第十九話 歩道橋にて
自宅近くの歩道橋にさしかかったころには、あたりはすっかり暗くなっていた。
また面倒なことになったものだ。今日の出来事を思い返しながら、鈴木は重い足取りで帰路についていた。
いきなり元『藤本トリオ』の一人が現れ、不良どもにケンカを売っていったかと思えば……あろうことか、そのケンカを曽良が買ってしまった。衝動買いもいいところである。しかも、その入札理由は股間のスキャンダルなのだから、鈴木のがっかり具合は半端ではない。
事前に首をつっこむな、と注意しておいたのに……と不毛な愚痴をこぼしてしまう自分がまた情けない。しょせん、曽良に何を言っても無駄なのだ。分かっていたはずではないか。
結局、彼はがっかりイケメン。それ以上でもそれ以下のイケメンでもないのだ。
そんな曽良とは校舎を出たところで別れたのだが、なにやら楽しそうに自転車をこぐ後ろ姿が不気味だった。なにを企んでいるのか、それとも、なにも考えていないのか。
とりあえず、はっきりしているのは、彼にとってランドセルを背負って通学するよりも、チャックが開いていることのほうが恥ずかしいらしいということだ。
まったく、理解不能である。
歩道橋の階段を見上げ、鈴木は重いため息を漏らした。こんな夜は、なんでもないことまでしんどく思えるものである。
高校一年生とは思えないゆっくりとした動きで一段目に足をかけ——と、そのときだった。
「放っといてください!」
歩道橋の上から、悲鳴のような少女の声が聞こえてきた。それも、どこかで聞き覚えのあるような……。
「こんな暗い夜道、一人じゃ危ないって」
「俺たちが送ってってあげるからさ」
なんとも悪そうな声が聞こえてくるではないか。か弱い少女が不健康そうな男たちに囲まれて困っている様子が目に浮かぶようだ。
鈴木はあたふたとして辺りを見回した。誰か助けを……と思ったのだが、周りを歩いているのは老夫婦と柴犬のみ。車通りはあるものの、道に飛び出して助けを求めるようなアクロバティックなことは鈴木には不可能だ。
警察に電話? しかし、警官を待っている余裕はあるだろうか。
「きゃあ! 離してください」
あわわ、と鈴木は目を白黒させて鞄を抱きしめた。余裕無ぇー! と顔を青くする。もうこうなったら……と覚悟を決め、鈴木はやけくそになって歩道橋の階段を一気に駆け上った。
* * *
やはり、歩道橋の上では想像通りの光景が繰り広げられていた。三メートルほど先で、ブレザー姿の少年二人が一人の少女を囲み、行く手を阻んでいる。長身の二人が壁になって、少女の姿ははっきりと確認できないが……とりあえず、声から砺波ではないことは確か。ピンチと考えてよいだろう。
鈴木はゼエゼエとあがった息をなんとか落ち着かせ、逃げ出しそうな足をその場に食いとどめていた。
しかし……ここからどうしよう。勢いで来てみたはいいが、鈴木に何ができるというのだ。「てめぇら、なにしてやがる!?」とでも言ってみようか。いや、声が裏返って残念な感じになるのは目に見えている。雄叫びでもあげて、突進してみようか。いや、駆け出した直後につまずいて終わりそうだ。
鈴木はおろおろと視線を泳がせた。
どんな行動も、頭の中でシミュレーションすると全てみっともなく終わってしまう。
やはり、警察に電話し、大人しく助けを待つべきだったか。
「おい、なに見てやがる?」
「!」
電流でも走ったかのように、びくんと鈴木の身体が震えた。
鈴木が迷っているうちに、二人がこちらの存在に気づいたようだ。もはや奇襲の機会さえ失った。最悪である。
「覗き見てんじゃねぇよ」一人が、お前だ、と言わんばかりに指を指して来た。「さっさとどっか行け」
「いや……」
そりゃあ、どっか行きたいのは山々だがそうもいかない。鈴木は目を逸らしつつ、なんとか声を振り絞る。
「あの……け、警察に電話しますよ!」
足はガクガクと震え、喉はカラカラに乾いている。腰には力が入らず、今にも座り込んでしまいそうだ。声を出せたことさえ奇跡に思えた。よく言った、と鈴木は自分を褒めてやりたかった。
しかし、そんな鈴木の勇気を馬鹿にするように、少年たちは笑い出した。
「警察だってよ?」
「おもしれぇじゃん。電話してみろよ」
え? なに、この展開? 鈴木は啞然として固まった。『チッ。覚えてやがれ』とか言って逃げていくはずではなかったか。
鈴木の予想に反して、少年たちはゆっくりとこちらに歩み寄って来た。
通り過ぎるトラックが歩道橋を揺らし、そのライトが少年たちの顔を一瞬照らしていった。野菜が足りてなさそうな不健康そうな顔に、ニヤニヤと怪しい笑みを浮かべている。
鈴木もつられたようにぎこちなく微笑みながら、あとじさった。
「ほら、電話してみろって」
「一一七だぞ」
只今の時刻をお伝えされたい気分ではないのだが……。ゲラゲラと品のない笑い声を上げながら、二人はもう目の前に迫ってきていた。こうなったら、脅しになるかも分からないが、とにかくケータイを取り出すしかない。鈴木は鞄に手を突っ込み、無我夢中でケータイを取り出した――つもりだった。
「後悔するなよぉ!」
手にした『それ』を二人に見せつけるように掲げ、鈴木は震えた声で叫んだ。まるでその瞬間を見計らったかのように、車が歩道橋をくぐり、そんな鈴木にスポットライトを当てていった。
定規を高々に掲げる鈴木の姿を——。
「……なんで、定規?」
二人の少年はぽかんとした様子で、声を合わせてつぶやいた。