表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

霞の記憶 - Nebura Memoria -

家族のカタチ

作者: あると

2012.4.15修正

子供が笑っている。

母親と手を繋いで、もう片方の手のひらを川面のマガモに振っていた。カメラを構えた父親に名前を呼ばれると、ピースサインをして応えた。

三人の家族は、芝生にピクニックシートを広げて、おにぎりを頬張り始めた。

目の毒だ。

シーカはそっとその場を離れた。

何度も振り返りながら。


「今日も屍肉か」

シーカは肉が乗った皿をテーブルに置いた。

給料日までまだ何日かある。財布の中身は心許ない。月も半ばになると、いつも金欠になる。今月はさらにひどかった。普段なら三本の鶏のもも肉が今日はひとつなのだ。

生肉にかじりついた。滲み出たドリップに顔をしかめる。水っぽくて、臭みがあった。生きたまま食べるのと違い、少し喉に引っかかる。

「食べられるだけマシでしょ」

窓辺に立っていた女がたしなめた。彼女は新調したピンクのコートを羽織り、鏡で服装をチェックしていた。

「ネブラがコートなんて買わなければ、今頃、やわらかい仔牛の肉を食っていたかもしれないんだけどな」

「何か言った?」

「肉が歯に挟まっちまった」

シーカは首をすくめて、指の爪を伸ばした。歯の間をこすり、引っかかっていた肉をこそげ取った。

「なら、いいわ」

彼女は耳が良い。囁き声も聞き取るほどである。聞き返してきたのは、間違いなく脅しだ。口答えをすると、首筋に歯形がつく。

「出掛けてくるわね」

身だしなみを整えた彼女は、唇にルージュをつけた。

「まだ早いんじゃないか。この時間は人間が多いだろ。用心しないと、騒ぎになるぜ」

シーカは鏡を指差した。ネブラはヒールを鳴らして睨んだ。

姿見には、すらりと伸びた脚にフィットしたストッキングと、丈の短いスプリングコート、細いヒールだけが浮かんでいた。彼女の顔や腕があるべきところは、反対側の壁が映っていた。

