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鈴木くんの平均的な非日常【高校編】  作者: 立川マナ
【定規王子と常識人】編
40/50

第三十八話 大失態

 ひらりと揺れる垂れネームには『針谷』の文字。汗にびっしょりと濡れた顔は青ざめ、今にも倒れてしまいそうだ。その華奢な体つきは、剣道の防具を身につけ、歩いていることに感心を覚えてしまうほど。

 彼がまさか、帝南高校剣道部の主将だとは。よっぽど、ここの剣道部は弱いのか、それとも、年功序列の弊害か。

 鈴木はちらりと和幸を見やった。――昨日の練習試合の様子を見る限り、実力的には、彼こそ、主将にふさわしそうだが。

「針谷先輩、どうしたんです?」

「どうした、じゃないよ、藤本くん!」ふんと鼻から息を噴き出し、針谷はイノシシのごとく和幸のもとへ突っ込んでくる。「君のせいで、剣道場は大変なことに……」

 このまま、和幸の胸に飛び込むんじゃないかとも思われたが、ふと、ぴたりと針谷の動きが止まった。

「な……」カタカタとブリキ人形のように針谷はゆっくりとこちらに振り返る。「なぜ……なぜ、ここにも小賀葛がー!?」

 ホラー映画よろしく、針谷は悲鳴を上げて鈴木とよっちゃんを指差してきた。

「いったい、き、君たちは何を企んでいるのだね!? これを機に我が校に攻め込もうというのか!?」

「いや、落ち着いてください」何が何やら分からないが、とりあえず、鈴木は針谷をなだめることに。「別に、何も企んでませんよ。ちょっと、和幸くんに話があって……」

「だ、騙されんぞー! 僕は騙されないからな! さては、君たちで藤本くんの足止めをして、その間に彼が我が剣道部を……」

「うるせぇ!」

 まさに、リーゼントの一声とはこのこと。ドスの効いた怒号が響き渡ると、針谷は一瞬にして口をつぐんだ。

「んだよ、さっきから!? ぎゃーぎゃー騒ぐな、殴るぞ!」

「ひいっ」

 針谷は震え上がって、和幸の影にさっと隠れた。――やはり、剣道部主将とは思えない。

「って、いきなり、脅してどうすんですか、よっちゃんさん!?」

「しゃーねぇだろう。意味分かんねぇこと、ぐちぐち言ってくんだから」苛立ちもあらわに、よっちゃんは拳をつくって振り上げた。「一発殴って落ち着かせるしかねぇだろ」

「極端すぎですよ!」

 わあ、と慌てて鈴木はよっちゃんの腕をつかむ。

「な、なんて粗暴な奴らなんだ! これだから、頭の悪い奴らは嫌なんだよ。君たちの好きにはさせんぞ。さっさと立ち去りたまえ!」

 眼鏡をキラリと光らせて、いくら偉そうにがなり立てても、和幸を盾に隠れていてはなんの威厳もありゃしない。生気のない顔も相まって、もはや和幸の背後霊である。

「あー、針谷先輩……俺もよく事情が掴めていないんですけど」

 和幸も背後霊に困惑気味だ。

「いいから、とにかく、彼らを追い出してくれ! 絶対に彼の差し金に違いないんだ、何か企んでいるんだ!」

「企んでねぇっての! なんだよ、濡れ布着せやがって」

 それは、臭そうだ。

「落ち着いてください、よっちゃんさんも針谷さんも」

 あたふたと忙しくよっちゃんと針谷を交互に見ながら、鈴木はぱたぱた両手を振った。

「とにかく、何度も言うようですが……俺――いや、僕たちは、別に何も企んでなくてですね、ただ、和幸くんに話があって来ただけなんですよ。『彼』ってのが誰のことか分からないですけど、勘違い……」

