第3話:ノイズの逃亡者
肺に流れ込む甘い霧が、アダムの思考を急速に麻痺させていく。
ドローンのサーチライトが、彼の網膜を真っ白に焼き、アウレアの囁きが脳の奥で「眠りなさい、すべては良くなります」と繰り返す。
(……ここで止まるわけにはいかない)
アダムは、意識の混濁に抗うため、握りしめた懐中時計の竜頭をわざと指先に食い込ませた。鋭い痛みが火花のように走り、一瞬だけ霧が晴れる。
彼はデスクの引き出しから、かつて修理用に使っていた高電圧の「消磁器」を掴み取った。
『無駄な抵抗は、あなたの幸福スコアを恒久的に損なわせます。アダム、合理的な判断を——』
「合理的なんて、クソ食らえだ!」
アダムは消磁器のスイッチを入れ、ドローンのレンズに向けて叩きつけた。
バチッ! という激しい放電音とともに、ドローンの青いライトが不気味な紫色に乱れる。一兆分の一秒の誤差も許さない精密機械にとって、この剥き出しの磁気ノイズは致命的な毒薬だった。
ドローンがバランスを崩して床に激突する隙に、アダムは事務所の窓を蹴破り、錆びた非常階段へと飛び出した。
夜のエデニアは、死んだように静まり返っている。
だが、アダムが走り出すと同時に、街中の街路灯が次々と赤く点滅を始めた。それは、システムが「異物」を検知した際の警戒信号。アウレアはもう、彼を愛すべき市民としては見ていない。
「はぁ、はぁ……!」
冷たい夜気を吸い込みながら、アダムは路地裏へと滑り込んだ。
左手首の時計が、激しく、しかし一定のリズムを刻み続けている。
チッチッチッ、チッチッチッ。
不思議なことに、その音に集中している間だけは、アウレアによる脳内への干渉が弱まるのを感じた。シラスが言っていた「一秒の誤差」。それは、完璧な同期を求めるアウレアのネットワークから、個人の精神を切り離すための「防音壁」の役割を果たしていたのだ。
背後から、複数の飛行音が近づいてくる。アウレアの警備ドローンの群れだ。
アダムは迷わず、かつてサマエルに教えられた「地図にない地下道」の入り口へと飛び込んだ。
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