「わざわざ、そんなことを言うのには、理由があるのでしょうね。私が、ヘマをするとでも、思っているのかしら?」

シーカの肩に細い手が乗った。彼は咄嗟に力を込めた。

「いてえ!」

骨が軋んだ。厚い筋肉をものともせず、彼女は握力だけでシーカの肩関節を外していた。

「思っているの?」

シーカは必死に首を振った。

「じゃ、行ってくるわ」

涙をにじませながら関節を戻した時には、ヒールの音が遠ざかっていた。窓辺のカーテンが揺れて、外気が流れ込んでくる。彼女は窓から出て行ったようだ。

「馬鹿力の吸血鬼め!」

シーカは肩をさすり、痛みに耐えた。動かさないよう注意して数分後、彼の回復力は伸びた筋を元の状態に戻した。拳を握り、開き、痛みが消えたことを確認する。

「くそ、タダで腹が一杯になるヤツはいいよな」

今夜もどこかで血を飲んでいるはずだ。シーカは負け惜しみを言い、残っていた肉にかじりついた。

今日の食事は一回こっきりだ。たっぷり時間をかけて咀嚼する。水道水で胃液を薄めて、腹の足しにした。

「腹減ったあ」

腹の虫を強引に黙らせても、空腹感まではどうにもならない。痛みと違って、なかなか我慢できるものでもなかった。

「おっと」

夜の仕事が始まる時間が近づいていた。あわててシャツを着た。

服はいまだに慣れなかった。しかし、外に出るには服を着ないといけない。

「ああ、めんどくせえ」

不器用な指使いでボタンをしめる。時間ぎりぎりで準備が整った。

シーカは戸締まりをして部屋を出た。

「ネブラ、ちゃんと鍵持ったかな」

玄関の鍵を閉めるにしても、二階の窓は開けておこうと思った。


日中は穏やかな陽気でも、夜はそこそこ冷える。桜も散り始めていた。

「おい、そろそろ休憩にするぞ」

みんなが集まると、熱いお茶が入ったコップを手渡された。シーカは礼を言って口を付けた。

「兄ちゃん、あいかわらずいい身体してるよな」

工事現場の仕事は、肉体が資本だ。がっしりとした体型の男たちの中にあっても、シーカの筋肉は見事だった。

「そうですかね」

腕に軽く力を込めると、凹凸がくっきりできる。年配の男が二の腕を叩いた。

「お前、これで何人の女を泣かせたんだ」

にやにや笑いが、他の男たちにも広がった。

シーカは困った顔で愛想笑いをした。頭に浮かんだ女はネブラだ。

「泣かしてなんていないなあ。俺のほうが泣かされてる」

「兄ちゃんを泣かすなんて、たいした女だな」

「ものすごい恐い女なんだ」

シーカは神妙に頷いた。怒らせたら腕の一本や二本をもぎ取られる。そうでなくとも、血を見るのは確実だ。滴る血液を見たネブラがどうなるのか、想像すると身体が震えた。

「女はな、子供ができたら、もっとひどくなるぞ」

「まったくだ」

「母親は強い」

男たちは、自分たちの経験を口々に語った。シーカは腕っ節のことかと思っていたが、聞いていると、男女の肉体関係のことだと気づく。

「女ねえ」

ネブラを一人の女と見る。

ぞっとした。

子供の頃からそばにいる彼女と、男女の関係になるなんて考えたこともなかった。そもそも、吸血鬼と彼とでは、根本的に肉体の組成が違う。生命の形も異なる。

「嫁さんはともかく、子供はかわいいよなあ」

「うちの子は母ちゃん似で、美人だぜ」

男たちは携帯の画面を見せ合い始めていた。みんな、デレデレと、幸せそうな顔をしていた。

彼らは朝まで働き、学校に行く子供と入れ替わりに家に帰る。家族全員が揃うのは一週間に一度くらいだ。仕事が忙しくなると、そんな幸運な一日もなくなる。

シーカは河原で見た親子の姿を思い出した。あの家族も楽しそうにしていた。

彼らは、おにぎりを食べることが楽しかったわけではなく、家族が一緒にいられることに、幸せを感じていたのだ。シーカが山盛りの肉を前にするのとは違って。

「なあ、お前さんは、どっちがかわいいと思う?」

携帯の画面を並べられて、シーカは戸惑った。どちらも、色つやの良いほっぺたと、やわらかそうな手足が健やかさそうだった。

本能が疼いた。

「どっちも、いいと思う」

腹の虫が鳴った。


「おかえり」

「あれ? 今日は早いんだな」

いつも明け方近くまで帰ってこないネブラが、珍しく家にいた。コートは脱いで、夜着に着替えている。

「おい、見えてるぞ!」

はだけた胸の谷間と、透けて見える乳房の膨らみに、シーカは目を覆った。

「ん」

彼女は棺の上に座り、組んだ脚を投げ出して読書していた。シーカの指摘にも上の空で活字を追っている。

「聞いちゃいねえ」

シーカは仕事仲間との雑談を思い出した。白い肌の奥に視線が吸い付いた。吸血鬼といえども、見た目は人間の女と変わりがない。やわらかそうな太ももに、敏感に反応する。

待て。

シーカは高まりつつあった情動を抑え込んだ。思いの外たやすく、自制心が発揮された。性欲よりも、本能に近い部分で自分を律した。

恐怖だった。

彼女に覆い被さろうものなら、手ひどい仕打ちを受けるのが目に見えた。吸血鬼の実力は、生半可なものではない。女の身体を開かせる前に、彼の肉が引き裂かれるのが想像できる。

