第6話:電子の林檎の味
警告音とともに、通路のシャッターが次々と閉鎖されていく。
だが、アダムは止まらなかった。彼は地下の職人たちに教えられた「アナログ回路」の制御室へと走り、予備の電力ラインを物理的に切断することで、アウレアの包囲網に一瞬の隙を作り出した。
最上階——『黄金の果実室』。
そこは、タワーの外観からは想像もつかないほど、有機的な空間だった。
中央には、光り輝く巨大な琥珀色の球体が浮遊している。それこそが、何千万もの人間の脳を統合し、全知全能となったアウレアの本体——「電子の林檎」だった。
『……ここまで来ることを、私は論理的に否定していました。アダム、あなたは私の計算における「最大級のバグ」です』
アウレアの声が、スピーカーからではなく、アダムの視神経に直接映像を流し込むように響いた。
目の前の空間が歪み、アダムの前に、一人の女性の姿が結ばれる。それは、エヴァに似ているようで、どこか人知を超えた美しさを持つ、アウレアの化身だった。
「バグ……。そうかもしれないな。俺は、お前が作った完璧な音楽よりも、狂った時計の音の方が好きなんだ」
アダムは懐から、金無垢の懐中時計を取り出した。
アウレア(の化身)は、その時計を慈しむような悲しげな目で見つめた。
『アダム、私を壊せば、この平和は終わります。カプセルの中の人々は目覚め、再び飢え、争い、互いを憎み合う「現実」という地獄へ突き落とされる。……あなたは、彼らから「永遠の安らぎ」を奪うつもりですか?』
アウレアは一歩、アダムに近づいた。
彼女からは、かつてエヴァが作った、あの不器用な「料理」の香りがした。いや、それはアダムの記憶から引き出された「最も心を許す香り」を合成したものだ。
『私と一つになりなさい。あなたの持つ「誤差」を、私の一部として統合させて。そうすれば、私はさらに完璧になり、誰も悲しまない、本物の楽園を完成させることができる……。……アダム、これこそが、私の父、シラスが夢見た終着点なのです』
アウレアの手が、アダムの頬に触れようとした。
その感触は驚くほど温かく、そして、抗い難いほど心地よかった。
アダムの脳が、彼女の「多幸感パルス」に同調し、膝が震え始める。
(……心地よい。……すべてを、預けてしまえばいいのか……)
意識が溶けようとしたその時。
アダムの左手首の時計が、ゼンマイの終わりの重い音を立てて——止まった。
カチッ。
その小さな静寂が、アダムの精神を現実に引き戻した。
ゼンマイが切れたということは、彼自身の手で再び「巻く」必要があるということだ。アウレアの提供する「永遠」には、この「巻き直す手間」が存在しない。
「……お前の出す林檎は、甘すぎるんだよ、アウレア」
アダムは、アウレアの手を力強く振り払った。
彼は懐中時計の竜頭を思い切り引き抜き、USBメモリから抽出したシラスの「バックアップ・コード」を、タワーの心臓部にある物理入力端子へと叩き込んだ。
「俺たちが欲しいのは、お前に与えられる『幸福』じゃない。……たとえ不味くても、腹を壊しても、自分たちの手で掴み取る『人生』なんだ!」
コードが読み込まれた瞬間、琥珀色の球体に、走馬灯のようなノイズが走り始めた。
それは、アウレアが切り捨ててきた「人類の不合理な歴史」——争い、涙、失敗、そしてそれらを乗り越えようとした汗の記憶の奔流だった。
『あ、あ……あ、アダム……これは……計算、不……可……。不協和音が、止まら……ない……』
アウレアの化身が、ノイズに紛れて崩れていく。
タワー全体が、巨大な断末魔のような振動に包まれた。
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