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A piece of broken memory Ⅸ

 一平の意識が、やんわり覚醒していく。度の会わないレンズでもかけたように、ぼんやりとしていた視界がようやくはっきりした頃、右脇腹の部分に激しい痛みが襲った。蛇の頭が横からぶつかってきた、までは覚えている。とすれば、この痛みはそのことが関係しているんだろうな、とも十分に予想はできたのだが――


 「っつ」


 左手で痛む部位を抑えながら、何とか立ち上がってみた。奥の方では砂煙が上がり、恐らくは橙堂と蛇とが戦いを繰り広げているのだろう。


 「橙堂さんの言うとおりだった、な」


 過信していたのは自分だったと、一平は挫折しそうになった。

 一平は思う。

 そう、そもそも、自分には魔導すらも動かせない。そんな奴が、こんなことに巻き込まれたって何かできうるはずもなかった。最初から分かりきっていた。それでも、何かが変わるんじゃないかって、何かを変えたいって、そう、そう思い込んでいただけだった。自分の我侭。妄想だった。これが現実だ。結局、橙堂さんを巻き込んでおいて、俺は足手まといじゃないか――と。 


 「あはははは、本当、とんでもないトラブルメーカーだよな。バッカだ、俺」


 このまま、逃げることだってできる。病院に行って、治療を受け、そうして何も無いように明日学校へ行けば、特に問題もないはずだ。


 (橙堂さんには申し訳ないが、このまま警察とか魔導士を呼んでしまえば、解決する。そうだ、よな。そのはずだ)


 一平はポケットから携帯端末を取り出した。あれだけ吹き飛ばされておきながら、無事なのは悪運の一つだったのかもしれない。1・1・0というボタンを押し、後は画面上の通話というボタンさえ押してしまえば繋がる。

 だが、一平は押せなかった。

 

 (本当にこれでいいのか?)

 

 自分は、何の為に魔導士を目指しているのか。

 何のために、アルカナという学園に入学したのか。

 今、何ができるのか。

 考えれば考える程、矛盾するのは分かりきっていた。

 

 ――何もできない。

 

 持っていたとしても、使うことすらできない魔導という力。

 一平は、右の拳を思いっきり握り締めた。


 「力が」


 悔しさを胸に秘めて、一平は口を開く。


 「俺にもっと力があれば、助けることもできるのに」

 

 辛い。

 悔しい。

 何もできない自分が――悔しくて堪らなかった。

 

 「いや、待て」

 

 逆に考えればいいのだ。

 こんなボロボロで、使えもしない人間ならば、世界に存在したところであまり意味はない。

 そう、ならば簡単だ。

 死に物狂いでいい。

 そう、死んでも構わない。自分一人が死んだところで、世界は変わるはずもなく動き続ける。

 ならば――せめて、

 今、自分のために戦ってくれる女の子くらい、守ってみせたい。


 「それくらいのことは、したいんだ!」


 一平は、痛みを堪えながらも立ち上がった。

 おぼつかない足を前に出し、倒れそうになる自分を叱咤し、それでも前に、少しでも前にと歩み始める。

 歯が軋むほどに食いしばり、右手は爪が食い込むほどに握り締め、『何もできない自分』を呪うかのようにしながら、それでも前へ、前へ――と。

 

 その最中に――だった。

 

 「この声が、届いているだろうか」


 静寂の空間に、誰かの声が――響く。


 「誰、だ?」

 「待った。長い時を待っていた」


 頭でも打ってしまったのだろうか、だから、こんな幻聴でも聞えてしまうのだろうか。一平はそう考える。その声を無視して、少しでも前にと、歩み始める。だが、その声は一平の考えを無視して語り続けていた。


 「ぬしが、我を手に取る日を待っていたのだ」


 一平の足が、止まる。

 「俺を、待っていたって……どういうことだよ?」 

 「彼女達を助けたいのならば、思いで我を振るえ」


 神にも縋るような思いで、一平は答える。

 