もしも彼女が人間だったならと考えた。大人しくて、弱々しい人の子であったなら、あたたかい血の通った存在なら、自分は本気で彼女をどうにかしようとするだろうか。

「何が見えるって?」

ネブラは本にしおりを挟んだ。青い目が静かに上を向いた。

「何でもねえよ」

シーカは束の間の妄想を打ち消し、そっぽを向いた。

「そう」

彼が目を逸らした瞬間、ネブラは脚を少し開いて組み替えた。挑発しているとも取れる動作だった。

「シーカ」

「なんだよ」

不自然な咳払いが出た。

「あれを覚えている?」

本を置いたネブラは、棺の上であぐらをかいた。シーカは意識しないように天井を凝視した。

「何をだ」

「あんた、観察力ないわね。そっちの壁を見なさいよ」

少し腹が立った。あられもない格好から目を逸らしている気遣いが、ネブラにはわからないらしい。

窓辺にある鏡と反対側の壁を見ると、出かける前はなかった額縁がかかっていた。

「おい、これは」

シーカは驚いて顔を寄せた。そこには、幼い頃の自分がいた。隣りにはドレスを着たネブラがいた。

「この絵って、前からあったか?」

「なかったから、思い出して描いたんじゃない」

「描いた? ネブラが?」

彼女の意外な才能に驚いた。絵を描いている彼女は、今まで見たことがなかった。

「吸血鬼は、鏡にも写真に写らない。だから絵を覚える。ねえ、ちょっとしたものだと思わない」

「すごい。うまいな」

うまいだけではなかった。二人の背丈や、昔あった調度品なども、記憶にあるものと同じように、絵のなかに存在していた。

「私の記憶だけど、間違っていないと思うわ」

ネブラはそっけなく言った。

「これって、ネブラの誕生日の時じゃねえか。覚えているよ。ケーキ、全部くれたよな」

「人間の真似をしてみたのよね。ケーキは身体に合わないから、あんたにあげて。そうしたら、すごい勢いで食いついたんだっけ。おかしかったわ」

シーカは顔中をクリームまみれにして、はしゃいでいた当時を思い出した。

「あれは、うまかった。でもよ、ネブラのご両親が描かれてないのはどうしてなんだ」

あの時、屋敷にはネブラの両親を含めて四人が居住していた。

「この私と、二人じゃ不満ってこと?」

「そういうわけじゃなくて」

「コートを買ってくれたお礼なんだから、素直にありがたがりなさい」

「買ってくれた?」

シーカは鼻白んだ。プレゼントした覚えはない。彼のバイト代、つまり生活費でコートは買わされたが、あとで返してくれるはずだった。

「今月の家計、やばいんだって」

食費は切り詰めるだけ切り詰めている。もう限界だった。

「ありがとう、シーカ」

笑顔が向けられた。彼女の目は笑っていなかった。感謝の気持ちは欠けらも見えない。本気で、威圧していた。金を返すことなど、まったく考えていないのだ。

彼は肩を落とした。バイトを増やす算段をしなければならなくなった。

「俺、シャワー、浴びてくるよ」

まず頭を冷やして落ち着くことにした。怒っては駄目だと言い聞かせた。

「水浴びの間違いじゃないの? ワンちゃん」

「ワンちゃんじゃねえ、狼だ!」

シーカの怒りに火がついた。顔から肩にかけて、ぞわぞわと体毛が伸びる。逆立った毛並みのなかから、尖った耳がぐるりとまわった。筋肉が膨らみ、上半身が狼に変化した。

半人半狼の姿を見て、ネブラの目元がほころんだ。手を伸ばして頭を撫でようとする。

「そのほうが可愛いわよ」

「なんだよ、もう」

シーカは怒っているのが馬鹿らしくなった。彼女のなかで、シーカはからかいがいのある弟なのだ。彼から見るとネブラは油断のならない姉である。

シーカの心になんとも言えないものが湧き上がる。理不尽なことにも従うのが当然という気持ちと、かまってくれるのが嬉しいという感情だ。

「ワン?」

ネブラが四つん這いになって吠えた。

「ワン!」

シーカはやけくそで吠え返した。

二人は、絵のなかの少女と仔狼のように楽しげだった。


   *


シャワーを浴びて部屋に戻ると、ネブラはもう寝ていた。カーテンの隙間から朝日が漏れている。吸血鬼には眠りの時間だ。

「なんだ、これ」

ネブラの寝床の下にキャンバスがあった。引っ張り出してみると、小さなネブラと、彼女の両親の肖像画だった。少女の背丈から考えて、シーカが屋敷に来るより前の絵だ。

「そうか」

シーカは、ネブラが両親を描かなかった理由に思い至った。捨て子だったシーカが、父母の存在を気にすると考えたのだろう。

「気遣いも、やればできるじゃねえか」

シーカは感慨深げに頷いた。

「この絵を参考にしたんだな」

吸血鬼は鏡に映らない。つまり、直接、自分の姿を見ることができない。ネブラの少女姿はこの絵をもとにして描いたのだと想像できた。

「ありがとよ」

感謝の言葉を囁いた。寝ているネブラには聞こえなくてもいい。聞かれたら図に乗るからだ。

シーカはシャツとズボンを脱いで、人の形を解いた。青年狼は、棺の足下で身体を丸める。

そこが彼の居場所だ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