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鈴木くんの平均的な非日常【高校編】  作者: 立川マナ
【定規王子と常識人】編
23/50

第二十一話 地獄で仏

今回は長めな上、ちょっと真面目(?)です。次話からまた戻りますので……。

「なるほど」ちょうど、街灯の下を通ったときだった。春香は晴れやかな笑みでこちらに振り返った。「それで鈴木くんが噂の『定規』を持ってたわけだ」

 純真そうな瞳が、街灯の明かりを浴びて輝いていた。もともと、女子からこんな至近距離で見つめられることもない。——砺波に睨まれるとき以外は、だが。鈴木はたまらず春香から顔を逸らし、「そうそう」とごまかすように頷いた。

「だから、俺は『定規王子』じゃないんだ。誤解だよ」

「だと思った」

 くすりと春香は笑って、安心したように言った。

「あの鈴木くんがそんな乱暴なことするとは思えないもの」

「……」

 春香の視線を感じつつも、鈴木は振り返ることができずに照れたように苦笑した。

 あの鈴木くんが——そんなセリフを口にできるのは、おそらくこの佐藤春香だけだろう。


 佐藤春香とは中学三年間、同じクラスだった。最後の一年間、週番として接する機会もあった彼女は、鈴木が普通に話せる唯一の女子だった。

 そして……クラス全員——いや、学校中の人間が鈴木を『田中』と呼ぶ中、彼女だけが『鈴木くん』と呼んでくれていた。それに気づいたのは、中学最後の日、卒業式の帰りだったのだから情けない話だ。

 ちなみに、鈴木のケータイに登録されている女子の連絡先も佐藤春香だけである。まだ一度もメールすら送ったことはないのだが……。


 いくつ目の街灯を通り過ぎたころだろうか。あたりには焼き魚の芳ばしい香りが漂っていた。夕飯どきの住宅街を肩を並べて歩きながら、ちらりと鈴木は春香を横目で見やった。

 茶色のブレザーに赤いネクタイ。学区外の高校に進学したと聞いていたが、確かに見慣れない制服だ。

 中学時代のセーラー服姿に見慣れていたせいか、春香のブレザー姿は新鮮で、妙に照れくさかった。最後に会ってからまだ一ヶ月。髪が少し伸びた程度の変化しかないはずなのに、ずっと大人びて見えた。

 だからだろうか。緊張している自分がいて、鈴木は戸惑っていた。

「相変わらずなんだね、藤本くん」

 不意に、春香は懐かしそうに切り出した。鈴木ははっと我に返って「え?」とすっとんきょうな声で返す。

「まさか藤本くんが噂の『定規王子』だなんて。驚いたけど、納得だよ。どこに行っても、藤本くんは藤本くん。なんか安心しちゃった」

「安心? 佐藤さんが、なんで?」

「だって、小賀葛に進学したって聞いてたから……藤本くんも不良になっちゃうんじゃないか、て女子の間で話題になってたんだよ」

「ああ、そっか」うっかりしていた、と言いたげに鈴木は頭をかいた。「そういう心配してる女の子って多いんだろうね」

 しかし、そんな女子に声を大にして言いたい。大丈夫、彼は依然として『がっかりイケメン』のままだ、と。

「でもね」と春香は遠慮がちに鈴木を見つめ、うす桃色の唇をふっと緩めた。「私は……鈴木くんがいるから大丈夫だろうな、て思ってたんだ」

 なぜか、どきり、と胸が高鳴った。一瞬にして耳まで熱くなり、鈴木は慌てて春香から顔を隠すように前を向いた。

「ぜ、全然大丈夫じゃないよ。あ、いや……その、不良になったりはしないだろうけど……いっつも面倒ごとに巻き込まれちゃってさ。もう少しまともになってほしいよ。余計なことさえしなければ、彼女だってすぐにできるはずなんだ。藤本くんは損してるよ」

「損してる? 藤本くんが?」春香は驚いたように目を丸くし、ぷっと噴き出した。「それはないと思うな」

 あまりにあっけなく否定され、鈴木はきょとんとしてしまった。

「佐藤さんって藤本くんと仲良かったっけ?」

「全然」春香はけろりとした様子で首を横に振った。「私、鈴木くんと三年間同じクラスだったじゃない。藤本くんと関わる機会なんて廊下ですれ違うくらいだよ」

「じゃあ、なんで……」

 鈴木が難しい表情で小首を捻ると、春香は得意げに微笑んで立ち止まった。

「だって、私は藤本くんが羨ましいもの」

 羨ましい? 鈴木も立ち止まり、訝しげに春香を見つめた。

「まあ、確かに藤本くんは見た目は格好いいけど、それくらいしか……」

「そういうことじゃないよ」春香はクスクス笑って鈴木の顔を覗き込んだ。「私が羨ましいのは、鈴木くんみたいな友達がいること」

「え?」鈴木はぴたりと凍ったように固まった。「俺?」

「そう」と春香は流れるような黒髪を耳にかけながら、こくりと頷いた。「こんなに自分のことで頭を悩ましてくれる友達がいるんだもの。藤本くんは幸せものだよ」

「……」

 どこかの家からテレビの音が漏れ聞こえ、わざとらしい笑い声がこだましていた。

 鈴木は言葉も出ずに呆然と突っ立っていた。——考えたこともなかった。自分も今や曽良の人生の一部だということ……。

「藤本さんみたいにかわいい幼馴染もいるし」

「!」

 思いっきり胃を握りつぶされたような痛みが走った。一気に現実に引き戻された鈴木の顔は青ざめ、希望を失った僧侶のような表情が浮かび上がる。

「いや、藤本さんはもはや神様が起こした事故というか……」

「なに、ぶつぶつ言ってるの?」

「……なんでもないよ」

 あの可憐な少女がいかに凶暴なのか、口で言ったところで春香は信じないだろうと思った。砺波の恐ろしさが噂にならなかったのもそれが原因だろう。いくらUFOを見たと訴えても、事実かどうかなど関係なく、世間が相手にしないのと同じである。

