Bパート 友情? 愛情? 勝負の行方――プールの決戦!
市民プール人魚騒動から一週間程が過ぎ、勝負まであと数日となった。お昼休みも中ほど、既に校庭には、かき込むようにお昼を平らげた男子生徒がサッカーなどに興じて、歓声が上げていた。美奈子は炎天下の中、よくやるものだと半ば感心したが、そういう自分もつい一月半前までは、あの中に混じってボールを蹴っていたことを思い出し、なんだかとても奇妙な感じを覚えながら、食べ終わった弁当箱を洗って、巾着袋にしまい込んでいた。
「……らせさん」
美奈子は少し、ボーっと夢のようなもやの中を彷徨っていたところを誰かに呼びかけられ、ハッとして、我に返った。
「白瀬さん?」
もう一度呼びかけられたが、今度はその中に怪訝な響きが含まれていた。
「え?! えと、なんだっけ? 丹羽さん」
美奈子は取り繕うように、にっこり微笑んで返事した。大抵の場合はこれで丸く収まる。和久から美奈子になって習得した技である。
「もう! 人の話をちゃんと聞いてないの? 上田さんは泳げるようになったかって訊いたの」
もっと、文句を言いたいだろうが、少し顔をしかめただけで、丹羽は美奈子にもう一度同じ質問を繰り返した。
「うん。顔を水につけれるようにはなって、この間から、ビート板とかで練習も始めてるし、今でも7、8メートルなら何もなしで泳げるわよ。でも、まだ息継ぎができないの。だから、三日後までに25メートル完泳は無理かもしれない」
色々と突っかかってくる彼女に美奈子としてはちょっとうんざりしていたが、一応、こっちの心配をしてくれているのだから邪険に扱うわけにもいかず、素直に進行状況を話した。
「あ、当たり前でしょう! 先週まで1メートルはおろか、顔も水につけれなかったのよ、上田さんは!」
「そうだね。でも、人間、頑張ればなんだってできるんだね」
美奈子は頑張っている恵子を思い出し、嬉しそうに言い返した。
「だけど、7、8メートルじゃ、今回の勝負、勝ち目はないわよ。どうするつもり?」
「勝負はやってみなくちゃ、わからない。もしかしたら、今日、息継ぎできるようになるかもしれないし、できなくても、勝負の日までに泳げる距離が伸びれば何とかなるから」
せめて、15メートルまで。心の中で美奈子は付け加えた。もっとも、現在の二倍の距離を泳げるようになるのはかなり難しいことはわかっていたが。
「そんなの、希望的観測ってやつでしょ。もし負けて、罰ゲーム、どうするつもり?」
心の声が聞こえなくても充分、それが無茶なことは誰でもわかっていた。
「もちろん、罰ゲームはやるよ。勝負だもん。泣いて許してもらうつもりはないよ」
美奈子はきっぱりと言い放った。あまりにも思いっきりよく言い切られて丹羽はしばらく喋る言葉を失っていた。
「はあぁぁ、負けた時、罰ゲーム無しにしてもらうように頼んであげようと思った私が莫迦みたいだわ」
額に手を当てて頭を振って溜息をついた。
「丹羽さん。頼んでくれるなら、ヨーコちゃんや恵ちゃん、それに里美と美穂ちゃんのバツゲームを勘弁してくれるように頼んでくれないかな? もともと、私、個人的な勝負だから」
美奈子は真剣な顔で丹羽を見つめた。
「……あなたって、時々、変に男らしいわね」
彼女は呆れた表情で美奈子を見返して、素直な感想を口にした。
「え? ええと……それがいい女の条件ってものよっていうのが、お母さんが教えなの。それで、お願いできるかな?」
ちょっと狼狽しつつも、なるべくかわいく、もう一度お願いした。
「……ふぅ、わかったわ。頼んであげるわよ。まったく、あなたって人は――」
「ありがとう、丹羽さん。恩に着るよ」
何か言われる前に先手必勝と美奈子はにっこり笑ってお礼をいった。
「っ! あ、あなたのためじゃないからね! 私はあくまで、ヨーコちゃんたちの――」
彼女の笑顔に思わず顔を赤くした丹羽は怒鳴るように言い返した。
「わかってる、わかってる。それじゃあ、よろしくね」
美奈子はすでに踵を返して、水飲み場を離れ、軽快な足取りで教室に戻っていっていた。
「また、白瀬さんにちょっかいかけていたのか? 丹羽さんも、飽きないねぇ」
美奈子の後ろ姿をボーと眺めていた丹羽は、ひょっこりと水を飲みにやってきた前畑に突然、声をかけられて狼狽した。
「ち、違うわよ! 前畑君には関係ないでしょっ!」
「ん? どうしたんだ? 顔が赤いけど――ふっ、俺に惚れてもらっちゃ困るなぁ。俺には心に決めた人が――」
「バカ! あんたなんかに誰が惚れますか!」
「でも、白瀬さんには惚れちゃうんだよね」
「な、なに言ってんのよっ! そ、そんなわけないじゃない!」
「白瀬さんも大変だ。野郎にも女子にも両方から惚れられるとはね」
「だから、違うって言ってるでしょっ」
「はいはい。そういうことにしておきますよ。まあ、安心してていいよ。バツゲームはひどいものするつもりはないから」
「当たり前よ。というより、普通、勝ってもバツゲームはしないわよ。あなたたち男でしょう?」
「俺はそれでも構わないけど、それじゃあ、白瀬さんたちのプライドはズタボロだよ。丹羽さんだって、そうだろ?」
「だ、だけど!」
「まあ、まだ、俺たちが勝つと決まったわけじゃないし、勝っても負けても後腐れないようにってのが一番だろ? だから――」
前畑は丹羽の耳元に口を近づけて、何か囁いた。それを聞いて、彼女はあからさまに、顔をしかめた。
「あなたって――」
「最高だろ? だから、白瀬さんたちを一生懸命、応援してやれよ、丹羽さん」
得意げな笑顔で前畑はそう言ってその場を後にした。
日は高いので、まだ周囲は明るいが、放課後からずっとプールにいた美奈子たちは体温を奪われて、連日の疲れも貯まっていることもあり、明日に備えて特訓を切り上げる事にした。
「いよいよ明日ですね。ドキドキしますわ」
「うん、そうだね。恵ちゃんもよく頑張ったよね」
「でも、結局、息継ぎができないから、12、3メートル泳ぐのがやっとだし、目標の15メートルに足りないし……」
