第八話 昼休みの座談会
この間の抜けた声は……と、鈴木が振り返ると、やはりへらっと微笑むイケメンがいた。両手に焼きそばパンとカツサンドを携え、歩み寄ってくる。そのさまは、まるでパリでフランスパンを片手に歩く紳士のよう。
「ヨシオたちも来てたんだ」
「ヨシオじゃねぇって言ってんだろ!?」
「おそくなってごめんねぇ、殿。焼きそばパンでよかった?」
ヨシオ……よっちゃんの怒号には無反応で、曽良は抱えていた焼きそばパンを鈴木に差し出した。
「ありがとうございます」と鈴木は用意していた代金を曽良に渡して、パンを受け取る。「いつもすみません。パン買ってきてもらっちゃって。ぱしってるみたいで気が引けますよ」
「なんで? 購売なんてすぐそこだよ?」
「いや、そうなんですけど……」
本当に気にもとめていないのだろう。曽良はけろっとした様子で隣の机に腰かけ、カツサンドの袋を開けた。
その様子を見守っていた不良三人組は顔を見合わせ、眉根を寄せる。
「おいおい」と最初に戸惑いの声をあげたのは、よっちゃんだった。「なんだよ、それ?」
「なにが?」
パンをかじろうと開けた口で、曽良は不思議そうに聞き返した。
「焼きそばパンとカツサンドだと!? 『購買の至宝』と呼ばれる幻の代物じゃねぇか」
「昼休み開始二分で売り切れるって噂だぜ? どうやって手に入れたんだ?」
はるちゃんと白井さんも曽良のカツサンドをぎらついた目で睨みつけている。飢えた野獣のような眼差しだ。
「どうやってって……購買のおばちゃんがとっといてくれるんだよ」
当然のように答え、曽良はカツサンドをかじった。
よくも、この空気で食べれるものだ、と鈴木は感心すら覚えた。
ただ焼きそばパンを手に入れただけだというのに、なんだこのプレッシャーは? 袋を開けることすらためらわれる。放課後、担任にこっそりジュースをおごってもらったところを同級生に目撃されたような気分だ。
「とっといてくれるって……なんだよ、それぇ!?」よっちゃんは青筋を立て、勢いよく立ち上がった。「お前、購買のおばちゃん、たぶらかしてんじゃねぇよ! イケメンだからって好きなパン食っていいと思ってんのか!?」
「どういう偏見なの?」
「俺なんかなぁ、蒸しパンしか買えないんだぞ!?」
よっちゃんが蒸しパン片手に歩いているのをよく見かけるのはそういうわけだったのか、と鈴木は思い返す。
「てめぇ、鈴木!」急によっちゃんの怒りの矛先が鈴木へと向けられた。「お前、こんな方法で焼きそばパンを手に入れて、嬉しいのかよ!?」
「いや……嬉しいです」
鈴木はぼそりと正直に答えた。これくらいの特権、イケメンの『舎弟』として許してほしいものだ。
「もう分かったよ。ヨシオの分も、明日もらってきてあげるからサ」
突然の申し出によっちゃんは「え」とリーゼントを震わせて振り返った。ほんのりと頬が赤らんでいる。
「べ……別に、俺は……そういう意味で言ったんじゃねぇけどよ……お、お前がどうしてもって言うなら、もらってやっても……」
「じゃ、どうしても」
曽良はにこりと屈託の無い笑みを浮かべた。女子生徒がいたなら、失神していたであろう、イケメンスマイルだ。
よっちゃんは「好きにしろや」といじけたようにそっぽを向いた。しかし、緩む頬は隠せない。まんざらでもないようだ。
丸く収まったかな。これでようやく安心して焼きそばパンを楽しめる、と鈴木は袋に手をかけた。
曽良も満足げに微笑み、
「楽しみにしててね。蒸しパン」
「結局、蒸しパンじゃねぇか!」
げっそりとする鈴木の傍らで、再び、よっちゃんとイケメンの口論が始まるのだった。
* * *
「で、妹ができたんだ、ハルジオン?」
