとしている。日比野が無事な事を祈りつつ、信は街を走り抜けた。
今の彼に明確な目的はない。ただ、互いに親友と認め合った日比野を見捨てることが出来ない。その一心で突き進む。こんなにも真っ当な理由で戦いに赴くのは初めての事。今まで悪役を気取っていた信には、この主人公のような行動が新鮮だった。
公園に着いた信は、すぐに先ほどの噴水前まで自転車を走らせる。空を見上げると、三色の光が交差するのを確認できた。これは三人が戦っている証拠だ。
黄色い光は日比野の魔法。それを確認できたことから、恐らく彼女は無事だろう。だが、姿の確認するまで安心できない。
噴水に近づくにつれ、少女の姿は明確になっていく。彼は自転車を乗り捨て、彼女たちの真下に立つ。はっきりと確認できる日比野の姿に、信は安堵した。
「蜜柑……無事だ――」
が、それは最悪のタイミングだった。
彼が日比野の姿をとらえたその瞬間、その背後に望月が回り込む。彼女の手には三日月形の大鎌。回避する余裕は残されていなかった。
道化師は容赦なく武器を振り落す。瞬間、青色の光は日比野の背を切り裂き、彼女は声を上げることなく動きを止めた。
完全に意識を失い、日比野は地上へと引き寄せられていく。それを見た凛は叫んだ。
「ミカンちゃん!!」
「蜜柑……」
空中から落下し、地面に叩きつけられる日比野を信は呆然と見つめる。一生のトラウマになるだろうという光景。それを前にしても、体は全く動かなかった。
うつ伏せに倒れる魔法少女は、やがて変身が解け、元の少女に戻る。彼女が立ち上がる気配はない。ただ、ぐったりとその場に伏せ続けていた。
凛はすぐさま下界に降り、日比野の元に走り寄る。
空中に残された望月は、下界の様子を満足そうに見つめていた。
「ようやく目的を達成できた……これで……物語は進む……私は貴方に対する因縁の存在になれる……」
彼女はそう言うと、凛に背を向ける。目的を達成したのか、戦いを続ける気はない様子。
「次に会う時が楽しみ……桃色の星ちゃん……」
「……ユメコちゃん。絶対に……絶対に許さない!!」
温厚な凛が、珍しく声を荒げる。目じりは吊り上り、完全に怒りをあらわにしていた。
信はずっと凛と共に過ごしてきたが、ここまで怒っている彼女を見たのは今日が初めてだろう。ピンク色の光に包まれた凛は、望月を追おうとその体を浮かす。だが、そんな少女を信は呼び止めた。
「凛!! ……もういい!! もういいから……」
信は天高くへと消えていく望月を無視し、凛の腕を掴む。彼の目線の先には、地面に伏せる日比野の姿があった。
「蜜柑を……助けてくれ……」
普段、信は妹に頼るような真似は絶対にしない。それも、自らが嫌悪する魔法の力に縋るなど、ありえない事だった。
だが、今の彼は魔法の力に期待している。凛ならば日比野を救えるかもしれないと、都合の良い事を考えていた。自分のくだらないプライドなど、どうでも良い。ただ、日比野を救ってほしかった。その一心だ。
そんな彼の期待に応えるため、凛は彼女の治癒に入る。癒しの魔法によって、暖かい光が日比野を包み込んだ。
「治るのか……?」
「だめ……全然目を覚まさないよ……」
傷は全く見当たらないが、彼女の意識が戻ることはない。恐らく、身体的ダメージではなく、心に作用する魔法を受けたのだろう。無残に切り裂かれた少女の姿を見ずに済んだのは、不幸中の幸いと言える
凛は健気に魔法を使い続けるが、状況は変わらない。彼女の特性は星、高火力かつ超重量級の魔法少女。回復魔法を満足に扱えるはずがなかった。
「病院に連れて行くぞ……」
凛の力で助からない事を悟った信は、今できる最善の策を提示する。彼の力では、こうすることしか出来なかった。
しかし、凛は首を横に振る。日比野を病院に連れいけない理由があった。
「それは出来ないよ。この戦いのことは誰にも知られちゃいけないから……」
その言葉を聞いた瞬間。信に再び、怒りの感情が湧き上がる。彼は右手を握りしめ、声を荒げた。
「何だよそれ……何でそんなこと言えるんだよ!」
やがて信は凛の胸倉を掴み、荒々しく持ち上げる。
「こいつは魔法少女以前に人間なんだ! 誰だって、医者の治療を受ける権利はあるんだ! そんな当たり前の事も否定するつもりかよ!!」
彼は奥歯を噛みしめ、心の内から叫んだ。
「何でそうやって人を遠ざけるんだ! 何で人間を信用しない! 魔法少女!!」
怯えるというより、唖然とする凛。人々の平和を守るために戦っている自分が、人間を信用していない。そう信に思われていることが、信じられなかったのだろう。
だが事実、彼女は魔法以外の力に無頓着。医師の治療によって、日比野が治るなどと思ってはいない。それは明らかに人間離れした考えだ。
信は彼女を地面に下ろし、その場にふさぎ込む。