足をついた地点から5メートルバックして再スタートというルールだと、15メートル以上泳げれば、余計に泳ぐ距離は5メートルと歩く距離は5メートルで、合計35メートル。ハンデを15メートル取れる。が、それ以下だった場合、二回足をつくことになるので、そうなれば、10メートルも余計に泳いで、10メートル歩かなければならなくなり、合計45メートルとなって、ハンデはたったの5メートルになる。
もし、15メートル泳げても、何とか泳げるだけの恵子のスピードはハンデ15メートルでもあっさりと抜かれ、男子の第二泳者が10メートルほど泳いだ時点で、第二泳者の美穂にバトンが渡ると予想していた。リードで言えば15メートル。もし、二回足をつくことになれば、美穂の時点でリードどころか、2メートルぐらい遅れてスタートになる計算になる。
「みんな、……ごめんなさい」
恵子は奥歯を噛みしめて、俯いた。
「恵ちゃん、まだ、負けたわけじゃないって。リレーなんだから、あとの私たちを信じて自分の仕事をする。それ以上でもそれ以下でもないわよ」
「美奈子ちゃんの言う通りですわ。今からしょぼくれていては勝てる勝負も勝てませんわ」
「大丈夫、僕に任せて。2メートルなんて、いいハンデだよ」
里美がポンと恵子の背中を叩いた。
「恵ちゃん、私、正直なところ、勝負までに泳げるようになるのは無理だと思ってたの。だけど、ここまで頑張って、少しでも泳げるようになったんじゃない。それだけで充分。明日の勝負は楽しみましょうよ」
「……うん」
「おじさんも見に来るんでしょ? 恵ちゃんの勇姿を見せてあげなくっちゃね」
「うん」
「それに、加藤君の鼻もあかさなくっちゃね」
「うん。あたし、頑張る」
恵子はぐっと拳を握りこんで決意を固めた。
一ノ宮中学のプールには観客席がついており、設備面では過度と思えるほど充実していた。そこに特別に設けられた実況席で一人の男子生徒と中年男性が仲良く鎮座していた。
「さあ、絶好の好天に恵まれた2年2組の『突然水泳一番勝負』の時間がやってまいりました。実況はわたくし、越前平悟、特別ゲスト解説は我が一ノ宮中学理事長の一ノ宮孝治さんでお送りします」
「よろしく」
夏場のプールサイドには不似合いな背広服姿の孝治は軽く頭を下げた。
「早速ですが、理事長。今回の見所は?」
「なんと言っても一番は、カナヅチだった上田恵子さんが泳げるようになったかどうかだね。はっきり言ってしまえば、この勝負を受けて立った白瀬美奈子さんは無謀なほど漢ですね」
「はあ、なるほど」
「まあ、二番目は、そのハンデを背負って、男子並みの泳力を持つ尾崎里美さん、白瀬美奈子さん、相原庸子さんがどこまで食い下がれるか、井上美穂さんがどれだけハンデを維持できるか、といったところですね」
「勝ち目はあるのでしょうか?」
「漫画だと友情パワーで何とかなる展開ですが、作者はそれほど甘くはないってところですね。女子チームが最高の仕事をしても、勝つのはすこし難しいでしょう。男子チームのミスに期待するしかないですね」
「ずいぶんと、女子チームには歩が悪そうですね」
「ええ、おそらく、皆さん思っているように、負けるでしょう」
孝治は思いっきり、きっぱりと言い切った。
「……孝治おじさんは! 何で、そんなに負けると決まった言い方するの!」
準備体操をしながら放送を聞いていた里美がむっとしながら文句を言った。
「いいじゃない。勝って、鼻をあかしてあげましょう」
「ところで、恵ちゃんのお父さんは?」
観客席を見渡したが、恵子の父親の姿はなかった。
「まだ来てないみたい。どうしたんだろう? 今日は出勤日だけど、昼までには戻ってこれるって言ってたのに……」
「今、美穂ちゃんが確認しにいってくれてるはずだけど……あ、戻ってきたみたい。どうだった?」
息を弾ませながら戻ってきた美穂に庸子が急かすように尋ねた。
「うん、なんでも、仕事で、ちょっと、出るのが、遅れたんだって。急いでこっちに向かっている最中だけど、道が混んでて、あと20分はかかるって」
「ええっ! だって、スタートはあと10分後よ」
「20分なら恵ちゃんをアンカーにもっていっても無理ですわね」
「というわけで、美奈子ちゃん、出番よ」
美穂は美奈子の方に手を置いて小悪魔的な笑顔を浮かべた。
「はい?」
何を言っているのかまったく理解できない美奈子はちょっと裏返った声で返事した。
「ラスカル☆ミーナに変身だね」
「め、芽衣美ちゃん! いつの間に?!」
(ご主人様の窮地に駆けつけるのは使い魔の務めです。わかってますよ、ご主人様。恵子さんが困っているのをみすみす見捨てたりしないってことは)
「なるほど、騒ぎが起こればスタートが遅れる。そうなれば、間に合うってわけね」
「で、でも、こっちの都合で騒ぎを起こすなんて……クラスのみんなに迷惑かかっちゃうよ」
美奈子はできれば変身はしたくないので逃げの体勢に入っていた。
「美奈子ちゃん。忘れてません? 自分が悪い魔法少女だってこと」
「で、でも……」
しかし、そう簡単に逃がすわけはなく、5人の目が美奈子に集中した。期待と希望、脅迫と強制、何よりも信頼の眼差しが美奈子を追い詰めた。
「さあ、友情のため、私利私欲で変身よ」
「ううー、わかったよ! 変身すればいいんでしょ!」
白旗を上げた美奈子は半ば自棄で変身を承諾した。
「それでこそ、美奈子ちゃん。あ、そうそう、騒ぎを起こすんだから、ハイテンションで登場しなくちゃダメよ。演技指導はしてあげれないけど、アドリブで頑張ってね」
「美穂ちゃん……。ねえ、やっぱり、そうしなくちゃダメ?」
美奈子はもてる力を命一杯使って、可愛らしく懇願したが、全員に「もちろん」の一言を即答されるだけであった。
「ふえーん~」
美奈子は物陰に隠れるとバトンを出した。市民プールの時の反省を活かして、素早く変身した。あまりに速すぎて、文に書けないぐらい。
芽衣美もメイに変身しており、猫耳をピクくっと動かし、尻尾を楽しげに振っていた。
「それじゃあ、ミーナお姉ちゃん。撮り直しはなしよ。アクションスタート!」
ミーナはため息を一つつくと、気合を入れなおして地面を蹴り、隠れていた建物――水質調整室の屋根の上に飛び乗った。
ドッシーン!
