第9話:蒸気の旅立ち
騒乱から数日後。アイアン・タウンの煙突からは、相変わらず黒い煙が上がっていた。
だが、その麓を歩く人々の表情には、微かな変化があった。カインの「命令」で動くのではなく、自分たちで話し合い、修理の優先順位を決める。不器用で、時間がかかるが、そこには確かに「自分たちの時間」が流れ始めていた。
時計塔の屋上。カインは修理を終えたスチーム・アーマーのパーツを一つずつ、丁寧に梱包していた。
「……行くのか、兄さん」
「ああ。この街には、もう『鉄の王』は必要ない。俺は、このアーマーの力を、もっと別の……まだ寒さに震えている誰かのために使いたいんだ」
カインは、金無垢の懐中時計をアベルに差し出したが、アベルは首を振った。
「それは兄さんが持っていて。……僕には、この銀の時計がある。僕たちの時計が別々の場所で動いているからこそ、またいつか、重なった時に新しい歌が生まれるんだ」
カインは苦笑し、時計をしっかりと懐に収めた。
「アベル。お前はこれからどうする」
「僕は、アウレアの亡霊を追いかけるよ。さよならを言ったけど、彼女はまだ、世界のどこか古い回路の中で寂しがっている気がするんだ。……完璧じゃない『今』を、彼女にも教えてあげたい」
一人は、重厚な蒸気の足跡を残しながら、困難に立ち向かうために。
一人は、軽やかなハープの音と共に、風の行方を探すために。
カインとアベル。二人の兄弟は、アイアン・タウンの門で背中を向け合い、それぞれの道へと歩き出した。
その足取りは、かつて楽園を追われた父アダムのように、重く、しかし力強い。
「……おい、アベル!」
カインが振り返らずに叫んだ。
「ゼンマイ、切らすんじゃねえぞ!」
「兄さんこそ! 巻きすぎて壊さないでよ!」
二人の笑い声が、煤煙の空へと吸い込まれていく。
時計の針は止まらない。
彼らが刻む時間は、もはや誰の計算式にも存在しない、彼らだけの物語へと繋がっていた。
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