「そうやって……お前が離れていくのが悔しいんだ……分からないのかよ……」
こんな状況でも常識を捨てることが出来ない。それが尚更、自分を惨めにさせる。
不安定な彼の心情を察したのは、凛の従者であるミミスケ。彼は冷静に、今できる最善の策を提示する。
「リン、病院に連れていこう。それで何も変わらなかったとしても……」
「ミミスケ……」
ミミスケの了承を聞くと、信は内ポケットから電話を取り出し、病院へと連絡する。
そんな彼の様子を、凛は目に涙を浮かべつつ見つめていた。
「私、誰も巻き込みたくなかった……だって、シンくんを巻き込んで、危険な目に合わせちゃったから……」
彼女の言葉を聞いた瞬間、信は薄々感づいていたことを確信してしまう。
通話を終えた彼は、恐る恐る凛に問質した。
「ミャーは……俺を襲おうとしていたんだな……」
「…………」
彼女は何も答えない。信は続けて疑問を放つ。
「あの時、お前は俺を助けてくれたんだな……」
「……うん」
自分が正しいと信じ、イルミネーターと心を通わせることが出来ると信じ、彼は今まで戦ってきた。しかし、真実は残酷だ。
信はミャーに裏切られた。友達になったと思っていたのは自分だけで、実際は通じ合っていなかったのだ。
おそらく、彼は魔法少女を倒すために利用された。そう考えるのが自然だろう。
冷静さを装い、信は救急車を待つ。今は自分の事より、日比野を救いたい。
それだけだった。
★★★
真白い病室、双子の兄妹がベッドに眠る少女を見つめる。兄は拳を握りしめ、妹は目に涙を浮かべていた。
従者のミミスケは、そんな二人と同じように俯く。誰一人として、ベッドに眠る少女を救う術を持っていなかった。
「お医者さんは、少し眠っているだけだって……」
「…………」
そんなはずがない。やはり、医者に見せたところで、解決できる問題ではなかった。
信は人として正しい行いをした。何も間違ってはない。しかし、そんな常識が通用する実態ではなかった。
日比野が病院に運ばれたことは、田舎の両親へと伝えられる。はずだった。しかし、電話が全くつながらない様子で、連絡手段が閉ざされている。やはり何らかの力が、魔法少女の存在を隠しているとしか思えない。
「私たち、かっこ悪いね……」
「ああ……」
「ミカンちゃんの方がかっこ良いね……」
「ああ……」
ようやく心通わせた親友をこんなにも容易く奪われてしまった。そして、それを両親に伝える事すらできない。悔しさと、悲しさが入り混じりあい、信の絶望はさらに大きなものとなる。彼は凛ほど強い心を持っていなかった。
そんな兄の様子を見た妹は、彼を励ます。喧嘩の事など、気にも留めていない様子だ。
「だ、大丈夫だよ! 信じれば、絶対奇跡は起きるよ!」
「奇跡……か……」
「そうだよ! 私たちの願いが、きっと神様に通じるんだ!」
彼女がそう言った瞬間、信の心の中に閉まっておいた本音が零れ落ちた。
「お前、魔法が効かなきゃ何も出来ないのかよ……」
「……シンくん!!」
ミミスケに言われて、すぐに気付いた。これは明らかに失言だ。
凛は眼に涙を浮かべると、それを隠すように病室から走り去った。そんな彼女を追って、ミミスケも室を後にする。
信の言葉は妹を傷つけ、それによって自身も追い詰められていく。
「最悪だな……」
妹に説教を言う資格などない。自分の方がよっぽど幼稚だ。彼は再び、ベッドに眠る少女を見る。
「蜜柑……」
今はただ、目の前の彼女を救うすべを考えれば良い。自らの愚かさを嘆く時間があるのなら、現状の打開策を考える。信はそうやって自身に言い聞かせた。
「考えろ……考えるんだ。今の俺に何が出来る。どうすれば、奇跡を起こすことが出来る!」
彼は今まで積み重ねた魔法少女への知識を探る。しかし、出てくる手段は全て――
「俺は……あいつらを倒す術しかもってない……」
魔法少女をぶっ倒す。その事だけを考え、信は今まで戦ってきた。助ける方法など、知るはずがない。
「この数年……こんな事のためだけに……救う術すら探そうとせずに……」
彼の努力は、怒りや憎しみによって積み重ねられたもの。戦う意味を失った今、その全てに価値は無くなった。いやそれ以前に、凛に不の感情自体を抱くこと自体が間違っている。彼女は信を助けるために、イルミネーターであるミャーを倒したのだから。
少年は理解した。この数年の行動は、全くの無意味だったと。
「俺の戦いは、何だったんだ……」
信はただ、無力な自身に失望する。ベッドに眠る少女を前に、彼は立ち尽くすことしか出来なかった。
魔法少女の存在は自分にとって何だったのだろう。敵なのか、味方なのか、本当に日比野を救いたいのか、それすら曖昧になってしまった。
彼は今できる最善の策を探る。だが、それを導き出すことが、どうしても出来なかった。




