第十五話 エリート剣士
「ぎゃあ」
体育館にパシンと軽快な音が響き渡り、情けない悲鳴が響き渡った。
ジャージ姿の少年の頭に竹刀が叩き込まれたのだ。幸運なことに——というのも妙だが——面だけはかぶっていたために額への直撃は免れたようだ。それでも、「いってー!」と叫ぶと、うずくまって慣れない手つきで面をはずした。
「んだよ、これ!」汗だくの顔をあらわにするなり、少年は面を投げ捨てた。「結局痛いじゃねぇか! 暑苦しいだけで……」
顔を真っ赤にして文句を吐き散らしていた少年が、突然ハッとして口をつぐんだ。まるで幽霊の気配でも感じ取ったかのように。
少年はごくりと生唾を飲み込み、こわばった表情でおずおずと顔をを上げた。すると——、
「じゃ、今度は直で受けてみるか? 違いが分かるだろ」
そこには一人の剣士がいた。
防具と剣道着に身を包み、竹刀を片手に凛と佇む立ち姿。剣豪を思わせる重々しい雰囲気を漂わせ、物見の奥で鋭く目を光らせている。
やがて、剣士はすっと摺り足で少年に一歩近づくと、おろしていた竹刀をゆらりと構え直した。
ついさっきその竹刀を額に受けたばかりだ。身体がその恐怖を覚えているのだろう。少年は血相変えて背面歩きで後退った。
「いや、大丈夫っす! 面、最高! 面イエーイ!」
面を讃えながら陣地へ逃げ帰ってきた彼を迎えたのは、がたいのいいジャージ姿の少年たち——小賀葛高校の剣道部員である。
「早ぇよ! なにしてやがんだ!?」
「瞬殺じゃねぇか!」
「もう少し粘ってこいや!」
口では威勢良く責め立ててはいるが、すっかり逃げ腰になっている。敗者の印ともいえる痣が、それぞれ身体のあちこちに刻まれていた。
「偉そうに言える立場か、てめぇら!」
「んだと!?」
今にも仲間割れが始まらんとしている小賀葛陣地——一方、その向かいでは、剣道着を着た少年たちが一列に並んで姿勢よく正座していた。踵を返して戻ってくる剣士を待ち構える面々の表情には、余裕と優越感が滲み出ている。勝者のそれだ。
「すばらしいよ!」
我慢できない、といった様子でそのうちの一人が立ち上がった。ひょろりともやしのような体型をした眼鏡の男だ。長方形の角張った顔をして、肌はおしろいでも塗っているかのように白い。ひらりと揺れる垂ネーム(剣道着の前に垂らしたゼッケンのようなもの)には、「帝南 針谷」の文字が縫われている。
「ようやく、先輩たちの仇がとれたというものだ。感謝する」
物々しい言い回しのわりに、気が抜ける張りの無い声だ。それでも、他の帝南剣道部員の胸には強く響き渡ったらしく、じっと座っていたひ弱そうな少年たちは一斉に歓声を上げた。
「いつもでたらめな『剣道』で泣かされてきたからな」
「ひどいときには、『小賀葛ルール』とか言って、ジャンケンで負ければ竹刀で一発芸。『竹刀で一発芸シナイ?』なんて言わされてさ」
「去年なんか、竹刀と面で『叩いてかぶってジャンケンポイ』を強要されて……」
「弱小の俺らとの練習試合に応じてくれるのはここくらいだから、断るわけにもいかないし」
口々に胸のつかえを吐露する帝南のエリートたち。そんな彼らの積年の想いを背負って、針谷は「ありがとう!」と戻ってきた剣士の両手を小手の上から握りしめた。
「いえ……」と剣士は戸惑ったような声を漏らす。面の奥のひきつった表情が目に浮かぶようだ。
「カット!」
甲高い声を弾ませ、そんな二人の間にぬっと現れたのはショートヘアの小柄な少女だった。右手に持ったビデオカメラを針谷に向け、くりっとした大きなつり目を輝かせる。
「ではでは、針谷主将! 勝利の一言を」
「や、やめないか、近江くん!」と針谷は耳まで赤くして、蚊でも追い払うように顔の周りで両手をぶんぶんと振り回した。「ぼ、僕に、被写体としての価値は認められないのだ」
「なに言ってるんですか、主将。照れないでくださいよぉ」
「もう十分、『素材』は撮れたんだろ。カメラ止めろ、アンリ。針谷先輩を困らせるな」
ため息混じりに言って、剣士はおもむろに面に手をかけた。
アンリは「はーい」とカメラを胸に抱き、嬉々とした様子で微笑んだ。それから、内輪もめを始めている対戦高校の部員たちに顔を向け、「えーと」と思い出すように数え始める。
「面二回、小手二回、胴一回……だっけ。あ、『突き』が撮れてない」
アンリはくるりと振り返り、剣士に「ねえ」と甘えた声でねだるように頭を傾げた。
「『突き』だけ撮りこぼしが——」
「冗談言うな」すかさず一蹴し、剣士は面をはずしてアンリを睨んだ。「あんな素人相手に危なくて出来るか」
一部始終を体育館の扉の隙間から見ていた鈴木は息を呑んだ。
スパルタ教師のごとく、次から次へと不良連中を竹刀で打ちのめしたエリート剣士。その面の下には、見覚えのある顔が隠れていたのだ。
際立った特徴はないが、品が漂う落ち着いた顔立ち。冷めているかのようにも見える理知的な眼差し。頭に捲いている手ぬぐいのせいで、髪は隠れているが……。
背丈も普通。特別容姿が優れているわけでもない。なのに、なぜか憧れの念を抱いてしまう。——そんな不思議なオーラがある少年。
やっぱり、そうだ。
鈴木は思わず口を開いた。
「あれは、かず——」
「かっちゃん……」
鈴木は、え、と眉をひそめた。ぽつりとこぼれた声は、鈴木のものではなかった。
ちろりと隣に目をやると、啞然として体育館を見つめている曽良の姿があった。
「『かっちゃん』?」