413、強くて寂しい生き物と、弱くて繋がる生き物 W
魂の片割れ、という概念がある。
この世界に生まれるものは、魂を二つに分けて生まれてきて、その分かれた魂の片割れに出会えば愛さずにはいられないという。種族も、性別も、年齢も関係ない。本人たちにしかわからない。けれど、出会えばすぐにわかる。
だからみんな、欠けた魂を埋める存在を捜している。
・全ての生物は魂を欠けさせて生まれてくる。その欠けを埋めるものを、恋や愛という。本当に分かたれた片割れでなくとも、似た形であれば埋まったような心地になるかもしれない。世界は広いから、出会えるとも限らない。
・魂の片割れが、同じ種族として生まれるとは限らないし、同じ時に生まれるとは限らないし、異性として生まれるとも限らない。恋人として当然に認知されうる二人として生まれるとは限らない。でも、絶対に出会えない生まれ方だけはしない。ほんのひと時だけでも、重なりうる時がある。魂の本当に満たされうる時がある。
・場合によっては血縁として生まれることだって勿論ありうる。老人と孫みたいなのもありうる。
・魂の片割れだからといって、恋人関係になる、それを求めるとは限らない。愛の形はそれぞれに違う。
・けれど、たまに、魂に欠けなく生まれるものもいる。欠けがないからそれを埋めるものを探す必要なく、一人で生きていける。他者を愛する必要のない、強くて寂しい生き物。恋も愛も必要ない、孤高の存在。本人はそれで不足を感じない。
・別に、魂の片割れと出会って結ばれなきゃいけないわけじゃない。寧ろ、出会えない、結ばれないことの方が多い。だから、片割れを見つけたものに対する周囲の反応は祝福か嫉妬の二極化しやすい。自分の寂しさと向き合えない者ほど嫉妬する。自分が満たされないのに他者が満たされるのが許せない。自分が満たされていないことを肯定したくない。
・基本的に、魂の片割れというのは二つで一組である。三つ以上に分割されると、欠落が大きすぎて生物としても欠けてしまう。感情が欠けたり、身体が欠けたり、寿命が欠けたりする。悪くすれば転生すらできず砕けて消える。
・肉体のある内は魂同士で触れ合うことはできないが、片方ないし両方が死ねば、魂で直に触れることができる。そして埋めあって欠けのない一つになるものもいる。そんな二つだった一つが転生して欠けのない一つとして生まれるともいわれる。
・欠けのない形は、それぞれに違う。だから、他から見ると欠けのある形に見えるかもしれない。本人や周囲に欠けと見えるものが、欠けではなく元からの形だということもありうる。魂の形は真ん丸というわけではない。
・魂が欠けているから、一人では生きられない。孤高ではいられない。欠けを埋めてくれる他者が欲しい。愛されたい。
・恋は、本質的には錯覚だ。己の欠落を埋めてくれる相手だと勘違いするのだ。だけど、二人で生きている内は、完全に魂の欠落を埋めることはできない。完全に埋めるには、一人にならなくてはならない。二人が一つにならなくてはならない。
・片割れでないのなら、魂で触れ合っても本当に一つになることはできない。魂を歪なキメラにすることはできない。そうなったら、片割れと欠けのない一つになれないからだ。四つの欠けた魂が不幸になることになる。だからできない。
・死んだものは生き返らない。一つになった魂を元の二つに分けることはできない。別の二つにはできる。
・欠落なく生まれた魂は輪廻の輪を抜け涅槃に至る。輪廻は欠けのない一つに至るための旅である。
・魂は生き物に宿る。無機物に宿ることは自然にはないが、魂を無機物の中に封じ留めること自体は可能。
・魂の片割れがこのせかいの生きとし生けるものの中にいるかどうかは、センシティブなものならわかる。喪われた瞬間を知覚するものはそこそこいる。生まれたことがわかるものもたまにいる。
・転生の感覚はそれぞれ違うが、同一時間軸上で転生しているとは限らない。浦島現象というやつ。基本的に死んで即転生して新しい命に宿るということはない。ワンクッション挟まる。