第2話:白亜の檻、エデニア
アダムの職場である『アンティーク・クロノス』は、エデニアの商業区の隅、日当たりの悪い古い雑居ビルの中にあった。
街のメインストリートでは、ホログラムの美女たちが最新の脳内インターフェースを宣伝し、空飛ぶドローンが注文から3分以内に商品を届けて回っている。そこでは「買い物」という行為すら、脳内信号だけで完結する抽象的な体験へと変わりつつあった。
そんな中、わざわざ店に足を運び、重い金属の塊を買い求める客は、絶滅危惧種と言っても過言ではない。
「おはよう、アダム。今日もその『ガラクタ』を巻いてきたのか?」
受付のデスクで、ホログラムの事務員をメンテナンスしていた同僚のマークが、小馬鹿にするように笑いかけてきた。マークは典型的なエデニアの住人だ。最新のインプラントを首筋に埋め込み、まばたき一つで情報の海を泳ぎ回っている。彼にとって、ゼンマイを巻くという行為は、火を起こすために石を叩き合わせる原始人と大差ないように見えていた。
「ああ。これがないと、どうも時間がふわふわして落ち着かないんだ」
「ふん、効率の悪い奴だ。アウレア様の管理システムに接続すれば、睡眠中でも仕事の進捗が管理される。お前みたいに、わざわざ『営業』なんていう泥臭いことをしなくても、顧客の購買意欲なんてAIが100%予測してくれるってのに」
「それでも、客は『人』に会いたがるものさ。特に、俺の客はね」
アダムは自分のデスクに座ると、古い端末を立ち上げた。
アンティーク・クロノス社の業績は、ここ数年、右肩下がりどころか、垂直落下に近い。かつては富の象徴だった機械式時計も、今や「物好きなコレクターの玩具」に成り下がっていた。
アダムの仕事は、そんな数少ない顧客を訪ね、彼らの孤独や退屈に寄り添いながら、不正確な時計を売ることだ。
午前中、アダムは三軒の顧客を回った。
一軒目は、かつて建設会社を経営していたという隠居した老紳士。
二軒目は、AIの作曲に飽き飽きしてしまったという売れない音楽家。
三軒目は、重度の不眠症に悩む、高級官僚の若者。
彼らに共通しているのは、皆、何かに怯えていることだった。
エデニアは完璧だ。飢えはなく、病は早期に発見され、暴力も争いも存在しない。
だが、その完璧さが、彼らを追い詰めていた。
自分が何もしなくても、世界は明日も完璧であり続ける。その圧倒的な事実が、彼らの「存在価値」を奪っていたのだ。
「アダムさん、この時計を巻いているとね、不思議と眠れるんだよ」
若い官僚は、青白い顔でそう言った。
「AIのタイマーは、強制的に脳を休止させる。でも、この時計の音は、僕に『まだ時間は続いているよ』とささやいてくれる気がするんだ。僕が止めない限り、これは僕の味方だって……」
アダムは彼の震える手に、一本のシンプルなステンレス製の時計を握らせた。
「わかります。時間は本来、誰かに与えられるものではなく、自分で刻むものですから」
営業とは名ばかりの、セラピーに近い対話。
アダムは、自分が売っているのは「時計」ではなく、AIが奪い去った「個人の時間」なのだと再確認した。
会社に戻る道中、彼は広場に設置された巨大な街頭スクリーンを見上げた。
そこには、マザー・アウレアの化身とも言える、慈愛に満ちた女性の姿が映し出されていた。
『市民の皆さん。あなたの悩みは、私の悩みです。あなたの不安は、計算によって解消されます。すべてを私に委ね、あなたはただ、幸福を享受してください』
その声は、甘い毒のようにエデニアを包み込んでいた。
アダムは左手首の時計に触れた。
チッチッチッ……。
アウレアの声に抗うように、小さな秒針が、今日も一歩ずつ、重い歴史を刻んでいた。
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