戦いの真実
太陽が沈み、一日が終わるころ。信はある場所に訪れていた。
綺麗に整理された六畳ほどの部屋で、所々に飛行機の模型が飾られている。これは、この部屋の持ち主の趣味だろう。
そんな部屋の中、信は苦悶の表情で携帯電話に話す。電話の相手は彼の父親だ。
「もしもし、ごめん父さん。まだ帰れそうもない」
『そうか……いい加減仲直りしたらどうだ?』
「顔を合わせる勇気がない……」
一日目は野宿、二日目はマンガ喫茶、そして今日、三日目は友人である国丸の家。学校の用具だけを持ち出し、信は家を飛び出していた。
あの日から三日間、妹とは顔を合わせていない。合わせる勇気が湧かなかった。
父にも報告し、抜かりなく行動しているが、それも逃げだ。ずっと、こうしているわけにもいかない。
「本当にごめん。ご飯は凛に作らせてくれ。じゃあ……」
そんな彼の様子を国丸は横目で見る。彼は押入れから敷布団を取出し、それを信の目の前に広げていった。
「ほんと急だよなー。いきなり泊まりたいとかよ。寝床用意するの大変だっつーのに」
「…………」
国丸の問いに対し、信は上の空だ。ここまで分かりやすい事もない。
「親父……じゃねーな。妹と喧嘩したのか? ん?」
「喧嘩じゃない。顔を合わせるのが気まずいだけだ」
妹に顔を合わせるのが気まずい。その事から、国丸は一つの答えに辿り着く。
「なるほど、そういう事か。見られたんだな。オ……」
「黙れ」
だが、その答えは信によって防がれる。言わせるわけがない。
悩んでいる信を元気づけるために言った冗談なのだろうが、今回は逆効果だろう。それほど、彼の悩みは深刻だった。
それでも、国丸は放っておく気になれない様子。彼は信の肩を叩く。
「ま、気にすんな! 今日一日泊まって、明日解決すりゃいい。なーに、俺が付いてるさ」
国丸の心遣いはとても嬉しかった。だが、この問題は相談出来ることでもない。
「ありがとうな。でも、これは俺にしか解決出来ないんだ」
「だったら、ビシッと決めてこいよ。応援はするぜ」
人差し指を立て、信の真似をする国丸。彼から見た友人が陰鬱な状態でも、そのお気楽は変わらない。今の信は、逆にそれが嬉しく思えた。
「そうだな……もう後戻りはできない。決着をつけなくちゃな……」
少年は笑う。しかし、いつもの笑顔とはまるで違う。
魔法も、世界も、何も知らない国丸でも、この異常な重圧は感じられたのだろう。彼は普段絶対にしない真剣な表情で警告する。
「……道、間違えんなよ親友」
「ああ、分かってる」
信は立ち上がると、フラつくように部屋の外へと向かう。依然として、その重圧は変わらない。まともな精神状態ではないのは、誰の目から見ても明らかだ。
彼が部屋を出たのと同時に、扉の向こうで国丸は呟く。
「分かってねーよ……」
それは呆れたような、心配するような、重い一言だった。
国丸の家を出た信は、視線を二階の窓へと向ける。そこにいたのは、耳にリングを浮かべた小動物。凛の従者、ミミスケだった。
彼は信の存在に気付くと、上空から降下し、その前に浮かぶ。そんなミミスケに対し、信は威圧的だった。
「ずっと、俺を見張っていただろ……」
「うん……」
「凛に言われたんだろ……」
「うん……」
「そうか……」
いつもとは違う信の様子に、ミミスケは愕然とした様子だ。
今の彼は負の感情に支配されている。ただ、魔法少女リンをぶっ倒すため、それだけのために動こうとしていた。
そんな信に対し、ミミスケは説得に入る。兄妹が争う姿など、彼も見たくなかったのだろう。ただ必死に、自らの思いをぶつけていく。
「お願い! リンを嫌いにならないで! リンは、シンくんの事を本当に大事に思っている……その気持ちを踏みにじらないでほしいんだ!」
信の憎しみは一方的なものだ。妹の方は、彼を優しくも厳しい自慢の兄だと思っている。いや、それ以上かもしれない。