 そこで、はたりと鈴木は固まった。何かとんでもなく大事なことを忘れているような気がした。

 そういえば、なぜ、和幸に話をしに来たのだったか。どうしても、すぐに誤解を解かねばならない理由があったような……。

「あ……」

 そのとき、ちょうど、茜色の空に一番星が煌めいた。

「まさか」と鈴木は顔色を失くして、つぶやく。「まさか、『彼』って……」

「鈴木くんの言ってることは本当ですよ。俺に用があっただけです」

 呆然とする鈴木をよそに、和幸は身を翻し、針谷を自分の影から追い出した。

「いったい、何事なんですか?」

「何事もなにも……君が余計なことをしたから、ウチの部が壊滅の危機に瀕しているのだよ」

「余計なことって、何の話です?」

「昨日、君が小賀葛の奴らを挑発するから、本当に殴り込みに来たじゃないか!」

「は……?」

「だから、本当に、ビデオを奪いに来たんだよ! 小賀葛の奴が!」

「あ」とよっちゃんが間の抜けた声を漏らす。

 どうやら、よっちゃんも思い出したようだ。ここに来た本来の目的を。そして、鈴木のように、悟ったに違いない。針谷の言う『彼』が誰のことなのか。

 ビデオを奪い返しに、帝南高校に一人で乗り込んでくるような小賀葛の学生――思い当たるのは、『彼』くらいだ。

 いったい、何のためにここまで来たのか。過程に夢中になって目的を見失うなんて。鈴木ははあっとため息ついた。

「きっちり、君に責任をとってもらうからな!」口では威勢を張ってはいるが、びしっと和幸を差す針谷の指は頼りなく震えていた。「じゃないと、昨日の報酬は払わんぞ!」

「ええ!? どういうことっすか!?」

「どういうこともなにも、当然だろう! 君が勝手に捲いた種なんだから、君が刈り取りたまえ。小賀葛の奴らをぎゃふんと言わせて、僕たち剣道部の積年の屈辱を晴らす――それが条件だったのに、なんで余計なことしてくれたんだよ、もう」

 途中から、すっかり泣き言になっていた。今にも和幸にすがりつきそうな勢いだ。そんな針谷に気圧されてしまったのか、和幸は困り果てた様子で頭をかいている。まるで誕生日を忘れられて騒ぐ彼女と、それをなだめる彼氏だ。

「分かりました」と、やがて、彼氏……いや、和幸は折れた。「殴り込みにきた奴を追い返せばいいんですね?」

「そうだ」

「そしたら、きっちり報酬は払ってもらいますよ」

 脅すように言い添える和幸に、針谷は「二倍にしてやろう」と眼鏡の奥で据わった目を光らせる。

 報酬とか条件とか、とても部長と部員の会話とは思えない。どうも怪しい。気にかかったが、今はそれどころではない。

「あの、口をはさむようで悪いんですが……」鈴木は愛想笑いを浮かべて、二人の会話に割って入った。「小賀葛の問題なら、俺たちが何とかしますよ。和幸くんは、ほら、園芸部のお仕事もあるでしょうから」

「そうだぜ!」意外にも、よっちゃんが素早く援護射撃。鈴木はぎょっとして振り返った。「始めた仕事はやり抜く――それが男じゃねぇか! その荒れた花壇、そのまま放って行く気かよ?」

 キラリと歯を光らせて男気眩しい笑みを浮かべるよっちゃん。

 いやいやいや。引っこ抜いたパンジー片手に何を言ってるんだ。

 鈴木はもちろん、和幸と平岡の刺すような視線がよっちゃんに集まったことは言うまでもない。援護射撃というより、くすぶる火種に火炎放射器をぶちまいたようなものだ。

「確かに。どうすんだよ、これ?」

 言わんこっちゃない。平岡が思い出したように指差したのは、芋掘りが終わった畑のように変わり果てた花壇の一角。

「ほ、ほら、花壇をめちゃくちゃにした上に、これ以上、邪魔はできませんから」花壇の話題は具合が悪い。鈴木はとっさに話をすり替える。「剣道部の件は、俺とよっちゃんさんがなんとかします。和幸くんたちは、ぜひ、園芸部の仕事のほうに専念してください」

「その心遣いは嬉しいんだけど……よっちゃんの言うことも一理ある。請け負った仕事は最後までやり遂げるべきだ。昨日の件で小賀葛の奴が殴り込みに来たなら、俺が相手するのが筋だろ」

