第十六話 まぶだち
「かっちゃんって……」鈴木は曽良に振り返り、目を瞬かせた。「知り合いですか?」
問いつつも、やっぱりか、と内心思っていた。砺波の友人である和幸が曽良と面識があっても不思議ではない。
「知り合いなんてもんじゃないよ」しばらく呆然としてから、曽良は懐かしむように微笑んだ。「兄弟同然の——そう、マブダチさっ!」
「まぶだち?」
そんな存在がいるとは今まで聞いたことはなかったが……。
「かっちゃーん!」
戸惑う鈴木をよそに、曽良はいきなり体育館に上がり込み、まっすぐに和幸へと向かって走って行った。
大手を振って向かっていくさまは、まさに小学生。肩にかけたランドセルがよく似合っている。
「……って、ちょっと、藤本くん!?」
思い出したように、鈴木はハッとして立ち上がった。
しかし、時すでに遅し。
不良とエリートの戦場をスキップで駆けていくイケメンの背ははるか彼方(に思えた)。ぴりぴりと緊張感がはしる防衛ラインをいとも簡単にまたぎ、友人のもとへと向かっていく。その姿は、政治とか権力とかそんなものを捨て去って、己の信念のみを信じて突き進む革命家のよう——に見えたのは、一種の現実逃避だろう。
どうしてこうも空気を読まずに思うままに行動してしまうのか。
それでなくても『定規王子』として目をつけられているというのに、敵であるエリートと内通していると思われればどうなることか。
ちろりと小賀葛陣営を一瞥すれば、不良剣士たちが獲物を狙うハイエナのごとく血に飢えた目で曽良を睨みつけている。思った通り、よろしくない雰囲気だ。
鈴木はぶるっと身震いして、その場に小さく縮こまった。
こうなっては鈴木になにができよう。首を突っ込むな、と忠告はした。精一杯やった。あとはもう遠目で見守るのみだ。
扉の影から曽良の様子を伺うと、ちょうど和幸の目の前で立ち止まり、手を挙げたところだった。
「ひさしぶり、かっちゃん」
暢気な声が、ざわつく体育館に響く。周りの不穏な空気には気づいてなどいないのだろう。
小賀葛陣営だけでなく帝南のエリートたちも困惑しているようだ。きょろきょろと顔を見合わせている。和幸は和幸で、小賀葛に『まぶだち』が居るとは誰にも言っていなかったに違いない。
「来るなら連絡してくれればよかったのにぃ」
「……」
「剣道部に入ったんだ? 意外だよ。部活はしないと思ってた」
「……」
「あ、そういえばケータイ壊れてるの? ずっと、メールが返ってこないからサ」
「……」
しばらく二人の『やり取り』を見守って、あれ、と鈴木は眉根を寄せた。
鈴木は曽良の背から焦点をずらし、その向こうで佇む和幸の様子を伺った。
「本当に……まぶだちか?」
思わず、つぶやいていた。
和幸は冷めた表情を浮かべてただじっと立っているのみ。その間にも曽良の一方的な『まぶだちトーク』は続いていたが、一言たりとも答えない。口はきっちりと締められて、緩みそうにもない。
人違いなんじゃないか、とさえ思い始めていた。——そんなときだった。
「おい、曽良」
ようやく、和幸が億劫そうに口を開いた。傍らで見守っていたアンリが、お、と瞳を輝かせてカメラを構える。
不思議と体育館は静まり返っていた。
その場にいる全員の注目が集まる中、和幸は厳しい眼差しで曽良を睨みつけ、
「チャック開いてる」
「えっ!?」
思わぬ言葉にぎょっとして下を向いた曽良。
その一瞬だった。
和幸の竹刀が急に目を覚ましたかのように弧を描いて空を斬り、曽良に襲いかかった。瞬きでもしていたら見逃していただろう、それほどの素早さだった。気づいたときには乾いた破裂音のようなものが木霊し、鈴木は——いや、おそらく全員が、あんぐりと口を開けて固まった。
あまりに突然のことに、何が起きたのかすぐには理解できなかった。
まぶだち流のスキンシップ? いやいや、と鈴木は頭を振って、慌てて飛び出した。
「大丈夫、藤本くん!?」
鈴木の角度からは曽良の後ろ姿しか確認できなかったが、竹刀がばっちり胴に入ったのは分かった。
心配して駆けつけると、曽良は左手を挙げて「大丈夫だよ、殿」といつもの調子で答えた。そして、くるりとこちらに振り返り、自慢げに掲げて見せたのは——。
「……あ!」
黒く輝くそれはまさしく、伝説の盾ランドセル。そういえば、鈴木も今朝、それに命を救われたのだった。
さすが、我らが『がっかりイケメン』だ、と鈴木は安堵するとともに苦笑した。野生の勘でも働いたのか、瞬間的にランドセルで竹刀を防いだようだ。
それにしても、ランドセルというのはここまで役に立つアイテムだったとは。高校生になった今になって感心してしまった。
「いきなり、何するんだよぉ」ランドセルを足下に放り投げ、曽良は和幸に向き直った。「もし、俺がランドセル持ってなかったらどうするつもりだったのサ?」
「いや……なんでランドセル持ってるんだよ」
最もだ、と鈴木は思わず頷いていた。
「相変わらず、ふざけたことばかりしてるんだな、お前は」
和幸は呆れたように顔をしかめ、竹刀を下ろす。
と、その動きを追っていた鈴木の目にあるものが飛びこんだ。
見開かれた鈴木の目に映るもの。それは、波打ちひらめく和幸の垂ネームだ。そこに縫われているのは「帝南 藤本」の文字。
「藤本……藤本和幸……?」
その瞬間、脳裏によみがえったのは、中学卒業を間近に控えたある日の曽良の言葉だ。
——実はさ、今は『ダブル藤本』なんて呼ばれてるけど、昔は『藤本トリオ』て言われてたんだ。
そう。曽良から聞いたことがあったのだ。曽良と砺波……そしてもう一人、藤本という苗字の幼馴染がいたということ。たしか、『疲れた』との言葉を最後に別の中学に進み、その後、音信不通になったのではなかったか。
思考を覆っていたもやがぱあっと晴れたようだった。爽快感さえ覚えるほどの確信を得ていた。
間違いない。
鈴木は瞬きも忘れて和幸を直視し、ごくりと生唾を飲み込んだ。
彼は——藤本和幸こそ、もう一人の……『幻の幼馴染』だ。