 「助けたい。力を、貸してくれ」


 「承知」


 一平が込めた願いに反応したのか、そうではないのか。左手に着けた腕時計が、にびやかな極光を映し出し、空中に機械的な刀を作り出した。日本刀というにはあまりにも姿形フォルムが違う。唯一の接点といえば柄と刀身くらいなものだろう。峰の部分は機械的。けれど、間違いなくそれは刀と言われているものだ。日本刀の姿を残した魔導。一平は、ダメージがのこった体でゆっくりとその刀を掴むと、体に何かがまとわり付く感じを覚える。自然と痛みが引いていくと同時に、何故か、不思議と懐かしい感じがした。


 「真名を伝えるには、まだ早い。仮初の名、玉鋼たまはがねと呼んで欲しい」

 「玉鋼」


 一平は深呼吸をする。良く分からない。理解もできない。知識などもってのほか。けれど、唯一分かるのは、自分が扱うことができる魔導装甲がここにあるという事実。

 そして同時に、何故かこの魔道装甲とならば、できるという確信だった。

 

 「記憶を無くしているのだな」

 玉鋼が、不意にそんな言葉を口にした。

 

 「そんなことまで、分かるのか?」

 「無論。今の我は、主の心に接続している。身体の制御は必要ないだろう。心を失っていようとも、体が覚えている。早く――と、願えば良い」

 

 その言葉に、一平は願った。

 

 (早く――そう、一秒でも早く――!)

 

 その思いを受けた玉鋼は、その機械的な刀の精度を高めていく。

 

 「振れ、主。飛ぶぞ」

 「わかった。いくぞ!」

 

 一平は玉鋼の指示に従い、刀を振るう。切先からあふれ出した衝撃で地面が土煙を上げ、一平自身の体は一瞬で宙を舞った。

 

 「この、感覚――」

 「懐かしいか。脳の記憶は薄れていようとも、心が覚えているのだ」


 玉鋼は答える。その答えを示すようにして、一平は自然と体が捻り、蛇頭に苦戦する橙堂の姿を見つけるや否や、上空へと向かってなぎ払うと、獲物を狙う鷹のように超滑降を開始。叫び声を上げながら巨大な黒蛇。その顔を一つ、潰した。


 「ゴメン、待たせたな。橙堂」

 「藤白君、怪我は―?」

 「一先ずは、何とかなると思う」


 目前には、あちらこちら人形の部位を破損させ、頬には土を被っている橙堂がいる。それを見て、一平は申し訳なくなっていた。自分が巻き込んでしまったのだから。


 「無茶したみたい、だな。悪い」

 「いえ、いいんです。その魔導装甲は―?」

 「あぁ、なんだか使えるようになってさ。コイツとなら、なんとかできそうな気がするんだ」

 「そう、ですか。では―」


 立ち上がろうとした橙堂を、一平は手だけで静止させる。感覚だけだ。明確にそうだ、と言い切れるようなものではなく、勘ではあるのだが――


 「オラクル、殆んど使い果たしてるみたいだろ。何となくだけど、分かる。無理強いしたのは俺の方だ。持ちこたえてくれて、ありがとう」

 

 一平は、玉鋼を横に一閃し「ここから先は、俺がやる」と蛇に向かって走り出した。

 縦横無尽に撓る黒蛇の顎を避け、刀を地面に向かって振る。その衝撃で一気に空中に跳んだ。

 獲物が闇夜の空に浮かんでいると認識したのか、感じ取ったのか、黒蛇の顎は彼を食わんとする勢いで鞭のようにしなりながら強大な口を開けている――のだが、その空間に一平の姿はない。

 再び刀を振るっていたのだ。上に、下に。左に、右に。その度、衝撃波が発生して、一平の体を空中に繋ぎとめている。

 

 「エリアルレイド」

 