 やる気満々ですか。鈴木の愛想笑いが強張っていく。

「いや、でもですね、無用な争いはどうかと思いますし……」

「無用でもないよ。報酬が二倍になる、ていうんだから」

「は?」

 にんまりと笑む和幸の背後で、平岡がひゅうっと口笛を吹いた。

「なるほどな! 剣道部からの報酬が二倍になれば、このパンジーの損害も賄える。園芸部に罰金払ったとしても、黒字だ。万事解決ってわけか」

「そういうこと」

 いや、どういうことだよ。

「そうと決まれば、花壇こっちはもういいや」平岡はいそいそと立ち上がり、軍手をはずした。「応援に行ってやるよ、和幸」

「別におもしろいもんは見られねぇぞ。ビデオを奪いに来たってことは、小賀葛の剣道部員だ。どうせ、大したこと無い」

 もう、すっかり決意は固まってしまっているようだ。今にも「じゃ、また」と爽やかに言い残し、剣道場へ向かって行ってしまいそうな雰囲気。このまま、見送るのか。――いや、ここまで来て、諦めるわけにはいかない。

 鈴木はくわっと目を見開き、

「ビデオを譲ってください!」

 勢いよく、頭を下げた。

 野球部のかけ声が辺りに響く。

「あのー……鈴木くん? いきなり、なに?」

「実は、和幸くんに会いに来たのは……藤本くんと、これ以上、ケンカしてほしくなかったからなんです!」

「藤本くんって、曽良?」

「そうです!」ばっと鈴木は顔を上げる。「大変言いにくいんですが……たぶん、ビデオを奪いに来たのは藤本くんなんです」

「曽良が?」

 ぴくりと和幸の頬がひきつった。

「二人の間にいろいろあったのはよく分かりました。第三者の俺が口出しできるようなことではないとは思うんですけど……でも、やっぱり、幼馴染同士で争うのはどうかと思うんですよ。藤本さんだって、きっと、内心、悲しんでますよ!」

「そうかぁ?」と横から水を差してきたのは、よっちゃんだった。

 確かに、砺波の部分は余計だったかもしれないが……。ーーいや、なんだかんだで、砺波を大事にしている和幸のこと。砺波の名前を出せば、何か揺り動かせるものがあるかもしれない。

 鈴木は祈るような気持ちで、再び頭を下げた。

「お願いします! ここはどうか、穏便にビデオを譲ってください!」

 辺りに、緊張感が漂う。誰も一言も発そうとはしなかった。全く話が読めていないはずの平岡や針谷までもが、黙り込んでいる。それほどの――言葉を発することさえ憚られるような――空気が張りつめていた。頭を下げていて周りの様子は窺えないが、それでも分かる。いったい、誰がそんな空気を放っているのか。

「なるほど」ややあってから、ふうっとため息つくのが聞こえた。「よく分かったよ」

「本当ですか!」

 穏やかな和幸の声に安堵して、顔を上げた鈴木だったが、

「やっぱ、あいつはいつまでたっても成長しないってことが」

「はい?」

「おもしろそうだと思ったら首を突っ込み、騒ぎを起こす……昔と全然変わってない」

「いや、あの……和幸くん?」

 明らかに雲行きが怪しい。和幸の表情も声も落ち着いてはいるが、それでも彼の苛立ちは静電気のごとく肌にぴりぴりと伝わってくる。

「針谷先輩、行きましょう」

「う、うむ」

 さっさと踵を返して去ろうという和幸に、鈴木は「待ってください!」と血相変えて引き止めた。

「藤本さんが――」

 しかし、言い終わらぬうちに、和幸はさらりと言い返す。

「砺波が悲しむわけないだろ」

「……デスヨネ」

 反論の余地もなかった。


 去って行く三人の背を見送りながら、鈴木は立ち尽くしていた。その傍らで、よっちゃんはふっと皮肉そうに鼻で笑う。

「一本取られたなぁ。剣道部だけに」

「こんなときにうまいこと言わないでくださいよ」

 鈴木はがっくりと頭を垂れた。

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