飛び乗ったまではよかったが、着地した足元にたまたま転がっていたテニスボールに足を取られて、ど派手に転倒し、尻餅をつき、プールにその音を響かせた。
「いたたたた……」
したたか打った腰をさすりながら、ミーナは立ち上がると、プールにいた人間全員の視線が彼女のほうに向いていた。
あまりのことに、その場の時間が止まっていた。
(ご主人様、何か言わないと……)
ミーナは自分の醜態に一瞬、真っ赤になって、言葉に詰まったが、何事もなかったようにコスチュームについた汚れを払うと、胸をそらして高笑いを上げた。
「にょほほほほ、作戦成功! みんなの視線を独り占め。春夏秋冬、古今東西、どこでもここでも、主役はわ・た・し♪ 私ヌキで盛り上がるなんて、困ったチャン。いくらプールだからって、水臭ーい。そんな薄情な人たちには、私がみっちり、お仕置きして、あ・げ・る♪」
内心、ブラジルまで続く穴に身を隠したいぐらい恥ずかしさを感じながらも何とかその場を取り繕った。
「な、何だ貴様は!」
そんな中、お約束の反応をしてくれたのは体育教師の浜松であった。そして、生徒たちの間にざわめきが走った。
「おい、まじかよ!」「脳味噌まで筋肉でできているって本当だったんだ……」「下手すると、俺たちの顔も覚えてないかもな」「やたらと体操服のゼッケンに厳しいから、そうかもね」「おいおい、そんなのが教師になっていいのかよ」
この一ノ宮中学でここ一月半ほどの間に、二度も騒ぎを起こした超有名人のミーナを知らない彼に生徒たちは驚いたが、彼女としては口上のテンポが取れてありがたかった。
「わたし? 私を知らないなんて、なーんて、おぼぁかさん♪ 教えてあげるから、その筋肉細胞がみっちり詰まった、かたーい頭に彫刻刀で彫り込んで、憶えておきなさい。
私は、魔法甚大、威力広大、被害拡大、超絶美少女、暗黒魔法少女、ラスカル☆ミーナっ!勝手気侭に何とはなしに、水着バージョンでプールに参上!」
とにかく、我に返れば超光速で戦線離脱してしまいそうなほど恥ずかしいので、我に返らないようにミーナはハイテンションで名乗りをあげた。
「ミーナお姉ちゃん、特訓の成果がでてよかったね」
リリーとの戦闘で影響されたか、最近見た悪の魔法少女のビデオに感化されたか、遺伝なのか、なかなか悪の魔法少女が堂に入っていた。
(ご主人様、立派です。やればできるじゃないですか。どこから見ても、聞いても、立派な悪の魔法少女ですよ。僕は嬉しいです)
感極まった銀鱗の声が聞こえたが、反論した拍子にテンションが下がりそうだったのでミーナは何も言わないことにした。
「らすかるみーな?! どこの学校の生徒だ! うちの学校には留学生はいないはずだぞ!」
浜松がミーナの名乗りに対して怒鳴り返した。プールにいた全員が呆れてものが言えない状態になっているのを見かねて、柏原が彼の袖を引いた。
「先生。浜松先生。あの娘はここ最近、摩訶不思議な事件を起こしている魔法少女の一人ですわ。ほら、バニーガール事件とか、セーラー服ブレザー合戦の」
「……………………あ。も、もちろん知ってますよ。いやだなぁ、先生。私はですね、その、あの、正体がどこの学校のものかと言う事をですね……な、なんにしても、とっ捕まえて、その正体を白状してもらいます」
浜松はやっとミーナのことを思い出したのか、狼狽で醜態を晒し、ミーナのいる建物の屋上へと続くはしごを上がっていった。
「おまえ! 何の恨みがあってか知らんが、生徒たちは俺が守る!」
醜態をカバーするためか、なにやら最近のヒーロー物でも言わないような恥ずかしい台詞を臆面もなくミーナに叩きつけた。ポーズつきで。
「いや、別に危害を加えようとかそういうつもりはないんだけど……」
ミーナはその毒気に当って、テンションが下がって、すこし困ったように応えた。
「何を言う! お前はまた、生徒たちをバニーガールとかに変身させるつもりだろう! そうはさせるか! 生徒たちを変身させたくば、先ずは俺をスクール水着少女に変身させてからにしろ!」
腰に手を当てて仁王立ちになっている浜松。
「それに何の意味が……」
「さあ! どうした! 変身させないのか!」
仁王立ちでにじり寄ってくるビキニパンツ付きの筋肉の塊にミーナはたじろいだ。
「ミーナお姉ちゃん、変身させちゃいなよ」
「で、でも……」
(いいんじゃないですか? 変身したいものも指定してきているんですから……)
「そ、そうはいってもね、っと! ととっと、とっとこ!」
いつの間にかに建物の端まで追い詰められていたミーナはバランスを崩して落ちそうになって、慌てて何かに掴まって、何とか落ちるのを免れた。
ホッと一息ついたものの、屋上に掴まるところなどないはずなのに……と掴まったものをミーナが見ると、それは浜松のビキニパンツであった。
「!!!」
「お、おまえ!」
掴まった拍子にずり下ろされたビキニパンツから浜松の凶器が白日の元に晒されていた。
観客席にいた保護者の女性たちはすこし喜びはしたが、かぶりつきでそれを見せ付けられたミーナは久しぶりに見慣れたものを見たせいもあって、思いっきりパニックになって悲鳴をあげた。
「い、いやぁぁぁぁぁ!!!」
そして、それとともにバトンで浜松を殴打した。浜松は半ばパンツを下ろされた状態だったので、上手く動くことができずにされるがままに打撃を食らっていた。
「ちょ、ちょっと待てェ! お前が脱がしたんだろうが!」
常人ならば数発も打たれればノックアウトできるだろうに、さすがに鍛えてあるのか浜松は十発近くの打撃に耐えて、文句の叫びを上げていた。
そうこうしている間に浜松は凶器をホルダーにしまい込み、ミーナの攻撃圏内から離脱することに成功した。
「な、なんてもの見せるのよ! き、気持ち悪い! 二度とそんなものを出せないようにお望みどおり、スクール水着少女にしてあげるわ!」
ミーナは半ば涙目になりながら、バトンをハリセンに変えた。かと思うと、突然ダッシュして、浜松との間合いを詰めて、テニスのラケットでも振るように水平にハリセンをなぎ払った。
小気味いい音を立ててハリセンが振り抜かれると、浜松の巨体が光に包まれ、次第にその光が収束すると、そこには、あどけない顔立ちのスクール水着を着た少女が一人立っていた。
少女は己が置かれた状況を理解できずにしばらくポカンとしていたが、すぐに身体を捻って自分の姿形を見られるだけ見て確認すると、両手で自分の肩を抱いて俯いた。それを見て、肉体のみが取り柄の彼からそれを取り上げてしまったのは、少しやりすぎたかとミーナは反省しかけたが、
「すんばらしー! この折れそうなか細い腕。弱々しい肩。ない胸。ちょっとぽってりした下腹部。貧弱な足。どれもこれも理想どーおり!」
少女は両手を空に掲げて、感極まって涙を流しながら感謝の言葉を叫んだ。その台詞に身の危険を感じてか、メイはミーナの後ろに逃げ込んだ。
「ミ、ミーナお姉ちゃん、あ、あの人、危ないよぉ」
「あ、あなたって、柏原先生が好きだったんじゃなかったの?」
ミーナは逃げ腰になりながらも、メイを庇うようにして、その少女に訊いた。他の生徒たちもそれが知りたかったらしく、首を縦に振っていた。
「好きだが、何か問題があるの?」
もうすっかり女言葉のスク水浜松は質問の意味がまったくわからないといった感じで訊き返してきた。
「いや、だって、その、柏原先生って、グラマーで大人の魅力満載の美人なのに、なんで、ロリータが理想って、矛盾してない?」
「柏原先生は教師として、人間として、その人柄が好きなのだ。むちむち育ったデカイ胸や尻などに何の興味もない。むしろ嫌悪感を感じるぐらいだ」
少女はなんだか誉めているのか、けなしているのか、3:7ぐらいの比率の台詞を吐いた。柏原は眉を顰め、その場の全員が凍りついた。
