384、理性と感情 W
世界観的なのになるのか?
「彼らの生存は絶望的です。二次災害、三次災害が発生する前に退避するべきです」
そう冷静に言い放った彼女は、しかし、ぼろぼろと大粒の涙をこぼしている。その涙は、言葉よりも雄弁に彼女が彼らを見捨てる事を嫌がっていることを主張していた。だが、それでも彼女は、"理性的に"主張する。
・人造人間症候群という奇病がある。ざっくり言うと、一種の二重人格である。その人間の理性と感情が完全に乖離し、互いの意思疎通というものができなくなる。結果、理性的な判断と、感情的な判断のいずれかしかできなくなるのである。但し、人格の交代が発生する程の"人格"を劣勢の性質が獲得できない事も多く、実際の行動としてはどちらかに固定される事が多い。アンドロイドシンドロームという名前は、この内理性的な判断しかできなくなった人間の様子がまるで心を持たないアンドロイドの様に見えることからつけられたものである。元来は理性優位の者に使われる言葉で、感情優位の者も同一の病とは思われていなかった。
・理性と感情は乖離するだけであり、どちらかが失われるというわけではない。このため、ASの患者は言動の不一致が見られる事が多い。劣勢の性質が無意識領域を動かすのである。また、感情にしろ理性にしろ、両極端になることが多い。これは、普通の人間は感情と理性がせめぎ合い、バランスを取って行動を決める事になるからだろう。感情的な人間も、理性的であろうと努めている人間も、そうでない判断が全くできない訳ではない。感情で/理性で、判断を押し切っているだけである。だがASにその葛藤はないのだ。
・ASは脳機能障害であるようだという研究結果も上がっている。脳における、理性を司る部分と感情を司る部分が、断絶している事が原因だと。この断絶を繋げることができれば、ASの治療に繋がるのではないか、と期待されている。但し、物理的に断絶していることも多く、治療は困難である。
・理性は感情に対して不理解であり、感情は常に衝動的である。感情優位のASは論理的判断が困難だ。理性優位のASは他者との意思疎通に齟齬を生じやすい。いずれにしても妥協が出来ない事も多い。この辺りは患者の元来の性格も影響してくるだろうが。協調性は失われる事が多い。
・理性優位のASが感情に対して理解を示しているように見えることもあるが、これは大抵の場合経験則であり、理性が感情を解しているわけではない。また、不安が感情に属する分野だからか、独善的で己の判断に疑問を持たない事が多い。間違いを指摘されればきちんと考えるのも感情に左右されない理性ならば十分起こり得る行動だが。しかし、感情的な行動をしないとは限らない。あくまで判断する意識の話である。
・感情優位のASは刹那的で反射で行動しているようにも見える。理性的な判断は一切できないのだから当然だ。かといって、簡単に騙せるとも限らない。理性がない分、動物的な勘が働く者もいるのである。また、騙せたとして、理性による判断が出来ない以上、思う様に行動してくれるとは限らない。即物的で目先の判断しか出来ないのである。凶暴なものばかりというわけではないが、そういう傾向があるのは間違いない。
・ASは意識が劣勢の性質の思考を認識できなくなるだけであるため、劣勢の思考自体は発生している。そしてその思考は黙殺され否定される事が多い。その事が無意識のストレスとなる事も多く、高ストレスが別の神経症や精神病を引き起こす事もままある。本人がそのストレスをきちんと知覚出来ないケースが殆どであるため、治療は困難である。また、悪循環も起こしやすい。
・AS患者が己をASだと自覚できるかどうかは個人による、としか言えない。だが、理性優位の場合はその性質故に説明されれば理解できることも多いようだ。ASを個性の一つとして捉えようと主張する"人道団体"も存在するが、AS本人がそう主張するケースは皆無である。