 橙堂が呟く。

 エアリアルレイドとは、魔導装甲を使用した空中格闘技術の一つ。即ち、技だ。それ自体は決して高難易度の技ではない。一般的な魔導士希望の者であれば、誰でも習得するべき技術の一つである。しかし、空中に浮遊している時間があまりにも長い。そして、手馴れた動きだ。装甲一つで軌道の位置や威力なども可変する為に、余程使いこなしてなければあのようにはならないはずである。だが、一平はそれを目の前で披露している。

 

 「あの動き――彼は何者ですか?」

 「私の憧れ。私が、魔導士を目指したきっかけでもある人」

 

 エアリアルレイドを駆使した一平の動きは、素人には思えない。だが、当の本人は体にある感覚だけで動かしている。意識と無意識によるもの。体に染み込んだ技術であれば、忘れないこともある。なぜ、自分がこんなことをできるのか、一平自身が疑問に思っていた。今の今まで魔導を動かせた覚えがない。けれど、何となくだが分かるのだ。相手の動きを良くみて、狙う。そして次の一手を推理し、思考し、動く。

 そして、何故か、できると思わざるに入られない。不思議と、この魔導装甲ならばできるという確信がある。根拠はない。ただの勘でしかない。けれど、それを可能にするのもまたオラクル。


 ――つまり、人の意志が持つ力であるのだ。


 一平は、上空に。空に当る部分に衝撃を放ち地面に着地する寸前で再び真横に刀を振った。垂直から地面に触れるか否かという基準で飛行し、正面から伸びる黒蛇の頭に、縦軸で回転しつつ威力をました刃をのめりこませた。四散した水。その中を駆け巡り、衝撃波を用いて滑走。砦のように聳え立つ蛇の中心。黒い膜を目掛けて縦に切り込みを入れて叫ぶ。

 「おい、大丈夫か!」

 垣間見れる彼女は、静かに。だが虚ろなままで眼を開く。生きている。それだけでも確認できたのならまだ十分。しかし、主を守ろうとなのか、敵を排除するためなのか。黒蛇の頭が再び動き始めていた。一平目掛けて銃弾のような速度をもち、槍のように地面に突き刺さる。

 

 「一平君!」

 

 橙堂が叫ぶ。土煙の中から、一平は出てきたものの苦渋の色は隠せない。

 (どうすれば、いい)

 一平が思案に入る中、理央の唇が微かに動いた。


 「憎い――」と。

 

 意識はあるのか、ないのか。それすらも分からない。分からないのだが、これも彼女の一つなのだろうと一平は考える。 


 「家族をばらばらにした魔導が憎い」

 そう、そんなことも言っていた。 


 「弟を殺した魔導が、憎い――」

 分からなくは、ない。殺したものに復讐を。その気持ちは分かる。分からないはずがない。大事な者を殺されたのなら、当然のことだろう。

 苦しくて、悲しくて。どうしようもないはずだ。


 「憎い、憎い、憎い憎い憎い―! 絶対に許さない!!」


 「うん、分かる。わかるけど――な、その考えは間違っているんだ」


 「殺す――魔導士は全員殺す!」

 だから、その気持ちを全部吐き出してやろうじゃないか。 

 

 「殺せるもんなら、殺してみろよ!」

 

 一平は、強く、強く言い切った。

 理央の顔は、虚空の空を映している。


 「そうでもしないと、お前の弟に面目つかねーだろ?」

 何かのワードに反応したのだろうか、理央の瞳に僅かながら色が宿っていく。



 「命懸けでお前のこと守った弟が、自分の姉に、大事にしてた家族に、誰かを殺して欲しいなんて願うわけねーだろ!」



 はっきりと、瞳の色が戻った理央の眼から、自然と一筋の雫が流れた。



 「ゴチャゴチャ言ってないで、素直に甘えやがれ!」



 次第にその雫は川のように、滝のようになり、止まらない。

 本当は誰かに頼りたかったのだろうな。と一平は思う。だが、彼女ずっと我慢してきたのだ。頼ってしまえば、その人にも迷惑をかけてしまうから――恐らく、そんなところだろう。もしかしたら、それ以上のこともあったのかもしれない。なら、そんな悲しい運命なんか、今ここでぶっ壊さなきゃならない。トラブルメーカーらしく、ここで彼女の人生に不測の事態を叩き込んでやろうじゃないか。


