影の根の戦い〜前編〜
洞窟の奥は、まるで生きているかのように、ぬめりを含んだ湿った空気に満ちていた。
天井は低く、所々で岩肌がねじれたように突き出している。三人はほとんど無言で歩を進めた。足音さえ、やがて息を潜めるように静まる。
進むごとに空気が重くなる。リナナの小さな手が、無意識にシャムスの袖を握った。
「怖いか?」
囁くようにシャムスが訊ねた。リナナは、こくりと頷く。
「でも、大丈夫。だって、私には……」
そこでリナナの目がシャムスの腰元に目を向ける。
彼が渡した、折れた父の形見のポケットナイフ。
リナナはそれをポケットに忍ばせ、今も大事にしていた。
「親父がきっとお前を守ってくれる、って言ってたから」
そう、あのとき彼が渡したときの言葉を思い出している。
シャムスは軽く笑った。
「そうだな。アイツ、意外と約束は守る男だった」
「お父さんって、どんな人だったの?」
リナナがふと問いかけた。光のない闇の中、会話は一瞬心を温める灯火のようだった。
「頑固で、無口で、説教臭くて、めんどくせえ」
シャムスは少し間を置いて続ける。
「でも、逃げなかった。絶対に」
その一言に、クレメンタインは静かに微笑むと、「あんたに似てる」と呟いた。
そのとき、地の奥から、不気味な「音」がした。
ゴォ……ゴゴォォォ……
それは風の音でも、機械音でもなかった。どこか低く、うねるような──まるで巨大な何かが、呼吸をしているかのような音。
「ここだ」
リナナが立ち止まる。目の前に、巨大な空間が広がっていた。まるで地下聖堂。天井は高く、岩肌にびっしりと這う黒い“影の根”が、中心の祭壇のような台座へと絡みついていた。
その中央に──“それ”はいた。
ぐずぐずに崩れた人型。人の形をしているのに、人ではない。
全身を覆う黒い膜が、内側から蠢き、呻き、時折“顔”のようなものが浮かんでは消えていく。
「これが……影の根?」
クレメンタインが震えた声で呟く。
「違う、これはまだ“器”。根は……」
リナナが言いかけたそのときだった。
ズグンッ!
空気が跳ねた。次の瞬間、影の塊が地面から飛び出し、三人に襲いかかる。
「伏せろ!!」
シャムスが叫び、即座に拳銃を引き抜く。
バン!バン!
銃声が洞窟に反響し、影の先端が火花を散らしてはじかれた。
「核はどこだ!?」
「まだ見えない、動いてる!」
クレメンタインがシャムスの横に飛び出し、鉄パイプを振りかざして影を叩き落とす。肉のようなものが裂ける音がしたが、それでも影は再生する。
「こっち来ないでぇ!」
リナナが叫び、必死に後ずさった。足元の影が伸び、彼女の足首を掴もうとする。
「リナナッ!」
シャムスがリナナの元に飛び込み、その影の腕を銃で撃ち抜く。血のような黒い液体が飛び散った。彼女を抱きかかえ、岩陰に滑り込む。
だが──。
「ぐッ……!」
右脇腹に鈍い痛みが走る。見れば、影の棘のような突起が、シャムスの体を貫いていた。
「シャムスッ!」
クレメンタインが駆け寄る。彼女の目が、一瞬にして戦闘モードに変わった。彼女はその棘に向かって、全力で鉄パイプを振り下ろす。金属が鈍く鳴り、突起が引き裂かれる。
「動ける?」
「……まだイケる。お前が殴ったとこが一番痛えけどな……ッ」
「文句はあと。行くわよ、リナナ守って」
クレメンタインは即座に指示を出し、シャムスは負傷を押して銃を片手に立ち上がる。片膝をつきながらも、彼の目は決して引いていなかった。
「核が……あれよ!」
リナナが叫ぶ。中心の塊の奥に、淡く赤く光る一点が見える。まるで心臓のように、脈打っている。
「見えた――!」
シャムスが銃を構えた瞬間、影がさらに巨大化し、三人を飲み込もうとした。
「来るぞ!!」
黒い奔流が天井から、地面から、一気に襲いかかる。