「――と申しておりますが、何か一言、コメントは?」
果敢にインタビューした越前は勇者であろう。柏原は不機嫌な表情のまま、越前からマイクを受け取ると屋上のスクール水着少女に向かって、一言文句を言った。
「嫌悪感を感じる。だなんて、最低だわ! 使うのなら、嫌悪感を覚えるでしょうが!」
「すいません、柏原先生。国語が苦手なもので……」
スク水浜松は頭を押さえながら申し訳なさそうに謝った。
「……な、なんだか、そういう問題でもないと思うんだけど……」
ミーナは呆れて、せっかく上げたテンションが下がってしまって、どうしようかと思っていたが、そこはさすが、トラブルの神様の寵姫であった。
「じゃあ、どういう問題だ――あっ! そうか! 柏原先生にこのナイスなボディーになってもらえば、心身ともに理想の女性になるんだ。そういう問題だな」
「えっ?!」
ミーナがその言葉の意味を理解する前に少女は水質調整室の屋根からプールサイドに飛び降りて、柏原に向けて一直線で走っていった。プールの上を。
「柏原先生! このスク水浜松があなたを素晴らしい身体に変えて差し上げますよぉ!」
水上を右足が沈む前に左足を、左足が沈む前に右足を前へ前へと突き進んでいく。さすがにこれには柏原も身の危険を感じてか、たじろいだ。
「せっかくの目の保養を貧相な代物に変えられてたまるか!」
しかし、男子生徒たちが柏原とスク水浜松の間に人間バリケードを作って、彼女が近づくのを防いだ。それを見て、スク水浜松は走るスピードを落として、プールに沈んだ。
「よし! あの変態をとっ捕まえて、縛っておこう!」
もはや、そのスク水浜松が体育教師であった事は一切考慮されておらず、男子生徒たちは彼女を捕らえるためにプールへと飛び込んだ。
「ふふふふ、トンで火にいる夏のムシっ。お前らも、この素晴らしい身体にしてやる。ありがたく思え!」
スク水浜松はとんでもないスピードで泳いで、飛び込んできた男子生徒に抱きつくと次々とスレンダーなスクール水着少女に変えていっていた。
男子生徒たちは水中戦が不利とみて、プールから上がって、水際作戦に切り替えたが、スク水浜松の水中からの水鉄砲を浴びて、一人、また一人とスクール水着少女に変えられていった。さすがに、見かねて女子生徒達も参戦したが、全員、スレンダー体型に変えられてしまった。
「いいね、美穂ちゃんは、あんまり変わんなくて」
「一センチは胸が小さくなってる!」
「そんなの、普通はわかんないよ。直径にしたら、3ミリぐらいだよ」
「3ミリ! 3ミリも減っているなんて激減よ!」
「……美穂ちゃん」
などという会話が交わされている間に大局は決まった。
「くそっ! ここまでか!」
バリケードも残すところ、2、3人となって、既にその機能も果たせなくなっていた。その上、スクール水着少女に変えられた者たちもスク水浜松側について逆に包囲に加わっていた。
「こういう未発達な身体もいいぞぉ」「大人しくこっちに来いよ」「お前らだけそのままなんて不公平だ。公平にしようぜ」「俺はもともと、こっちの方が趣味なんだ。いいぞぉ、スク水は」
その包囲網の中からスク水浜松が一歩前に出た。
「さあ、観念してください。なってみれば楽しいものですよ、柏原せんせっ♪」
「浜松先生! お願いですから、正気に戻ってください!」
柏原はさすがにこの異常な状況に恐怖したのか、少し上ずった声で懇願した。しかし、そんな懇願はまったく通用せずに、少女にしては不敵すぎる笑みを浮かべて彼女に近づいて来た。
万事休す。そう覚悟を決めた時にどこからともなく、よく通る声がプールに響いた。
「待ちなさい!」
一瞬、どこにいるのかわからずに全員が周囲を有視界探査した結果、更衣室の屋根の上に立つ人影を発見した。タップダンスでも踊るように足を交互に上げているのは、多分、焼けた折板屋根が熱いせいだろう。
「だから、言ったのに。熱いって」
「うっさいわね! ええと、どこまで言ったっけ?」
「まだ何も言ってないよ」
「そう、それじゃあ――嫌がる人たちをプリティーボディーにするなんて、言語道断! 供給が増えれば値崩れインフレしちゃうじゃない! プリティーボディーは一学年に一人と道徳で決まっているのよ! そんな非道は例え天が許しても、このファンシー・リリーが許さない! プリティーボディーの守護神! ファンシー・リリー! 夏のプールに水着バージョンで登場ですっ!」
今回のリリーのコスチュームは、胸元には大きな黄色のリボンと、腰には白いフリルがスカートのように飾りがついているピンク色ベースの水着を着て、魔法少女もののお約束、夏限定一回限りの水着バージョンであった。
ビシッとポーズを決めるリリーの笑顔が少々引きつっていたのは熱いのを我慢しているせいだろう。
「リリー、さっきから言おうと思ってたんだけど……サンダルもあるんだよ、そのコスチュームセット。……ほら」
見かねて、ぬいぐるみのような白い犬、ウッちゃんがリリーにヒマワリのワンポイントをあしらった白いビーチサンダルを取り出した。
「なんでそういうことを早く言わないのよっ!」
リリーはウッちゃんからビーチサンダルを奪い取って、急いで履いて足の裏を灼熱地獄から開放した。
「えーと……夏のプールに水着バージョンで登場です。まで言ったから――ミーナ! また、あなたの仕業ね!」
「え、えーと……にょほほほほ、そ、その通り!」
水質調整室の屋根の上で状況から置いてけぼりを食らっていたミーナは突然、名指しされて、即座に対応できずに少し狼狽してしまったが、辛うじてテンションをあげてそれに応えた。
「今日という今日は許さないわよ!」
「いつもは許してくれたの? 毎回、毎回、しっぽを巻いて引き上げてるくせに」
「あれは戦略的撤退よ! それでも、背中とふくらはぎは前向きよ! とにかく! 今回は負けないわよ!」
「今回はってことは、今までは負けてたってことになるよ」
「う、うるさいわね! そうやって、人の揚げ足ばっかり取ってると、嫌われるわよ!」
「だって、悪の魔法少女だもの。みんなに敬愛されたら変でしょ」
「変でも何でも、揚げ足取っちゃダメ! 今日という今日は許さないわよ!」
「いつもは許してくれたの? 毎回、毎回、しっぽを巻いて引き上げてるくせに」
「あれは戦略的撤退――」
「リリー! これは罠だよ。ミーナの奴、こうして時間稼ぎをして、スクール水着を増やすつもりだよ!」
「謀ったわね、ミーナ!!」
「いや、別に謀ったわけじゃないんだけど……」
時間稼ぎがしたいのは確かである。戦闘に突入すれば、瞬殺してしまうかもしれない。それでは事態収拾にかからなければならなくなって色々と面倒であった。
「そうはさせないわよ!」
リリーはどこにしまっておいたのか、ペンギンを模したカキ氷製造機(家庭用)のようなものを取り出し、その頭のてっぺんについたハンドルを勢いよく回した。
見る見るうちに受け皿にカキ氷が積もり、一杯になると自動的にイチゴシロップがかかり、取り出し口から飛び出し、スクール水着の生徒たちの手元に飛んでいった。カキ氷が飛び出した後は、すぐさま次の皿がセットされ、次々とすごい速さでカキ氷が出来上がり、飛び出していった。シロップもイチゴだけではなく、メロン、レモン、ミルク、ブルーハワイなどバリエーション豊かである。
カキ氷を受け取った生徒達はうだるような暑さの中で、その冷たい食べ物の誘惑に抵抗できず、一気にカキ氷を口の中に流し込んでいった。
「うーん、冷たくておいしい」「やっぱり、夏はカキ氷よね」「へへへ、ラッキー♪」
「カキ氷を食べている間だけ足止めするってことかな?」
メイがちょっと羨ましそうにカキ氷を食べているスクール水着の少女達を眺めながら呟いた。