 「信じろ、俺を!」


 ゆっくりと、だが、確実に。

 彼女自身の唇が、動いた。

 か細い。それでも、必死になって何かを告げるように。


 「た……」


 一平は何も言わず、一言も漏らさぬようにと黙っていた。ここは『聴く』べきシーンだと。嘘偽りもなく身におくべきところだと直感したから。


 「助けて」


 子供のように泣きじゃくりながら、ボロボロと顔を歪めながら「助けて、誰か助けて」と理央は告げる。

 あまりにも必死。その気持ちに、一平はより強く魔導を握り締めていた。


 「死にたくない」

 「死にたくないんだな」

 「誰も殺したくなんかない」

 「誰も殺したくないんだな」


 ここで、一平の迷いは吹っ切れる。

 そんなことを言われたら、助けないわけにはいかない。自分には力なんかない。けれど、せめて自分の手が届く範囲の奴くらいは助けてみせたい。


 「待ってろよ、絶対に助けてやる」


 一平は、穏やかな表情で笑った。

 徐々に修復しつつある水の膜。その奥で、理央は微かにだが「うん」と呟いていた。


 「主よ、来るぞ」

 「分かってる。この程度で倒れるほど」

 一平の背後から、蛇の頭が狙っていた。

 

 「ひ弱じゃねーよ。いっそのことだ、溜まってたんだろ? 殺すつもりで思いっきりぶつけてきやがれ」

 

 地に向かって一振りした衝撃で、再び空中に跳んだ一平は、自身の魔導装甲に訪ねた。

 

 「玉鋼、他に何か仕えるような武装は?」

 「今のオラクルであれば、使用できるものが一つ」

 「それ使ったら、どうなる?」

 「心身のありったけのオラクルを変換し、転換させる。これにより、現在の状況であれば収束するだろう」

 「やってくれ」

 「使用後の尋常ならぬ疲弊は覚悟していただこう。3分で準備を整える」

 「了解」

 

 着地と同時に「こっちだ、来いよ蛇野郎!」と中指を立ててみた。こんな姑息な手段で挑発になるのかは分からないが、仮にもし本当の八頭之蛇であるのあらば、そのプライドもあるかもしれない。

 

 「それとも、蛇だからこそ臆病なんかよ?」

 

 明らかな敵意か、それとも侮辱を感じたのか。回復を遂げた8つの頭は一平に赤い眼を向け、襲い掛かる。牙を覗かせながら迫り来る顎に対して、一平は前方に刃を振り衝撃を用いて大きく後退。地面に足をつけて滑らせながら再び、自分の足を使って前に出た。円を描くようにしつつ距離を詰めていき、迫ってくる蛇を玉鋼で斬りつけ、胴体と頭を分け、その勢いに乗って空中に跳んだ。その後を追うかのように残る7つの頭が誘導ミサイルのように追いかけていく。剣戟を使って縦横無尽に動き、錐揉みしつつ地面に着地した瞬間、

 

 「待たせたな、主」

 

 頼りになる相棒の声が聞える。

 

 「頼む、玉鋼」

 

 一平は、体中に流れる何か。恐らくこれがオラクルというものなのだろうそれが、刀身に集中していくのを感じた。いや、吸収され急速に密度を高めているという言い方のほうが適切なのかもしれない。軽い虚脱感に襲われる最中、白い刃が形成した。それを気にも留めず、蛇の頭は一平ごと大地を飲み込まんとする勢いで迫り来る。

 

 「うっぉぉぉぉぉお」

 

 一平が蛇に向かって白刃を振るった。刀身から放たれた白い刃は空中に残存し、そのエネルギーをもって刃と化している。吹き荒れるほどの風を伴いながら疾走する刃は、一瞬で蛇の頭を二つに。あるいは胴体を切り裂き、ただの水へと還元させていた。


