第七話 リーゼントのお悩み相談室
「そりゃそうだろう」
蒸しパンをかじるよっちゃんのリーゼントが上下に揺れた。
まさか、そこまで当然のように返されるとは思ってもいなかった鈴木はきょとんとしてしまった。
「番長の舎弟に手を出したんだ。報復がないほうがおかしいぜ。これまで藤本曽良が無事でいられたのが不思議なくらいだ」指をぺろりと舐め、よっちゃんは鈴木に睨むような厳しい視線を向けてきた。「番長は意地でもプライドを守らにゃなんねぇ。弱いとこみせちまったら、終わりだ。戦国時代の大名みてぇなもんさ。 てめぇの地位が揺るがないようにするためにも、きっちり落とし前はつけなきゃなんねぇ。どんな手を使ってでもな」
中学時代の元番長であるよっちゃんが言うと説得力がある。
鈴木は「なるほど」としょぼんと小さくなって机に視線を落とした。
「ま、心配すんな。藤本曽良のことだ。あいつはバカだが、ダチを見捨てるようなバカじゃねぇ」
「いえ、そういうことを心配してるんじゃないんです」
「じゃ、何を心配してんだよ? そもそも、あいつが始めたケンカだろうが。番長の舎弟のケツに手だしたのが悪ぃんだ。放っとけよ」
「そういうわけにも……」
鈴木は口をつぐんだ。
確かに、自分が心配してどうにかなる問題ではないだろう。曽良のケンカに助太刀できるわけでもない。かといって、器用に仲裁できる器でもない。
しかし、巻き込まれてしまった以上、知らぬフリもできない。
よっちゃんの言う通り、曽良は自分を見捨てることはないだろう。今朝の昴の呼び出しに応じることは確実。――それが分かっているからこそ、鈴木は落ち着かないのだった。
「誰だ、この野郎!?」
いきなりイスから立ち上がり、よっちゃんはクラスの連中に怒鳴った。その手に握られているのは丸められたハンバーガーの包み紙。誰かが投げつけてきたのだろう。
どうせ、「あのリーゼントにぶつけられたら勝ち」とかそんなくだらないゲームが行われていたに違いない。鈴木とよっちゃんを囲むようにして辺りに散らばっている紙くずの山がその証拠だ。
ちょっとは静かに物思いに耽る時間が欲しいものだ。鈴木は重いため息を漏らした。
まあ、こんなところでよっちゃんに相談を持ちかけたのが間違いだったのかもしれない。
ジャンクフードの香り漂う昼休みの教室。鈴木がこれから一年間、青春を浪費するであろう一年七組である。
「マネーがなってないんだよ」と舌打ち混じりに言って、よっちゃんは再び鈴木の前の席に腰を下ろした。「マネーが無ぇ奴は社会のゴミだ」
一文字違いでとんだ問題発言になるものだ。鈴木は表情を曇らせた。
「よっちゃん! やっぱり殿のところに居たなぁ」
背後からの元気な声にハッとして振り返ると、ぞろぞろと二人組がこちらに歩いてくる。不良たちの波をかき分け、飛び交う紙くずを平然とした様子でよけながら。
「はるちゃん、白井さん。どうした?」
「どうした、じゃねぇよ。よっちゃん」とモヒカン頭の痩せた男が口をとがらせた。「相談に乗ってくれる、て言ったじゃねぇか」
「そうだぜ、よっちゃん」と肩までの黒髪をさらりとなびかせ、ややイケメンの男が続ける。「はるちゃんとクラスでずっと待ってたんだ」
「ああ……悪い。うっかり忘れてたぜ」
よっちゃんは老けた……貫禄のある顔立ちに、にっと照れたような笑みを浮かべた。心底可愛くない。
ひでぇひでぇ、とぶつくさ言いながら、二人の不良は鈴木とよっちゃんの傍らで立ち止まった。
モヒカン頭のはるちゃんと、『惜しいイケメン』と揶揄される白井さん。彼らも鈴木と同じ中学出身であり、中学時代はよっちゃんとともに『ラグビー部の不良トリオ』として名を馳せていた。
「はるちゃんさん、白井さん。すみません。俺がよっちゃんさんを呼び出したんです」
おずおずと鈴木が頭を下げると、「あ?」とはるちゃんと白井さんは鈴木をぎろりと見下ろした。二人は腰を折り、真っ向から鈴木を睨みつけ、
