プロローグ:まほろばの秒針
初めての投稿です。操作方法もおぼつかなく、たどたどしい所も多いと思いますが、暖かい目で見守ってください。
その街に、音はなかった。
超近代都市『エデニア』。そこでは、磁気浮上式の車が滑るように走り、清掃ロボットが塵一つ残さず静寂を維持している。二十一世紀を覆っていた喧騒や、排気ガスの匂い、剥き出しの欲望といった不純物は、すべて高度なアルゴリズムによって濾過されていた。完璧な調律。完璧な静止。街全体が一つの、巨大で精密な回路のように呼吸していた。
だが、その白亜のビル群が作り出す深い影の底。迷路のように入り組んだ路地裏の奥深くに、その場所だけは取り残されたように存在していた。
居酒屋『まほろば』。
安っぽい赤提灯が夜風に揺れ、建物の隙間からは「本物の」炭火で焼かれた干物の香ばしい煙が、かすかに、だが力強く漂っている。
「……カチ、……カチ、……カチ」
カウンターの隅で、アダムは愛用の手巻き時計を取り出した。
それは、銀色のケースに無数の細かな傷がついた、古びた機械式時計だった。今の時代、時間は脳内チップに直接投影されるか、街のあちこちに浮かぶホログラムで確認するのが当たり前だ。わざわざ「腕に巻く」必要など、どこにもない。
アダムは、指先に伝わるゼンマイの抵抗を確かめるように、ゆっくりと竜頭を回した。
「またそれか、アダム。マザーに同期すれば、一兆分の一秒も狂わない『真実の時』がタダで手に入るっていうのに」
隣で冷えたビールを煽っていたサマエルが、あきれたように鼻で笑った。
サマエル。アダムがこの街で働き始めてから、数え切れないほどこの席で顔を合わせている「悪友」だ。年齢も、住まいも、何を食って生きているのかも判然としない男。だが、彼が隣で皮肉を言わない夜は、アダムにとっての「一日」が完成しない気がした。
「いいんだよ、サマ。これは俺が『俺の時間』を動かしているっていう、大事な儀式なんだ。こうして指を動かしているときだけは、マザーの最適化からも自由になれる気がする」
アダムがそう言って笑うと、サマエルはグラスを置き、その人間味のないほど透き通った瞳を時計に向けた。
「自由、か。重い言葉だな、おい。……アダム、もしこの街の電力がすべて消えて、マザーが眠りに就いたとしても、お前はそのガラクタを巻き続けるのか?」
「当たり前だろ。こいつは俺の仕事の相棒なんだ。こいつがチクタク言ってる限り、俺は俺でいられる。明日も、明後日も、こいつと一緒に『無駄だけど最高なもの』を売りに歩くのさ」
アダムは最後の一巻きを終え、誇らしげに時計を耳に当てた。
チッチッチッ、チッチッチッ。
小さな、だが確かな鼓動。それは、加速し、合理化され、やがて消えゆこうとしている人類の、最後の足掻きのようにも聞こえた。
サマエルはそれ以上何も言わず、ただアダムの時計を見つめていた。その瞳の奥で、青い電子の光が微かに揺れたのを、アダムはまだ知らない。
エデニアの静寂の底で、小さな秒針が新しい歴史を刻み始めた。
毎週土曜日に更新出来るように頑張ります!
面白いと思ってくださる人がいたら幸いです。
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