 「再生、しないか」

 「オラクルを拡散させている。暫くは再生することはない」

 「なるほど」


 一平は、刀を頭上から一振りして気持ちを切り替える。ここからが本番。先程の白い刃を使えば、この黒い膜も破れるだろうと推測はできる。だが、肉体を傷つけないという保証はない。


 「何があったのか、詳しくなんかしらねーよ」


 そして、ゆっくりと歩み始めた。


 「だけど、知ろうとすることくらいはできる」


 一歩、一歩確実に。


 「何かあったら言って来いよ」


 紺敷を包む膜。手を伸ばせば触れるか否か。その距離。これ以上にないほどの間合い。



 「こんな、トラブルメーカー(・・・・・・・・)でも良かったらな」



 大きく息を吸って深呼吸。

 玉鋼を左腰に携え、腰を落とし―


 「目を覚ませよぉ!」


 玉鋼を逆袈裟切りで振るった。右下方から切りつけられた膜は、白い傷によって侵食されていき、黒の膜は徐々に姿を消していく。と同時に紺敷が、糸の切れた人形のように前のめりで倒れこんできてしまった。

 一平は慌てつつも、体をなんとか受け止める。けれども、だけども、如何せん体制やら魔導を使った為なのか、足腰に思うように力が入らない。そのまま地面に倒れこんでしまう。その拍子で玉鋼が落ちてしまい、腕時計に吸収されるように戻っていった。


 「お、おい大丈夫かよ?」


 一平が慌てて理央の体を揺するのだが、当人はというと「スー、スー」と、憑き物が取れたかのように心地良さそうな吐息をしている。


 「寝てる、のか?」

 「みたいですね。オラクルを多量に使用したからだと思います」


 人形の装甲を外した橙堂が、何時の間にか近づいていたらしい。


 「魔術士も、オラクルを使うんだな」

 「当然です。私達魔導士と違って、自身の血肉、身体を媒介としますから、魔術士の方が体への負担は大きいんですよ」

 「おぉう。そうだったのか」

 「けど、その体勢はどうかと思います」

 

 言わずもがな、地面に倒れこんでいるのだ。無論、下は一平。上には理央という具合に。


 「いや、これはその、不可抗力というもので、決して故意にというわけではなく」 

 「分かってます」

 「意地が悪いぞ、橙堂さん――あぁぁ、痛ってぇ!」


 一平が気を抜いた途端、体中を蝕むような痛みがこみ上げてきた。橙堂は腰を落として、心配そうに覗き込みながら「だ、大丈夫ですか?」と慌てた。頭を支えるようなものが何かあれば――と考えたようだが、結局、自身の膝を落とし、その上に一平の頭を乗せた。


 「んあー、痛い。けど、我慢すればなんとか。てかかなり疲れた。魔導を動かすのってこんなに疲れるものなのかよ」

 「オラクルは、精神的エネルギーですからね。酷使した時の反動なんかも、結構凄いんですよ」


 頭上からの声というのは、なんだか微妙な気分。しかもこんな形でオラクルの講義とは。一平はそう考えていた。


 「ふー。派手にやったねー」

 「撹乱魔術に、オラクルを拡散して認識をずらし、何事もないように装う結界。かなりの実践的な魔術戦線ですね。理事長、これ残業に入ります?」


 とのように言いながら近づく声が聞える。一平は何とか頭だけを捻り、声の主を確認して「理事長に、安陪先生」と声に出していた。


 「やぁ、お二人さーん。無事かーい?」


 理事長は呆気らかんとした口調に軽い態度で言うのだが、目だけは真剣。鋭い威圧感も感じて、一平も橙堂も押し黙ってしまった。


 「紺敷さんは外傷なし。精神的にかなり疲労が見えるけど、数日もあれば回復するかなー。橙堂さんも、大きな外傷は見当たらず。寧ろ問題はトラブルメーカー君だねー、このバカタレー」


