1話 理論派と陰陽師と
「つまり……自然が最も濃い場所に“奴”はいる、ってことか?」
薄暗いコンクリートの六畳部屋。手渡された資料から視線を外し、俺は正面の男にそう問いかけた。
「ああ、そうだ。神的エネルギー……未解明ではあるが、我々の研究は進んでいる。もちろん、それを検知するデバイスも存在する。そのあたりを駆使して調査に向かうつもりだが……君も必要かね?」
細身のフレーム眼鏡が反射する。男の声はいつもの調子で、どこか探るようだった。
長身に薄茶のコート。いかにも「理性の塊」と言わんばかりの態度は、たぶん俺の力量を測ろうとしてのものだろう。
だが、こっちもそう簡単な人間じゃない。
情報を小出しにして様子を見るのも手だが、あいにく、こっちはそっちの組織をまだ信用してない。
とはいえ、相手は未知数。俺自身も体験したことのない異常だ。
「ま、お手並み拝見……と行きたいとこだが、本番でギスギスしてちゃ話にならねぇ。お互いに何ができるかくらい、事前に確認しとこうじゃねぇか?」
「これはこれは、随分と従順になりましたね……いや、ようやく事の重要性と協力の利点に気づかれたのですか? でしたら、その五百年前のトレンドスニーカー、どけてもらえます? 後で拭くのは私ですからね、その机」
「浅沓、って靴だ。てめぇ……こっちが少し折れたらこれかよ。問題を解決したいのか、それとも俺を怒らせて帰らせたいのか、どっちなんだよ」
——この二人の“作戦会議”は、既に五時間を超えていた。
互いに腹の内を探り合い、一歩進んでは二歩下がる。そんな議論(という名の言い合い)が延々と続いていた。
⸻
突如、日本各地で発生した【人体消失事件】。
三日前から始まり、現在も収まる気配はない。
世論は「連続誘拐事件」「失踪者続出」と騒いでいるが、裏で動いている組織たちは、もっと深刻な“何か”を察知していた。
人が消える瞬間——黒く蠢く“人の形をした何か”が被さり、その直後、両者は跡形もなく消えてしまう。
その異常な現象の流れを把握していたのは、我々と、もう一つの組織。
——陰陽師だ。
いや、目の前のこの男が「陰陽師」を名乗ってはいるが、見た目からして「いかにも」すぎる。
正直、舐めた格好だ。品がなく、態度も横柄。だが、実力は本物らしい。
彼らは“神的パワー”を使いこなし、世の理を超えた異常存在を日々、世界から“消し去っている”。
だが、それが我々にとっては“問題”でもある。
確かに、人々を脅かす存在を消すのは、場合によって必要な処置だ。
我々にも、時として同じような“消去”の決断はある。
だが、異常存在とはいえ、それらは森の生態系のように複雑に絡み合い、バランスの一部を成している。
一つを消せば、それが連鎖して世界の安定を崩しかねない。
——だからこそ、我々は管理する。
異常を、慎重に、制御し、維持する。
それが、我々 “対異常存在管理世界機関”、通称【W.A.P.R.(ウェイパー)】の使命だ。
そしてこの陰陽師たちは、普段我々にとって“敵性存在”である。
理由は簡単だ。
彼らは“良かれと思って”異常を片っ端から消していく。
その後始末を、毎回我々が引き受ける羽目になっているのだ——マジで勘弁してくれ。
ちなみに私の名前は、秋元。W.A.P.R.第17支部、支部長・田中の直属の部下だ。
今、私はその田中と、陰陽師(名前すら教えてくれない)の間に立ち、この異常存在対策本部(狭い)で、地獄のような会議のサポートをしている。
この仕事について早一年。まさかこんなギスギスの場に放り込まれるとは思わなかった。
……あ、まだ喧嘩してる。
