第十七話 幼馴染の告白
この辺りの学区で知らないものはいない美男美女の幼馴染、『ダブル藤本』。そんな彼らにはもう一人幼馴染がいたという。曽良と砺波と同じく「藤本」という苗字を持つ少年。「疲れた」と言い残し、小学校を卒業するとともに、曽良と砺波と距離を置いたらしいのだが……。
まさか、その彼とこんなところで出会うことになろうとは。
鈴木は目の前で姿勢よく佇む剣士を見つめた。
目を見張る容姿では決してなく、いたって地味。見た目だけでいえば、鈴木に近いものがあるだろう。しかし、その表情と佇まいからは気品と知性が感じられ、ただ立っているだけで内に秘めた叡智がオーラとなって伝わってくるようだ。ブレザーの制服よりも剣道着がよく似合っている。
とてもじゃないが……彼が曽良と砺波と仲良く遊んでいる姿は想像できない。特に、曽良とは正反対に位置する人間のように思えた。
他の二人とはまるでタイプが違う。正直、彼が『もう一人の幼馴染』とは意外だった。
「状況がつかめないのだが」と、遠慮がちに口をはさんできたのは、帝南剣道部主将の針谷だった。銀縁眼鏡をくいっと上げ、渋い表情で和幸を見やる。「この美丈夫くんとは竹馬の友なのかい?」
堅い言い回しのわりに、その声は頼りなくか細い。本当に彼が主将なのだろうか。竹刀を一振りしたらその風で飛んでいってしまいそうだが。
和幸はしばらく曽良を睨んで黙っていたが、ふっとため息をついて針谷に振り返った。
「ちょっとした知り合いです」それだけ言って、和幸は頭にまいていた手ぬぐいを取る。「とりあえず、練習試合は終わりでいいんですよね。帰っていいですか?」
「あ、いや……そうだが……」
「アンリ、帰るぞ」
「え……もう?」アンリは大きな瞳をぱちくりさせ、ちらりと曽良を一瞥した。「てか、いいの?」
アンリも気づいているようだ。二人の『藤本』の温度差に。
「いいもなにも、俺らの用は済んだろ」
「そういうことじゃなくてさ。友達なんでしょ」
すると、和幸は一呼吸置き、
「もう縁は切った」
「え!?」思わず、鈴木が声をあげていた。「縁は切ったって——」
「もったいなぁい! こんなイケメン、めったにいないのに!」
そういう問題か。
話の筋をとんでもない方向へねじ曲げられて、鈴木は頬をひきつらせた。
「イケメンはね、映画にはキチョーな素材なのよ!? 今すぐ復縁して出演交渉、はい!」
「冗談じゃない。関わったところでイラつくだけだ」
「!?」
そこまで言うか!? 鈴木は目を点にして凍り付いた。
「まだこんなところで遊んでるとはな」脅すような低い声で言い、和幸は曽良をねめつけた。「いつになったらまともになるんだ?」
あたりは一気に温度が下がり、ずんと重力が増したようだった。
気まずい空気に、さすがの小賀葛の不良たちも黙り込んでいる。
鈴木の胃はきりきりと悲鳴を上げ、針谷は顔色を悪くして今にも倒れそうだった。唯一、アンリだけがカメラをしっかり構え、好奇心に瞳を輝かせていた。
「ああ、そうだ」ふいに、和幸は小賀葛の剣道部員たちに顔を向けた。くいっとアンリのビデオカメラを指差すと、「あんたたちがめった打ちにされている映像はしっかり保管しておく。消したかったら、正々堂々剣道で奪いに来ればいい」
ええ、と驚愕の声をあげたのは小賀葛だけでなく、帝南のエリートたちもだった。
「なめやがって!」と小賀葛の面々が騒ぎだす中、針谷は和幸にしがみつき、「ふ、藤本くん、何を言っているのだ!?」と震えた声を裏返す。
「なんで挑発するようなことを!?」