「うっ! 頭がキーンとする!」
しかし、誰かがそう言ってうずくまると、それをきっかけに次々と、あちらこちらでこめかみを抑えながら、スクール水着少女達はその場にうずくまっていった。
「り、リリー! まさか毒を……」
「誰がそんなことしますか! カキ氷を一気食いすれば誰でもなるわよ! 夏限定集団魔法、カキーン氷よ!」
「リリー、練習した成果があったね。大成功だよ」
「当然よ、ウッちゃん。天才のあたしが努力して失敗するなんてことはありえないもの。氷屋さんでバイトまでしたんだから」
リリーは胸を張って大威張りだが、プールにいたスクール水着でない生徒や先生以外にも観客席の父兄まで全滅させていては大成功とはとても言えない筈だが、正義のために多少の義性は厭わないリリーにとってはそんな些細なことは大事の前の小事とばかりに完全に視覚的情報からはカットされていた。
「ふふふ、これであなたの野望も潰えたわよ!」
「野望って?」
「とぼけてもダメよ! プリティーボディーの少女を増やして、希少価値を下げて、あたしの人気を失墜させようという野望よ」
自信満々の指摘にミーナは何を喋っていいかわからずに固まっていたが、メイがそれのフォローに入った。
「ミーナお姉ちゃん、ばれちゃったね」
「あ、えーと……ほほほほ、お馬鹿なリリーにしてはよく気がついたわね! でも、私を倒さない限り、頭痛なんかすぐに復活して、仲間を増やすわよ」
「甘いわね! 復活なんかしないわよ。復活しかけたら、またカキ氷が食べたくなって、一気に食べて頭痛がしてを延々繰り返すんだもの」
「……ほんとに正義の魔法少女?」
「いつも言っているでしょう! 正義のためには些細な犠牲は目をつぶるのよ! 某宇宙人だって、事故で警備隊員を殺しても、町を破壊しても、怪獣さえ始末すれば正義のヒーローでしょう。それとおんなじ!」
「そういうこと。この場にいた人たちを不幸にしたのは、みんな、ミーナのせいってことだよ」
ウッちゃんがリリーの台詞を増強してミーナを打ちのめした。
「ミーナお姉ちゃん、悪逆非道だね♪」
「メイまで……こうなったら、正々堂々と勝負よ!」
「望むところよ!」
「勝負はカキ氷の早食い勝負! 異存ないわね!」
「ふふふふ……」
「?」
俯いて無気味に笑うリリーに、ミーナはちょっと引き気味に怪訝な顔をした。
「墓穴を掘ったわね、ミーナ! 『カキ氷のリリー』と異名を取ったあたしの実力、とくと思い知りなさい」
その台詞と同時にリリーはジャンプして、ミーナのいる水質調整棟の屋根の上に移動した。
「テニスボール、踏んづけて転ばないね、ミーナお姉ちゃん」
「馬鹿にしないでよ。そんな今時の漫画でも恥ずかしいこと、誰がするのよ」
「そ、そんなことより、勝負よ!」
真面目な顔でリリーに突っ込まれ、ミーナはちょっと顔を赤くしながら、バトンを振ると大盛りのカキ氷を二杯、出現させた。
「大丈夫。変な小細工はしてないよ」
ウッちゃんがカキ氷を調べて保証した。何か魔法でもかかっていれば、すぐにわかる。出現の仕方は魔法だが、正真正銘、まっとうな大盛りカキ氷であった。
「そんなセコイことなんかしないわよ。スタートは?」
「じゃあ、あたしがするね」
メイが中央に立って片手を高々と上げた。
「準備いい? それじゃあ、れでぃーーーーーごう!」
メイの手が振り下ろされると同時にリリーは残象を起こすほどのスピードでスプーンをカキ氷と口の間で往復させた。見る見る内にカキ氷の山は減っていく。一方、ミーナの方はのんびりと一口一口、味わって食べていたので、全然減っていない。
「うーん、冷たくておいしい。やっぱり夏はカキ氷だよね」
「ひょひょひょひょ、あふぁひふぉしゅふぃーふぉふぉふぃふぇ、あふぃふぁふぇふぁふぉ!」
「通訳しますと、『ほほほほ、あたしのスピードを見て諦めたの!』と言ってます」
ウッちゃんが丁寧に通訳してくれている間にリリーはカキ氷を全て平らげた。
「どう! ミーナ! あたしの勝――ちううっ、頭がキーンってするぅ……」
「そりゃあ、あんだけ、一気に食べればね」
ウッちゃんが冷静に苦笑を浮かべていると、ミーナは自分の皿を脇においてリリーに近づいていった。
「ほんと、すごいわね。でもね、悲しいかな、これ、戦争なのよ」
「ミーナ?!」
うずくまっているリリーに向かって、アッパースウィングでバトンを振りぬき、ふっ飛ばした。
「うひょぉぉぉ~~……」
ミーナによって飛ばされたリリーはプール脇にある大きな木の枝に引っ掛かって、目を回していた。
「ミ、ミーナ! ひ、卑怯だぞ! リリーはカキ氷の早食い競争に勝ったじゃないか! それを……」
「だーかーら、私は悪い魔法少女だって、いつも言っているじゃない。卑怯なのも当然よ♪ ほらほら、早く助けに行かないと、リリーが木から落ちちゃうよ」
「うぐっ! お、おぼえてろよ、ミーナ! 絶対、お前を倒してやる!」
ウッちゃんは不細工な指でミーナを指差して睨みつけたが、ぬいぐるみ犬なだけに、今一つ迫力には欠けていた。そして、そんなことをしている間に、リリーの引っ掛かっていた木の枝が折れて、リリーが地面にめり込んだ事は予定調和であった。
ちょうどその時、ミーナは校庭に土煙を上げて走りこんでくるミニ戦車を視界の端に捕らえて、「任務達成」と心の中で呟いた。
「それじゃあ、遊ぶのももう、飽きたし。私もかーえろっと。じゃあねぇ♪」
リリーのカキ氷魔法とミーナの変身魔法をキャンセルして建物の裏に姿を消した。
こうして、一ノ宮中学2年2組スクール水着の変は幕を閉じたのであった。騒動終了後、浜松体育教師が保健室行きになったのはこの騒ぎのせいということで全て処理された。
「さて、色々ありましたけど、メインイベント! 男女対抗水泳リレーを開始します」
越前は実況席でマイクを持って再開を宣言した。
「でも、間に合ってよかったですね」
観客席にやってきた恵子の父、信行は琉璃香と賢治の隣に陣取った。
「ええ、まったく、ラスカル☆ミーナ様様です」
信行はにっこりと微笑んでそう答えて、
「それと、あの子が泳げるようになったのは、全部、美奈子ちゃんや他の友達のおかげです。我が娘ながら、いい友達を持ったと誇りに思います。ありがとうございます」
深く頭を下げた。
「出来はあんまりよくないですけどね。あの子でも少しは役に立ったのなら、よかったですわ。さあ、始まりますよ」
信行は琉璃香の言葉に頭を上げて、プールへと視線を移した。
プールでは既にスターと選手がスタート台に立っていた。正確に言うと、恵子は飛び込みができないのでプールの中に入っていた。
「やめるんなら、今のうちだぞ、上田」
男子チームアンカーの加藤はスタート台の横からプールに入っている恵子を覗き込んだ。
「やめない。浩ちゃんなんかに負けないんだから」
水泳キャップを被りなおして、恵子は加藤を見やったが、逆光で表情は見えなかった。
「……勝手にしろ!」
そう言い残して、控えの場所に帰っていった。
「青春だねぇ。加藤も少しは素直になればいいのに」
トップバッターの前畑は苦笑を浮かべて、手首足首の柔軟をするとはなしにしていた。
「そういう前畑君は素直なの?」
「おうよ! 俺っちは自分の欲望に素直な男なんでぃ」
何の自信があるのか変な訛りで胸を張って答えた。
「はいはい」
「というわけで、上田さん。俺の野望のために、手は抜かない。全力でいくよ」
「望むところよ」
「それじゃあ、二人とも、準備はいい?」
柏原が二人に確認すると、準備オッケーの返事が返ってきたので、スターターの台に上がった。
「さあ、今、会場は緊迫に包まれ、スタートを今や遅しと待ちわびております。スターターの柏原教諭がピストルを空に向かって構えました」
「位置について、よーい――」
パーン!