「変な鈴木くん」冗談っぽく言ってから、春香はちらりと背後に視線をやった。「じゃ、私はここだから」

 ここ? 鈴木ははっとして、春香の背後へと目を向ける。

「もしかして、ここ……」

 そこにあったのは三階建ての立派な一軒家だ。コンクリート造りの、長方形を基調とした設計で、暗がりにずんと聳え立つさまは不気味な迫力がある。

 つい、ごくりと生唾を飲み込んでいた。

「お……大きなお家だねぇ」

 圧倒されつつも、鈴木はなんとか平静を装った。

 もの静かで気品が漂う春香はどこか他の女子と違うような気がしていたが、これで納得した。まさか、こんな豪邸に住まうお嬢様だったとは……。

「な、なんか自分の家がもう犬小屋かなにかに思えちゃうよ」

 冗談混じりにそんなことを言ってごまかすと、春香は困ったように苦笑し、

「私も」

「そっか、佐藤さんも……って、は?」

「春香!」

 いきなり、春香の背後——門の向こうで黒塗りの玄関ドアが開き、まばゆい光が鈴木と春香を包み込んだ。

「遅かったな」焦ったような声を響かせ、誰かが光の中から駆けてくる。「父さんたちも待ちくたびれて……って、あ?」

 現れたのは、一人の少年だった。さっぱりとした短髪にすらりとした長身。Tシャツの袖からはがっちりとした腕がのぞいている。見るからに「俺、バスケットしてます」といった体つきの少年だ。

 彼は門に手をかけ、疑るような視線でこちらを睨みつけてきた。

「誰?」

 きりっとした眉がつり上がっている。警戒されているようだ。まるで不審者扱いだな。

 鈴木は呆れ返ってため息を漏らしていた。

「久しぶり。鮫島くん」

 嫌味混じりに『久しぶり』を強調した。

 それでもピンとこないらしく、鮫島はしばらく目をぱちくりとさせていたが、ややあってから「あ!」とスポーツマンらしい大声を上げた。

「お前、二年のとき同じクラスだった……田中か!」

 いや、鈴木だけど。

「覚えていてくれて嬉しいよ」

 そして……と、ちらりと彼の背後にそびえる豪邸を見やった。

「大きいお家だね」

「親父が医者だからな。よくある話だろ」

 謙遜する様子もなく、鮫島は白い歯を見せて微笑んだ。

「で、なんでお前ここにいんの?」訊ねながら、鮫島は門を開けて出てきた。「一応、この辺、高級住宅街なんだけど」

 歯に着せぬ言い方をするものだ。もはや清々しい。

「いやぁ……」それでも愛想笑いを浮かべてしまうのが、田中……いや、鈴木である。「偶然、佐藤さんに会って……」

「変な人たちに絡まれてたところを助けてくれて、ここまで送ってくれたの」

 春香は鮫島の隣にちょこんと並び、にこりと微笑んだ。

「へえ。やるじゃん」と鮫島はわざとらしく感心したような声を出した。「どっちかっつーとカツアゲされそうな感じなのにな。あ、小賀葛の学ラン着てるから? あんな『不良の巣窟』に進学したら、人生終わりだと思ってたけど……地獄で仏、てやつ? よかったじゃん」

 初めてだった。きらりと光る歯をへし折りたくなったのは。


「本当に助かったよ。ありがとう、鈴木くん!」

 去り際、無垢な天使を思わせる満面の笑みで春香は手を振った。こんなに幸せそうな春香は今まで見たことがない。

「……どういたしまして」

 何とも言えない複雑な気持ちだった。なにか腑に落ちない。納得がいかない。それでいて、ひどく落胆していた。

 豪邸へと入っていく二人の後ろ姿を見送りながら、鈴木は疲れたようにため息を漏らす。

 鮫島あつし。中二のときの同級生だ。当時からバスケ部のエースとして注目されていて、たしか高校もスポーツ推薦で入ったのではなかったか。

 そんな彼と最後に会ったのは卒業式の日。あの日も、こうして二人の仲睦まじい後ろ姿を見送ったものだ。といっても、当時は春香が付き合っていることさえ知らなかった。当然、その相手が誰かなんて知る由もない。ただ、「彼氏がいるの」と春香に言われ、『それらしい人物』と春香が一緒に帰るのを目にしただけだ。

 そうか、あれは鮫島だったのか——ぼんやりそんなことを考え、気落ちしている自分に鈴木は失笑した。春香とは三年間同じクラスだっただけ。自分には関係ない話じゃないか。なんでこんなに気にしているんだろう。

 高級住宅街をとぼとぼと歩きながら、鈴木は夜空を振り仰ぐ。寂しく浮かぶ月の光が目に沁みるようだった。

 こんなとき、曽良がいたら……気づけば、そんなことを考えていた。

 曽良ならきっと、落ち込んでいる自分を突拍子もない方法で元気づけてくれるに違いない。よっちゃんは男気だなんだと言って喝をいれてくれるだろう。はるちゃんや白井さんは、円陣でも組んでくれるかな。砺波は……いや、それは考えるのはよそう。

 そんな想像をしているうちに、不思議と顔がほころんでいた。

 鈴木はちらりと小賀葛の学ランを見下ろし、照れくさそうに微笑んだ。

「地獄で仏……か」

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