第三話 リーゼント野武士と姫君
「おめぇも大変だなぁ、鈴木」
ハッとして振り返ると、眩い朝日を遮りそびえ立つ黒い塔――いや、リーゼントが。ぐんと逞しく真っ直ぐに伸びたそれは、漢の生き様そのものを象徴しているかのよう。
そんなリーゼントの影で、蛇の如くぎらりと光る鋭い眼光。老けた……いや、貫禄のある顔つきとがっちりとした屈強な体つきは、仁王像を思わせる。
「よっちゃんさん」
「よう」
ニッと浮かべたその満面の笑みは、曽良のそれとはかけ離れていた。笑顔がここまで不気味に見えるものなのか。寺門で不意に顔を上げて、目が合った仁王像が急に笑いかけて来たらこんな気持ちになるのだろう、と鈴木は思った。
彼もまた、鈴木や曽良と同じ中学出身で小賀葛高校の新入生である。
中学時代、不良世界と全くの無縁だった鈴木がなぜ彼と知り合ったかといえば……中学を卒業する三日前のこと、曽良がカツアゲされている現場に遭遇し――とにかく、毎度のことながら『がっかりイケメン』に巻き込まれたのだ。
「あ、ヨシオ! おはよう」
爽やかな声が響き渡って、よっちゃんは憤怒の表情を浮かべてくわっと口を開く。
「だから、ヨシオじゃねぇって言ってんだろうが! ほんっとに癇に障る奴だな、お前は。さっさと転校して消えろっての、藤本曽良」
「はあ? 他人に方向指示するのは頭の上だけにしなさいよ。一人時間差」
「これは矢印じゃねぇ! ってか、どういう意味だ、一人時間差って!? リーゼントが時代遅れとでも言いたいのか、あぁ!?」
傍から見れば、リーゼントの不良が愛らしいお嬢様に絡んでいるように見えるだろう。しかし、それは目の錯覚である。見た目に騙されてはいけない、という教訓を鈴木はここ最近痛いほど学んでいた。
自転車によりかかり、二人の様子を微笑ましく見守っていた曽良だったが、やがて「やあ」と鈴木に――いや、鈴木の背後に視線を向けた。
「フォローしてあげないの、彼女さん?」
あ、と思い出したように鈴木も背後に振り返る。
「はい」と、春の風に溶け込んでしまいそうな淑やかな声がその場に流れた。「転校して消えろ、は言い過ぎです。砺波ちゃんが怒るのも仕方ないもの」
砺波と同じ白いセーラー服に身を包んだ少女がそこにいた。奇麗に切りそろえられた長い黒髪に、雪のような白い肌、慎ましくも凛とした立ち姿。一瞬、戦国時代の姫君がタイムスリップしてきたのかと思ってしまう。砺波とはまた違った奥ゆかしい魅力のある、大和撫子を絵に描いたような美少女だ。
よっちゃんと並んで立っていると、『亡国の姫君と、それを守る野武士』にしか見えないのだが……驚くべきことに、彼女――坂本恵理はよっちゃんの彼女である。二人は付き合って一ヶ月のラブラブカップルだ。
ちなみに、曽良と恵理は中三のときのクラスメイトであり、よっちゃんと彼女がくっつくきっかけをつくったのも曽良である。そして、当然のごとく、鈴木はそれに巻き込まれ、よっちゃんとの男気まみれた関係を育むことになった。
「おはようございます、坂本さん」
一足遅れて鈴木が挨拶すると、恵理はふっと切れ長の目を細めた。
「おはようございます、鈴木くん。また朝から大変そうね」
その上品で気品に満ちあふれた笑顔に、鈴木は感動すら覚えた。戦国時代、姫君に微笑みかけられた足軽はきっとこんな気持ちだったに違いない、と思った。
「ところで」と、恵理は興味津々な様子で曽良を見つめた。「そのランドセルはどういった趣向なの、曽良くん? また愉快なことでも企んでいるの?」
「ああ、これは……」と言いかけた曽良を、「おう、そうだそうだ」という野太い声が遮った。
「さすが、恵理ちゃんの目は節穴だぜ。なんなんだよ、そのランドセル?」
いや、節穴って……。
「流行ってんのか?」と曽良をまじまじと見つめるよっちゃんに、砺波はぶっと噴き出した。
「流行ってるわけないでしょ! なに? そのリーゼントって、あんたの脳みそ吸収して伸びてんの?」
「な、なんだと、てめぇ!」
ああ、ひどいひどい。鈴木はもらい泣き寸前だった。