火薬が炸裂して小気味いい音をプールに響かせた。
「さあ、スタートしました。実況は越前、解説は理事長でお送りいたします」
「よろしく」
「あっと、上田恵子選手。泳いでますね」
かなり不恰好ではあるが、辛うじてクロールと思われる泳ぎ方で、恵子は水飛沫をあげながら、速くはなかったが、確実に前へと進んでいた。
「まったく、大したものですね。驚きです」
「そうでしょう。先週までは、まったく泳げなかったはずの上田選手ですから。さて、前畑選手は今、水面に浮上してきました。既にその時点で上田選手を5メートルほど引き離しています」
「当然と言えば、当然ですね」
「しかし、女子チームは第一泳者と第二泳者が25メートルづつで、計50メートルのハンデをもらっています」
「アンカーの白瀬選手と第四泳者の尾崎選手は男子並みのスピードを持っています。上田選手でハンデをどれだけ残して次の泳者、井上選手にバトンが渡せるかがポイントでしょう」
「ハイ、そうですね。そうこういっている間に、上田選手は約10メートルを通過しました。前畑選手との差はおおよそ、9、10メートルか。意外に健闘しています、上田選手」
「このまま、泳ぎきれば女子チームの勝ちですが、情報では上田選手は息継ぎができないと――」
「ああっと! ここで、上田選手、立ってしまいました! ルールでは、その地点から5メートルバックしなければなりません。ええと、おおよそ、11メートルでしたから、6メートル地点まで戻ります」
「恵ちゃん! まだまだ、余裕あるから、落ち着いていこう! 息、整えて」
美奈子が余裕の笑顔で恵子に声をかけた。
「プールサイドからチームメイトの相原選手などを筆頭に、女子生徒の声援が飛んでいます。前畑選手、今、25メートルのターン」
「本当に全力で仕留めにきていますね。卒がない着実な泳ぎです、前畑選手」
恵子は肩で息をして、少し呼吸を落ち着けると、プールの底を蹴って、再び泳ぎ出した。
「さて、リスタートラインまで戻り、再び泳ぎ始めました上田選手。情報によりますと、今までの最高水泳距離は13メートルだそうです。そうすると……」
「ゴール手前、6メートルで足を付くことになりますね。そうなれば、女子チームの勝ちは絶望的です」
「……なんだか、随分と嬉しそうですが、なにか?」
「え? ああ、いや、生徒達が一生懸命頑張っている姿は美しいと、喜んでいるのです。頑張る生徒に育ってくれている。勝っても負けても教育者冥利に尽きます」
「……台詞がうそ臭く感じますが、さて、プールに注目いたしましょう。前畑選手は順調に快調に飛ばしております。上田選手も健闘していますが、いささか苦しそうです。そろそろ、限界が近づいてきているのでしょうか? 今、15メートルラインを超えました。前畑選手は今、50メートル泳ぎきり、次の西脇選手にバトンタッチしました」
加藤が控え選手の椅子から立ち上がると、プールサイドを走った。走って、恵子の横を併走した。
「もうだめ……」
恵子は緊張のあまり、焦って、息を整えられずにスタートしたために息が続かず、いつもよりも1、2メートル手前で足をついて、作戦は台無しになった。それでも、何とかしようと頑張ったが、もう既に肺の中の酸素は完全に欠乏状態にあった。
「恵!」
「……浩ちゃん……」
酸欠で朦朧とする中、自分の手足が立てる激しい水音の中でも不思議と彼の声は恵子の耳に響いた。
「ばかやろう! 息継ぎしろ!」
(……できないよ……みず、のんじゃう……そしたら、また、おぼれちゃう……)
「こっち向いて思いっきり、息を吸え! 俺を信じろ!」
加藤の声に恵子は彼の顔を見ようとして横を向け、そして思いっきり息を吸い込んだ。空に近かった肺が一杯に空気を吸い込み膨らみ、全身行き血液特急に酸素たちが駆け込み乗車し、恵子の細胞は再び活力を取り戻し、泳ぐ力を得て、手の平に水を掴み、足で水を蹴った。
「やればできるんだよ! まったく」
顔をしかめて、そういいながらも加藤は妙に嬉しそうだった。
「ええと、……加藤選手と上田選手が青春ドラマをやっている間に、男子チームは第二泳者、西脇選手は順調に差を詰めています。彼もそれほど遅くありませんね」
「ええと、資料によると、前畑、安田、加藤の三選手が31秒前後、彼も31秒台フラットぐらいのタイムですからね。一番遅い、平田選手で32秒弱ですからね」
「あ、やっと、上田選手、25メートルを泳ぎきりました。第二泳者の井上選手、スタートしました。西脇選手はおおよそ、17メートルほど泳いだところです」
観客席から惜しみない喝采の拍手が巻き起こり、恵子を包んだ。疲労困憊した彼女は引き上げられたプールサイドで仰向けに寝転びながら、眩しい空を眺めていた。
「恵ちゃん、すごーい!」
駆け寄ろうとした美奈子の腕を庸子が掴んで引き止めた。怪訝な表情を浮かべて美奈子は庸子を見ると、彼女は微笑みながら恵子のほうへ視線を導いた。
「ふん! 世話かけさせやがって。俺がいなけりゃ、何にもできないんだな」
倒れた恵子を覗き込むように加藤が見下ろしていた。恵子からは逆光で彼の表情は見えなかった。
「浩ちゃん……」
「恥ずかしいからその呼び方はやめろっていっただろ!」
「だって、あたしの方がお姉さんだもの」
「たかだか三日だろ!」
「三日でも三年でも早く生まれたら、お姉さんなの。お姉ちゃんは弟を守らなくちゃ」
「……」
「これで、浩ちゃんがまた溺れても、助けにいけるよ。お父さんに助けてもらわなくても、あたし一人で」
「お前が来たら、余計溺れるから絶対に来るな」
「もう、素直じゃないんだから……」クスリと少し微笑んでから「ごめんね、浩ちゃん」
と恵子は謝った。
「なんだよ、いきなり」
「うーん、なんとなく」
「変な奴」
「そうだね。……アンカー、頑張ってね」
「俺が頑張ったら、お前ら、バツゲームだぞ」
「あ、そっか。じゃあ、勝たない程度に頑張ってね」
「できるか、そんなこと。俺は不器用なんだよ」
「そうだね」
そう言って、満面の恵ちゃんスマイルを浮かべた。
「さて、プールサイドでラブコメを展開している間に井上選手、いま、25メートルを泳ぎきりました。第三泳者は、相原選手。男子チーム、西脇選手はゴールまで残り6メートルほど。ここからはハンデなしの一人50メートルになりますから、この差が、そのまま、女子チームのリードとなります。井上選手、ほとんど実況されませんでしたね。恨むのなら、ラブコメしていた二人を恨んでください」
「青春じゃのぉ。里美ちゃんも、あれぐらい可愛さが溢れていたら、コップで掬って毎日飲むというのに」
「……ええと、さて、勝負のほうに話を戻しましょう。男子チームも第三泳者の平田選手にバトンが渡りました。委員長、副委員長対決ですね。日頃は副委員長が連戦連勝を収めているので、委員長の、男の面子をかけてここは少しは差を詰めておきたいところ。相原選手、綺麗なストロークで非力さをカバーしているのに対して、平田選手は性格どおり、ゴウイングマイウェイな泳法で、激しい水飛沫を上げて進んでおります。若干、差を詰めたか?」
「ぶはははは! あす、の、がく、えんを、しはい、する、のは、この、わた、し、だぁ!」