「何言ってんだよ、てめぇ? そんな他人行儀なこと言ってんじゃねぇよ。水くせぇんだよ 」
「てか、なんで敬語? タメ口でいい、て言ってんだろ!」
この通り、とってもいい人なのである。
彼らと鈴木が親しくなったのは……とりあえず、曽良に巻き込まれたのである。
「で、相談ってなんだったんだ?」
「いきなりかよ」
はるちゃんはこけた頬をひきつらせた。
「なに照れてるんだよ」つん、と肘ではるちゃんを小突き、白井さんは今ひとつ完成度の低い不敵な笑みを浮かべた。「ほら、こいつの父親が再婚しただろ。入学式の前日によ」
「再婚……?」
鈴木は思わず、驚きを声に出していた。
そういえば、入学してからしばらく、はるちゃんは大人しかった気もする。元気がなかった、と言ってもいい。そういう事情があったのか。
「なんだよ、うまくいってねぇのか?」
「おふくろさんはいいんだけどよ……」はるちゃんは派手なモヒカン頭に似合わない渋い表情で頬をかいた。「その……娘が、さ。なんつーか、怖ぇんだよ。一緒に住み始めたんだけど、もう怖くて神経すり減らされるっつーか」
「なぁに女にびびってんだよ、てめぇは」
よっちゃんは呆れたようにため息をついた。
「なんだよぉ、よっちゃん! そんな言い方はねぇだろう!?」
「でも、はるちゃんさんが怯えるってよっぽどだよね」
男気が全てのよっちゃんが、「女が怖い」なんていう相談を相手にするとは思えない。はるちゃんが気の毒になり、とりあえず、鈴木は遠慮がちに話を拾うことにした。
元ボクサーだというはるちゃんが怯える女性が気になったーーというのもあるが。
「どんな人なの?」
好奇心が表に出ないよう、鈴木はあくまで真顔で訊ねた。
すると、はるちゃんは生気の感じられない表情を浮かべ、顔色を青くした。そして、ぼそりとつぶやく。
「……女子中学生だよ」
「は?」
おかしいな。女子中学生、と聞こえた。
鈴木は目を瞬かせ、「え?」と聞き返してみる。
「何度も言わせるなよ!」とはるちゃんは細い目を見開いた。「女子中学生だっつってんだろ!」
「いや……ええ?」
そのカミングアウトに、さすがの鈴木も笑いを堪えられなかった。
どんな深刻な話が飛び出すかと思えば、年下の女の子に戸惑っているだけじゃないか。微笑ましすぎる。年頃の娘をもつ父親じゃないんだから。
申し訳ないと思いつつも、笑いがこぼれてしまう。
「はるちゃんさん、冗談でしょう? もう、よっちゃんさんもつっこみくらい……」
しかし、瞬時に鈴木は気づいた。
笑っているのは自分だけだと。
よっちゃんは尿意でも我慢しているかのようにプルプル震え、うつむいていた。
「じょ……女子中学生……」
「よっちゃんさん?」
「女子中学生だとぉ!?」
この世の終わりかのように頭を抱え、よっちゃんは雄叫びをあげた。
「怖ぇよ、女子中学生!」
「よっちゃぁん!」とはるちゃんは拳を握りしめた。「怖いよなぁ!」
「ああ、そりゃ怖いぜ、はるちゃん! 女子中学生が家にいるなんて怖すぎるぜ!」
「風呂も超入りずれぇんだよ! 順番とかタイミングとか、めっちゃ気遣うんだよ! 便座、ちゃんと下げたかいちいち気になって眠れねぇんだよ!」
「やべぇ! 女子中学生、マジではんぱねぇ!」
なんなんだよ、この不良たちは。リーゼントとモヒカンが何を言っているんだ。女子中学生なんて、ほんの一ヶ月前まで同級生だったじゃないか。実は怯えながら中学生活を送っていたのか。
鈴木は呆れ返って、言葉も無かった。
ちらりと白井さんの様子を伺うと、白井さんは小さな声で「怖いよね」とつぶやいていた。目が泳いでいる。立ち位置を決めかねているようだ。あれ、よっちゃんもそっち行くんだ? という心の声が焦った表情から伝わってくる。
かわいそうに。一人だけ、少し常識が残ってしまっているようだ。白井さんだけ『さん』付けされているのはこういうわけか。
なんだか、白井さんと距離が縮まった気がした。
「妹萌え〜、てやつ?」
不意に、のんきな声がしたのはそのときだった。