「挑発もなにも……剣道部なんだから、剣道で勝負するのは当然でしょう」
「そういう問題じゃないのだ! 彼らがビデオを奪いに来たら、また助太刀してくれるんだろうね? 例の約束は……」
助太刀? 例の約束? 押し殺した針谷の声が漏れ聞こえ、何の話だろうか、と鈴木は眉根を寄せた。
そのときだった。
「調子に乗るなよ、エリート野郎! 女みてぇに姑息なマネしやがって」
怒号を響かせ、体育館に姿を現したのは、ずっしりとした巨体の大男だ。岩のようなゴツゴツとした顔に、ウツボを思わせる小さくも攻撃的な目。そして、窓から差し込む夕陽に照らされた金色の短髪。学校指定の青いジャージが似合わないことこの上ない。
「金蠅先輩!」
わあ、と小賀葛の陣営から黄色——いや、黄土色の声援が上がった。
そう、さっき保健室で出くわした金蠅である。打撲がまだ痛むのか、首もとをおさえ、右肩をぎこちなく回している。
「き、金蠅!」
一瞬にして針谷が五キロほど痩せたような気がした。顔色を青くし、慌ただしく部員たちに「帰るぞ」と指示を出す。すると、若きエリートたちはさっと荷物をまとめ、脱兎の如く撤収を始めた。
「藤本くんも行くよ! 近江くんも、撮影はもういいから!」
針谷に必死に促され、和幸は素直に「はい」と身を翻す。
「行くぞ、アンリ」
「ええ!? イケメン紹介してってば」
「話聞いてなかったのか、お前は!?」
それでもしぶるアンリの腕をつかんで無理やり引っぱっていく。その背中を鈴木は複雑な表情で見つめていた。
—— 関わったところでイラつくだけだ。
思い出すだけで胃痛がした。
校舎裏で助けてもらったときは、穏やかで知的な人だと思ったのだが……。まさか、あんなセリフをさらりと口にするとは。それも、本人を目の前にして、だ。
鈴木はちらりと曽良の背中に視線を移した。
ずっと気にかかっていた。さっきからやけに大人しい。ずっと黙ったままだ。和幸とは違い、彼を『まぶだち』と呼んで、再会をはしゃいで喜んでいた。それなのに、いきなり竹刀を叩き込まれ、「縁を切った」とまで言われてしまったのだ。いくら曽良といえど、落ち込んで当然だろう。
鈴木は声もかけることもできずにうつむいた。
曽良が落ち込んでいる——なぜか、ひどくショックだった。
逃げるように去って行く帝南の慌ただしい足音と、ボスの帰りに活気を取り戻した不良たちの罵声と悪態。騒がしい体育館で、ぽつりと「参ったよ」と力無い声がした。
はっとして顔を上げると、曽良が頭をかいていた。やがてその手を止めると、曽良は重いため息を漏らした。
「いつから……」
「!」
消え入りそうな声だった。
——もう縁は切った。
衝撃的な『まぶだち』の告白が脳裏をよぎり、鈴木は眉を曇らせる。
「あの……藤本くん」と喉の奥から無理やり言葉を引っぱり出した。「あんまり……気にしないほうが……」
「そういうわけにもいかないヨ」
諦めたように言って、曽良はくるりと振り返った。その表情に笑みは浮かんでいるものの、いつもと違って陰があった。無理をしているのは一目瞭然。
鈴木は「ですよね」と苦笑するしかできなかった。気の利いたことが一つも言えない自分が情けなくてしかたない。
「最初は冗談かとも思ったんだけどね」
「……ですよね」
「ほんと……いつから開いてたんだろ、チャック」
「……」
なんと答えればいいのか。鈴木は悩ましげに眉根を寄せた。——って、待て。
鈴木はくわっと目を見開いた。
「チャックのはなしー!?」
——関わったところでイラつくだけだ。
ですよねー! と心の底から和幸に言いたくなった。