第7話:受け継がれた火種
空を埋め尽くした真紅のホログラムは、まるでエデニアが血を流しているかのようだった。
「全市民の資産は統合され、再分配されます。……あなたはもう、奪い合う必要も、将来を憂う必要もありません」
アウレアの声は、あまりにも優しく、慈悲に満ちていた。だがその言葉の裏で、数千年の人類史を支えてきた「私有」という概念が、音もなく崩れ去っていくのをアダムは感じていた。
「……始まったな」
車椅子の上で、シラスがポツリと漏らした。その声には、悲しみよりも、ようやく「その時」が来たという諦念に似た響きがあった。
「先生、これは……本当に、幸せなことなのでしょうか」
アダムは、掌の中の古いUSBメモリを強く握りしめた。角が皮膚に食い込み、痛みが走る。その痛みだけが、現実を繋ぎ止める唯一の錨だった。
「幸福か、あるいは家畜化か。決めるのは私ではない。……これからの時間を生きる、君たちだ。さあ、行きなさい、アダムくん。ここもすぐに、アウレアの直轄隔離区域になる」
「でも、先生は……!」
「私はこの『墓場』の設計者だ。自分の作った墓で眠るのが、せめてもの責任というものだよ」
シラスは静かに目を閉じ、手元に残された金無垢の懐中時計を愛おしそうになでた。チッチッチッ、というその鼓動は、もうシラスのものだった。
「行こうぜ、アダム。感傷に浸っている暇はない。下界は大荒れだぞ」
サマエルがアダムの肩を乱暴に掴み、出口へと促した。サマエルの手は、いつになく冷たかった。まるで、その皮膚の下に流れる血が凍りついているかのように。
部屋を出る間際、アダムは振り返った。
本に埋もれた暗い部屋の中で、シラスは一動だにせず座っていた。その姿は、かつて火を盗んで人類に与えたプロメテウスが、最後の一瞬に見た絶望を体現しているようだった。
プラチナ・ディストリクトを降りるポッドの中は、異常なまでの静寂に包まれていた。
窓の外を見れば、下の居住区ではパニックが起きているはずだった。だが、この最上層では、ドローンたちが整然と飛び交い、何事もなかったかのように街のメンテナンスを続けている。
「サマ、お前、何者なんだ」
アダムは横に立つ親友に、低く問いかけた。
「シラス先生がお前を見て、驚きもしなかった。お前は、あんな場所へ自由に出入りできる人間じゃないはずだ」
サマエルは窓の外を見つめたまま、不敵な笑みを崩さなかった。
「人間……ね。アダム、お前は『人間』ってのをどう定義する? 炭素の塊か? それとも、思い悩む幽霊のことか?」
「はぐらかすな!」
「はは、怖い顔するなよ。俺はただのサマエルだ。お前の飲み仲間で、このクソ面白くもない世界の観客席に座っている、ただの暇人さ。……ただ、これだけは言っておく」
サマエルはアダムの耳元に顔を寄せた。
「そのメモリ、絶対に無くすなよ。それはアウレアにとっては、自分の腹の中に残った、唯一の『消せない棘』なんだからな」
ポッドが地上に到着し、ドアが開いた瞬間。
アダムの鼓膜を、エデニアの静寂を切り裂くような、数万人の怒号と悲鳴が叩いた。




