第三十七話 男のプライド
「さっきから、まるで保護者みてぇなことを」和幸の背後に、ゆらりと大きな人影が忍び寄る。「ダチってのは、そんなに偉いもんかよ?」
色鮮やかな花畑をバックに佇むのは、リーゼント頭の金剛力士――いや、よっちゃんだ。
「これは鈴木のケンカだ。花を持たせてやろうと黙っていたが……我慢ならねぇ」
鈴木は、え、と目を丸くした。
花壇の縁に腰を下ろして大人しくしていたのは、そういうことだったのか。てっきり、砺波の件で、和幸への敵意が削がれたのかと思っていたが。
「藤本和幸よぉ。あんた、ちょっとは話ができる奴かと思ったが、違ったみたいだな。――がっかりだぜ」
ふっと憫笑にも似た笑みを浮かべ、よっちゃんは和幸と目線を同じくするように腰を折った。リーゼントを和幸の額に押し付けんばかりに顔を寄せ、燃え盛る炎を秘めたようなギラギラとした瞳でねめつける。
「縁を切った、だ? 成長しろ、だ? 何様のつもりだ、てめぇ?」
腹の底に響いてくるかのような、重たい声だった。「よっちゃん」なんて親しげに声をかけるのが憚られるほどの威圧感。傍らに立っているだけで、鈴木は縮み上がった。
しかし、当の和幸はといえば、平然としてよっちゃんを睨み返している。嫌みなほどに落ち着いて、まるで他人事のようだ。
「『よっちゃん』が曽良をかばうとは……意外だね。砺波の話では、仲が悪いようだったけど」
「勘違いするな、俺は藤本曽良なんて大っ嫌いだ!」
よっちゃんは気持ちがいいほどはっきりとそう言いきって、ぐいっと和幸の胸ぐらをつかんだ。
「でもな……あの『がっかりイケメン』は、恵理ちゃんの大事なダチなんだよ。あんまり悪く言うと、赦さねぇぞ」
リーゼントの影で光る目は血走って、その表情は真剣そのもの。今にも獲物の喉元に噛み付かんという猛獣さながらに殺気立っている。いつものよっちゃんとはまた違った迫力がある。きっと、今、彼を熱くさせているもの――それは、元番長の血でもなく、その制服に背負った不良の面子でもなく、一人の男としてのプライドなのだろう、と鈴木は思った。坂本恵理という少女に惚れた一人の男の……。
そんなよっちゃんの真剣な想いは、鈴木だけでなく、和幸にも伝わったようだ。彼の表情からようやく余裕が消えて、その目つきは警戒するような鋭いものに変わっていた。
「なるべく、暴力沙汰は避けたいんだけど」
「なんだ?」とよっちゃんは和幸の脅しを鼻で笑う。「ビビってんのか?」
「ああ」と和幸は冷笑し、ちらりとよっちゃんの背後の花壇に目を向けた。「こんなでかい図体ふっとばして、せっかく手入れしたパンジーが台無しになったら、こま……」
「こま?」
「……」
いきなり、和幸は言葉を切って黙り込んでしまった。目を点にして啞然としている。
まるでゼンマイが切れたからくり人形のように硬直する和幸に、よっちゃんさえも気味悪そうに顔をしかめている。よっちゃんが何かしたわけではなさそうだ。いったい、どうしたのか。鈴木は心配になって、和幸の視線をたどり――、
「あー!?」
「んだよ、鈴木? うるせぇな」
「いや……あれ、あれ……」
あわてふためき、花壇を指差す鈴木。
「花壇が……」
「あ?」とよっちゃんは鬱陶しそうに振り返り、「ああ、あれか」と得意げに微笑んだ。
「あれか……て、いや、なんで笑ってるんです!?」
「すっきりしただろう。お前らの話聞いてる間、暇だったからよ、雑草、抜いといてやったんだよ」よっちゃんは晴れやかな表情を浮かべ、和幸の胸ぐらを掴んだまま、別の手でズボンのポケットから何かを取り出した。「見ろよ、これ。雑草のくせに、洒落てるよな。恵理ちゃんにあげようと思ってさ」