 理事長は一平の額を軽く小突いた。それを見て呆れた様子の安陪先生が口を開いたのだが、


 「肋骨5本折れてるじゃないか。しかも無茶な動きでもしたんだろ。後数センチでも深く入ってたら肺に刺さってるぞ。救急魔導車呼んでやるから、大人しくしとけ。いいかい、これは教師からの命令だ」 


 「は、はい」と言うしかない一平。上下関係というものはそれなりに理解しているらしい。

 

 「ん、で安陪先生。紺敷さんは家で預かっていいかなー?」

 「僕のクラスの生徒なんで、丁重に預かってくださいよ理事長」

 「だいじょぶだいじょぶー、変なことなんかしないからー!」

 「信じられないんですけどね」

 「酷い、酷くないー! 理事長なんだよこれでもー!!」


 二人の会話は酷く軽い。その会話を崩しに掛かったのは


 「理事長、安陪先生。お尋ねしたいことがあります」


 橙堂だった。


 「ん、なんだ橙堂君」

 「紺敷さんは、ペンダントを狙っていました。藤白君が持っているそれを、魔法石の欠片って」

 「あ、今回の原因はそれか。そっかそっか。了解了解」

 「安陪先生、はぐらかさないで下さいっ、これは何なんですか!」


 橙堂は激怒する。元はといえば、そのペンダントが今回の原因でもあるのだから。



 「それはねー、魔導士には賢者達の報告書ワイズマンズ・レポートと呼ばれているものだよー」



 「ちょ、理事長」


 安陪先生が呆れたような声を上げる。


 「いーじゃない。この子らは既に関係者だよ。知っておく理由があるのー。そうじゃないと、二人も納得できないでしょー?」


 その言葉に、一平も橙堂も小さく頷いて返事をしたのだが、あまりにも呆気のない様子で逆に驚いている。


 「あまり知られてはいないんだけどー、初代ワイズマン。その6名はね、逸脱した人達だったんだー。稀代の錬金術師に、現代に甦った魔法使い。奇蹟を起こす科学者なんて具合にねー」


 理事長は、腕を組みながら右往左往しつつ、相変わらずの軽い口調で説明が始っていた。


 「そんな彼等が残した知恵、知識がその石に篭っている可能性がある。残念なことに、6つ全部揃わないと意味がないけれど――あぁ、因みにそれが本物だという確証はないよー?」


 天に向かって人差し指を立て、その指の方向を一平の首に下がっているペンダントへと向けてながら、無邪気な顔で微笑む。空いた片方の指で胸から取り出したのは、同じ形状のペンダント、だった。


 「ご覧の通り、持ってるんだなこれがー。オリジナルは、初代のワイズマンが持っているはずなんだー。けど、どっかのバカがそれを狙って仕掛ける可能性もある。ということで、カモフラージュがなされてるの。レプリカだねー。だから、君がこのまま持っていてもへーきへーき。次もしこーゆーことあったら、これはレプリカだと判明していますって言っちゃえばOK。今回の件は、こちらにも非があったんだー。今後はこういうことが起こらないようベストを尽くすよー。ごめんねー」

