第十四話 エリートくんに会いに行こう
「ウチに剣道部なんてあったんですね」
金蠅のシップ探しを手伝ってから、鈴木は曽良とともに保健室をあとにした。廊下に出るなり鈴木が漏らした本音に、曽良が隣でくすりと笑った。
「剣道部、て名前のたまり場があるだけじゃないかな」
「あ……なるほど」
曽良と並んで歩きながら、鈴木は頬を引きつらせて中学時代のことを思い出した。
鈴木と曽良の中学にはラグビー部が存在していた。ガラの悪い連中が集まり——よっちゃんやはるちゃん、白井さんもその一人だった——部活動といえば、部室であやしげなオーラを発しながら語らうことくらい。彼らがラグビーをしている姿を見たものは誰一人としていなかった。
「確かに、剣道着も着てませんでしたしね」
しかし、練習試合でよその高校を呼んでおいてジャージ姿とは、失礼すぎやしないだろうか。それも、礼儀を重んじる剣道で……。
いや、と鈴木は思い直す。
——『年に一度、堂々とガリ勉を辱められる』てだけのイベントだったんだが……。
金蠅の言葉を思い出し、鈴木はため息をついた。
失礼とかいう以前の問題か。おそらく、小賀葛の剣道部員は『剣道の練習試合』という自覚さえなかったのだろう。
帝南も断ればいいものを……。
「にしても、気になるよね」
ふいに、廊下に曽良の弾んだ声が響いた。
「なにがですか?」
「エリートの下克上だよ」くるりと鈴木に振り返り、曽良は爛々と輝かせた茶色い瞳を向けてきた。「どんなエリートが金ちゃんを保健室送りにしたのか、気にならない?」
「むやみに首をつっこむものじゃないですよ。ただでさえ、藤本くんはすぐ問題を起こすんですから」
そして、その火種は必ずや鈴木に降り掛かるのだ。想像するだけで頭痛がして、鈴木は眉間に皺を寄せた。
「第一、今だってこの辺りの不良に狙われてるんですよ? もう少し、自覚を持って行動してください」
「なに言ってるのサ。自覚があるからこそ、こうして変装道具を持って来てるんじゃないか」
自慢げに曽良が掲げたのは黒いランドセルだ。砺波の命令……いや、アドバイスを受け、鈴木が教室から持って来たものである。
鈴木は呆れ返って、憎らしくランドセルを睨みつけた。
「だから、それは変装にはなりませんって。今日だけにしてくださいよね」
すると、曽良はぽかんとして黙り込んでしまった。ふっと視線を逸らしてなにやら考えこんだかと思えば、急に立ち止まり「ああ、そっか」と間の抜けた声を漏らした。
「殿は俺がランドセル背負ってるのを見るのが嫌なんだっけ」
鈴木はハッとして足を止めた。
ちょうど、下駄箱の前まで来たところだった。
そう。——ちょうど、今朝、鈴木が曽良に本音をぶつけてしまった場所だ。
——皆の前で藤本くんがランドセル背負ってるのを見るのが嫌だったんです。なんで、そんなもったいない生き方してるんですか。見てるこっちがつらくなりますよ。
曽良のことだから、気にしていないのだろう、と思っていたのだが……。
「いや、あれは」と、鈴木は焦って振り返る。「悪気はなくて、ただ……」
「なに慌ててるの。別に気にしてないよ」
あっけらかんと笑って、曽良は鈴木の横を通り過ぎていった。
「逆に懐かしかったくらいでさ」
「懐かしい?」
曽良を視線で追いながら、鈴木は訝しげに眉根を寄せた。
「そ」曽良は下駄箱から靴を取り出し、ぽいっとそれを放り投げた。「昔、同じようなことをガミガミ言ってくる奴が居たからねぇ。もっとまともに生きろ、だどーのと……」
曽良の視線は足下に転がる靴ではなく、腕に提げているランドセルへと向けられていた。懐かしむような、でも寂しそうな眼差しで……その哀愁漂う横顔は、『へえ』なんて一言で流せるものではなかった。
「それ……誰なんですか?」
遠慮がちに訊ねると、曽良はいつもの暢気な笑みで振り返った。
「幼馴染」
「幼馴染って……」
思い浮かぶのは、一人の少女。そしてぞっと背筋に走る悪寒。思わずぶるっと身震いして、鈴木はこれ以上は聞くまいと思った。
確かに、曽良にうるさく文句つけるような人間は彼女くらいしかいないだろう。『昔』とか『懐かしい』という言葉が気になったが……今よりも口が悪かったということだろうか。
「って、あ!」
そうだ、と鈴木は曽良に駆け寄った。彼の幼馴染といえば……。
「藤本さん、おつかいがあるから先に帰る、て言ってました。教室でしばらく待ってたみたいですよ」
「先に帰った? ああ……そっか。おつかいか」
曽良はあっけにとられたように目を瞬かせ、しばらくしてからにんまりと笑んだ。
「それなら、時間はあるね」
「はい?」
生き生きと輝きだした曽良の瞳に、鈴木は嫌な予感がして後じさった。
「エリートくんに会いに行こう!」と声を弾ませるなり、曽良は意気揚々と靴を履き替えだした。「殿の恩人も帝南なんでしょう? てことは、きっと練習試合に来てる剣道部員さ」
「そう……だと思いますけど」
「じゃ、お礼もかねて観に行こう」
ぐいっと身を乗り出して誘ってくる曽良は、まるで夏休みの小学生だ。溌剌とした様子で好奇心が表情に現れている。
無闇に首をつっこむな、と忠告したのはついさっきのことなのだが……。どうしても、エリート軍団が気になるようだ。
やれやれ、と鈴木はため息をついた。
この様子では、放っといてもどうせ曽良は一人で遊びに行ってしまうだろう。これ以上、帝南のお客様たちに失礼があってもいけない。曽良が馬鹿なことをしでかすようなら、自分が止めなくては。
それに……と、鈴木は無意識に頬を緩めていた。確かに、せっかくまだ小賀葛にいるというのなら、きちんとお礼を言いたかった。和幸という少年に。
鈴木は諦めたように苦笑し、「分かりました」と曽良の誘いに乗った。
曽良と和幸の関係など、知る由もなく——。