リーゼントを怒りで震わせ砺波に迫るよっちゃんの表情は、馬頭観音を彷彿とさせる。普通の女の子なら、きゃあ、と可愛い悲鳴の一つでもあげて逃げ出しそうなものだが……。
「そうだ。あんたもリーゼントにしなさいよ、曽良。それで少なくとも『イケメン』とは思われなくなるわよ」
「どういう意味だ!?」
「アンタがダサい、て意味よ」
「ビブラートに包めぇ!」
それはさぞや美しくなるだろう。
鈴木は同情の眼差しでよっちゃんを見守りながら、改めて砺波は『普通の女の子』ではないことを実感していた。この通り、リーゼントの馬頭観音にもいけしゃあしゃあと食ってかかるのだから……。
「嫌だよぉ」不意に、大人しかった曽良が不満げな声を漏らした。「リーゼントなんて、首の骨折れそうで……」
「お前はまだ首が据わってねぇのか!?」
忙しく二人につっこみをいれるよっちゃん。意外と、几帳面な人なのかもしれない。一歩引いたところで、鈴木は現実逃避もかねてそんなことを考えていた。
それにしても、そろそろ学校に行きたいものである。
「一緒にいて飽きないでしょう、曽良くんって」
「!」
おっとりとした声に振り返ると、恵理が暖かみのこもった眼差しを曽良に向け、穏やかな笑みを浮かべていた。
「あんなに愉快なお友達と高校生活が送れるなんて……鈴木くんが羨ましい」
「羨ましいって……」
そんなことを言われると調子が狂う。
鈴木は憂鬱そうにため息をこぼした。
「一緒にいると虚しくなりますけどね。藤本くんを見てるといたたまれない気持ちになっちゃって……」
「いたたまれない?」
恵理は不思議そうに目を丸くしてこちらに振り返った。
「もったいないな……て思っちゃうんです」と鈴木は溜め込んでいた本音をぼそりと漏らしていた。「あんなに格好よくて、運動神経もいい。本当は頭もいい、て噂です。ただ普通にしてるだけで、モテモテのはずなのに。変なことばっかりして……藤本くんは損してますよ」
しばらくぽかんとしていた恵理だったが、急に咳き込むように口許を押さえてクスクス笑い出した。
なんだ? と呆気にとられていると、
「損? 変なこと言うのね、鈴木くんって」
「へ……変?」
恵理は何度か深呼吸をしてから、ようやく落ち着いた様子でじっとこちらを見てきた。
「失礼だと思うな」
「あ……いや」と鈴木は慌てて首を振る。「誤解です! 別に藤本くんを侮辱したいとかそういうわけじゃなくて」
すると、その様子がツボにはまったのか、恵理はまた笑い出した。
「違う、違う。曽良くんに失礼って意味じゃなくて……」
「え――」
どういう意味だ、と聞こうとした鈴木を「もう付き合ってられねぇよ!」と鼓膜が破れそうな怒号が邪魔した。
「行こうぜ、恵理ちゃん!」
ばっとこちらに振り返ったよっちゃんの目にはうっすら涙のようなものが。
いや……気のせいだ。そうに違いない、と鈴木は自分に言い聞かせた。砺波の勝ち誇ったような笑みも気のせいに違いないのだ。
「ようやく決着がついたかな」
慣れたものなのか、恵理はコロコロ笑って暢気に言った。
「じゃ。先に行くね」
「あ、坂本さん……!」
恵理はひらりと黒髪をなびかせ、鈴木の前を通り過ぎていった。
「学校でね」と砺波と言葉を交わすと、ずかずか歩いていくよっちゃんの背を追いかけて行く。
ぼうっとその様子を見つめていると、
「えりちんとなに話してたの?」
曽良がにこりと微笑んで訊ねてきた。
「いや……なんでもないです!」
あなたの生き方についてです。――なんて言えるわけもない。
ごまかして作った笑みはひきつっていただろうが、曽良は気にする様子もなく「そう」とだけ言って、歩き始めた。興味がないのか、空気を読んだのか……。
「ランドセル流行ってることにして、リーゼントに背負わせればよかったかしら」
「また悪いことを考える。さすがにえりちんが止めるでしょう」
キイキイと曽良が押す自転車の音と、二人の会話に耳を傾けながらも、鈴木はさっきの恵理の言葉を思い返していた。
失礼……曽良じゃないなら、何に対してだったのだろうか。