 「んまぁ、そういうことだから。新入初日に手間と迷惑をかけたな、二人共。明日は無理して学校に来る必要はないから、無理だと思ったら連絡して素直に休め。いいな?」

 「じゃあ、後始末・・・してくるから、二人はそこで安静にしててねー」


 と言い残して、理事長と安陪先生は徒歩でどこかに行ってしまった。

 その姿が見えなくなってから、ようやく「何とかなるもんだな」などと、一平が口を開く。


 「魔導に関しては、トラブルだらけじゃなかったんですか?」

 「そーだよ。今回もそのトラブルみてーなもんじゃねーか」

 「トラブル作りのてんさいですね。あ、災という字の」

 「天災と天才をかけても、ろくなことにはならねーからな!」

 「口答えできる体力があるなら、大丈夫かな」


 ちょっとだけイラッとした一平は、我慢するのを諦めて「痛い」と言ってみることにした。体の痛みと心の痛みを訴えるように。


 「ちょ、ちょっと、大丈夫ですか?」


 しかし、この状況でそれはあまりにも不謹慎だったらしい。橙堂に心配そうな顔をされてしまい、罪悪感が芽生えてくる。


 「大丈夫。あー、少しワガママなんだけど、このまま休ませてくんない?」

 「全く、迷惑ばかりかける奴隷ですね。とにかくっ」


 橙堂は、大きな深呼吸をすると、一平に向かって


 「助かりました。ありがとうございます」


 今まで見せなかった、柔らかな微笑みを見せた。


 「こっちこそ助かった。それと、これ返すよ」


 一平は右手で、ペンダントに握るのだが、橙堂が両手でそれを制した。


 「いいえ、それは私のではありません。元々は、貴方のものだったんです」

 「……俺の?」

 「はい。お守り、として貸してくれたんですよ。10年前に」


 そうだったのか、と一平は思う。ともすれば「私のこと覚えていますか?」という言い回しは、確かにあっているのかもしれない。なら、彼女には告げておくべきなのだろう。


 「あのさ、橙堂さん」

 「はい?」

 「言いかけてたことがあったんだ」


 そう、一平自身の悩みでもある事柄。 


 「俺さ、10年前の記憶、すっかりと抜けてんだよね」

 「……知ってました。でも、私は信じたくなかっただけなのかもしれないです」

 「ん、そうだったのか。爺さんに聞いた話だと俺、GM事件の生存者ってらしーんだけど。それ以前の記憶がもうすっかりなくてさ。GM事件で両親は死んだって聞いてる」

 「そう、でしたか」

 「ま、それは余談だったんだけど、昔会ったりしてたんだろ?」


 一平は、目を閉じた。忘れられるというのは、どういう感じなのだろうと思う。忘れてしまった自分には身に覚えがないけれど、爺に聞いた話では、忘れるという行為はもっとも辛いものらしい。人にも寄りけりだといっていたが、この少女の前ではどちらなのか分からない。けれど「ゴメン」と一言だけ、呟いた。


 「い、いえ。いいんです」

 「そういうわけにもいかない。失礼この上ないし、これだけ迷惑もかけてる。あー、こんなだからトラブルメーカーとか言われるんだよなー」


 一平は大きく溜息をついた。本日だけでもう数度目になる溜息を。


 「昔、一度だけ貴方にあったことがあります」


 橙堂は、静かにその口を開いていた。


 「私も、GM事件の被害者ですから」

 「そう、か」


 紫空に聞いていたことだからこそ、一平にとってそれほどまでに驚くことではなかった。だが、自分は忘れているからこそ、そこで何があったのかも覚えていない。覚えている者達は、どれほど恐怖を味わったのか知る由でもない。けれど、いや、だからこそ―だろう。


 「今更だけど、怪我とかしなかったか?」

 「え――?」

 「怪我。後遺症とかさ」

 「い、いえ。そういうのは、特に」

 「家族とか、両親とかは?」

 「全員、無事でした」

 「そっかー」


 一平は、胸のつっかえが一つ取れたように安心して瞼を少しづつ開きながら「良かったな」と口に出していた。


 桜の花弁がひらり、ひらりと風に舞い揺られて地面に落ちる。

 一平にはそれが、、二人の再会を祝してなのか、それとも新たな門出を祝ってなのか、という二つの意味に思えた。

 そして、焦ることはないだろ、と自分に言い聞かせてみる。

 焦ることなんか、ないはずだ。

 過去は所詮、過去。取り戻せるはずもないのだから。

  

 「もう一度、聞きます」

 

 橙堂は、真剣な眼差しで一平に問う。


 「どうして、アルカナに入学したんですか?」


 一平は、最初から隠しておく必要などなかったんだと後悔しながら、はぐらかしていた言葉を真正面から告げる。


 「ワイズマンになる為に」


 そう、魔導士の中でも最強の6名。その称号を手に入れるために。


 「ワイズマンになって、何をしたいんですか?」

 「聞いた話で、実際に見た覚えはないんだけど、俺の両親、魔導士だったらしーんだよ。目の前に写る困ってそーな人を、片っ端から助けていくような人達だったらしくてさ。両親ながら、どーしよーもないお人好しだよなーとか、そう思うわけ。でも、そーいうのも悪くないかなーなんて」


