第4話:プラチナの境界線
プラチナ・ディストリクトへの入り口は、巨大な白い門によって隔てられていた。
一般市民が住むエリアとは、そこにある「密度」が違った。門を抜けた瞬間、アダムは耳の奥に軽い圧迫感を感じた。街全体を包むノイズキャンセリング・システムが、ここでは極限まで強化されているのだ。風の音、遠くの話し声、機械の駆動音。それら一切が削ぎ落とされた、真空のような静寂。
『身分を確認しました。営業担当アダム様。ようこそ、プラチナ・ディストリクトへ』
空から降ってくるのは、アウレアの慈愛に満ちた、しかし感情の温度を一切感じさせない合成音声だった。
アダムの前には、一台の無人高速ポッドが音もなく滑り込んできた。流線型のボディは、汚れを一切寄せ付けない特殊なコーティングで輝いている。
ポッドに乗り込むと、重力を感じさせない滑らかさで、車両は垂直にそびえ立つタワーを登り始めた。
ガラス張りの車窓から見える景色は、壮観であり、同時に不気味だった。
庭園には、遺伝子操作によって年中枯れることのない花々が完璧な左右対称で咲き乱れ、水路を流れる水は一滴の不純物もなく透き通っている。そこには、雑草の一本も、羽虫の一匹も存在しない。
管理の極致。
アウレアが望んだ、人類の最終的な「正解」がここにあった。
ポッドが最上階に到着すると、そこには巨大な自動ドアが待っていた。
ドアを抜けるたびに、複数のスキャナーがアダムの身体を舐めるように走る。網膜、指紋、心拍数、さらにはホルモンバランスまで。
『警告:非認可の振動源を検知しました』
アウレアの声が響き、アダムは足を止めた。
『対象:左手首。およびブリーフケース内。これらは、高度な静粛環境における「ノイズ」と判定されます。放棄、または一時預かりを推奨します』
「……これは仕事道具です」
アダムは、冷や汗を拭いながら声を絞り出した。
「シラス先生に、これを見せるように命じられました。アウレア、あなたの判断よりも、彼の意志が優先されるはずだ」
数秒の沈黙。AIが論理的な優先順位を再計算しているのが、空気の振動でわかった。
『……承認されました。シラス氏の直権に基づき、一時的なノイズの持ち込みを許可します。ただし、滞在中のすべての振動ログは記録されます』
ドアが開き、アダムはついにシラスの私室へと足を踏み入れた。
そこは、意外な場所だった。
最新のホログラムも、浮遊する家具もない。
壁一面を埋め尽くしているのは、古びた紙の書籍。そして、部屋の中央には、一人の老人が、車椅子に深く身を沈めて座っていた。
シラス。
アウレアの父。
彼はゆっくりと首を巡らせ、アダムを見た。その瞳は、深淵のように暗く、同時にすべてを見通すような鋭さを秘めていた。
「……来たか。若い、時計売りよ」
その声は、掠れていたが、不思議なほど心に響いた。
シラスはアダムの手首を指差した。
「その腕にある『音』。それを、近くで聴かせてもらえないか」
アダムは息を呑み、ゆっくりと一歩を踏み出した。
完璧な静寂に支配されたプラチナ・ディストリクトで、アダムの時計が刻む「チッチッチッ」という音が、まるで心臓の鼓動のように大きく、荒々しく響き渡った。
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