凛の原動力は優しい家族と、周りの友人たち。自分に携わる人々の未来を救うため、彼女は戦っているのだ。
信の行動はそんな凛の思いを否定する行為。いかなる理由があろうとも、許されることではない。紛れもない悪と言えるだろう。
「リンは……シンくんを守るために戦って――」
「俺は、あいつに守られたいと思ったことは一度もない」
その冷徹な一言は、ミミスケの意志を折るには充分だった。もう、彼の力では信を止めることは出来ない。
「あいつはどこだ。話せ……」
信の眼には、ミミスケの姿など映っていなかった。矛先は妹である凛ただ一人。
彼はしゅんと小さくなり、信の言葉を受け入れるしかなかった。
「話すよ。ボクはリンの事も、シンくんの事も、信じてるから……」
ミミスケの眼は国丸と同じだ。心配しているが、今の自分にはどうすることも出来ない。そんな寂しい眼だった。
信は彼の心情を理解しているつもりだ。しかし、それに答えるつもりはなかった。
ただ、自らの感情に任せ、動くしかない。それが、彼なりの覚悟だ。
★★★
信が訪れた場所は、町はずれの河川敷。
これも運命なのか、この河川は始まりの場所。彼が魔法少女を倒すと、強く生きると誓った場所だった。
川沿いの大風車はゆっくりと回る。あの時と全く変わっていない光景。ただ違うのは、目の前の魔法少女が成長している事だった。
凛と蜜柑は協力し合い、カエル型のイルミネーターと戦う。水の上を飛び回るイルミネーターを日比野が追いつめ、隙に乗じて凛が強大な魔法を放っていく。状況は圧倒的に魔法少女が有利、すでに戦いは終わりに近づいていた。
二人の連携が決まり、ステッキから強大な魔法が放たれる。魔法少女によって、かき消されるイルミネーター。信は奥歯を噛みしめつつ、その様子を見送るしかなかった。
彼は戦いの終わりを見計らうと、少しずつ歩き始める。一歩、また一歩と、魔法少女の元へと近づいていく信。それに気づいたのは日比野だった。
「信、あんた来たのね」
「シンくん……」
彼女が話しかけても、凛がその名前を呼んでも、信は何も答えない。ただ、ゆっくりと凛の元へと歩み進める。明らかに、今の彼は様子がおかしかった。
距離にして数メートル。少年は足を止め、内ポケットから特殊警棒を取り出す。凛はそんな彼を信用してか、自らの足で近づいていく。
「……シンくん?」
信が笑う、瞬間だった。
突如、立ち尽くす凛に、少年は容赦なく警棒を振り落す。
兄からの攻撃に唖然とした凛は、全く動けない。何が起きたのか、理解出来ない様子だ。
だが、その攻撃はすんでのところで止められる。信の一撃を止めたのは、日比野のステッキ。やはり彼女は、少年の事を警戒していた。
「あ……あんた何してんのよ!」
「凛を直接ぶっ倒せば、それで終わりだ。俺の目的は成就する……」
今までの信とは明らかに違う。何の考えもなく、ただ妹を叩き潰すためだけに振り落とされた一撃。とても正気とは思えない。
「バカじゃない! あんたがそんなに頭悪いと思わなかったわ!」
「何とでも言え。正気なんて、とうに失っている。俺は魔法少女をぶっ倒すと決めたんだ」
相手を打倒しようと、互いに攻撃を押し合う。初めて会ったあの時と同じ状況。
しかし、今回は違った。日比野に動揺も、迷いもない。ただ、自分が正しいと思うことを貫き通す。彼女の思いが、ステッキを通して信に伝わった。
「また邪魔をするのか? 黄色いの……」
「その呼び方やめてよ……他人行儀で気に入らない! 一発ぶっとばして、目を覚まさせてあげるわ!」
前回と違い、先に動いたのは日比野。彼女のステッキに暖かい光が集まり、形を成していく。このとき、信は以前の戦いを思い出す。あの時も、これと全く同じ動きがあった。
彼はすぐさま対策に出る。ステッキ同士の押し合いを放棄し、少年は後方へと退く。それとほぼ同時に、日比野のステッキは光を纏う一本の日本刀へと変わった。
