第三十二話 帝南にようこそ
「いいから、ちょっと貸せって」
「い、いやですよ!」
「なんだよ、いいじゃねぇか! 減るもんじゃねぇんだからよ」
「ひいっ!」
リーゼント頭の男に胸ぐらを掴まれ、ブレザー姿の少年は今にも倒れそうなほどに顔を青くしていた。
「すぐ返すって言ってんだろ!? ほら、脱げって!」
「嫌ですー!」
少年が泣き叫んでも、リーゼント頭の男はひるむ様子はない。制服を破らん勢いでひっぱっている。
どこからどう見ても、犯罪である。
「よっちゃんさん、やめましょうって!」
たまらず、鈴木はよっちゃんの腕をつかんで止めに入った。
「これじゃ、ただの追い剥ぎですよ」
「なに言ってんだよ?」よっちゃんは少年のブレザーをつかんだまま、鈴木を睨みつけた。「俺は甘いもんは嫌いだ」
「おはぎじゃないですよ、追い剥ぎです! 通行人から洋服とか持ち物とかを奪う犯罪のことですよ」
「犯罪だと!?」
さすがに、その単語によっちゃんはぎょっとして、少年から手を離した。そのすきに、少年は血相変えて駆け出し、脇見も降らず走り去って行く。まさに、脱兎の勢いとはこのこと。
小さくなって行く背中を呆気に取られた様子で見つめてから、よっちゃんは大仰にため息ついた。
「なんで、邪魔すんだよ? あとちょっとだったってのによ」
「だから、犯罪ですってば」
「なにが犯罪だよ? すぐ返すんだからいいじゃねぇか」
すぐ返す、か。政治家の『記憶にございません』レベルに信用ならない言葉だ。鈴木は頬をひきつらせた。
「とにかく、制服を奪うのはナシです」
「『奪う』じゃなくて、『借りる』つってんだろ」
「向こうからしたら、同じですから」
俺に良い案がある――よっちゃんのその言葉を信じた自分が馬鹿だった。鈴木は後悔しつつ、しかし、自分に何か案があるわけでもなく、途方にくれた。
目の前に張り巡らされたフェンスを見上げると、その編み目の間から武道場らしき建物が伺えた。おそらく、剣道部はあそこで練習しているはずだ。剣道部員である藤本和幸も中で竹刀を振っているに違いない。
すぐそこなのに……と、鈴木はいたたまれない気持ちになりながら、武道場を見つめていた。ほんの一メートルちょっとだというのに、未来のエリートたちを守るフェンスは敷居が高く、ベルリンの壁のごとく立ちはだかるのだった。
「もう面倒くせぇ。フェンス登って、乗り込んじまおうぜ」
「わあ、なにしてんですか!?」
フェンスに手をかけ、今にも登り出しそうなゴリラ――いや、よっちゃんに気づいて、鈴木はその学ランを慌てて引っぱった。
「小賀葛の学生が乗り込んで来た、なんてことになったら、どうなると思ってるんですか!? 騒ぎを大きくしたくないんですって!」
「だから、言ってんだろ。そのへんの帝南の奴捕まえて、制服借りよう、て」
「それはただの追い剥ぎですって……」
ああ、もう。よっちゃんと討論しても、同じところを堂々巡りだ。どっと疲れがきて、鈴木は項垂れた。
「ワガママな奴だな、お前は」
「もうなんとでも言ってください」
「どうすんだよ?」ガリガリと頭をかいて、よっちゃんは呆れ果てた様子で訊ねてきた。「このまま、部活が終わるまで待ち伏せでもすんのか?」
「それも……アリかもしれないですね」
和幸が部活を終える前に、『小賀葛の生徒がたむろっている』と通報されなければ、の話だが。いや、すでに『追い剥ぎがいる』と通報されている可能性もある。
そうだ。実はすでに手遅れなのでは? さっきの少年が職員室――もしくは、交番にでも駆け込んでいたとしたら……。
鈴木の顔はみるみるうちに青くなっていた。
「と、とにかく、ちょっと場所を移動しましょう」
「なんでだよ? ここなら、武道場を見張れるぞ」
「いいから、ひとまず、ここを離れましょう。また戻ってくればいいんですから」
ひきつり笑顔を浮かべつつ、鈴木はよっちゃんの身体を押して促した。
一刻も早くここを立ち去らなければ。さっきの少年が誰かを連れて戻ってくる前に――。
「あ、見ーっけた! ちょっと、そこの小賀葛二人!」
「!」
背後からしたその声に、鈴木はぎくりとして固まった。
遅かった……?
状況を全く把握していないのだろう、よっちゃんは「お?」と小首を傾げている。その身体をさらに強く押して、「はやく、逃げましょう!」と鈴木は叫ぶ。しかし、よっちゃんの屈強な身体は銅像のごとくぴくりとも動かない。
「捕まっちゃいますよ、よっちゃんさん!」
「いや、でも……」としぶるよっちゃんの頬はほんのりと赤らんでいた。「結構、あの子、可愛いぜ」
「可愛い?」
はたりと鈴木は動きを止めた。
そういえば……と思い返し、ふと気づく。さっきの声、女の子? それに、どこかで聞いたことがあるような……。
「やっぱ、君も見に来たか〜」
弾むような明るい声と、バタバタと軽快な足音が近づいてくる。『追い剥ぎ』を捕まえてやろう、と意気込む気配はない。ただ無邪気に走り回る子供のそれだ。
鈴木はおそるおそる振り返り、「あ」と目を丸くした。
「よ、『スズキ』! 帝南にようこそ」
鈴木の前で立ち止まり、ホームビデオカメラを掲げてニコリと微笑む少女。短いショートヘアに、子猫のような愛嬌のある顔。見覚えがある。
「アンリ……さん?」
間違いなく、昨日、和幸と一緒に居た少女だった。