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「だぁからぁ! こっちにも“やり方”があんだって! 霊力の特定だろ!? 自由にやらせてくれないと、逆に乱れるんだよ!」
机をバンと叩き、指を突きつける陰陽師。
手首の数珠がジャラ、と荒立った気配を鳴らす。
「我々のデバイスは、そちらの言う“霊力”も、寸分の狂いなく扱えます。そのほうが濁りないデータが取れますし、確実な対処が可能です。貴方の術を現場でアドリブで撃たれては、対応に支障が出る。我々には段取りが必要なのです」
田中は腕を組んだまま、冷ややかに言い放つ。そしてメガネをクイと直した。
「……呪術の中にはな、“誰にも知られていないこと”を縛りにして成り立つ術がある。だから協力前提では成立しねぇ。……それが、俺たちの“切り札”ってやつだ」
陰陽師の声が少しだけ落ち着く。
だが、静かな怒りはそのままに、こう続けた。
「それにお前らの“アレ”、霊力の流れが人工的すぎて気持ちわりぃんだよ。例えばマッサージチェアと人間の手、どっちがいいよ? 理屈は同じでも、天と地の差だ。繊細な力の流れに、正しさの押し付けは邪魔なんだよ」
「……では、現地へ行ってみましょう。これ以上ここで時間を浪費しても仕方ない。我々は大人ですし、現場で柔軟に対応しましょう。私の作るものに狂いはありません」
「だから、“狂いがねぇのがダメ”なんだって!」
陰陽師はそう叫び、椅子を蹴って立ち上がり、ドアを勢いよく開けて出ていった。
田中は小さくため息を吐き、椅子にもたれたまま視界を天井に向ける。
「まったく……科学を信じない人間と話すのは疲れます。彼には、私が少し折れてあげた寛大さに感謝してほしいものですね。秋元さん、準備は? 10分後、出発しますよ」
「え、あ、はい……えっと、本当にいいんですか? 陰陽師さん、あれ、全然段取り決まってませんよね……?」
秋元の不安は隠しきれなかった。
会議(喧嘩)は空振り、味方はクセ者、敵(?)ももっとクセ者。どう見ても、前途多難。
だが田中は、そんな私の目をまっすぐ見て言った。
「心配ありません。私の作る物に、狂いはない。……大船に乗ったつもりで着いてきなさい。今回の件、簡単ではありませんが、必ず次に繋がります。つまり、私の研究が進む。これは、良いことです」
(何一つ良くない……)
私は心の中でそう呟きながら、装備の確認に向かった。
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現地――静岡県某所。
人里から外れた深い山間、地図にも載っていない未開の森林地帯。立ち入り禁止の看板は既に朽ち果てており、道路も舗装されていない。
しかし、木々の奥に潜む“何か”の気配は、誰が見ても明らかだった。
「なるほどな。……自然が“濃い”なんてもんじゃねぇ。ここ、全てが息してやがる」
陰陽師の男は腰の札束(呪符)に手をかけながら、森の奥を睨む。
彼の目には、既に視え始めていた。震える空気。流れる霊力。空間に脈打つ“存在”。
「こちらの反応も同様です」
田中は持参したW.A.P.R.製の携帯型霊力スキャナを見せる。ディスプレイには、緩やかに上昇する反応グラフ。
「この数値、明らかに異常です。……神の心拍でも拾っているかのようだ」
「神、ねぇ……」
陰陽師は鼻で笑う。
「そういう表現、あんた好きだねぇ。けど“これは神じゃない”。……もっと、異質で、意識の境界が曖昧なもんだ。生きてるとも、死んでるとも言えねぇ、な」
「それこそが“異常存在”というものでしょう」
「違ぇよ。あれは“古い”んだ。多分、俺たちの先祖が封じてきた“旧いもの”……その気配を感じる」