「雑草って……」
鈴木の顔はまたたくまに青くなった。――よっちゃんの握られた拳の中には、しょんぼりと首を垂らす色とりどりのパンジーが。
「なにしてんですかー!?」
あんぐり開けた鈴木の口から、野球部のかけ声もかき消すほどのがなり声が飛び出していた。
「それ……それ、雑草じゃないですよ! 和幸くんたちが手入れしてた、大事な……」
「雑草じゃない? じゃあ、なんだよ、これ? 松茸か?」
「なに、その二択!?」
はあっと大きくため息つくのが聞こえて、鈴木はぎくりと硬直した。
おそるおそる横目で見れば、和幸が目頭を押さえて俯いていた。表情は窺えないが、なんとも不穏なオーラが漂っている。彼の苛立ちがちくちくと肌に突き刺さってくるようだ。
「よ……よっちゃんさん、とにかく、謝りましょう!」
「謝る? なんでだよ?」
「それ、雑草でも松茸でもなくて、そこの花壇の花なんですよ。和幸くんたち園芸部員にとっては、我が子のように大切な……」
「そんなんじゃない」
血相変えてよっちゃんを諌める鈴木を、冷めた声が遮った。え、と振り返ると、和幸はよっちゃんの手を胸ぐらから払いのけ、ほとほと疲れた様子で「平岡!」と花壇にいる坊主頭の友人に呼びかけた。
「お前、なにやってんだよ?」
「はあ? いきなり、なんデスカ?」平岡は苛立ちもあらわに、やおら振り返る。「見りゃ分かるだろ、お前の分も一生懸命……って、なんじゃ、こりゃー!?」
どうやら、人は本当に思わぬ事態に遭遇したとき、お約束の言葉を口走ってしまうようだ。
鈴木は申し訳なさで自然と小さくなっていた。
せっせと草むしりに励んでいた平岡。ふと振り返ってみれば、そこには荒れ果てた花壇の姿。ついさっき手入れをしたはずの花壇の一角が、モグラが運動会でも繰り広げたようにめちゃくちゃになっていたのだ。そりゃ、驚く。
「どうなってんだよ、これ!? さっきまでは、ちゃんと……ええ!?」
すっかり気が動転しているようだ。がばっと立ち上がった平岡は、きょろきょろと忙しなく辺りを見回していた。そのたびに、汗の滲んだ坊主頭が沈みかけの太陽の光を受けてきらきらと輝く。現実逃避をたくらむ鈴木の目には、それが美しく映った。
「なんで、気づかないんだよ?」
リーゼント頭のモグラ――いや、よっちゃんを乱暴に押し退け、和幸は花壇へと歩み寄る。
「気づくかよ!」と言い返す平岡のくりっとした目は潤んでいた。「お前こそ、なんで気づかないんだ?」
「後ろ向いてたんだ。分かるか」
「どうすんだよ? これじゃ、園芸部から部費もらえねぇぞ。てか、逆に、罰金払わされんじゃね?」
「そこは、アンリに任せるしかないだろ」
「アンリねぇ……責任取ってあんたらが金払え、て言いそうじゃね?」
「……」
二人は仲良く肩を落として、重々しくため息をこぼした。
そんな二人の様子に、鈴木は違和感を覚えてならなかった。花壇がめちゃくちゃにされて悲しむ園芸部員――には到底見えなかったからだ。彼らの関心はもっと他にあるような気がしてならない。特に、気にかかったのは……。
「『部費』……?」
なぜ、金の話になるのだろうか。
一応、よっちゃんを連れて来た鈴木にも責任はある。事情を聞いてみよう、と口を開いた――そのときだった。
「藤本くん、責任を取ってもらうよ!」
もやしのようにやせ細った一人の剣士が、ただならない剣幕で現れた。