 一平は、暗闇の空に光る星を目指して右手を上げる。


 「だから俺、トラブルメーカーなんて言われてるけど、ワイズマンになって――」


 一平は、残っていた両親の遺品から、自分宛の遺言を思い出しながら、


 

 「誰かを助けられるような人間になりたいんだ」



 静かに、届くはずもない恒星をその手の内に留める様に、握り締めた。


 「変わってないんですね。あの時もそう言ってました」

 「……へ?」

 「言ったでしょう? 昔、一度だけ会ったことがあるって」

 「その時には、こう言ってたんですよ」


 橙堂は、人差し指を立てて、自慢げに語る。



 「僕は、誰かを助けるヒーローになるっ!」



 一平は若干引いた。子供とはいえ、そんなことを口走っていたのかと思うと、恥ずかしいことこの上ない。


 「……俺、昔そんなこと言ってたのか?」

 「言ってました。僕はワイズマンになるんだーって」

 「どんだけませてたんだガキんときの俺。恥ずかしすぎる」


 可能であれば、穴でも掘って入ってしまいたいという衝動に一平は駆られた。しかし残念なことに、痛みでそれすらもできないので顔を背けるのがやっとのことだ。


 「もう、私の中ではヒーローなのに」


 そんな彼を見て、橙堂は微かに呟いた。聞えても良い、聞えなくても良いという微かな声で。


 「何か言ったか?」

 「いいえ、何も。あーあ、入学初日なのに下着は見られるし、おまけに裸まで見られちゃうなんて……最悪な一日でした」

 「死に掛けたってところはカウントしないのかよ」

 「お陰で、イイモノが見れましたし、イイモノも手に入れましたから」

 「それはどういう意味だ……」

 「ヒミツです」


 女の子のヒミツというものは、以外と怖いものだというのも理解している。だからこそ一平はあえて言及せず、暗くなった空を見上げながら話を逸らした。


 「当面の問題は国際ライセンス取得だよなぁ……特に筆記」

 「私が、教えてあげましょうか?」

 「え、マジで?」

 「一応、国際ライセンスBまでは取得していますし、その、えっと」

 「助かるー」

 「全く、怪我が治ったら、覚悟してくださいね。結構スパルタですから」

 「了解です、橙堂先生」

 「それと、私のことは、ゆかりって呼んで下さい」


 橙堂は、顔を背けながら一平に名前で呼ぶように提案する。それに対し、一平も「あ、じゃあ俺のことも一平でいいよ。ゆかり先生」というように返事をした。

 静かになった空間で、周囲の木々が揺れる。 柔らかく、優しく。

 

 「一平、君」


 「ん?」


 一平は微かに聞えた自分の名前に反応すると、目前には酷く嬉しいような表情を浮かべている女の子が居た。 


 「呼んでみただけです。呼んだら、ちゃんと来て下さいね。私の奴隷さん」


 一平は、彼女がどこまで本気なのか、どこまで冗談なのか分からない。分からないのだが、大きな貸しを作ったことだけは理解していた。だからこそ抗えるはずもないだろう。これも自分のトラブルが招いたはずであり、その責任はしっかりと自分でやるべきで、他の誰かにやらせるようなことでもない。他人に尻拭いしてもらうなど真っ平だ。と考えをまとめて、結局あきらめることにした。


 「ゆかりお嬢様の奴隷は、よくトラブルを引き寄せてしまう体質ですので、用法用量をお間違えなきようご利用下さいませ」


 諦めて目を瞑った。そこにある暗闇は決して怖いものでもなく、寧ろ安らぎを与えてくれるものだったということは、どうやら間違いではないみたいだ。

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