皮肉屋、村へ
天気予報は晴れだったはずなのに、空は分厚い雲に覆われていた。
シャムス・ヘイズは、舗装の切れた山道を見下ろしながら、舌打ち混じりにバイクのハンドルを切った。
「……冗談だろ。地図にすら出てない村がこんな場所にあるとか、ホラー映画の導入かよ」
タイヤが小石を弾き、前輪がやや滑った。彼は素早くバランスを取り直す。身体の動きは無駄がない。日頃の鍛錬と、若さゆえの反射神経が反映されている。
背中のリュックには水、食料、ポータブルナイフ。そして——小型のハンドガン。
銃は大学時代に山狩りで使っていた中古品で、頼りになるかは正直怪しい。だが、素手よりはマシだ。
「……ったく、なんでお前を追っかけて山奥まで来てんだか」
ぼやきながら、彼は胸ポケットの写真をちらりと見る。
黒くて長い髪を高い位置で縛った少女が、豪快に笑っていた。隣には自分が写っている。肩を組んで、何かに勝利したような表情。
——クレム。クレメンタイン・ハミルトン。
幼なじみにして、無鉄砲の塊みたいな女。
数週間前、突然「失踪した友達を捜す」と言って音信不通になった。警察は「成人女性の単独行動」としてまともに取り合わず、家族は諦めかけていた。
だから、仕方なく自分が動いた。
皮肉屋で面倒くさがり。だけど、クレメンタインが消えたと知った瞬間、真っ先に体が動いていた。
「こんなの柄じゃないんだよな、俺……」
そう言いかけたときだった。道の先、霧の向こうに何かが見えた。
——鳥居のような、古びた木製のアーチ。
その向こうに、静かに広がる小さな村。
エルムレイクと、看板にかろうじて読める文字があった。
村の中は静まり返っていた。
家々はどれも古く、木材の壁がひび割れ、白いペンキは剥がれかけている。人の気配はあるはずなのに、まるで誰もいない。
シャムスはヘルメットを外し、バイクを道の端に停めた。
「……うん。間違いなく、出てくるモンスターに最適な背景だな。良い絵が撮れるぜ」
皮肉を言うほど緊張しているのは、自分でもわかっていた。
けれど、この村に彼女は来ている。足跡は、彼女のスマホの位置情報に微かに残っていた。
宿を探しながら歩いていると、突然背後から「こんにちは」という声がした。
「……っ!」
シャムスは反射的に振り返り、腰に手を伸ばした。だが、そこにいたのは——小さな女の子だった。
ぼさぼさの黒髪に、よれたワンピース。10歳くらいだろうか。肌は土でくすみ、足元は裸足だった。だが、その目だけが、妙に澄んでいた。
「お兄ちゃん、旅の人?」
「……ああ。クレメンタインって女を探してる。見なかったか?」
「うん……見たかも。でも、その人、もう帰れないかもしれないよ」
子どもにしては妙に冷静な口調。無邪気とも、怯えているとも違う。
「どういう意味だ?」
「この村ね、夜になると影が歩くの。だから、帰れなくなった人、いっぱいいるのよ」
「影って……なんだ、都市伝説系か?」
「ほんとだよ。夜に出歩いたら、食べられるの。影に」
シャムスは思わず彼女の肩に手を置いた。軽い。今にも折れそうだ。
「名前は?」
「リナナ。お兄ちゃんは?」
「シャムス。シャムス・ヘイズ」
リナナはしばらくじっとシャムスの目を見つめたあと、ぽつりとつぶやいた。
「……じゃあ、私シャムスに教えてあげるよ。クレメンタインさんが、最後に行った場所」
その声には、どこか悲しみが混じっていた。
その夜、村の北にある墓地の近くで、シャムスは奇妙な痕跡を見つける。
地面に残る、靴跡と何かを引きずった跡。
そして、草むらに落ちていたのは——クレムの髪留めだった。
風が吹き、村の遠くで犬が短く吠えた。
空には星ひとつなく、まるで空そのものが黒い布で覆われたようだった。
「……クレム。お前、何に突っ込んだんだ?」
シャムスは拾った髪留めを握りしめた。
——そして、背後で、“誰か”がこちらを見ている気配がした。