「……喋りながら泳いでいます。喋らなければもっと速く泳げるでしょうに……」
「意外に、喋らないと泳げないのかもしれません。オリジナルなやり方を全て否定するのはよくないですね。イチローや野茂の例をあげるまでもなく。比較したあとで、考えればいいでしょう」
「はあ、そうですか?」
「そういうものです」
「さあ、差は5メートル弱、だいぶんと縮まってきました。相原選手、今、25メートルターン。クイックターンを難なく決めます。さて、平田選手は……通常のターンですが……あっと、少々もたついてしまいました。明らかにタイムロスです」
「勿体無いですね。ここで勝負を決めようと焦ったのでしょう。後ろの二人が速いですから、勝利の貢献度を上げるために少々、突出しましたね」
「チームワークを乱すスタンドプレーというやつですか」
「スタンドプレー自体は悪いことではないのですが、それをする限りはきっちりと決めないと。その責任を負うことになります」
「なるほど。さて、その遅れを取り戻すべく、猛然果敢な泳ぎを見せる平田選手。それをせせら笑うかのように優雅に泳ぐ相原選手。しかし、徐々にではありますが、差は縮まってきております。いま、相原選手、タッチ、第四泳者の尾崎選手が飛び込みます。平田選手は残り、5メートル半ぐらいでしょうか? とりあえずは、少しは差を縮めることには成功した模様です」
「うーん、執念ですね。このバイタリティーがあるからスタンドプレーができるのでしょう、彼は。これからも頑張ってもらいたいですね。相原選手もよく頑張りました。男子を相手に一歩も引かない大健闘です。仲間と自分の能力を信じて泳ぎきったのでしょう。泳ぎに不安がありませんでしたから」
「やっと、もっともな解説になってきました。さて、男子チームも第四泳者にタッチされ、安田選手が尾崎選手を追っています。この二人、普段もよく喧嘩するのですが……」
「喧嘩するほど仲がいいのでしょう」
「そういうことにしておきます。さて、さすがに安田選手、スポーツ万能なことはあります。軽快な泳ぎに見えますが、速い。ぐんぐん、尾崎選手に迫っていきます。尾崎選手も遅くはないのですが、少々分が悪い。しかし、懸命にこらえます」
「負けず嫌いですからね、里……尾崎選手は」
「意外に頑張るな、お前ら」
アンカーとしてスタート台に上がった美奈子は隣に立っている加藤に声をかけられた。
「当たり前だ。特訓までしたんだ。恵ちゃんが、みんなが、これだけ頑張ったんだ、絶対に勝つ」
「悪いが、それはこっちも同じだからな。手は抜かない」
「当然。勝負に情けは無用だ。全力でかかってこいよ」
「お、おう」
(ご主人様、勝負に集中して、女の子っぽくするの忘れてるよ)
「美奈子お姉ちゃんらしいね」
テレパシーで会話を盗み聞きしていた銀鱗と芽衣美が苦笑を浮かべている間に里美がゴールし、壁にタッチした。それを見るや否や、美奈子はスタート台からプールへと飛び込んだ。
「さあ、勝負はいよいよアンカーの手に。女子チーム、アンカーを務めるのは白瀬選手。リードは、尾崎選手よく頑張りました、4メートル弱あります。これは面白い勝負になりそうです。男子チームも今、タッチ。アンカーは加藤選手。秒差で言うと、およそ三秒遅れでスタート。面白い勝負になりましたね」
「ああ。しかし、これぐらいは充分に射程距離範囲。きっと、すぐに追いつくでしょう」
「はあ、そうですか……それでは、見守って行きましょう。白瀬選手、最初から飛ばしていくようです」
美奈子のリードは体二つから二つ半、およそ、3、4メートル。充分とは言えなかったが、足りないわけでもない距離であった。
「スタートダッシュで逃げ切るつもりだろうが、そうはさせるか」
加藤は先週、美奈子が泳いでいるのを見て、後半にペースが落ちるので、前半はなるべくペースを加減して、差は徐々に詰め、後半の疲れたところで一気に差して、抜き去る作戦を立てていた。
「早い段階で並んで、引っ張る形になったら危険だからな」
美奈子の負けず嫌いな性格が追いつかれたことによって真価を発揮して、火事場の馬鹿力が出ては困るので、加藤は用心深く作戦を立てていた。
クラスメイトや見学に来ていた父兄などは、美奈子達が男の子相手にここまで健闘するとは思っていなかったので、「もしかして……」の期待で、大いに盛り上がっていた。
「むむ、いかん! このままでは、女子チームが勝ってしまう」
「えーと、どういうことでしょう、理事長先生?」
「やってくれたな、美奈子ちゃん! まんまと罠にはめられた!」
「わ、わな?」
「こらぁ! 加藤! ペースを上げろ! 死ぬ気で泳げェ!」
「り、理事長先生! あ、危ないですって!」
片足を実況席のテーブルに乗せて、マイクを片手に絶叫する孝治に越前はしがみつくようにして転げ落ちるのを防いだ。
解説席で孝治が絶叫しているちょうどその時、プールの中の二人はそろそろ25mのターンにかかろうかとしていた。
美奈子がプールの側面の壁を蹴り、ターンした。その時点でリードは2m程。全てが加藤の予定通りであった。
「ここからペースをあげて、一気に差を詰めて、抜き去る」
加藤も難なく、クイックターンを決めてペースを上げた。がしかし、思ったほど差は縮まらなかった。
「?」
ペースを上げたのは加藤だけでなく、美奈子も上げたのであった。スタートして数メートルを飛ばして、最初から飛ばしていくように見せかけて、徐々にペースダウンし、体力を温存しておいたのであった。
「作戦成功!」
美奈子は自分の作戦が見事に決まったことを知り、希望の光に向かって泳ぎ進んだ。
「浩ちゃん、がんばれー!」
プールサイドから加藤への声援が上がった。
「恵ちゃん! 敵を応援してどうしますの」
「だって、あたしの時も応援してくれたんだもん。不公平にならないようにエールの交換」
恵子はしれっと庸子に言い返した。
「まったく、恥ずかしいだろうが!」
加藤は泳ぎながらもしっかりと恵子の声を捉えた優秀な耳を赤くし、ほんの少しペースが上げた。そのためにわずかに美奈子との差が縮まり始めた。
「何やってるのよ! 白瀬さん! あなた達、負けたら、男子チームとデートなのよ!」
丹羽がたまらず、プールの際まで駆け寄って、美奈子達が負けた場合の罰ゲームを大声で叫んだ。
「なにぃ~! それは本当か、前畑!」
真っ先に反応したのは安田であった。隣で苦笑を浮かべていた前畑に、文字通り詰め寄るように詰問した。
「ありゃ、ばらしちゃったか。まあ、いいか。丹羽さんが言ったことは本当だ」
「お前らずるぞ!」「そんなことなら、俺も出る!」「横暴だ!」「抜け駆けはダメだってみんなで言っていただろうが!」
しれっと答える前畑に観客の男子生徒達からブーイングが上がった。
「今までぼーとしているほうが悪い。抜け駆けじゃない。勝負に勝ったらもらえる、ご褒美なんだよ、デートは。それにこの件は理事長公認だ」
ブーイングも軽く受けて流して、前畑は観客に言い返した。
「そのとおり! デート代も私のポケットマネーから出す!」
「理事長、そんなことしていいんですか?」
さすがの柏原も理事長の暴走を無視できずに口を挟んだ。