案の定だ。日比野はステッキを光刀に変え、接近戦を狙っていた。あの体制のまま拮抗していれば、信の特殊警棒は切断されていただろう。
「っ……!」
「油断するなんて、らしくないわね」
彼が安堵した瞬間だった。あまりにも速い。まるで閃光のような魔弾が彼に向って放たれる。魔法の発動を全く認識出来なかった。日比野は信の油断を利用し、攻撃動作を器用に隠したのだ。
信は魔法を転がるように、ギリギリのところでかわす。これを避けることが出来たのは、おそらく直感だろう。日比野ならばこうすると、本能で感じたのかもしれない。
「くそっ……強くなりやがって……」
彼女を強くしたのは、他ならぬ信自身だ。気まぐれに知識を与え、その成長を喜んでいたのは完全に失敗だった。
日比野は少しの間も置かぬまま、ステッキに光を集めだす。攻撃方向が分かりやすいこの魔法も、高スピードで構築すれば避けようもない。
彼女のステッキから二弾目が放たれた。黄色い弾丸は、ただ真っ直ぐ標的へと向かう。信は無防備な状態のまま、その攻撃と対峙するしかなかった。
「信、これで終わりよ!」
日比野の心に迷いはない。これさえ命中すれば信は止まるはずだ。
だが、光弾が直撃する寸前、それは別の魔法によって掻き消される。攻撃を防いだのは、凛のステッキ。彼女は二人の間に立つと、両方に向かって叫ぶ。
「もう、やめてよ! こんなの間違ってるよ……」
眼に涙を浮かべる凛。目の前で自分の兄と、仲間が戦っている。おまけに、状況もよく分からないままだ。理解も出来ないし、納得も出来ない。
だが、そんな彼女に対し、兄である信の対応は冷たかった。彼は魔法少女の存在を真っ向から否定する。
「……間違ってる? なら、お前たちの存在はどうだ。理屈に沿わず、矛盾だらけのご都合主義。お前たちの存在こそ、間違えじゃないのか?」
信は言葉巧みに挑発し、反撃のチャンスを伺う。
「確かに、その力は凄い。超人的な能力も認める。だが、世間から目を逸らすお前たちを誰が評価する。誰からも認められないその力に、何の価値がある?」
「私たちの力は、世界を守るためにあるんだ! 信くんは……信くんは、何も知らないからそんなこと言えるんだよ!」
何も知らない。その言葉を聞くと、信は薄気味悪く笑う。ここで使わなければ、次に使う機会はない。
彼が今まで温め続けてきた魔法少女を倒す手段。魔法少女を絶望に落とし、その存在を否定する事実。それが、彼にとって最大の切り札だ。
「ははっ、何も知らないだと? 知らないのはお前たちの方だ……」
信はいつもと同じように、人差し指を立てる。何かを考案するとき、自分の考えを示す時、彼はこうやって注目を促す。一種の癖だった。
「魔法少女とイルミネーターの戦いは、何千年も前から続いている。その中で、魔法少女が敗北した回数はゼロ。一度も世界は滅んでいない」
歴史上で何百回も繰り返されている魔法少女の戦い。その結果は、彼女らの全戦全勝。イルミネーターとしてはたまったものではない。
「おかしいよなぁ……何度も世界が危機に瀕しているのなら、一度は滅びても良さそうなのになぁ……」
「何が……言いたいの……」
彼の読んだ本に記された情報。過去のイルミネーターによる事件と、先人たちによる魔法少女に対する考案。それらを重ね合わせることにより、彼はある結論に辿り着く。それは、あまりにも不自然で、理不尽な結論だった。
「真実に辿り着いたんだよ。世界は一生救われず、滅びもしない。常に綱渡りの状態で維持され続けている。これがお前たちの守る世界の形だってな」
簡単な事だ。初めから結果は決まっている。
正義は絶対に勝つ。いくらイルミネーターが奮闘しようとも、魔法少女には勝てない。これが、この世界のシステムならば納得がいく。
だが、それらは全て信の憶測、真実だという確証はどこにもない。