カツサンドを食べ終えた曽良は、ぱんぱんと手をはらって机の上であぐらをかいた。
「なんだよ、ハルジオンって? 『追憶の愛』かよ」
もはや、曽良に振り返ることさえ億劫なようだ。はるちゃんはチッとつまらなそうに舌打ちした。
「いいじゃないか、妹」
「てめぇに何が分かるんだよ。血もつながってねぇ妹なんだぜ」
「分かるよ。俺だって、血のつながらない兄さんいるし」
すると、はるちゃんは「え」と振り返った。今度は興味をそそられたらしい。
「そうなのか?」
「初耳です」と鈴木も身を乗り出した。「どんな人なんですか?」
「見た目はちょっとチャラいんだけど」照れたように曽良は苦笑した。「夢を与える仕事してるよ」
へえ、とさすがのよっちゃんも感心したように目を輝かせた。
「夢……ねぇ。格好いいじゃねぇか。どういう仕事なんだよ?」
待ってました、と言わんばかりに曽良はにこりと微笑んだ。
「女性に一夜限りの夢を与える仕事」
「……」
チャラいはずだ。
深入りするのはよそう、と誰もが思った瞬間だった。
「それより」よっちゃんは気を取り直すように咳払いをした。「お前、どうするつもりなんだ?」
「何が?」
「何が、じゃねぇ。番長に呼び出されたんだろう? 袋だたきにあうんじゃねぇの?」
「ああ、そのこと。大丈夫サ。なんとかするよ」
さらりと軽く流し、曽良は机からひょいっと降りた。
「なんとかって……相変わらず、適当な奴だな。手貸してやろうか?」
曽良を心配しているのは言葉だけ。曽良のピンチをおもしろがっているのは、よっちゃんの表情と声色から明らかだ。
「思ってもないことを言うねぇ」
曽良は悩ましげに眉をひそめ、唇の片端を上げた。
「有り難いけど、遠慮しとくよ。デートのお誘いらしいからね。なるべく傷つけないようにお断りするだけさ」
「愛の告白、てやつか。なるほど、それなら手出し無用だな」
よっちゃんは呆れたように鼻で笑った。
曽良は肩を竦めて応え、身を翻す。
「おい、どこ行くんだ?」
はるちゃんが訝しそうに訊ねると、曽良は背中を向けたままひらひらと手を振った。
「頭がぼうっとするから保健室行くよ」
遠ざかる背中を見送りながら、鈴木は、またか、と呆れてため息をもらした。
「なんだよ。結局、ビビってんじゃねぇの?」
バカにしたように笑うはるちゃんに、鈴木は「違うよ」と水を差す。
「満腹で眠くなっただけでしょう」
「は?」とはるちゃんは半分しか無い眉を寄せた。「自由すぎだろ」
「相変わらず、がっかりな野郎だな」
頭をがしがしとかき、よっちゃんはおもむろに立ち上がる。
「ま、安心しろや、鈴木。あの様子じゃ、放課後はやる気なんだろ。少なくとも、あいつはお前をがっかりさせたりしねぇよ」
「……そうですね」
言葉ではそう返しつつも、鈴木の心配は違うところにあった。
曽良が自分を裏切り、放課後をすっぽかす。――そんなことはまず起きない。心配なのは、その結果だ。さっきの会話から、よっちゃんの言う通り、曽良がやる気なのは確実。なるべく傷つけないようにする、とは言っていたが……曽良も相手も、お互い無傷で済むはずはない。
どうするべきか。いや、自分じゃどうにもできない。
どんよりとした気分でぼうっとしていると、視界の端でコンコンと机を叩くよっちゃんの拳が見えた。
「んじゃ、またな」
「あ」思い出したように振り返ると、すでによっちゃんはこちらに背中を向けて歩き出していた。「ありがとうございました」
昼休みの終わりが近づき、荒れ始めた不良たちの波に消えていく三人の背中。それをぼうっと見つめて、鈴木はふと気づいた。
そういえば、白井さんは一言も会話に混ざってこなかった。やはり、いまいちなじめていないのか。