秋元は少し離れた場所で、双方の会話を端末に記録していたが、次の瞬間、背筋に冷たいものが走った。
――音が、消えた。
鳥の鳴き声も、風の音も、葉擦れの気配すらも。
一瞬にして“世界が止まった”感覚が、彼女を包み込む。
だがそれは彼らも同様。
「ストップ。秋元さん、動かないで」
田中の静かな声。だが、声色の裏にある緊張は明白だった。
「来ます。……視界の右後方、えぇ、二時の方向。反応大」
スキャナの針は激しく揺れる
秋元が息を呑み、ゆっくりと視線だけを向けた先。
そこに、黒い“シミ”のような人影があった。
人の形をしてはいる。だがそれは、輪郭が曖昧で、空間の一部がただ“欠けて”見えるような不気味さを持っていた。
「……出やがったか」
陰陽師は数珠を一度強く握りしめると、素早く札を取り出し、口を開いた。
「――『急急如律令』。その名をもって命ず。此度の場に現れし汝、いにしえの律に従い、顕現し、語れ」
札が空中に浮かび、淡く青白い光を帯びる。
「……交信術か?」田中が問う。
「あぁ、ただの撃退術じゃねぇ。話せるなら、話させる。それが俺のやり方だ」
黒い人影が、一瞬だけ“ぶれる”。
まるで、そこにあることを否定するかのように。
だが次の瞬間、それは秋元の目の前に“にじむ”ように出現した。
「やっ――!」
動く前に、陰陽師が叫んだ。
「下がれ秋元ッ!」
彼の声と同時に、札が破裂音を立てて爆ぜ、光の障壁が展開された。
黒い影がそれに弾かれ、霧のように森の中へ退いた。
「……今のは、“喰いの構え”だな」
陰陽師は唇を噛みながら呟く。
「奴らはもう、ただの出現じゃねぇ。“選び”始めてる」
「選ぶ?」秋元が息を整えながら訊ねる。
「“人間の構造”をな。何を食えば一番効率的か、どこが壊れやすいか。……学習し始めてるってこった」
「……つまり、“今までは本能だけで動いていた”と?」
「それが、理性に近づいてきてる」
田中は無言で端末を操作しながら、短く言った。
「最悪のパターンですね。“人の形を持つ理性なき神格”が、“理性”を獲得しつつある……」
秋元は口を開けたまま、何も言えなかった。
冷たい風が吹く。だが、それは風ではない。
まるで、何かがこの森全体を「呼吸」しているようだった。
「……時間がねぇな」
陰陽師が、数珠を手で撫でながら呟いた。
「さて、科学と呪術の“水油タッグ”で、どこまで行けるか。試してみようぜ、田中さんヨォ」
田中は薄く、不器用に、演技の様に綺麗に笑った。
「ご期待に添えれば、幸いです」
二人の異能者は、同時に森の奥へと歩き出した。
秋元は深く息を吐き、彼らの背に続く。
この異常が、ただの“事件”では済まないことを、彼女ももう、悟っていた。
ーーーーーー
暗く、霧がかった森の中を進む。
一切の環境音が鳴ることなく、一行の足音だけが響いていた。
陰陽師が何かを喋ろうと唇を開く音すら、はっきりと聞こえるほどの静けさ。
「……あの瞬間――秋元チャンを“喰おう”としたとき、奴には確かに“口”があった。
ありゃあ、相当“喰ってる”な」
田中は別の端末を操作しながら、短く応じた。
「捕食による身体的部位の獲得……これは確かに、時間がありませんね」
陰陽師は目を細め、言葉を続ける。
「ああ。それに“理性の獲得”ってのは、一般的にはかなりの数の人間を取り込まなきゃ無理だ。
しかも――あれには、明確な“殺意”がある。……早く“親玉”を見つけねぇとな」
張り詰めた空気の中、間を縫うように秋元が口を開いた。
「あの……確認ですが、今回の目的って、最終的な異常存在への対処法を確立するための調査任務、ですよね?」
「その通りですが、何か問題でも?」
「えっと……なんでお二人とも、自分たちだけで解決しようとしてるんですか?