「何よそれ……そんなの勝手な考察よ!」
「いいや、これは確信さ。コインは投げれば投げるほどに、裏と表の比率が均等になるもの。リスキーな戦いが続くのなら、当然負けもあるはずなんだ。だが、お前たちの戦いは常に勝利のみ」
確証こそはないものの、理屈的に考えれば明らかに不自然だった。これは奇跡などではない。何らかの理由が存在する完全な必然だ。
「もう、分かっただろ……お前たちの努力は無駄なんだよ! イルミネーターとの戦いは、絶対的な勝利という形で繰り返される! 何度も戦い、何度も勝利し、それが次の世代に受け継がれていく!! 敗北も、終わりもないんだ!!」
望月の見解は間違っていない。一見すれば、ただの度が過ぎたアニメ好きだが、信はその本質を見抜いていた。
彼女はただ、この節理を運命と呼び、自分の好きなアニメに当てはめていただけにすぎない。都合のいい奇跡に依存するという考え方は、両方に共通している。
「良かったなあ! お前らの大好きな運命と奇跡のオンパレードだ!! さあ、神様に感謝しろよ!!」
「そんなの……私は知らない!!」
「そりゃ残念。だから言っただろう! 調べろってな!!」
信は再び特殊警棒を握り、日比野へと攻撃を仕掛ける。だが、彼女の様子がおかしい。先ほどまでの勢いはどうしたのか、その動きは明らかに鈍くなっていた。
全ては信の思惑通り、彼は知っていたのだ。魔法少女の最大の弱点。それは心と魔法が直結していることだと――
確かに人の心とは強大なものだ。思い次第ではどんな困難でも乗り越える力を持っている。しかし、それに依存するのはあまりにも不安定と言える。
精神は肉体や思考以上に起伏が激しい。少しの刺激で大きく崩れ、大幅な弱体化をうける。今がまさにそれだった。
「お前って奴は、本当に面白いよなあ。何も知らない癖に、本気で世界を語ってたんだからなあ! 滑稽だったよ!!」
「くっ……」
これは信の用意した最大かつ最強の切り札。魔法少女を絶望に突き落とし、その魔力を極限まで削る最終手段だ。
その威力は絶大だった。限界まで追い詰められた日比野の心は脆く、人間の信でも充分に対抗できる。魔法少女の力に慢心し、自らが正義と疑わない彼女には特に強い効果を発揮した。
「さあ! この現実を前に絶望しろ! 魔法少女!!」
愉快。痛快。彼は喜びに満ち溢れていた。
気に食わない魔法少女に現実を突きつけ、今の自分は彼女たちより優位に立っている。そう確信した。
魔法少女が正しいはずがない。真実を見極めた自分こそが、絶対的勝者なのだ。
「シンくん、それはどうでもいい事だよ」
「なに……?」
凛の言葉により、再び状況は一転する。
信の予想に反し、彼女の表情に全く絶望は見えない。いつも通り、普段の妹と同じ顔だ。
「私たちの力で、沢山の命が救えるのは本当のことだよ。イルミネーターとの戦いが繰り返されるなら、私たち魔法少女はその度に人を救う」
彼女はまるで信のように、ステッキを突きつける。
「百年後だって! 千年後だって!! 私たち魔法少女は皆を守り続けるよ!! 今までの魔法少女がそうしてきたように!!」
「やっぱりお前は厄介だよ! 魔法少女リン!!」
信の論理には隙があった。いくら理屈を捏ねようが、魔法少女が人々を救い、世界の平和を守っているという事実は変わらない。恐らく偶然だが、凛はその隙を見事に突き、自らの意志を貫いた。
魔法の力は心の強さ、折れない心は強い魔力を作り出す。人々を守るという芯がぶれない限り、彼女は無敵と言っていいだろう。
だが、それが信にとって面白くない。絶対無敵の正義の味方という存在が許せなかった。
「確かに俺の切り札は潰された。だが、調子に乗るなよ! 桃色の!!」
彼は力の衰えた日比野を振り払い、真っ直ぐ凛の元へと走る。初めから、信の目的は妹一人だった。