「いい! 里美ちゃんをコーディネートできるんなら、理事長の席などくれてやる!」
「そんな……電車の席を譲るのとは訳が違うのですよ」
「という訳で、尾崎の衣装を担当してもらうことで公認してもらった。それに、約束は白瀬たちとの間で交わしたものだから、周りからとやかく言われる筋合いはない!」
前畑はいつもの軽い調子ではなく、きっぱりと言い放った。ブーイングしていた男子生徒達はその言葉に圧されて、矛先を変えた。
「くそぉ! がんばれ! 白瀬さん! 君の貞操は君の泳ぎにかかっている!」
男子生徒からの声援が高まったが、他にも高まった人がいた。
「美奈子ぉ! 死ぬ気で泳げェ!」
里美は必死で美奈子に声援を送った。
「僕はフリフリドレスなんか着たくない!」
「それはそれで見てみたい気がしますね」
「うーん、ついでに美奈子ちゃんのコーディネートも頼めばよかったんじゃ?」
「それはダメですわ。芽衣美ちゃんがいますもの」
「それじゃあ、きっと、美奈ちゃん、おもちゃ確定だね」
「ヨーコ! 美穂! 恵! 応援しろよ! 負けちゃうじゃないか! そんなにデートしたいのか!」
「そう言われましても、美奈子ちゃん、精一杯頑張ってますし」
「そうそう、あとは美奈子ちゃんを信じるだけ」
「それに……浩ちゃんとだったら……べつに、いいし……」
「だぁああああ! もういい! 美奈子ぉ! ほんとにがんばってくれーーーー」
美奈子への声援が高まったが、勝負に集中している彼女の耳まで届いていなかった。もし届いたとしたら、その内容で動揺していたかもしれないので、彼女にとって、それは幸運だった。
「そうこう言っている間に勝負は残り10メートルとなりました。白瀬選手のリードはおよそ、体半分程度。体力温存の作戦を使ったとのことですが、やっぱり、ここへ来て、ストロークが鈍いように見られます。さあ! このまま、白瀬選手は逃げ切ることができるのか? それとも、加藤選手が抜き差すことができるのか? 残り5メートル。差はわずか!」
それぞれの思いが交錯する歓声の中、プールの二人は勝負を忘れて、水を掴み、蹴って前へ進む。ただそれだけに集中していた。
「今、二人、ほぼ同時にゴール! 若干、加藤選手が速いか? 微妙です……あ、今、電光掲示板に名前が出ます……勝者は……加藤チーム! タイムは2分34秒43。白瀬チームは0.12秒遅れでした。ええと、手の平ほどの僅差だったそうです。破れはしましたが、よく頑張りました、女子チーム。デートされるのは残念ですが、男子チームと彼女たちの健闘を称えたいです」
男子生徒の嘆息と父兄からの惜しみない拍手がプールを包んで、水泳勝負は幕を閉じた。
「ああっ、もう! みんな頑張ってくれたのに! ごめん、みんな」
美奈子はプールから上がり結果を見て、悔しがると手を合わせて四人に謝った。
「みんな最高の仕事をしましたわ。ですから、負けても悔いない。でしょ?」
「まあ、やるだけやった上だし、勝つか負けるかは悔やんでも仕方ないもんな」
「そうそう。勝つのはみんなのおかげ、負けるのもみんなのせい。みんな頑張ったんだからいいじゃない」
「あたしも息継ぎできるようになったんだし、次にやるときは負けないよ」
「そうだね。それじゃあ、胸を張って帰って、敗者の矜持を示しましょうか」
美奈子達はそう言って、プールから立ち去ろうとした。
「ちょっと、待てェ!」
「……な、何か用かな、前畑君?」
ドキドキしながら美奈子は愛想笑いを浮かべて振り返った。
「このまま帰るつもりか? バツゲーム、忘れてないだろうな」
「やっぱり、やらなきゃダメ?」
「敗者の矜持があるなら」
可愛く尋ねる美奈子をものともせずにきっぱりと前畑は言い切った。
「うー、で、なによ? バツゲームって」
美奈子はそこで初めて、バツゲームの内容を聞いて、間抜けなくらい口と目を開いて、目を白黒させてから目眩を感じた。
「何で、あんた達とデートなんかしなくちゃならないのよぉ!」
「バツゲームだから」
「仕方ありませんわね。当日の衣装は芽衣美ちゃんが担当することで決定してますわ」
「うそぉ!」
「任せておいてね♪ とびっきり、可愛くするから」
「め、芽衣美ちゃん……いつの間に……」
(ご主人様が窮地に陥ってなくても傍に駆けつけるのが使い魔の務めですから)
もうすでに言葉の出ない美奈子はその場に項垂れた。
「おい、前畑。俺はそんな話は聞いてないぞ」
西脇が前畑の腕を掴んで小声で文句を言った。
「いいチャンスじゃないか? 公然と白瀬さんとデートできるんだから」
「お、お、俺は……そんな――なんだか、脅迫みたいな……」
「じゃあ、お前はやめとくか? 白瀬さんは俺が相手しよう――」
「だぁぁぁ! 任せられるか! 俺もいく! 絶対行く!」
「最初から素直にそういえばいいのに」
前畑は苦笑を浮かべた。
「ちょ、ちょっとぉ! かんべんしてよぉ!」
美奈子の悲痛な叫びは空しく蝉の声に混じり青空へと消えていった。
こうして、2年2組の水泳勝負は本当に幕を閉じたのでした。
「由利ちゃん……今回の敗因なんだけど……」
ウッちゃんは例によって包帯でぐるぐる巻きの由利の傍にやってきて、おそるおそる声をかけた。
「わかってるわよ、そんなこと」
ウッちゃんに背中を向けながら、何やらごそごそしながら由利はそっけなく答えた。
(あ、よかった。相手のペースに乗せられやすいのが弱点だって、わかってたんだ……)
「それでね、僕、考えたんだけど――って、それ何?」
ウッちゃんが由利の正面に回りこんで、固まった。
「見てわかんない? カキ氷よ」
「いや、それはわかるけど……それを一体……」
「今回の敗因は、『あの程度のカキ氷でアイスクリーム症候群を起こしたあたしの弱さ』にあるのよ。それを克服するために、カキ氷をいくら食べても、頭痛の起きない体質になるため特訓するのよ!」
「ゆ、由利ちゃん!」
「さあ! ラスカル☆ミーナ! 待ってなさいよ! 今度はあなたを――くぅっ! 何のこれしきの頭痛! 正義のために耐えてみせるわ!」
「由利ちゃん~」
その後、カキ氷の食べすぎで病院送りになったことは名誉のために黙っておいて上げよう。
「って、言いながら、書いてるじゃないの――うっ!」
「由利ちゃん。大人しくしてようよ」
……名誉のために大丈夫であったことを書いておこう。
「ラスカル☆ミーナ! 許すまじ!」
つづく
次回予告
かわいい格好を大好きな人に見せたい。一生懸命お洒落するのは乙女の務め。
格好いいところを大好きな人に見せたい。一生懸命背伸びしちゃうのは少年の性分。
例え、グループでも(わざとはぐれて二人っきりに)、
例え、策略が張り巡らされてあろうが(こんなチャンス滅多にありませんわ)、
例え、偏った愛情が暴走しても(ああ、このまま洗脳したい)、
好きな人と一緒にいれればそれだけで幸せ。……かもしれない。
ラスカル☆ミーナ第8話『遊園地はファンシーファッション』
いかがでしたでしょうか?
一応、次の8話が最後になります。ここまでお付き合いいただき、ありがとうございます。
それでは、また金曜日の24時にお会いしましょう。