流石にこの人数で対処できる規模じゃないと思うんですけど……」
秋元は体の前で手を組み、やや困った顔で上目遣いに二人を見る。
数珠を指にかけ、ゆっくりと回しながら陰陽師が答える。
「俺ら陰陽師でも、このレベルは単独攻略なんざしねぇよ。だが状況が変わった。
援軍を待ってから動く……そんな悠長な時間すら、もう惜しいってこった」
「ええ。実際、彼の意見は正しいです。――不本意ですが」
「は? なんだと?」
田中は構わず続けた。
「追加人員の派遣要請は出してありますが、現在ほとんどの精鋭は全国に散っており、こちらへの到着の目処は立っていません」
「しかもだな、奴は“人間を吸収して強化”する。そんなヤツの根城に大人数で突っ込んでみろ、
逆に“エサ”を与えるだけだ」
「つまり、多人数での対応は逆効果。少数精鋭による最短突破が最善……ですが、その“精鋭”たちは全国で任務中。ほとんどが手一杯です」
「ま、運がいいのか悪いのか――“俺は”その精鋭だ。
そこは安心してくれよ、秋元姉ェ。いざって時は、お前が全力で“記録”持って帰るんだ。そのために来てんだろ?」
陰陽師は秋元の肩を叩く。
痛くはないが、芯のある衝撃が彼女の身体に響いた。
だが秋元も、並の鍛え方ではない。よろけることなく、そのまま歩を進めた。
同時に、田中が冷ややかな声で言い放つ。
「貴方と違い、私は“本物の精鋭”です。17支部長を、舐めないほうがいいですよ。
少なくとも、貴方の数倍――いや、数十倍は問題を解決してきました」
「あぁ!? じゃあ俺はその百倍だ!」
陰陽師は声を荒げ、顔の前で両手を広げる。
「も〜〜〜! こんなところで喧嘩しないでください!
緊張感があるのかないのか、ハッキリしてくださいよ、“精鋭さん”たち!」
言い争いの温度差が広がる中、秋元の呆れが、彼女の心に一瞬の隙を生んだ。
――そして次の瞬間、視界が“光”に包まれた。
「……なんだぁ……? こりゃあ」
三人は確かに、森の中を歩いていたはずだった。
だが、気がつけば目の前に――広大な草原と、花畑が“出現していた”。
まだ足元は森の中。だが、あと一歩踏み出せば、明らかに“そこから先”は異質だった。
前方には一面の多様な色彩。天国と見まごうような、透き通った青い空。
だが、そこには太陽がない。それでも光が燦々と降り注いでいた。
「秋元さん。幻覚判定、空間転移座標の特定、自己確定調査、そして目視での状況確認――報告を」
田中は秋元に次々と指示を飛ばしながら、手元の端末を信じられない速度で操作している。
「臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前――ッ!」
陰陽師は手印を組み、三人の周囲に鈍く光るバリアを展開。
同時に、数珠が空中に弾け、四方へと飛び散っていく。
それを見届けながら、彼は前方を見つめ、短く言った。
「……あの数珠が周囲を探索してる。今の俺の視界は360度だ。……だが、長くは持たねぇ」
「了解。解析、あと数秒で完了」
異変発生からわずか十数秒。
だが、訓練と実戦に裏打ちされた二人の連携が、状況の緊迫感をさらに引き上げていく。
やがて、すべての調査が終わり――一つの結論に辿り着いた。
田中は端末を一つずつバックパックに収めながら、静かに呟く。
「……神格実体の反応も、霊力の残留も確認できません。
これは……まさか……」
「――“タイムアップ”ってことだな」
陰陽師がそう答え、辺りを見回した刹那。
彼の視界に、ある“存在”が映った。
――目の前に、“小さな男の子”が立っていた